◇ 蔵・・・ゆるゆる雑文/01_01_12 ◇
人工化

 ここ数年どんどんエスカレートする命の人工化に不快感を覚えている。
クローン、ヒトゲノム、人工授精、臓器移植...、少し乱暴だが、全てまとめてしまえば“命の人工化”だ。研究の方がどんどん先走り、倫理観や法整備が追いつかない状況だと思う。
 本来、ニンゲンだって地球上に生きるひとつの種族なのであって、地球の資源と自然に生かされている一部分のはずだ。なのに、ニンゲンは自分達が繁栄する為に、地球の資源を使い果たし、自然を破壊し尽くし、更には命までも自然に反していじろうとしている。そんな事してホントにいいのか?ホントに未来はバラ色なのか?
 こういった研究や法制化の新聞記事を読むたびに心がザワつく。ひとつひとつが難しい問題だから、一緒くたに簡潔に「No!」と言えるとは思わないが、なぜこんなに心がザワつくのか考えてみた。

■クローン/既に、クローン羊のドリーちゃんは存在するし、なんとドリーはママになり子孫だって存在している。数年前、ドリーのニュースが世界中を駆け巡った時、人々は“クローン人間”が現実のものとなった事を知り、その是非が論議を呼んだ。そして「やっぱり、人間のコピーを作っちゃマズイだろ」と、その後、各国でクローン技術の人間への応用は禁止された。あたりまえだ。私は、動物だってクローンを作る事には反対だ。クローン技術は何の為に研究されてきたのだろうか?食料の供給、新薬の開発、スペア臓器...?否。きっと研究者は、目の前の可能性に手を付けずにはいられなかったのではないか。そして可能となった技術は、禁止されても破る奴がきっと出てくる。恐ろしい。

■ヒトゲノム/あれよあれよという間に解明されていく個人の設計図であるDNA。15年程前、医薬品関係の仕事に携わっていた。ある時、取材先のドクターが「君の血液を調べれば、将来かかる病気やだいたいの寿命だって分かりますよ」と言った。当時は「またまた極端なんだから、先生は」と笑っていたが、ドクターは冗談を言っているわけではなかったんだと後で知った。調べてもらえば良かっただろうか。でも、ホントに自分の寿命やかかりやすい病気が分かって何になる?ましてや、DNAを操作するって事は、その個体の設計図を書き換えるわけで、それは別の個体って事にならないか?ヒトゲノムの研究は、その応用が多岐に渡って全てを一概には言えないけれど、パンドラの箱を開けてしまったって事には間違いない。

■人工授精/最近は日本でも、第三者からの生殖細胞提供の法制化を進める動きがある。子供が欲しいのに出来ない法的な夫婦に限り...とか言ってるが、そんなにまでして子供が欲しいか?つまり自分たち以外の所からタネをもらってくるわけだゾ。なんか違わないか?私はもともと、試験管ベビーやら顕微鏡ベビーにも反対だ。不妊治療もカレンダーに印をつけて“この日にする”から、アナタも早く帰ってきてね...っていう程度でも疑問を感じる。命は、男と女が真剣に昇華した房事の末に授かるものだと思っている。既に私も出産には高齢の域をすっかり越えた歳になったが、この考えは変わらない。しかも人工授精は、より良い細胞を求めて“選別”されてしまう。誰が何を基準に?映画「ガタカ」の世界は、もうすぐそこまでやってきている。

■臓器移植/私は臓器移植に関して今は「あげない・もらわない」と思っている。心臓死からの角膜なら提供しても構わないが、それ以外は「No」だ。実は、少し前までは、死んで誰かの役に立つなら...と思っていた。しかしよくよく色々な所見を読むにつけ、臓器移植のシステム自体にゆがみや不平等性を見つけてしまう。経済的に貧しい人々は、ドナーにはなれても、レシピエント(臓器受容者)にはなりえない。しかも、恒常的な臓器不足の状況で、市場原理が働かないはずがない。
 そして、もうひとつ容認できないのが「脳死」という概念。心臓が止まった段階を死とみなす心臓死...、これは判りやすい。だんだんと体から体温がなくなり硬直し、放っておけば腐敗が始まる。家族は、亡骸のそうした変化と共に、愛する人を失った事実を少しづつ受け入れるのだと思う。しかし、脳死の場合はこのかぎりでは無い。まだ温かく血の通った愛する人を目の前にして、医者から「脳死判定の結果、死んでます」と言われて、「はい、そうですか」と納得できるだろうか。自分がドナー登録をして、家族にそんな残酷な判断をさせてもいいものだろうか。
 私は“死”というものは、線引き出来ないものだと思う。カットアウトではなく、フェードアウトだ。今の脳死判定は、無理やりカットアウトさせている様にしか思えない。まぁ、穴だらけの移植医療も、将来的には、細胞レベルで治療する再生医学にとって代わられるのであろう。そして人類は、自分の体を車のようにパーツ交換して長持ちさせ、不死身の体を手に入れることも可能になるかもしれない。...が、はたしてホントに幸せだろうか?


 以上、21世紀の始まりに、ザワつく心の原因を解読してみた。
 人は皆、もっと自分の運命を厳粛に受け止める潔さが必要なのではないだろうか...?
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