●・●・● しぅばぅの話(バリ便り) ●・●・● |
しぅばぅは、いつも突然現れる。
その日は、バトゥブランで一番供え物作りが上手だったお婆さんの葬式前夜だった。
バリの葬式は、人間にまつわる儀式の中では一番盛大に執り行われる。 連日連夜、近所の村人が100人位集まって、供物作りをしたり、会場をしつらえたり、村中総出で助け合う。毎日のように豚を潰し、手伝う村人や客人に食事が振る舞われる。
バリでは、葬式だけでなく、なんだかんだとしょっちゅうどこかの家で儀式がある。
しぅばぅは、バトゥブランとチュルクを行ったり来たりしながら、儀式をやってる家を見つけては、ふらりと現れて食べ物をねだるらしい。
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その日も別に何か悪さをするわけではなく、小首をかしげながら奉納劇なんぞ眺めていた。
気候が暖かいバリでは、眠る場所はいくらでもある。着る物もどうにでもなる。
バリの人達は、そんなしぅばぅを笑い者にしながらも、そこに“居る”事を許しているように思う。
しぅばぅが、どこからやってきて、本名を何と言うのか誰も知らない。
バトゥブランで、しぅばぅが“しぅばぅ”と呼ばれるようになったのは、新しい1000ルピア札が出始めた頃らしい。
まだ珍しい1000ルピアの新札を観光客から恵んでもらい、それをヒラヒラさせながら子供たちに「しぅばぅ、しぅばぅ!」と自慢してたそうだ。
“しぅ”は、バリ語の「千」で、“ばぅ”は「新しい」という意味の「ばる」が発音できず“しぅばぅ”になったみたいだ。
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翌日、キンキラに装飾された遺体を運ぶバレが自宅を出て、楽団を先頭に大行列が寺に向かう。
観光客にも有名な“バリの葬式”だ。見た感じは、日本のお神輿を思わせる光景。バイパスの大量の車を通行止めにしながら練り歩くのは、なんだかちょっと気持ちがいい。
しぅばぅも、どこかからこの行列に加わったのか、お寺に来ていた。
装飾の一部である地獄絵を、相変わらず小首をかしげながら、じぃーっと見ている。
お婆さんの遺体を包む炎を一番長い間眺めていたのは、しぅばぅだったかもしれない。
いつも炎の近くに居た。
しぅばぅが何を考えているのか知らないけれど、もしかしたらものすごく哲学的な事を考えてるのかもしれない。
そんな事を思わせる不思議な横顔だ。
弱者を受け入れる優しさがバリにはある。
どんな存在でも“自分らしくそこに居る”事を許される。
この島の優しい気持ちが世界中に伝染するよう、私も祈り続けたい。
しぅばぅ...、今日も元気にしてるかな。 |
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