水そー屋さんの日記 水そー屋さんの空間へ
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2011.4.14 [木] New York�@ BLACKWELLの仕事

深夜のライブハウス。


何のイベントだったかは忘れてしまったが、




僕が深夜にそんなところにいるのなら、レゲエのイベントの可能性が濃厚だろう。




カウンターで一人、ロックグラスに入った泡盛を飲んでいると、




ドレッド頭の青年と目が合った。




あっ!て言う感じで、




今自分達が十何年ぶりの再会を果たしていることに気づいた。




彼がくれた名刺には




BLACKWELL




の文字。お返しに僕は 水そー屋さん の名刺を渡した。




そう、彼が今回の主人公 BLACKWELL


何を隠そう、僕の高校時代の同級生だ。


高校を卒業して以来、全く顔を合わせていなかった。




偶然の再会を果たしてからは、ちょくちょく顔を合わせるようになった。




きっとこれも何かの縁と言えばいいのか、同じフィールドと言えばいいのか。




それだけ会わなかったにもかかわらず、共通の話題、共通の友達、そして共通の記憶力。




「高校のとき何組だったっけ?」




「あれ?あのときいたよね??」




「たしか〜だったよね??」




二人とも一緒に遊んだ記憶はあるが、少しも確かではない。




後々に判明したが、二人は高校3年の時、同じクラスであった。




BLACKWELL  とは?







簡単に言うと、海外ブランドをメインとしたセレクトショップである。




自分で選んだきた服、靴、時計、アクセサリーなどをネットショップで売っている。




だから定期的に海外へ行き、商品を仕入れる必要があるのだ。




そして今回、




「仕入れしにニューヨーク行くんだけど、誰か一緒に行かない?」




という彼の発言を聞いて、ただちに後先考えず立候補してしまったのが僕だ。




正直言うと、僕はアメリカには全く興味が無い。




がしかし、プロの仕事には興味がある。




ニューヨークは・・・




まあ、行ったことないから、見て損はないかなぁ的なノリである。




日程の調整はかなりスムーズにいった。




残りの期限半年以下のパスポートも、偶然にも新しく更新したばかりだ。




図書館でるるぶ、まっぷるのニューヨークを借りてきては読んで。




見てみたいものに目星をつけ、わざわざ英語用のフェイスブックを作り、




英語版の名刺を作り、順調に準備を整えていった。




この英語版のフェイスブックは、やり方に慣れず、帰ってきてからすぐに日本語に直した。




日本語に直してもなお慣れず、現在ストレスが溜まっている状態である。




英語版の名刺は、現地では活躍する機会がなく、




グランドセントラルで募金活動をする日本人の手に渡る以外、日の目をみることがなかった。




さて、早朝に現地に到着。




早速BLACKWELLが仕事にとりかかる。




ニューヨークに定期的に来ている彼は、さすがに土地勘があるようだ。




地下鉄の乗り方なんかも慣れている。




後ろから見ていると、ニューヨークに住んでいるって言われても違和感が全く無い。




そして、ブランドショップを一つ一つ丁寧に回る。




ショップに入ると、商品を一つ一つ丁寧に見る。




ここからがすごい。




丁寧に見定めした後、大人買いの嵐。




仕事だからそりゃそうなんだけど、ショップ定員さんも慌ててかごを持ってくる。




あれだけ一気に買えたら気持ちいいだろうな〜




特にショッピング好きな女性にはたまらない光景かもしれない。



  


一つ質問をしてみた。


「商品を選ぶ基準は何?」


答えは簡単。「自分が欲しいかどうか、だよね。」


なるほど。やはり自分の見る目とセンスに自信を持っておられる。


そこの基盤からの大人買いなのだ。

  


彼が仕事をしている間、僕は必然と待っている時間が多くなる。



僕も色々と物色してるのだが、プロがかける時間にはかなわない。



場所はニューヨークのラルフローレン。



僕は突然睡魔に襲われた。



この睡魔は若いときに経験がある。



時差ぼけ だ。



僕が十代の頃、初めてアメリカに来たときもこれに悩まされた。



眠気とは明らかに違う睡魔。



まぶたの重さは1トン程か。



BLACKWELLの大量の荷物を脇にかかえ、店内のソファに座ってしまった僕は、



意識が遠のいたり、定員に大丈夫か? などと声をかけられたり、



日本人の客がいるなぁなんて思ったり、首がカクンといって起きたり、



ここはニューヨークだぞ!NYのラルフローレンだぞ!



地元のダイエーじゃないんだ! などと自分を叱咤激励したり、



とにかく重さ1トンのまぶたと闘い、まどろんでいた。



二人とも両手一杯に荷物を抱えて、その日からお世話になる宿に向かう道すがら、



僕 「いやぁ、眠かったー。俺すげー睡魔と戦ってたわ。」



BLACKWELL 「いや、まる、全然戦えてなかったよ。」



ちょうど時差ぼけを克服した頃、僕達は日本へ帰るのであった。




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2011.3.3 [木] 11:04 am

相手は相相応アイソウオウ



同じレベルの男と女がくっつくことで切磋琢磨し、お互いを高め合う。



と言う意味の、僕が作った造語である。



もちろん男女の話だけではない。



友達、付き合う仲間、なども当然当てはまる。



この言葉が生まれたきっかけがある。



ある男の人がいた。



一般でいう、彼はとても性格が悪く、人からも嫌われる、思考レベルもかなり低い、と



まわりの人間からそんな風に思われている人だった。



しかし、彼には家庭があった。



そこで一つの疑問が生まれることは自然の成り行きだった。



あの人はよく結婚できたよね



奥さんは一体どんな人なんだろうね



そこで僕が放った一言。



「きっと彼とだ〜いたい同じレベルだと思うよ。」



なぜかみんな納得・・・



実際、その人の奥さんはどんな人かは存じない。



しかし、その人を見ればわかってしまうのだ。



くっつく男女は同レベル。



そう、相手は相相応なのだ。



これはもちろん悪い方の話だけではなく、良い方の話も同じである。



素敵な人は素敵な相手を見つけ、くだらない人はくだらない相手を見つける。



そこの核心は、同じレベルの物同士。



相手を自分の鏡として、良い所も悪い所も認め合い、指摘し合い、レベルを高めていこう



と、言うことだと僕は思っている。



そして、その人が相手、又は自分を高めれる最高到達点に達したとき、その任務は終わり、



より高いレベルを目指して別々の道を行く。



すなわち 別れ である。



だから、素敵な相手を見つけたいと願うならば、まず自分を素敵な自分に育てなければその願いは100%叶わない。



あ、今、とてもいい例えを思いついた。



英会話教室と一緒だ。



語学学校に入学するとき、必ず最初に面接を受け、語学力のレベルを測られる。



初級者、中級者、上級者クラスと、その人のレベルに合わせてクラスが決まる。



当然そのクラス毎に学ぶ事が違う。



初級の人が上級クラスを望んだところで、話についていけるわけがない。



何を話しているのか、何を聞かれているのか、ちんぷんかんぷん であろう。



逆に、上級の人が初級のクラスに、自ら望んで行くことはまずない。



ね? 我ながらかなりいい例えだと、今ほくそ笑んでいる。



初級の人が上級クラスへ行くには、



まず、初級の勉強を終え、中級を経験し、そこまで自分を高めたところで初めて上級クラスにステップアップできる。



恋愛もまさに同じではないか。



よくこんな話を聞く。



私は男運が悪い



どうしてもダメンズをつかまえてしまう



実はこの言葉自体がもうダメンズと同レベルの女の発言になっている。



男運が悪い も ダメンズ もすでに相手のせいにしているのだ。



すぐ誰かのせいにする人間。



すぐ言い訳する人間。



「悪いのは自分じゃない!」  違います。



物事を良い悪いに関わらず、引き寄せているのは自分です。



男運女運が悪いのは自分のせい。



運がいいのは自分のおかげ。



相手をけなす事は、自分をけなす事。



相手を大事にする事は、自分を大事にする事。



相手は相相応



素敵な人を見つけたければ、素敵な人になろう。



今、相手がいる人は、その人と一緒にいることが、自分磨きの最善の手段なのだ。



相手がいない人は、今は天から与えられた、最善の自分磨きの期間なのだ。



と、自分自身に言い聞かす 



春を迎えつつある今日この頃だ。



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2011.2.22 [火] The World Heritage Vol.9 エピローグ

よくもまあ、たった一週間の出来事でここまでだらだらと書いたもんだ。



ここまで読んでいただいてる皆様に、本当に心からの感謝の気持ちを申し上げたい。



ここまで書くネタがあったと言うことは、頭を休める と言う本来の目的を120%以上果たした、



と言うことを実証しているのではないか。



自分は水槽デザイナーとして、日常のほぼ全てを水槽関連の思考に持っていかれていた。



しかし、それは自分が望んだこと。



そして、よりハイレベルな作品を創るため



よりハイレベルな自分自身を創るため



よりハイレベルな環境を創るため



に、これからもよりハイレベルな思考を続けていくのだと思う。



しかし、時には休憩をすると言うことがかなり重要な意味を成してくる。



今回それがとても勉強になった。



休息をとると言うことは、日々アクティブに活動している人にとっては、



早く事を成したい



回りに遅れをとる



時間がもったいない



などの恐れの感覚を抱かせる。



自分もそうであった。



疲れていることにすら気づいていなかった自分に、休憩を与えるなんて言う発想すらなかった。



しかし、実は次のステップへの準備期間。



バネもはじける前は縮む。



怠けているのとは180度違う休息。



あえて何も考えない時間。



あえて何もしない時間。



その大切さを今しみじみと感じている。



やってやってやってやってやってやってやってやってる人も、



休息をとる時が必ずやってくる。



きっと自分で気づくだろう。



休むことは良いことだ。



常に頑張っている自分にご褒美をあげる感覚でいいのだと思う。



ご褒美と言えば全然話は違うが、



今回の旅のMVPは、親父の車 いい風呂号 Xトレイル。



こいつには本当に助けてもらった。



大渋滞との死闘や、大雪などものともせず、高速をガンガン飛ばしてくれた。



こいつに何度ありがとうと言ったことか。



それで、感謝の気持ちを込めて、横須賀に帰ってきてからガソリンスタンドで、



手洗い洗車をしてあげた。



人間で言うとマッサージ? 的な? 



そんな感覚だろうか。



いい風呂号の新たな可能性を感じつつ、



太陽の光を完璧に反射させるほどピッカピカの身なりで自宅へ舞い戻ってきた。



こんな感じで今回の The World Heritage を〆させていただきたいと思う。



御愛読本当にありがとうございました。



P.S. 数日前、自分のブログを読んだ母親が、自慢げに



いい風呂の11-26は、結婚記念日



だと僕に言ってきた。あっそう。だから?



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2011.2.18 [金] The World Heritage Vol.8 流 NAGARE

これはずっと前から書きたかったテーマの一つである。



深い話ゆえに簡単な話にしたくなかったので、ずっと書けずにいた。



しかし今回、経験したエピソードと共に書いてもいい気がしたので、満を持してと言う感じで書く決意をした。



そう、テーマはタイトル通り



流れ



である。







前日の酒がまだ抜けていないようだ。



開かない目をこすって、無理矢理身体を起こす。



その日は、伊勢から熊野三山のある熊野への大移動。



僕はなるべく早く伊勢を出発したかった。



フロントでサービスのコーヒーをもらって外へ出ると、



向こうの空はうっすらと明るくなりかけているももの、まだまだ暗く、星が輝いていた。



朝の6時。 まだ日の出には及ばない。



エンジンをかけ出発。 伊勢市街を外れたところから高速道路に乗ればあとは道なりだ。



空の色が黒から紫に、紫からオレンジ刻々と変わってゆく。



高速の入り口で、カーナビの指示する方向と、実際の景色が違う!



あれ?あれ? っといううちに流れる方向に流れてしまった。



カーナビが古かったのか、高速の入り口が新しく整備されたのか。



もともとわかりずらかったのは確かだし、若干まだ暗かったことも手伝って、



和歌山方面へ向かわなければならないところを、またもや伊勢市街方面へ向かってしまった。



とんだ逆戻り! ガソリンの無駄 高速代の無駄 時間の無駄



見事な無駄の三拍子!



やってしまったぁ なんてへこんでる間にも車は伊勢へ向かう。



しかし、なんだか嫌な気がしない。



なんならもう一回神宮寄ってく?? みたいな感じに気持ちが持ってかれている。



前日行ったばかりの伊勢神宮。



だが、せっかくだからもう一度参拝しても損はないだろう。みたいな気持ちの転換。



そう思わせてくれるほど、神宮が居心地の良い場所だったのも事実だ。



軽く御正宮だけお参りして、とっとと熊野へ向かおう。



そして二日連続の伊勢神宮到着。



パーキングに車を停め、入り口へ向かう。



歩いていくと、何やら人だかりができている。



入り口にある大きな鳥居の前で、カメラを構えた人達が一つの方向を見ている。



ん?なんだろう? と思ったが、近づいてみたらすぐにその理由がわかった。



そして自分が今見ている景色に鳥肌が立つ。



なぜ今この瞬間、自分がここにいることができたのか?



なぜ、スムーズに熊野へ向かえなかったのか?



等の疑問が頭をよぎるが、今見えている圧倒的な景色にそんな疑問もすぐにかき消される。



鳥居の真ん中から昇る太陽。



僕のことを待っていたかのようなタイミングで姿を現す太陽(すんません、言い過ぎ笑)。



到着して3分も経たないうちに太陽が昇り始めた。



一年中、この位置から日の出が見れるわけではなかろう。



なのになぜ、この現象があることも知らなかった僕が、こんな素晴らしいものを見ることができたのか?



それは流れに逆らわなかったからではないか?



あの時、方面を間違えたことを後悔して強引に引き返していたら、



その間違えた行為は本当に無駄の三拍子で終わっていたはずだ。



こういったことは、大きな事から些細な事まで数えればキリが無い。



度々起こるのだ。



ここからは簡単に記す。



今回、車は結果的に親父の車を借りたが、元々は名古屋に住む従妹の車を借りることが決定していた。



しかし、ここでも流れの作用が起きた。



あのまま強引に従妹の車を借りていたら、



大雪でどーにも動けない、どこにもいけないと言う大惨事が起きていたに違いない。



まして、高野山なんてもっての他である。



湯の峰温泉に泊まろうとしたとき、事情があり、川湯温泉を紹介された。



それも流れだと思い受け入れてみると、ラッキーと思える些細な出来事が度々あった。



ほらねー



って感じである。



流れは一見、自分の目指している所へは遠回りに思えても、実は目指している場所以上の所へ導いてくれることがある。



決して自分自身の力量ではたどり着けない場所とでも言おうか、



想像すらも出来なかったハイレベルの場所とでも言おうか。



どれだけ頑張ってみても、道を切り開こうとしても、様々な障害のせいでなかなか前に進めない。



そんな経験はないだろうか?



そんな時、今持っている荷物、しがらみを手放して流れに任せてみる。



そうすると、徐々に物事がうまく回りだす。



まるで噛み合わなかった無数の歯車が、ある時あるきっかけでタイミングが合いだし、全ての歯車が機能するようになる。



この流れの感覚。



多少のコツがある。



流れの存在を意識する。 ある出来事が流れの表面であることが多々ある。それにピンとこれるかどうか。



アンテナの感度。 ピンとこれるかどうかはアンテナの感度の良さが物を言う。



心に余裕がないと良い状態を保てない。



(ちなみにこの 心の余裕 を持つと言う意味で、僕は水槽を身近なところに置くことを提案し続けている。)



と、ここまで何とかかんとか書いてはみたが、



やはり今回のテーマは書くには難しく、ここまで来てもうまくまとめられそうにない。



まとめるものでもないのかな?



いや、僕の人生がまだ途中だから、結論がでていないのだろう。



ということは、まだまだ楽しい続きがありそうだ。



楽しみにして、今後も流れていこう。



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2011.2.14 [月] The World Heritage Vol.7 いい風呂

今回のThe World Heritageツアーは、その土地柄のおかげで温泉に入れる機会がとても多かった。



どれもこれもとても気持ちいい場所であった。



僕は、水の質だとか、効能だとかはあまり詳しくない。と言うよりも無知である。



だからきっと僕が気持ち良いと思うのは、その土地のロケーションだったり、そこから見える景色だったりする。



今回僕が記したいのは、和歌山の白浜温泉。



白浜に到着。適当に宿を見つけてチェックインした後、どんな街かを見物するために車でぶらーっと走っていた。



そしたら偶然見つけてしまった、その名も



崎の湯 http://www.nanki-shirahama.com/...


駐車場に車を停めると、番人のおっちゃんがこてこての関西弁で話しかけてきた。



車のナンバープレートを見て



「ええナンバーやなぁ」



僕は何のことか全然わからず、



「え?そうですか?なんで?」



聞き返してしまった。



おっちゃん 「なぁんだよ、にいちゃん、気づいてないんかい! 



        俺はまた風呂マニアかと思ったよ。 いい風呂やんけ。」



そう、車のナンバーは 11−26 



イイフロ だったのだ。



僕 「本当だ! 俺そんなこと全然気づかなかったっすよ! 風呂マニアでもないっす。」



なんて楽しい会話しながら中へ案内してもらう。



脱衣所で服を脱ぎ、外へ出た瞬間、目の前の壮大な景色に唖然としてしまった。



目の前は海である。



ばっしゃんバッシャン! 岩にあたって砕けた波が白く空中に舞っている。



その手前に自然の形そのままの窪みがあり、そこに温泉水が流れ溜まっている。



そう、ここは全国的にも有名な温泉だったのだ。(あとから知った)



全国各地から温泉マニア達が集まってくるのだろう。



だからさっきのおっちゃんは、



車のナンバープレートを11−26イイフロにするほどの風呂マニアが来た!!



と思ったのではなかろうか??・・・



しかしここはすごい。おっちゃんが勘違いするのも納得できる。



撮影禁止だったので画像はないが、是非ホームページ等で見てみてほしい。



目の前は海。 夕方だったのでオレンジ色の太陽がとても美しい。



ぼーっとしてるうちにあっという間に時間が過ぎる。



もうぼちぼちビールが飲みたい時間帯だ。



でもなんか出るのがもったいないな。 



そんな気分にさせてくれる温泉だった。



また明日も来よう。なんて思って外に出ると、さっきのおっちゃんが満面の笑みで、



「どーやった??気持ちええやろ? 



これからは温泉マニアになって、この車でいろんな温泉行ってください!!」



僕の中で、このおっちゃんが相当な温泉マニアなのではないだろうか??



と、一瞬思った。



「本当にいい風呂でした! せっかくのナンバーなんで温泉マニアになりますよ。



とりあえず、俺の人生の中ではここが今のところNO.1です!」



僕は新米の温泉マニアとして、今までに行ったことのある温泉を思い出していた。



ここに来る前のNO.1の座は、山形の肘折温泉。



まさに秘境と言う文字がぴったりのいいところだった。



その他は・・・



伊豆や箱根は何度か行ったことはあるけど、特に印象に無い。



他にどこも印象深いところはなく、温泉マニアとしては土台が無さ過ぎることに気づいてしまった。



そしてその前に、自分の旅行では温泉がメインにくることはめったに無い。



ついでに温泉があれば嬉しいくらいの志である。



早くも温泉マニア引退? 失格?



でもまあいい。



僕はかの有名な白浜温泉 崎の湯 の温泉マニアのおっちゃんにスカウトされたのだ。



きっと僕の先天的な才能とセンスを見抜いてのことだろう。



そしてこれからその才能を心置きなく発揮し、数々の素晴らしい温泉と巡り合うことだろう。



なんてったって、車のナンバーは



11−26 イイフロ なのだから!



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2011.2.11 [金] The World Heritage Vol.6 高野山

きた。



この感覚。 この感覚こそが旅の醍醐味。



これを求めて僕は知らない土地に行く。



この感覚の中に入ることこそが、新しい世界観を生む源だ。



そうこの感覚とは、非現実感。



アムステルダム研修シリーズでは 「ぶっとんでいる」 と表現した。



まさに同一の意味だ。







高野山は1200年前、弘法大師 空海が開いた修禅道場だ。



ここはまさに別世界。



街に入った瞬間からタイムスリップした感覚に陥った。



建物、人、場の空気



自分が存在する世界とのあまりの違いに



えらいところに来てしまった



が最初に浮かんできた感想である。







特に「奥の院」はMUST で訪れなければならない場所。



みなさんもご存知の、かの有名な歴史上の武将達の墓がそこにはある。



徳川家、織田信長、明智光秀、武田信玄、石田三成、上杉謙信



中でも圧巻だったのは、豊臣秀吉のお墓



一番でかい! スペースが広い!



さすがの秀吉。農民からトップに成り上がっただけはある。



そして奥の院の一番奥に空海は眠っている。







僕が訪れた時、ちょうどお坊さん達が列をなし、雪の上を下駄で歩きながらぞろぞろと行進してきた。



朝のお勤めだ。



何十人ものお坊さん達が一斉にお経を読み始める。



その雰囲気たるや・・・何度も言うが・・・ここはもう現実とはかけ離れた世界。



この山奥で修行しているこの人達は、一体何を夢見ているのだろうか?



どんなことがあって、この地にたどり着いたのだろうか?



僕はここで何を見て、何を感じるのだろうか?



そんな他人の事と、自分の事が、0,001秒の間に脳みその中を交錯する。



氷点下にとどくか、とどかないかの気温の中、お経が響き渡る・・・



ふっと我に気づく。



あ、あぶねー もっていかれるところだった・・・







奥の院で、数多くあるお墓のなか、たった一つだけ手を合わせたお墓があった。



それは誰か? と言うと・・・









親鸞聖人。



まさか彼のお墓があるとは、実際にお目にかかることができるとは思いもしなかった。



僕にとって、憧れの、最もリスペクトする歴史上の人物の一人である。



と言ってもそんなに詳しくはないが。



親鸞の本を以前に読んだことがある。 親鸞が書いた本ではない。



親鸞のことについて書かれた本だ。 著者は覚えていない。



しかし彼の教えが、いとも簡単に心に浸透したのでとても印象に残っている。



それはそれでいい



成功する人は、それはそれでいい。



失敗する人も、それはそれでいい。 だってそこに学ぶべきことがあるのだから。



善人は善人でいい。



悪人も悪人でいい。 だってそれゆえに学べることがあるのだから。



この教えには共感した。感動すら覚えた。



何かグッとくるものがあった。



色々な人がいて当然なのだ。



十人十色で世界は成り立っている。



そこには絶対に、ものさしの押し付けなどあってはならない。



アクティブもセンシティブもポジティブもネガティブも、



みんなそれはそれでいいのだ。



だってそれがその人の選んだ人生で、それゆえに学ぶべき事があるのだ。



そして親鸞の代表的な教えにこれがある。



他力本願



今日、ネガティブな意味でとらえられることの多いこの言葉。



実は親鸞の教えである。



どうしても自分自身だけでは、どうにも出来ないことが人生には多々ある。



そんなときは、他人の力を借りたり、自然の流れにまかせよう。



自分の力量をわきまえて、起こる事実をちゃんと受け止めよう。



という教えである。



心にピンときた人、こない人、いるだろう。



きた人は、心に留めておくと、人生の歩み方が楽になる、と言うか、上手くなるかもしれない。



ちょっと興奮して、親鸞の話が長くなってしまった。







高野山の地で、そんなことを考えさせられた時間であった。



仏教に近づくと明らかに人生論が多くなる。



とても人間くさい。



伊勢神宮も高野山も同じように何かを祭ったり、お経を唱えたりするのだが、



そこには決定的な違いがある。



神様仏様



そう、それは、神様VS人間 である。



神宮は神様の領域であって、そこには人間の力など及びはしない。



しかし、仏教は人間が創った教えである。



真言宗 ハンニャーハーラー

日蓮宗 ナンミョーホーレンゲーキョー

浄土宗 ナンマンダブ ナンマンダブ



これら全てもともとは、インドの地でお釈迦様から始まった仏教だ。



そこにはどうしたら、より良い人生を送れるか?と言う永久不変のテーマが常にある。



人間による人間のための世界なのだ。































僕はまた次の場所へ旅立つ。



しかしここの修行僧たちは、昨日も今日も明日も、この地にいる。



僕は明日、今日と違うことをする。



修行僧たちは、昨日も今日も明日も、同じ事を繰り返す。



僕は新しいことを考え、新しいものを生み出す。



修行僧たちは、古き教えを守り、次に伝える。



僕とは正反対の人達。



僕が住む世界とは正反対の世界。



だが、一つ共通することは



自分の道を行く



ということだろう。



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2011.2.11 [金] The World Heritage Vol.6

きた。



この感覚。 この感覚こそが旅の醍醐味。



これを求めて僕は知らない土地に行く。



この感覚の中に入ることこそが、新しい世界観を生む源だ。



そうこの感覚とは、非現実感。



アムステルダム研修シリーズでは 「ぶっとんでいる」 と表現した。



まさに同一の意味だ。







高野山は1200年前、弘法大師 空海が開いた修禅道場だ。



ここはまさに別世界。



街に入った瞬間からタイムスリップした感覚に陥った。



建物、人、場の空気



自分が存在する世界とのあまりの違いに



えらいところに来てしまった



が最初に浮かんできた感想である。







特に「奥の院」はMUST で訪れなければならない場所。



みなさんもご存知の、かの有名な歴史上の武将達の墓がそこにはある。



徳川家、織田信長、明智光秀、武田信玄、石田三成、上杉謙信



中でも圧巻だったのは、豊臣秀吉のお墓



一番でかい! スペースが広い!



さすがの秀吉。農民からトップに成り上がっただけはある。



そして奥の院の一番奥に空海は眠っている。







僕が訪れた時、ちょうどお坊さん達が列をなし、雪の上を下駄で歩きながらぞろぞろと行進してきた。



朝のお勤めだ。



何十人ものお坊さん達が一斉にお経を読み始める。



その雰囲気たるや・・・何度も言うが・・・ここはもう現実とはかけ離れた世界。



この山奥で修行しているこの人達は、一体何を夢見ているのだろうか?



どんなことがあって、この地にたどり着いたのだろうか?



僕はここで何を見て、何を感じるのだろうか?



そんな他人の事と、自分の事が、0,001秒の間に脳みその中を交錯する。



氷点下にとどくか、とどかないかの気温の中、お経が響き渡る・・・



ふっと我に気づく。



あ、あぶねー もっていかれるところだった・・・







奥の院で、数多くあるお墓のなか、たった一つだけ手を合わせたお墓があった。



それは誰か? と言うと・・・









親鸞聖人。



まさか彼のお墓があるとは、実際にお目にかかることができるとは思いもしなかった。



僕にとって、憧れの、最もリスペクトする歴史上の人物の一人である。



と言ってもそんなに詳しくはないが。



親鸞の本を以前に読んだことがある。 親鸞が書いた本ではない。



親鸞のことについて書かれた本だ。 著者は覚えていない。



しかし彼の教えが、いとも簡単に心に浸透したのでとても印象に残っている。



それはそれでいい



成功する人は、それはそれでいい。



失敗する人も、それはそれでいい。 だってそこに学ぶべきことがあるのだから。



善人は善人でいい。



悪人も悪人でいい。 だってそれゆえに学べることがあるのだから。



この教えには共感した。感動すら覚えた。



何かグッとくるものがあった。



色々な人がいて当然なのだ。



十人十色で世界は成り立っている。



そこには絶対に、ものさしの押し付けなどあってはならない。



アクティブもセンシティブもポジティブもネガティブも、



みんなそれはそれでいいのだ。



だってそれがその人の選んだ人生で、それゆえに学ぶべき事があるのだ。



そして親鸞の代表的な教えにこれがある。



他力本願



今日、ネガティブな意味でとらえられることの多いこの言葉。



実は親鸞の教えである。



どうしても自分自身だけでは、どうにも出来ないことが人生には多々ある。



そんなときは、他人の力を借りたり、自然の流れにまかせよう。



自分の力量をわきまえて、起こる事実をちゃんと受け止めよう。



という教えである。



心にピンときた人、こない人、いるだろう。



きた人は、心に留めておくと、人生の歩み方が楽になる、と言うか、上手くなるかもしれない。



ちょっと興奮して、親鸞の話が長くなってしまった。







高野山の地で、そんなことを考えさせられた時間であった。



仏教に近づくと明らかに人生論が多くなる。



とても人間くさい。



伊勢神宮も高野山も同じように何かを祭ったり、お経を唱えたりするのだが、



そこには決定的な違いがある。



神様仏様



そう、それは、神様VS人間 である。



神宮は神様の領域であって、そこには人間の力など及びはしない。



しかし、仏教は人間が創った教えである。



真言宗 ハンニャーハーラー

日蓮宗 ナンミョーホーレンゲーキョー

浄土宗 ナンマンダブ ナンマンダブ



これら全てもともとは、インドの地でお釈迦様から始まった仏教だ。



そこにはどうしたら、より良い人生を送れるか?と言う永久不変のテーマが常にある。



人間による人間のための世界なのだ。































僕はまた次の場所へ旅立つ。



しかしここの修行僧たちは、昨日も今日も明日も、この地にいる。



僕は明日、今日と違うことをする。



修行僧たちは、昨日も今日も明日も、同じ事を繰り返す。



僕は新しいことを考え、新しいものを生み出す。



修行僧たちは、古き教えを守り、次に伝える。



僕とは正反対の人達。



僕が住む世界とは正反対の世界。



だが、一つ共通することは



自分の道を行く



ということだろう。



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2011.2.7 [月] The World Heritage Vol.5 脅威の宣伝力

赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福赤福



僕がその名を知ったのは、数年前、世間が数々の食品偽装問題で揺れており、



食の安全とは何か??



を世間一般人が真剣に考えなければいけない、と言うことに、気づき始めた時期だった。



そんなときに、伊勢の銘菓の老舗「赤福」が食品偽装で叩かれたのだ。



僕が赤福と言う単語を耳にするのはそれ以来である。



もちろん、口にしたこともない。





何百年も続く老舗、さすがである。



伊勢の名物通り、おかげ横丁の赤福には行列ができている。



お土産屋さんには必ずと言って良いほど赤福餅が置いてある。







僕は、甘いものは苦手ではないが、そんなに進んで食べるほうでもないので、



このときは特に興味を持つこともなく、客の行列をみて



ああ、すごいなぁ  さすがだなぁ



とただただ平凡に思っていた。



お土産で買ってみようとも思ったが、消費期限が短すぎて、自分が帰る頃までもちそうにない。



そんな感じで、赤福を買うことはなかった。



だが、老舗「赤福」の底力を見せられるのはその後だった。



その底力と言うのは宣伝力である。



三重県内の赤福の宣伝力はハンパではない。



電信柱の一本一本に必ず赤福の看板がついている。



道路を車で走っていると、無数の赤福の文字を見る。



(これがすっと続く)



もちろん電信柱だけではない。



いたるところに である。



赤福のトラックも良く見かける。



あれだけ赤福の文字だらけの道を、赤福カーがさっそうと走ってゆく。



もう説得力アリすぎである。





(一本の柱に二つの看板)



圧巻だったのは、伊勢の隣町の鳥羽。



鳥羽駅のプラットホームに多数のベンチが、規則正しく並んでいる。



背もたれの部分が、宣伝用のスペースになっているのだが、そこのベンチ全てが赤福だ。



赤福の文字がずらっと並んだそのプラットホームは、赤福駅と改名した方がいいんじゃないか?



と思わされるほど圧巻であった。



画像がないのが非常に残念でたまらない。



そこまでされると何だか、もう、一度は買わなければいけないような気持ちになってきている。



しかし、よーく考えてみると、相手はただのあんこと餅である。



味もだいたいの想像はつく。



そして、宣伝力に圧倒されっぱなしだった僕の心は、ついに反逆心が芽生え、



買ってたまるか!



と、変化を遂げた。



すごいなぁ → はんぱねぇ → 一度は買ったほうがいいかな → うざいな → 意地でも買わない



気持ちの変化を分かりやすく書くとこんな感じだろうか。



赤福の呪縛から解き放たれたのは、伊勢、鳥羽を出て次の宿泊地の山奥に入った頃ぐらいだろうか。



ようやく赤福の文字が自分の前から消えてせいせいしていた。



その後、順調に旅を続け、三重県に戻ることもなかったので赤福のことなんて忘れていた。



このThe World Heritage ツアーの最終日の夜、



僕は名古屋で、小、中学校の同級生(やっちゃん、仕事で数年前から名古屋在住)と



夜の栄に繰り出すべく、待ち合わせをしていた。



その時! なんと名古屋駅の売店で見つけてしまったのである。



うっ! 赤福! こんなところにまでっ!



今日買えば、明日には帰るから消費期限の問題は無い。



中身の個数にしても、お土産的には完璧。



知名度も抜群。



これがラストチャンス! 買うなら今しかない!



しかし、俺は今、やっちゃんとの待ち合わせの場所に向かって急ぎ足で歩いている最中。



考え迷っている間にも、足はせっせと動く。



人の波に流されながら、赤福の横を通り過ぎてゆく・・・



勝った!!



心が折れる寸前だったが、俺は赤福の誘惑に勝った!



なかなか手恐い相手だったぜ!



いやぁ、しかし、恐るべし赤福。



やつこそ、間違いなく



お土産界の世界遺産 World Heritage であろう。












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2011.2.2 [水] The World Heritage Vol.4 伊勢神宮

え!? 扉??



そう、お賽銭箱の奥には扉があるだけなのだ。



あの扉の向こう側には一体何があると言うのだ。



お寺のように派手な、きんきらきん の仏像があるわけではない。



派手な装飾が施されているわけでもない。



ただの扉である。



お寺さんのような派手さが無いことに拍子抜けしていると、なぜか、その素朴さが異様に浮き出てくる。



なぜ? なぜにそんなに素朴なのだ!



その素朴さに気づくと今度は、なんだかその素朴さの中にとんでもない意味が隠されているように思えてくる。









しかし、一体何なんだ、この雰囲気は!



そして・・・これは決して人間が創り出せる雰囲気ではないことに気づいてしまう。



ご祈祷のときもそうだ。



よくわからない楽器に、よくわからない演奏。



よくわからない服装に仮面、よくわからない踊り、呪文。



あれは本当に人間が生み出したものなのだろうか?



いや、違うと思う。



御正宮もそうだ。



御正宮にいたっては、賽銭箱の奥の扉さえ見えない。



白い幕が張られていて、先が本当に透けてしか見えないのだ。



な、なぜだ!?



白幕の奥を肉眼で見てはいけないというのか!?



誰が最初にそんなことを思いついたのか!? 人間か!?



でもその割には、僕が賽銭箱の前に立ったときには、



風が吹いて白幕が風になびいて高い位置まで持ち上げられ、全開も全開、奥が丸見えであった。



????



だとしたら、この白幕には一体何の意味が??



うーん、深すぎる・・・  考えれば考えるほど  深い・・・



まあとにかく、伊勢神宮で御祈祷してもらうという目標は達成できた。



正装しなければいけないということで、ちゃんとスーツと革靴を車に積んできた甲斐もあった。



ただ、想像はしていたことだが、正座に伴う足の痛みは半端なものではなかった。



これから御祈祷してもらうという人、してもらいたいという人、



覚悟をしといたほうが良いだろう。



しかし、良い経験になることには間違いない。

2011.1.30 [日] The World Heritage Vol.3 世にも恐ろしい大渋滞

そりゃ、あれだけ雪が降れば都会の交通事情は大変だ。



都会なんてものは雪に慣れてないので、すぐに麻痺してしまう。



この日ももちろん例外ではなかった。



朝のニュースから、大雪の話で持ちきりである。



名古屋の高速道路は全て通行止め、電車はほとんど遅れている。



朝、若干酒の残っている体に、ミズホが入れてくれたお茶を流し込みながら、のん気にニュースを見ていた。



この時点で、事の重大さに僕はまだ気づいていなかった。



この日は、名古屋から三重県伊勢までの移動予定。



名古屋の高速道路は使えないので、少し離れた四日市という場所から伊勢湾岸道路という高速に乗る。



まあ、距離で言うと30kmぐらいか? 普通に車で走れば30分ぐらいの距離だ。



高速に乗ってしまえば、後は何も問題はない。



僕は朝の九時に、お世話になったマサ、ミズホ夫妻に別れを告げ、雪の積もる名古屋の道を走り始めた。



名古屋市内に入るとすぐに渋滞につかまった。



大型車がかなり多い。



そうか! 普段、高速道路を使って移動する大型車が、通行止めによって下に降りてきているのだ。



そりゃ、でっかいトラックが多いわけだ。



トロトロ走っていた車は、ある地点から全く動かなくなる。



この名古屋から脱するにはあとどれくらいの距離があるのだろうか?



と、そこで僕は初めて地図を広げる。



そこで目にした事実に、僕は電撃ショックを受けた!



そして、ここでようやく事の重大さに初めて気づく。



こ、これはまずい!!



距離はさほど遠くはない。



何がまずいのか?



名古屋には大きな川が何本かある。



その度に橋を渡らなければいけないのだ。



橋を渡るとはどーゆーことか?



車が一気にそこに集中してくると言うことだ。



なぜなら、川の向こうへ行くには橋を渡るしか手段がない!



そして僕は、あたりを見回す。



どこもかしこも動かない車の列。



ほんの少し、恐怖心が芽生えていた。



まぢでヤバイ・・・



そして決意する。



橋を渡らずに、川に沿ってのぼろう。



比較的車の少ない場所まで行ってから橋を渡り、そしてまた下ってくる。



僕は方向転換し、走り出した。



しかし、行けども行けども渋滞はなくならず、橋が近づくと完全に車は動かない。



もうどれだけ上がってきただろうか?



愛知県だったのがいつの間にか岐阜県になっている。



昼過ぎには伊勢に到着予定だったが、昼を過ぎてもまだ橋を渡れずにいる。



の、おかげで、名物のひつまぶしは食すことができた・・・ラッキー



この苦難をどう切り抜けるか!?



壁にぶつかったときにどう対処するのか!?



この渋滞の問題が、もう人生と重なって見えてくる。



カーナビを駆使しながら、わき道を縫うように走る。



岐阜県で、やっとの思いで橋を渡った時にはすでに午後3時を回っていた。



その頃には、いい程度の場所で一泊することも考え始めていた。



なんなら道端で車中泊もいいだろう。



こんなときのために寝袋を積んできたのだ。



どこかで一泊すればそれはそれで、何かいい情報、いい出会いに遭遇するかもしれない。



川を渡った後は、四日市まで下る。



もう渡ってしまえば渋滞もなくなるだろうと考えていた僕は、スイスイ進む道を走りながら、テンションは上がっていた。



国道に出て一気に四日市まで下ろう。



国道を目指す。若干スピードも増す。



しかし、そこで待ち受けていたのは・・・



死んだように全く動かない車の列・・・



みんな下って行きたいのだろう。



万事休す



その時、僕の前を走っていた軽自動車が、おそらく地元の車だろう、急にUターンをした。



これだ!!



僕も行動が早かった。 前の車に習う。 後を追う。 狭い道を行く。



国道と平行して走る脇道。 動かない車達を横に見ながら僕は走る。



カーナビを駆使しながら国道をよけて、永遠と脇道を行く。



走り続ける。



四日市に着いたときにはもう夕方になっていた。



四日市ジャンクションから高速に乗る。



警備員が立っている。



警備員 「規制で大阪方面しかいけないです。」



僕 「伊勢の方に行きたいんですが。」



警備員 「伊勢は大丈夫です。」



スッカスカの高速に乗る。



反対方面、驚きの大渋滞・・・



トラックの運転手なんか、エンジンを止めて寝ているようすである。



そこから何キロにも続く車の列・・・



後ろの人たちは、トラックの運ちゃんが寝ていることすら知らないだろう。



名古屋の橋の近くの大渋滞の光景



岐阜の全く動かない国道の大型車



名古屋へ向かう高速道路上の寝ている運ちゃん



あの光景が今でも目に焼きついている。



あの光景を思い出すだけでゾッとする。



何度も万事休すと思わされたあの大渋滞は、僕の心に忘れがたい恐怖心と達成感を残した。



飛ばす高速道路



たった1時間程で、伊勢に到着してしまった。



辺りはさすがにもう暗くなっていた。



こんなふうに僕の人生も、なんとかして苦難を乗り越えていくんだろうな



なぁーんて思う暇もなく、深い眠りに落ちてしまう2日目の夜であった。



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2011.1.27 [木] The World Heritage Vol.2 奇跡のタイミング

まずは名古屋に入る。



名古屋には、オーストラリア時代の旧友が住んでいる。



マサ、ミズホ夫妻のお宅に一泊させてもらうことにした。



彼らとはオーストラリアの語学学校で出会った。 もう十年も前のことだ。



その後、東京でも何度か会う機会に恵まれ、未だに縁が続いている。



彼らはオーストラリアで出会い、恋に落ちて、そのまま結婚した。



今では、名古屋を生活の拠点にしている。



そして嬉しいことに、お腹の中には新しい命が宿っている。



そんな大切な時期に、この馬鹿太者がお邪魔してしまった。



僕が名古屋に滞在したその日は、近年稀に見る大雪であった。



もう景色はスキー場のように雪が積もっていた。



降り続く雪もスキー場でみる雪のような勢いである。



「すごいタイミングで来ちゃったね。笑」



としか言いようがない。他の言葉が見つからない。



しかし、そんなことお構いなしに僕のテンションは上がっていた。



僕の住んでいる横須賀では、こんなに降り続く雪を見れることはめったに無い。



しかし、この日の奇跡のタイミングはこれだけではなかった。



友達のウメちゃんが、



ウメちゃんのことを紹介させていただくと、彼はプリングミンというバンドのドラムを担当している。



横須賀どぶ板通りのリトルアムステルダムでバーテンをしている。



そのウメちゃんが、この日ライブを名古屋でやるというのだ。



ウメちゃんは横須賀の友達であるにも関わらず、なぜかこの名古屋で会うことになる。



ウメちゃんのライブを見たことがなかった僕は、このチャンスを逃すはずがなく、



ここぞとばかりに、大雪の中、ライブハウスに向かったのであった。



ウメちゃんの魂のビートを堪能した後は、またしても大雪の中、



マサとミズホとアキコと (アキコもオーストラリア時代、語学学校の同級生。今では結婚し、名古屋在住)



名古屋名物、世界の山ちゃんに集合し、手羽先を食しつつ、この奇跡のタイミングに乾杯するのであった。

2011.1.25 [火] The World Heritage Vol.1 プロローグ

頭を休める。



脳の疲れをとる、充電する。



と言うことを本当の目的とした今回の旅行。



実はどこへ行くかを決める段階でかなり悩んだ。



色々候補があったのだ。



第一に候補にあがったのはタイ。



やっぱり、寒い時期に暖かい場所へ は旅行のセオリーである。



しかし、海外では少しお手軽感に欠ける。



海外は好きだし、ちょいちょい行く機会はあるが、今回はもっと軽い感じにしたかったので、



どうもしっくりこなかった。



次に候補にあがったのは、沖縄、屋久島、小笠原などの島系。



どこも一度行ったことのある、素晴らしい場所だ。



しかし、どーも海って感じではない。



沖縄にいたっては、一月に行く所ではないと、友達に反対されてしまった。



しっくりこない・・・



困ってしまった僕は、いつもの、行きつけの、図書館へ向かう。



そこで手にする一冊の本。



タイトルはうろ覚えだが、確か



「日本の聖地へ」



こんな感じのタイトルだったと思う。



伊勢神宮・・・日本の最高位の神様がいるらしい



熊野古道・・・むかーしの人が、伊勢から熊野三山へお参りするときに歩いた道が、今でも世界遺産として残っているらしい



熊野三山・・・自然を神様と崇める神社で、世界遺産に登録されているらしい



高野山・・・空海が修行のために開いた道場。 山奥が世界遺産だらけらしい



こ、これは、なんと!



全て三重県、和歌山県の南紀地方と言われる地方に集まっていて、一回の旅行で全て廻れる。



もうピンときてしまった。



なんと素晴らしい地方なのだろう。こんなにたくさんの世界遺産があるとは!



やはり、日本も捨てたものではない。



そして僕は、新幹線で行こうか



車で行こうか



新幹線で行って、向こうで車を調達しようか



いろいろ考えた上、この時期高野山にいたっては、雪も積もっていることだろうと予測し、



父親の車を借りていくことにした。



ワイルドな場所にはもってこいの、日産Xトレイル。



雪が積もっていたって4WDにもなるぜっ!っつーことで、タイヤはスタットレスに履き替え、



いざと言うときのために、布団、寝袋、毛布も積み込んで、



準備万端で旅に出た。

2011.1.12 [水] 我が家の猫たち2

あれは確か、僕が高校3年生の年のクリスマス。



買い物か何かで、うちの家族は近所のショッピングセンターにいた。



その時にふらっと寄ったペットショップ。



色々なペット関連器具、水槽と魚たち、その空間の中に3匹の子猫たちがいた。



白と黒の綺麗な色をした子猫たちは、小さな籠にすっぽりとはまって顔だけこちらに覗かせている。



その隣には張り紙。



飼い主募集



の文字。 つまり、売り物ではなく、ただであげるという意味だ。



僕の心は完全にこの子猫たちに掴まれてしまった。



しかし、僕はもう小さなガキんちょではなく、もういい年齢なので



ほしい!なんて駄々をこねるわけではない。 



我が家にはブチというおばあさん猫がいる。



2代目タマがなくなって以来、我が家の主として君臨している。



これ以上猫を増やすわけにはいかない。



父が頑張って建てたこの家は、人間のための住処であって、猫のためのものではない。



その帰り道、僕ら家族は子猫たちのことで頭がいっぱいだった。



誰となく、かわいかったなー、3匹も増えたら大変だねー



なんて会話がでている。



そのとき初めて僕は欲しいと言った。



家族全員欲しいと思っていた。



そして、母が決心したところで、僕達はペットショップへUターンした。



母が世話をすることになるので、決定権は母にあるのだ。



その後すぐ、家族会議が開かれ、子猫たちの名前が決定した。



キン コン カン



キンは女の子。冷静で賢い。人間との距離のとり方が非常にうまく、世の中をうまく渡っていけるタイプ。



コンは男の子。かなりの臆病者。徹底的な人見知り。わが道を行くタイプ。



カンも男の子。かなりの甘えん坊。人にべったり。主人に忠実に仕えるタイプ。



我が家の猫たちは4匹となり、賑やかになった。



そして、数年するとブチが亡くなった。



ブチは病弱な方で、まだ子猫のときにあまり長生きはしないだろうと獣医さんに言われていた。



しかし、10年以上は我が家にいた。よぼよぼのおばあさんになるまで生きることができた。



そして数年前、カンが亡くなった。



カンは、とにかく僕にべったりなついていたので、とても悲しかった。涙が止まらなかった。



最期のほうは、足が動かなくなり、自分でトイレにも行けなかったので、僕が自分の部屋で介護をしていた。



その時に、カンが僕の布団の上でおねしょをしたことがあった。



今でもそのあとが、まんまるとかけ布団の真ん中についている。



それがちょっとした僕の悩みになっている。



冬の晴れた日はよく布団を干すのだが、もしかしたら近所の人たちは



あの布団のシミを見て、僕のおねしょのあとではないかと思ってるんじゃないか・・・



内心ドキドキしている。



キンは最近、水槽を覗く ことが日課になっているらしい。



母が言うには、毎日夕方ぐらいになると、水槽の前に座ってずっと魚を見ている。その姿がホントに可愛いらしい。



コンは、あれだけ人見知りで、触らせてくれなかったのが、最近は触っても全然動じなくなった。



コンが歳をとったからか、ようやく僕のことを無害だと認識したのかはわからないが、性格が丸くなった気がする。



キンコンカンが我が家に来てから14年。



今日みたいな寒い日でも、キンとコンは外へ出て元気に走り回っている。



やつらとこんな長い付き合いをできていることを幸せに思う、今日この頃だ。



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2011.1.9 [日] 我が家の猫たち

僕の実家には僕が幼稚園ぐらいのときから今までずっと猫がいる。



全て僕が欲しくなって、両親に頼み込んで飼ってもらった猫達だ。



一番最初の猫は、僕が拾ってきた三毛猫だった。



どういう経緯で拾ってきたかは忘れてしまったが、母親はとても嫌がった。



でも僕がほしいとねだったので、母も折れて、庭で飼うことにした。



僕はたまと名づけて、とてもかわいがったが、ある日突然消えた。



今思えばとても可哀想なことをした。



猫は家の中で飼う動物だ。



僕達に猫に関する知識が全くと言っていいほどなかったせいで、



たまは身の危険を感じ、自力で繋がっている紐を解き、脱出したのだった。



よくやった! たま おめでとう! そしてごめんなさい!



2番目の猫はすぐにやってきた。



母親の知り合いだか、友達だったかはわからないが、



猫をたくさん飼っているので、一匹あげるという話が持ち上がった。



当然僕は、例のおねだりを始める。



そして再び、三毛猫が我が家にやってきた。



その猫は、しっぽがくるっっとかわいくまるまっていたので、


前の家では くるり と名づけられていたらしいが、僕が強引に 2代目たま と名づけた。



何でそんなに「たま」という名前にこだわっていたかはわからない。



おそらく、1代目がいなくなってしばらく悲しかったし、心配だった。



近所も探したし、早く戻ってきてほしかった。



そしたらまた三毛猫がやってきたので、1代目と重ね合わせたのかもしれない。



2代目たまがやってきてから数年後、僕が小学校低学年のとき、



僕が勝手に同級生から赤ちゃん猫をもらってきてしまった。



両親は当然困っていたが、僕の熱意に負けた様子だった。



「ちゃんと自分で面倒見なさいよ」



と、強く言ったが、そこで「はい」と言っておけば、あとは母がやってくれる。



実際そうなった。



3番目の猫は、うす汚い野良猫のような色をしていたので、



家族の誰かが、「ブチ」という名前をつけた。



そこからしばらく我が家の猫は、2代目たまとブチの2匹制となる。



その間にも、またも僕が産まれたての赤ちゃん猫を3、4匹まとめて持って帰ってきたことがあった。



さすがにその時は怒られたが、産まれたてすぎて、ミルクをやっても育たず、みんな死んでしまった。



何でこんなにも僕は猫が好きなのか? または縁があるのか?



生まれてこのかた、犬を飼うような話は持ち上がったことは一切無い。



猫との付き合いにはコツがある。



それはかまいすぎないこと。



ある程度の距離感だ。



しつこくすると逃げるし、ほっとくと近くにいる。



決して上下関係では無く、決して信頼関係でもない。



でもいつも近くにいる。



僕にこびることも無く、平然と我が物顔で、我が家で暮らしている。



僕はそんな猫たちとの関係が好きだ。



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2011.1.6 [木] 新年の俳句

http://ameblo.jp/...
新年の俳句をあっぷしました

今年もよろしくお願いします。

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