|
カルチャー・ショックの究極は、なんといっても「神秘の島・バリ島」の名にふさわしいトランスだ。このトランスという言葉、辞書には夢幻境・恍惚(霊的陶酔状態・全身硬直症的状態)・失神・人事不負・昏睡状態とある。またそのほかの文献には、五感の働きの一時的停止、心臓の鼓動の高まり、呼吸の停止、感覚諸器官の活動の消滅、両目は見開いたまま何も見ておらず、精神は虚脱し身体は身動きもしない…。などなど様々な解釈がなされている。しかし、バリのトランスはそんな単純明快なものではない。それでは実体はいかなるものか、考察してみた。バリの人にトランス状態をなんと言うのか尋ねてみたところ、バリ語で「Kerauhan(=rauh:インドネシア語でDatang、来るという意味)」という答えが返ってきた。神が降りて来るという意味だ。神と合体し、神として話し、神として行動し、自ら神として無限の享楽を味わい、霊的な活動をし、神が憑依した状態をいうそうだ。う〜ん、やはりバリは神々の住むにふさわしい島である。
オダラン(寺院祭礼)の儀式や芸能の中で時々Kerauhanを見ることがある。科学的に解釈するには無理があると思われるほど、それは、まさに神が降りて来るという言葉そのものである。
◆UBUD・Padangtegalの観光客向けパフォーマンスでサンヤン・ドゥダリ(二人の少女に天女が憑依し、踊りだしてしまう)とサンヤン・ジャラン(一人の男性が馬を模した祭具にまたがり、ココナッツの皮の焚火をけちらして踊る、ファイヤー・ダンスと呼ばれているもの)が演じられているが、これはショーでありKerauhanではない。Peliatanのパフォーマンスでは、クリスを持った上半身裸の男達が自らの胸にクリスを刺すシーンがあるが、これもやはり本物ではない。しかし迫真の演技なので、一見の価値あり。
サンヤンは、猿に憑依されるサンヤン・ボジョ、豚に憑依されるサンヤン・チェレンなど、二十数種あると聞く。そらはカランガサム地方のオダランで見られることもあるという。また、クリスを自らの胸に刺すシーンはUBUD近辺のオダランの儀式やチャロナラン劇で見られることがある。
ここで、実際に目撃した実例を三つ紹介しよう。
◆クニンガンの十五日後、TEBESAYAのPr Dalem Puriでおこなわれるチャロナラン劇。いよいよ劇が終演に近づき、ランダが登場する場面になる。ランダに立ち向かう男達が八人、舞台のそでで出番を待っている。上半身裸で手にはクリスを持ち雑談しながら準備運動をしている。中には知っている顔もある。いよいよ出番、「ワー」という喚声とともに男達が舞台に駆け出して行く。しばらくランダとの絡みがあった、その直後。ランダの咆哮とともに一瞬に男達がKerauhanしてしまった。男達は嬌声を発し地べたにもんどりうってもがいている。幾人かが血を出している。そこにプマンク(司祭)がゆっくりとした足取りで登場し、男達に聖水をかける。すると不思議にも男達は正気にもどっていく。それでも一人二人が正気に戻っておらずプラに担ぎ込まれて行った。始めはパフォーマンスと同じで演技かと疑い、確認のためPuraをのぞいてみたが、どうもそうではなく、本物のトランスだったようだ。
◆同じくPr Dalem Puriで、バングリからの一座によって演じられたチャロナラン劇では、Kerauhanした四・五人の男達がひよこをムシャムシャ・コリコリという音をたてながら、口を血で真っ赤にして食べてしまうのを見た。また、ランダが墓に向かって駆け出してしまい、皆で追い掛けたシーンもあった。ランダは墓に埋めてある死体を掘り起こし食べてしまうと言われている。その時の観客は同じ霊気を感じたのか、ランダの走り抜ける道を作るかのように、一瞬人垣が割れ、そこをランダが走り抜けていった。
◆儀式の中でのKerauhanは、BatukaruにあるPuraで目撃した。陽が高くならないうちにでかけたが、もうすでにKerauhanしたIbu-Ibuが空気と戯れているかのように、ゆっくりとルジャンを踊りながらPuraの奥から出てくる時であった。Ibu-Ibuの後から、プマンクが三人、男達の肩車に担がれて出てきた。その三人ともが入神しているようだ。三人のプマンクはバレの廻りを三回まわったあと、バレに座した。プマンクには神が憑依しているようで、何か村の長に伝えている。大勢の正装した村人が下に座り、この光景を静かに見つめ聞き入っている。それは今後の作物の出来であったり、儀式に関してのことであったりするという。それぞれ三人のプマンクからのお伺いにはかなりの時間がかかった。この間もIbu-IbuはそれぞれのKerauhan状態に入ってルジャンを踊り続けている。突然「ワー」という喚声とともに走りだす男姓や踊りだす女性が続出する。それは真昼といえども霊気漂う摩訶不思議な光景である。
まだまだたくさんのKerauhanを目撃したが、ここでどんなに説明しても疑い深いあなたには理解できないと思う。やはり「百聞は一見にしかず」いつかの機会に体験してください。きっとあなたもバリの不思議に度胆を抜かすことでしょう。
|
|