水そー屋さんの日記 水そー屋さんの空間へ
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2011.2.22 [火] The World Heritage Vol.9 エピローグ

よくもまあ、たった一週間の出来事でここまでだらだらと書いたもんだ。



ここまで読んでいただいてる皆様に、本当に心からの感謝の気持ちを申し上げたい。



ここまで書くネタがあったと言うことは、頭を休める と言う本来の目的を120%以上果たした、



と言うことを実証しているのではないか。



自分は水槽デザイナーとして、日常のほぼ全てを水槽関連の思考に持っていかれていた。



しかし、それは自分が望んだこと。



そして、よりハイレベルな作品を創るため



よりハイレベルな自分自身を創るため



よりハイレベルな環境を創るため



に、これからもよりハイレベルな思考を続けていくのだと思う。



しかし、時には休憩をすると言うことがかなり重要な意味を成してくる。



今回それがとても勉強になった。



休息をとると言うことは、日々アクティブに活動している人にとっては、



早く事を成したい



回りに遅れをとる



時間がもったいない



などの恐れの感覚を抱かせる。



自分もそうであった。



疲れていることにすら気づいていなかった自分に、休憩を与えるなんて言う発想すらなかった。



しかし、実は次のステップへの準備期間。



バネもはじける前は縮む。



怠けているのとは180度違う休息。



あえて何も考えない時間。



あえて何もしない時間。



その大切さを今しみじみと感じている。



やってやってやってやってやってやってやってやってる人も、



休息をとる時が必ずやってくる。



きっと自分で気づくだろう。



休むことは良いことだ。



常に頑張っている自分にご褒美をあげる感覚でいいのだと思う。



ご褒美と言えば全然話は違うが、



今回の旅のMVPは、親父の車 いい風呂号 Xトレイル。



こいつには本当に助けてもらった。



大渋滞との死闘や、大雪などものともせず、高速をガンガン飛ばしてくれた。



こいつに何度ありがとうと言ったことか。



それで、感謝の気持ちを込めて、横須賀に帰ってきてからガソリンスタンドで、



手洗い洗車をしてあげた。



人間で言うとマッサージ? 的な? 



そんな感覚だろうか。



いい風呂号の新たな可能性を感じつつ、



太陽の光を完璧に反射させるほどピッカピカの身なりで自宅へ舞い戻ってきた。



こんな感じで今回の The World Heritage を〆させていただきたいと思う。



御愛読本当にありがとうございました。



P.S. 数日前、自分のブログを読んだ母親が、自慢げに



いい風呂の11-26は、結婚記念日



だと僕に言ってきた。あっそう。だから?



http://www8.plala.or.jp/...

2011.2.18 [金] The World Heritage Vol.8 流 NAGARE

これはずっと前から書きたかったテーマの一つである。



深い話ゆえに簡単な話にしたくなかったので、ずっと書けずにいた。



しかし今回、経験したエピソードと共に書いてもいい気がしたので、満を持してと言う感じで書く決意をした。



そう、テーマはタイトル通り



流れ



である。







前日の酒がまだ抜けていないようだ。



開かない目をこすって、無理矢理身体を起こす。



その日は、伊勢から熊野三山のある熊野への大移動。



僕はなるべく早く伊勢を出発したかった。



フロントでサービスのコーヒーをもらって外へ出ると、



向こうの空はうっすらと明るくなりかけているももの、まだまだ暗く、星が輝いていた。



朝の6時。 まだ日の出には及ばない。



エンジンをかけ出発。 伊勢市街を外れたところから高速道路に乗ればあとは道なりだ。



空の色が黒から紫に、紫からオレンジ刻々と変わってゆく。



高速の入り口で、カーナビの指示する方向と、実際の景色が違う!



あれ?あれ? っといううちに流れる方向に流れてしまった。



カーナビが古かったのか、高速の入り口が新しく整備されたのか。



もともとわかりずらかったのは確かだし、若干まだ暗かったことも手伝って、



和歌山方面へ向かわなければならないところを、またもや伊勢市街方面へ向かってしまった。



とんだ逆戻り! ガソリンの無駄 高速代の無駄 時間の無駄



見事な無駄の三拍子!



やってしまったぁ なんてへこんでる間にも車は伊勢へ向かう。



しかし、なんだか嫌な気がしない。



なんならもう一回神宮寄ってく?? みたいな感じに気持ちが持ってかれている。



前日行ったばかりの伊勢神宮。



だが、せっかくだからもう一度参拝しても損はないだろう。みたいな気持ちの転換。



そう思わせてくれるほど、神宮が居心地の良い場所だったのも事実だ。



軽く御正宮だけお参りして、とっとと熊野へ向かおう。



そして二日連続の伊勢神宮到着。



パーキングに車を停め、入り口へ向かう。



歩いていくと、何やら人だかりができている。



入り口にある大きな鳥居の前で、カメラを構えた人達が一つの方向を見ている。



ん?なんだろう? と思ったが、近づいてみたらすぐにその理由がわかった。



そして自分が今見ている景色に鳥肌が立つ。



なぜ今この瞬間、自分がここにいることができたのか?



なぜ、スムーズに熊野へ向かえなかったのか?



等の疑問が頭をよぎるが、今見えている圧倒的な景色にそんな疑問もすぐにかき消される。



鳥居の真ん中から昇る太陽。



僕のことを待っていたかのようなタイミングで姿を現す太陽(すんません、言い過ぎ笑)。



到着して3分も経たないうちに太陽が昇り始めた。



一年中、この位置から日の出が見れるわけではなかろう。



なのになぜ、この現象があることも知らなかった僕が、こんな素晴らしいものを見ることができたのか?



それは流れに逆らわなかったからではないか?



あの時、方面を間違えたことを後悔して強引に引き返していたら、



その間違えた行為は本当に無駄の三拍子で終わっていたはずだ。



こういったことは、大きな事から些細な事まで数えればキリが無い。



度々起こるのだ。



ここからは簡単に記す。



今回、車は結果的に親父の車を借りたが、元々は名古屋に住む従妹の車を借りることが決定していた。



しかし、ここでも流れの作用が起きた。



あのまま強引に従妹の車を借りていたら、



大雪でどーにも動けない、どこにもいけないと言う大惨事が起きていたに違いない。



まして、高野山なんてもっての他である。



湯の峰温泉に泊まろうとしたとき、事情があり、川湯温泉を紹介された。



それも流れだと思い受け入れてみると、ラッキーと思える些細な出来事が度々あった。



ほらねー



って感じである。



流れは一見、自分の目指している所へは遠回りに思えても、実は目指している場所以上の所へ導いてくれることがある。



決して自分自身の力量ではたどり着けない場所とでも言おうか、



想像すらも出来なかったハイレベルの場所とでも言おうか。



どれだけ頑張ってみても、道を切り開こうとしても、様々な障害のせいでなかなか前に進めない。



そんな経験はないだろうか?



そんな時、今持っている荷物、しがらみを手放して流れに任せてみる。



そうすると、徐々に物事がうまく回りだす。



まるで噛み合わなかった無数の歯車が、ある時あるきっかけでタイミングが合いだし、全ての歯車が機能するようになる。



この流れの感覚。



多少のコツがある。



流れの存在を意識する。 ある出来事が流れの表面であることが多々ある。それにピンとこれるかどうか。



アンテナの感度。 ピンとこれるかどうかはアンテナの感度の良さが物を言う。



心に余裕がないと良い状態を保てない。



(ちなみにこの 心の余裕 を持つと言う意味で、僕は水槽を身近なところに置くことを提案し続けている。)



と、ここまで何とかかんとか書いてはみたが、



やはり今回のテーマは書くには難しく、ここまで来てもうまくまとめられそうにない。



まとめるものでもないのかな?



いや、僕の人生がまだ途中だから、結論がでていないのだろう。



ということは、まだまだ楽しい続きがありそうだ。



楽しみにして、今後も流れていこう。



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2011.2.14 [月] The World Heritage Vol.7 いい風呂

今回のThe World Heritageツアーは、その土地柄のおかげで温泉に入れる機会がとても多かった。



どれもこれもとても気持ちいい場所であった。



僕は、水の質だとか、効能だとかはあまり詳しくない。と言うよりも無知である。



だからきっと僕が気持ち良いと思うのは、その土地のロケーションだったり、そこから見える景色だったりする。



今回僕が記したいのは、和歌山の白浜温泉。



白浜に到着。適当に宿を見つけてチェックインした後、どんな街かを見物するために車でぶらーっと走っていた。



そしたら偶然見つけてしまった、その名も



崎の湯 http://www.nanki-shirahama.com/...


駐車場に車を停めると、番人のおっちゃんがこてこての関西弁で話しかけてきた。



車のナンバープレートを見て



「ええナンバーやなぁ」



僕は何のことか全然わからず、



「え?そうですか?なんで?」



聞き返してしまった。



おっちゃん 「なぁんだよ、にいちゃん、気づいてないんかい! 



        俺はまた風呂マニアかと思ったよ。 いい風呂やんけ。」



そう、車のナンバーは 11−26 



イイフロ だったのだ。



僕 「本当だ! 俺そんなこと全然気づかなかったっすよ! 風呂マニアでもないっす。」



なんて楽しい会話しながら中へ案内してもらう。



脱衣所で服を脱ぎ、外へ出た瞬間、目の前の壮大な景色に唖然としてしまった。



目の前は海である。



ばっしゃんバッシャン! 岩にあたって砕けた波が白く空中に舞っている。



その手前に自然の形そのままの窪みがあり、そこに温泉水が流れ溜まっている。



そう、ここは全国的にも有名な温泉だったのだ。(あとから知った)



全国各地から温泉マニア達が集まってくるのだろう。



だからさっきのおっちゃんは、



車のナンバープレートを11−26イイフロにするほどの風呂マニアが来た!!



と思ったのではなかろうか??・・・



しかしここはすごい。おっちゃんが勘違いするのも納得できる。



撮影禁止だったので画像はないが、是非ホームページ等で見てみてほしい。



目の前は海。 夕方だったのでオレンジ色の太陽がとても美しい。



ぼーっとしてるうちにあっという間に時間が過ぎる。



もうぼちぼちビールが飲みたい時間帯だ。



でもなんか出るのがもったいないな。 



そんな気分にさせてくれる温泉だった。



また明日も来よう。なんて思って外に出ると、さっきのおっちゃんが満面の笑みで、



「どーやった??気持ちええやろ? 



これからは温泉マニアになって、この車でいろんな温泉行ってください!!」



僕の中で、このおっちゃんが相当な温泉マニアなのではないだろうか??



と、一瞬思った。



「本当にいい風呂でした! せっかくのナンバーなんで温泉マニアになりますよ。



とりあえず、俺の人生の中ではここが今のところNO.1です!」



僕は新米の温泉マニアとして、今までに行ったことのある温泉を思い出していた。



ここに来る前のNO.1の座は、山形の肘折温泉。



まさに秘境と言う文字がぴったりのいいところだった。



その他は・・・



伊豆や箱根は何度か行ったことはあるけど、特に印象に無い。



他にどこも印象深いところはなく、温泉マニアとしては土台が無さ過ぎることに気づいてしまった。



そしてその前に、自分の旅行では温泉がメインにくることはめったに無い。



ついでに温泉があれば嬉しいくらいの志である。



早くも温泉マニア引退? 失格?



でもまあいい。



僕はかの有名な白浜温泉 崎の湯 の温泉マニアのおっちゃんにスカウトされたのだ。



きっと僕の先天的な才能とセンスを見抜いてのことだろう。



そしてこれからその才能を心置きなく発揮し、数々の素晴らしい温泉と巡り合うことだろう。



なんてったって、車のナンバーは



11−26 イイフロ なのだから!



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2011.2.11 [金] The World Heritage Vol.6 高野山

きた。



この感覚。 この感覚こそが旅の醍醐味。



これを求めて僕は知らない土地に行く。



この感覚の中に入ることこそが、新しい世界観を生む源だ。



そうこの感覚とは、非現実感。



アムステルダム研修シリーズでは 「ぶっとんでいる」 と表現した。



まさに同一の意味だ。







高野山は1200年前、弘法大師 空海が開いた修禅道場だ。



ここはまさに別世界。



街に入った瞬間からタイムスリップした感覚に陥った。



建物、人、場の空気



自分が存在する世界とのあまりの違いに



えらいところに来てしまった



が最初に浮かんできた感想である。







特に「奥の院」はMUST で訪れなければならない場所。



みなさんもご存知の、かの有名な歴史上の武将達の墓がそこにはある。



徳川家、織田信長、明智光秀、武田信玄、石田三成、上杉謙信



中でも圧巻だったのは、豊臣秀吉のお墓



一番でかい! スペースが広い!



さすがの秀吉。農民からトップに成り上がっただけはある。



そして奥の院の一番奥に空海は眠っている。







僕が訪れた時、ちょうどお坊さん達が列をなし、雪の上を下駄で歩きながらぞろぞろと行進してきた。



朝のお勤めだ。



何十人ものお坊さん達が一斉にお経を読み始める。



その雰囲気たるや・・・何度も言うが・・・ここはもう現実とはかけ離れた世界。



この山奥で修行しているこの人達は、一体何を夢見ているのだろうか?



どんなことがあって、この地にたどり着いたのだろうか?



僕はここで何を見て、何を感じるのだろうか?



そんな他人の事と、自分の事が、0,001秒の間に脳みその中を交錯する。



氷点下にとどくか、とどかないかの気温の中、お経が響き渡る・・・



ふっと我に気づく。



あ、あぶねー もっていかれるところだった・・・







奥の院で、数多くあるお墓のなか、たった一つだけ手を合わせたお墓があった。



それは誰か? と言うと・・・









親鸞聖人。



まさか彼のお墓があるとは、実際にお目にかかることができるとは思いもしなかった。



僕にとって、憧れの、最もリスペクトする歴史上の人物の一人である。



と言ってもそんなに詳しくはないが。



親鸞の本を以前に読んだことがある。 親鸞が書いた本ではない。



親鸞のことについて書かれた本だ。 著者は覚えていない。



しかし彼の教えが、いとも簡単に心に浸透したのでとても印象に残っている。



それはそれでいい



成功する人は、それはそれでいい。



失敗する人も、それはそれでいい。 だってそこに学ぶべきことがあるのだから。



善人は善人でいい。



悪人も悪人でいい。 だってそれゆえに学べることがあるのだから。



この教えには共感した。感動すら覚えた。



何かグッとくるものがあった。



色々な人がいて当然なのだ。



十人十色で世界は成り立っている。



そこには絶対に、ものさしの押し付けなどあってはならない。



アクティブもセンシティブもポジティブもネガティブも、



みんなそれはそれでいいのだ。



だってそれがその人の選んだ人生で、それゆえに学ぶべき事があるのだ。



そして親鸞の代表的な教えにこれがある。



他力本願



今日、ネガティブな意味でとらえられることの多いこの言葉。



実は親鸞の教えである。



どうしても自分自身だけでは、どうにも出来ないことが人生には多々ある。



そんなときは、他人の力を借りたり、自然の流れにまかせよう。



自分の力量をわきまえて、起こる事実をちゃんと受け止めよう。



という教えである。



心にピンときた人、こない人、いるだろう。



きた人は、心に留めておくと、人生の歩み方が楽になる、と言うか、上手くなるかもしれない。



ちょっと興奮して、親鸞の話が長くなってしまった。







高野山の地で、そんなことを考えさせられた時間であった。



仏教に近づくと明らかに人生論が多くなる。



とても人間くさい。



伊勢神宮も高野山も同じように何かを祭ったり、お経を唱えたりするのだが、



そこには決定的な違いがある。



神様仏様



そう、それは、神様VS人間 である。



神宮は神様の領域であって、そこには人間の力など及びはしない。



しかし、仏教は人間が創った教えである。



真言宗 ハンニャーハーラー

日蓮宗 ナンミョーホーレンゲーキョー

浄土宗 ナンマンダブ ナンマンダブ



これら全てもともとは、インドの地でお釈迦様から始まった仏教だ。



そこにはどうしたら、より良い人生を送れるか?と言う永久不変のテーマが常にある。



人間による人間のための世界なのだ。































僕はまた次の場所へ旅立つ。



しかしここの修行僧たちは、昨日も今日も明日も、この地にいる。



僕は明日、今日と違うことをする。



修行僧たちは、昨日も今日も明日も、同じ事を繰り返す。



僕は新しいことを考え、新しいものを生み出す。



修行僧たちは、古き教えを守り、次に伝える。



僕とは正反対の人達。



僕が住む世界とは正反対の世界。



だが、一つ共通することは



自分の道を行く



ということだろう。



http://www8.plala.or.jp/...

2011.2.11 [金] The World Heritage Vol.6

きた。



この感覚。 この感覚こそが旅の醍醐味。



これを求めて僕は知らない土地に行く。



この感覚の中に入ることこそが、新しい世界観を生む源だ。



そうこの感覚とは、非現実感。



アムステルダム研修シリーズでは 「ぶっとんでいる」 と表現した。



まさに同一の意味だ。







高野山は1200年前、弘法大師 空海が開いた修禅道場だ。



ここはまさに別世界。



街に入った瞬間からタイムスリップした感覚に陥った。



建物、人、場の空気



自分が存在する世界とのあまりの違いに



えらいところに来てしまった



が最初に浮かんできた感想である。







特に「奥の院」はMUST で訪れなければならない場所。



みなさんもご存知の、かの有名な歴史上の武将達の墓がそこにはある。



徳川家、織田信長、明智光秀、武田信玄、石田三成、上杉謙信



中でも圧巻だったのは、豊臣秀吉のお墓



一番でかい! スペースが広い!



さすがの秀吉。農民からトップに成り上がっただけはある。



そして奥の院の一番奥に空海は眠っている。







僕が訪れた時、ちょうどお坊さん達が列をなし、雪の上を下駄で歩きながらぞろぞろと行進してきた。



朝のお勤めだ。



何十人ものお坊さん達が一斉にお経を読み始める。



その雰囲気たるや・・・何度も言うが・・・ここはもう現実とはかけ離れた世界。



この山奥で修行しているこの人達は、一体何を夢見ているのだろうか?



どんなことがあって、この地にたどり着いたのだろうか?



僕はここで何を見て、何を感じるのだろうか?



そんな他人の事と、自分の事が、0,001秒の間に脳みその中を交錯する。



氷点下にとどくか、とどかないかの気温の中、お経が響き渡る・・・



ふっと我に気づく。



あ、あぶねー もっていかれるところだった・・・







奥の院で、数多くあるお墓のなか、たった一つだけ手を合わせたお墓があった。



それは誰か? と言うと・・・









親鸞聖人。



まさか彼のお墓があるとは、実際にお目にかかることができるとは思いもしなかった。



僕にとって、憧れの、最もリスペクトする歴史上の人物の一人である。



と言ってもそんなに詳しくはないが。



親鸞の本を以前に読んだことがある。 親鸞が書いた本ではない。



親鸞のことについて書かれた本だ。 著者は覚えていない。



しかし彼の教えが、いとも簡単に心に浸透したのでとても印象に残っている。



それはそれでいい



成功する人は、それはそれでいい。



失敗する人も、それはそれでいい。 だってそこに学ぶべきことがあるのだから。



善人は善人でいい。



悪人も悪人でいい。 だってそれゆえに学べることがあるのだから。



この教えには共感した。感動すら覚えた。



何かグッとくるものがあった。



色々な人がいて当然なのだ。



十人十色で世界は成り立っている。



そこには絶対に、ものさしの押し付けなどあってはならない。



アクティブもセンシティブもポジティブもネガティブも、



みんなそれはそれでいいのだ。



だってそれがその人の選んだ人生で、それゆえに学ぶべき事があるのだ。



そして親鸞の代表的な教えにこれがある。



他力本願



今日、ネガティブな意味でとらえられることの多いこの言葉。



実は親鸞の教えである。



どうしても自分自身だけでは、どうにも出来ないことが人生には多々ある。



そんなときは、他人の力を借りたり、自然の流れにまかせよう。



自分の力量をわきまえて、起こる事実をちゃんと受け止めよう。



という教えである。



心にピンときた人、こない人、いるだろう。



きた人は、心に留めておくと、人生の歩み方が楽になる、と言うか、上手くなるかもしれない。



ちょっと興奮して、親鸞の話が長くなってしまった。







高野山の地で、そんなことを考えさせられた時間であった。



仏教に近づくと明らかに人生論が多くなる。



とても人間くさい。



伊勢神宮も高野山も同じように何かを祭ったり、お経を唱えたりするのだが、



そこには決定的な違いがある。



神様仏様



そう、それは、神様VS人間 である。



神宮は神様の領域であって、そこには人間の力など及びはしない。



しかし、仏教は人間が創った教えである。



真言宗 ハンニャーハーラー

日蓮宗 ナンミョーホーレンゲーキョー

浄土宗 ナンマンダブ ナンマンダブ



これら全てもともとは、インドの地でお釈迦様から始まった仏教だ。



そこにはどうしたら、より良い人生を送れるか?と言う永久不変のテーマが常にある。



人間による人間のための世界なのだ。































僕はまた次の場所へ旅立つ。



しかしここの修行僧たちは、昨日も今日も明日も、この地にいる。



僕は明日、今日と違うことをする。



修行僧たちは、昨日も今日も明日も、同じ事を繰り返す。



僕は新しいことを考え、新しいものを生み出す。



修行僧たちは、古き教えを守り、次に伝える。



僕とは正反対の人達。



僕が住む世界とは正反対の世界。



だが、一つ共通することは



自分の道を行く



ということだろう。



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2011.2.7 [月] The World Heritage Vol.5 脅威の宣伝力

赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福



僕がその名を知ったのは、数年前、世間が数々の食品偽装問題で揺れており、



食の安全とは何か??



を世間一般人が真剣に考えなければいけない、と言うことに、気づき始めた時期だった。



そんなときに、伊勢の銘菓の老舗「赤福」が食品偽装で叩かれたのだ。



僕が赤福と言う単語を耳にするのはそれ以来である。



もちろん、口にしたこともない。





何百年も続く老舗、さすがである。



伊勢の名物通り、おかげ横丁の赤福には行列ができている。



お土産屋さんには必ずと言って良いほど赤福餅が置いてある。







僕は、甘いものは苦手ではないが、そんなに進んで食べるほうでもないので、



このときは特に興味を持つこともなく、客の行列をみて



ああ、すごいなぁ  さすがだなぁ



とただただ平凡に思っていた。



お土産で買ってみようとも思ったが、消費期限が短すぎて、自分が帰る頃までもちそうにない。



そんな感じで、赤福を買うことはなかった。



だが、老舗「赤福」の底力を見せられるのはその後だった。



その底力と言うのは宣伝力である。



三重県内の赤福の宣伝力はハンパではない。



電信柱の一本一本に必ず赤福の看板がついている。



道路を車で走っていると、無数の赤福の文字を見る。



(これがすっと続く)



もちろん電信柱だけではない。



いたるところに である。



赤福のトラックも良く見かける。



あれだけ赤福の文字だらけの道を、赤福カーがさっそうと走ってゆく。



もう説得力アリすぎである。





(一本の柱に二つの看板)



圧巻だったのは、伊勢の隣町の鳥羽。



鳥羽駅のプラットホームに多数のベンチが、規則正しく並んでいる。



背もたれの部分が、宣伝用のスペースになっているのだが、そこのベンチ全てが赤福だ。



赤福の文字がずらっと並んだそのプラットホームは、赤福駅と改名した方がいいんじゃないか?



と思わされるほど圧巻であった。



画像がないのが非常に残念でたまらない。



そこまでされると何だか、もう、一度は買わなければいけないような気持ちになってきている。



しかし、よーく考えてみると、相手はただのあんこと餅である。



味もだいたいの想像はつく。



そして、宣伝力に圧倒されっぱなしだった僕の心は、ついに反逆心が芽生え、



買ってたまるか!



と、変化を遂げた。



すごいなぁ → はんぱねぇ → 一度は買ったほうがいいかな → うざいな → 意地でも買わない



気持ちの変化を分かりやすく書くとこんな感じだろうか。



赤福の呪縛から解き放たれたのは、伊勢、鳥羽を出て次の宿泊地の山奥に入った頃ぐらいだろうか。



ようやく赤福の文字が自分の前から消えてせいせいしていた。



その後、順調に旅を続け、三重県に戻ることもなかったので赤福のことなんて忘れていた。



このThe World Heritage ツアーの最終日の夜、



僕は名古屋で、小、中学校の同級生(やっちゃん、仕事で数年前から名古屋在住)と



夜の栄に繰り出すべく、待ち合わせをしていた。



その時! なんと名古屋駅の売店で見つけてしまったのである。



うっ! 赤福! こんなところにまでっ!



今日買えば、明日には帰るから消費期限の問題は無い。



中身の個数にしても、お土産的には完璧。



知名度も抜群。



これがラストチャンス! 買うなら今しかない!



しかし、俺は今、やっちゃんとの待ち合わせの場所に向かって急ぎ足で歩いている最中。



考え迷っている間にも、足はせっせと動く。



人の波に流されながら、赤福の横を通り過ぎてゆく・・・



勝った!!



心が折れる寸前だったが、俺は赤福の誘惑に勝った!



なかなか手恐い相手だったぜ!



いやぁ、しかし、恐るべし赤福。



やつこそ、間違いなく



お土産界の世界遺産 World Heritage であろう。












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2011.2.2 [水] The World Heritage Vol.4 伊勢神宮

え!? 扉??



そう、お賽銭箱の奥には扉があるだけなのだ。



あの扉の向こう側には一体何があると言うのだ。



お寺のように派手な、きんきらきん の仏像があるわけではない。



派手な装飾が施されているわけでもない。



ただの扉である。



お寺さんのような派手さが無いことに拍子抜けしていると、なぜか、その素朴さが異様に浮き出てくる。



なぜ? なぜにそんなに素朴なのだ!



その素朴さに気づくと今度は、なんだかその素朴さの中にとんでもない意味が隠されているように思えてくる。









しかし、一体何なんだ、この雰囲気は!



そして・・・これは決して人間が創り出せる雰囲気ではないことに気づいてしまう。



ご祈祷のときもそうだ。



よくわからない楽器に、よくわからない演奏。



よくわからない服装に仮面、よくわからない踊り、呪文。



あれは本当に人間が生み出したものなのだろうか?



いや、違うと思う。



御正宮もそうだ。



御正宮にいたっては、賽銭箱の奥の扉さえ見えない。



白い幕が張られていて、先が本当に透けてしか見えないのだ。



な、なぜだ!?



白幕の奥を肉眼で見てはいけないというのか!?



誰が最初にそんなことを思いついたのか!? 人間か!?



でもその割には、僕が賽銭箱の前に立ったときには、



風が吹いて白幕が風になびいて高い位置まで持ち上げられ、全開も全開、奥が丸見えであった。



????



だとしたら、この白幕には一体何の意味が??



うーん、深すぎる・・・  考えれば考えるほど  深い・・・



まあとにかく、伊勢神宮で御祈祷してもらうという目標は達成できた。



正装しなければいけないということで、ちゃんとスーツと革靴を車に積んできた甲斐もあった。



ただ、想像はしていたことだが、正座に伴う足の痛みは半端なものではなかった。



これから御祈祷してもらうという人、してもらいたいという人、



覚悟をしといたほうが良いだろう。



しかし、良い経験になることには間違いない。

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