水そー屋さんの日記 水そー屋さんの空間へ
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2011.1.30 [日] The World Heritage Vol.3 世にも恐ろしい大渋滞

そりゃ、あれだけ雪が降れば都会の交通事情は大変だ。



都会なんてものは雪に慣れてないので、すぐに麻痺してしまう。



この日ももちろん例外ではなかった。



朝のニュースから、大雪の話で持ちきりである。



名古屋の高速道路は全て通行止め、電車はほとんど遅れている。



朝、若干酒の残っている体に、ミズホが入れてくれたお茶を流し込みながら、のん気にニュースを見ていた。



この時点で、事の重大さに僕はまだ気づいていなかった。



この日は、名古屋から三重県伊勢までの移動予定。



名古屋の高速道路は使えないので、少し離れた四日市という場所から伊勢湾岸道路という高速に乗る。



まあ、距離で言うと30kmぐらいか? 普通に車で走れば30分ぐらいの距離だ。



高速に乗ってしまえば、後は何も問題はない。



僕は朝の九時に、お世話になったマサ、ミズホ夫妻に別れを告げ、雪の積もる名古屋の道を走り始めた。



名古屋市内に入るとすぐに渋滞につかまった。



大型車がかなり多い。



そうか! 普段、高速道路を使って移動する大型車が、通行止めによって下に降りてきているのだ。



そりゃ、でっかいトラックが多いわけだ。



トロトロ走っていた車は、ある地点から全く動かなくなる。



この名古屋から脱するにはあとどれくらいの距離があるのだろうか?



と、そこで僕は初めて地図を広げる。



そこで目にした事実に、僕は電撃ショックを受けた!



そして、ここでようやく事の重大さに初めて気づく。



こ、これはまずい!!



距離はさほど遠くはない。



何がまずいのか?



名古屋には大きな川が何本かある。



その度に橋を渡らなければいけないのだ。



橋を渡るとはどーゆーことか?



車が一気にそこに集中してくると言うことだ。



なぜなら、川の向こうへ行くには橋を渡るしか手段がない!



そして僕は、あたりを見回す。



どこもかしこも動かない車の列。



ほんの少し、恐怖心が芽生えていた。



まぢでヤバイ・・・



そして決意する。



橋を渡らずに、川に沿ってのぼろう。



比較的車の少ない場所まで行ってから橋を渡り、そしてまた下ってくる。



僕は方向転換し、走り出した。



しかし、行けども行けども渋滞はなくならず、橋が近づくと完全に車は動かない。



もうどれだけ上がってきただろうか?



愛知県だったのがいつの間にか岐阜県になっている。



昼過ぎには伊勢に到着予定だったが、昼を過ぎてもまだ橋を渡れずにいる。



の、おかげで、名物のひつまぶしは食すことができた・・・ラッキー



この苦難をどう切り抜けるか!?



壁にぶつかったときにどう対処するのか!?



この渋滞の問題が、もう人生と重なって見えてくる。



カーナビを駆使しながら、わき道を縫うように走る。



岐阜県で、やっとの思いで橋を渡った時にはすでに午後3時を回っていた。



その頃には、いい程度の場所で一泊することも考え始めていた。



なんなら道端で車中泊もいいだろう。



こんなときのために寝袋を積んできたのだ。



どこかで一泊すればそれはそれで、何かいい情報、いい出会いに遭遇するかもしれない。



川を渡った後は、四日市まで下る。



もう渡ってしまえば渋滞もなくなるだろうと考えていた僕は、スイスイ進む道を走りながら、テンションは上がっていた。



国道に出て一気に四日市まで下ろう。



国道を目指す。若干スピードも増す。



しかし、そこで待ち受けていたのは・・・



死んだように全く動かない車の列・・・



みんな下って行きたいのだろう。



万事休す



その時、僕の前を走っていた軽自動車が、おそらく地元の車だろう、急にUターンをした。



これだ!!



僕も行動が早かった。 前の車に習う。 後を追う。 狭い道を行く。



国道と平行して走る脇道。 動かない車達を横に見ながら僕は走る。



カーナビを駆使しながら国道をよけて、永遠と脇道を行く。



走り続ける。



四日市に着いたときにはもう夕方になっていた。



四日市ジャンクションから高速に乗る。



警備員が立っている。



警備員 「規制で大阪方面しかいけないです。」



僕 「伊勢の方に行きたいんですが。」



警備員 「伊勢は大丈夫です。」



スッカスカの高速に乗る。



反対方面、驚きの大渋滞・・・



トラックの運転手なんか、エンジンを止めて寝ているようすである。



そこから何キロにも続く車の列・・・



後ろの人たちは、トラックの運ちゃんが寝ていることすら知らないだろう。



名古屋の橋の近くの大渋滞の光景



岐阜の全く動かない国道の大型車



名古屋へ向かう高速道路上の寝ている運ちゃん



あの光景が今でも目に焼きついている。



あの光景を思い出すだけでゾッとする。



何度も万事休すと思わされたあの大渋滞は、僕の心に忘れがたい恐怖心と達成感を残した。



飛ばす高速道路



たった1時間程で、伊勢に到着してしまった。



辺りはさすがにもう暗くなっていた。



こんなふうに僕の人生も、なんとかして苦難を乗り越えていくんだろうな



なぁーんて思う暇もなく、深い眠りに落ちてしまう2日目の夜であった。



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2011.1.27 [木] The World Heritage Vol.2 奇跡のタイミング

まずは名古屋に入る。



名古屋には、オーストラリア時代の旧友が住んでいる。



マサ、ミズホ夫妻のお宅に一泊させてもらうことにした。



彼らとはオーストラリアの語学学校で出会った。 もう十年も前のことだ。



その後、東京でも何度か会う機会に恵まれ、未だに縁が続いている。



彼らはオーストラリアで出会い、恋に落ちて、そのまま結婚した。



今では、名古屋を生活の拠点にしている。



そして嬉しいことに、お腹の中には新しい命が宿っている。



そんな大切な時期に、この馬鹿太者がお邪魔してしまった。



僕が名古屋に滞在したその日は、近年稀に見る大雪であった。



もう景色はスキー場のように雪が積もっていた。



降り続く雪もスキー場でみる雪のような勢いである。



「すごいタイミングで来ちゃったね。笑」



としか言いようがない。他の言葉が見つからない。



しかし、そんなことお構いなしに僕のテンションは上がっていた。



僕の住んでいる横須賀では、こんなに降り続く雪を見れることはめったに無い。



しかし、この日の奇跡のタイミングはこれだけではなかった。



友達のウメちゃんが、



ウメちゃんのことを紹介させていただくと、彼はプリングミンというバンドのドラムを担当している。



横須賀どぶ板通りのリトルアムステルダムでバーテンをしている。



そのウメちゃんが、この日ライブを名古屋でやるというのだ。



ウメちゃんは横須賀の友達であるにも関わらず、なぜかこの名古屋で会うことになる。



ウメちゃんのライブを見たことがなかった僕は、このチャンスを逃すはずがなく、



ここぞとばかりに、大雪の中、ライブハウスに向かったのであった。



ウメちゃんの魂のビートを堪能した後は、またしても大雪の中、



マサとミズホとアキコと (アキコもオーストラリア時代、語学学校の同級生。今では結婚し、名古屋在住)



名古屋名物、世界の山ちゃんに集合し、手羽先を食しつつ、この奇跡のタイミングに乾杯するのであった。

2011.1.25 [火] The World Heritage Vol.1 プロローグ

頭を休める。



脳の疲れをとる、充電する。



と言うことを本当の目的とした今回の旅行。



実はどこへ行くかを決める段階でかなり悩んだ。



色々候補があったのだ。



第一に候補にあがったのはタイ。



やっぱり、寒い時期に暖かい場所へ は旅行のセオリーである。



しかし、海外では少しお手軽感に欠ける。



海外は好きだし、ちょいちょい行く機会はあるが、今回はもっと軽い感じにしたかったので、



どうもしっくりこなかった。



次に候補にあがったのは、沖縄、屋久島、小笠原などの島系。



どこも一度行ったことのある、素晴らしい場所だ。



しかし、どーも海って感じではない。



沖縄にいたっては、一月に行く所ではないと、友達に反対されてしまった。



しっくりこない・・・



困ってしまった僕は、いつもの、行きつけの、図書館へ向かう。



そこで手にする一冊の本。



タイトルはうろ覚えだが、確か



「日本の聖地へ」



こんな感じのタイトルだったと思う。



伊勢神宮・・・日本の最高位の神様がいるらしい



熊野古道・・・むかーしの人が、伊勢から熊野三山へお参りするときに歩いた道が、今でも世界遺産として残っているらしい



熊野三山・・・自然を神様と崇める神社で、世界遺産に登録されているらしい



高野山・・・空海が修行のために開いた道場。 山奥が世界遺産だらけらしい



こ、これは、なんと!



全て三重県、和歌山県の南紀地方と言われる地方に集まっていて、一回の旅行で全て廻れる。



もうピンときてしまった。



なんと素晴らしい地方なのだろう。こんなにたくさんの世界遺産があるとは!



やはり、日本も捨てたものではない。



そして僕は、新幹線で行こうか



車で行こうか



新幹線で行って、向こうで車を調達しようか



いろいろ考えた上、この時期高野山にいたっては、雪も積もっていることだろうと予測し、



父親の車を借りていくことにした。



ワイルドな場所にはもってこいの、日産Xトレイル。



雪が積もっていたって4WDにもなるぜっ!っつーことで、タイヤはスタットレスに履き替え、



いざと言うときのために、布団、寝袋、毛布も積み込んで、



準備万端で旅に出た。

2011.1.12 [水] 我が家の猫たち2

あれは確か、僕が高校3年生の年のクリスマス。



買い物か何かで、うちの家族は近所のショッピングセンターにいた。



その時にふらっと寄ったペットショップ。



色々なペット関連器具、水槽と魚たち、その空間の中に3匹の子猫たちがいた。



白と黒の綺麗な色をした子猫たちは、小さな籠にすっぽりとはまって顔だけこちらに覗かせている。



その隣には張り紙。



飼い主募集



の文字。 つまり、売り物ではなく、ただであげるという意味だ。



僕の心は完全にこの子猫たちに掴まれてしまった。



しかし、僕はもう小さなガキんちょではなく、もういい年齢なので



ほしい!なんて駄々をこねるわけではない。 



我が家にはブチというおばあさん猫がいる。



2代目タマがなくなって以来、我が家の主として君臨している。



これ以上猫を増やすわけにはいかない。



父が頑張って建てたこの家は、人間のための住処であって、猫のためのものではない。



その帰り道、僕ら家族は子猫たちのことで頭がいっぱいだった。



誰となく、かわいかったなー、3匹も増えたら大変だねー



なんて会話がでている。



そのとき初めて僕は欲しいと言った。



家族全員欲しいと思っていた。



そして、母が決心したところで、僕達はペットショップへUターンした。



母が世話をすることになるので、決定権は母にあるのだ。



その後すぐ、家族会議が開かれ、子猫たちの名前が決定した。



キン コン カン



キンは女の子。冷静で賢い。人間との距離のとり方が非常にうまく、世の中をうまく渡っていけるタイプ。



コンは男の子。かなりの臆病者。徹底的な人見知り。わが道を行くタイプ。



カンも男の子。かなりの甘えん坊。人にべったり。主人に忠実に仕えるタイプ。



我が家の猫たちは4匹となり、賑やかになった。



そして、数年するとブチが亡くなった。



ブチは病弱な方で、まだ子猫のときにあまり長生きはしないだろうと獣医さんに言われていた。



しかし、10年以上は我が家にいた。よぼよぼのおばあさんになるまで生きることができた。



そして数年前、カンが亡くなった。



カンは、とにかく僕にべったりなついていたので、とても悲しかった。涙が止まらなかった。



最期のほうは、足が動かなくなり、自分でトイレにも行けなかったので、僕が自分の部屋で介護をしていた。



その時に、カンが僕の布団の上でおねしょをしたことがあった。



今でもそのあとが、まんまるとかけ布団の真ん中についている。



それがちょっとした僕の悩みになっている。



冬の晴れた日はよく布団を干すのだが、もしかしたら近所の人たちは



あの布団のシミを見て、僕のおねしょのあとではないかと思ってるんじゃないか・・・



内心ドキドキしている。



キンは最近、水槽を覗く ことが日課になっているらしい。



母が言うには、毎日夕方ぐらいになると、水槽の前に座ってずっと魚を見ている。その姿がホントに可愛いらしい。



コンは、あれだけ人見知りで、触らせてくれなかったのが、最近は触っても全然動じなくなった。



コンが歳をとったからか、ようやく僕のことを無害だと認識したのかはわからないが、性格が丸くなった気がする。



キンコンカンが我が家に来てから14年。



今日みたいな寒い日でも、キンとコンは外へ出て元気に走り回っている。



やつらとこんな長い付き合いをできていることを幸せに思う、今日この頃だ。



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2011.1.9 [日] 我が家の猫たち

僕の実家には僕が幼稚園ぐらいのときから今までずっと猫がいる。



全て僕が欲しくなって、両親に頼み込んで飼ってもらった猫達だ。



一番最初の猫は、僕が拾ってきた三毛猫だった。



どういう経緯で拾ってきたかは忘れてしまったが、母親はとても嫌がった。



でも僕がほしいとねだったので、母も折れて、庭で飼うことにした。



僕はたまと名づけて、とてもかわいがったが、ある日突然消えた。



今思えばとても可哀想なことをした。



猫は家の中で飼う動物だ。



僕達に猫に関する知識が全くと言っていいほどなかったせいで、



たまは身の危険を感じ、自力で繋がっている紐を解き、脱出したのだった。



よくやった! たま おめでとう! そしてごめんなさい!



2番目の猫はすぐにやってきた。



母親の知り合いだか、友達だったかはわからないが、



猫をたくさん飼っているので、一匹あげるという話が持ち上がった。



当然僕は、例のおねだりを始める。



そして再び、三毛猫が我が家にやってきた。



その猫は、しっぽがくるっっとかわいくまるまっていたので、


前の家では くるり と名づけられていたらしいが、僕が強引に 2代目たま と名づけた。



何でそんなに「たま」という名前にこだわっていたかはわからない。



おそらく、1代目がいなくなってしばらく悲しかったし、心配だった。



近所も探したし、早く戻ってきてほしかった。



そしたらまた三毛猫がやってきたので、1代目と重ね合わせたのかもしれない。



2代目たまがやってきてから数年後、僕が小学校低学年のとき、



僕が勝手に同級生から赤ちゃん猫をもらってきてしまった。



両親は当然困っていたが、僕の熱意に負けた様子だった。



「ちゃんと自分で面倒見なさいよ」



と、強く言ったが、そこで「はい」と言っておけば、あとは母がやってくれる。



実際そうなった。



3番目の猫は、うす汚い野良猫のような色をしていたので、



家族の誰かが、「ブチ」という名前をつけた。



そこからしばらく我が家の猫は、2代目たまとブチの2匹制となる。



その間にも、またも僕が産まれたての赤ちゃん猫を3、4匹まとめて持って帰ってきたことがあった。



さすがにその時は怒られたが、産まれたてすぎて、ミルクをやっても育たず、みんな死んでしまった。



何でこんなにも僕は猫が好きなのか? または縁があるのか?



生まれてこのかた、犬を飼うような話は持ち上がったことは一切無い。



猫との付き合いにはコツがある。



それはかまいすぎないこと。



ある程度の距離感だ。



しつこくすると逃げるし、ほっとくと近くにいる。



決して上下関係では無く、決して信頼関係でもない。



でもいつも近くにいる。



僕にこびることも無く、平然と我が物顔で、我が家で暮らしている。



僕はそんな猫たちとの関係が好きだ。



http://www8,plala.or.jp/suiso-ya-san/

2011.1.6 [木] 新年の俳句

http://ameblo.jp/...
新年の俳句をあっぷしました

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