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2009.6.28 [日] |
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前日東京入り前夜祭で盛り上がり露天風呂に入り就寝。
今にも降り出しそうなお天気を心配しながら品川に着くと同時に降り出した。残念。
真楽と出会いもうもう5年、着物を通じて沢山の素敵な人々と知りあい世界が広がった真楽に感謝する7周年。
しゃべりすぎて最後は喉がかれてました(笑)
当日の装い
着物 青土さんの麻無地着尺に一衣舎さんで型染め
帯 染織iwasakiさんで織って頂いた
たて銀河シルクとよこ苧麻帯
帯留め 糸魚川ひすいの魚
帯揚げ 三浦清商店さんで染めてもらった柳鼠色 |
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2009.6.25 [木] |
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週末お天気気になります。きっと晴れでしょう!
Fちゃんの日記メモメモ
「超絶刺繍—ヨーロッパ・インド・日本のわざ」
絶対に行きたい展覧会です。
趣味で日本刺繍を習っているがフランス刺繍も大好き。
ちょこちょことリネンの端布で遊んでます。 |
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2009.6.15 [月] |
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新聞の記事ではじめて知った小淵志ち
日頃大変お世話になっている玉繭の糸を開発した人です。
天皇陛下に拝謁する産業功労者の中、豊田佐吉と並んで
ただ一人の女性に衝撃を受け制作された劇「ひとすじの糸」が12〜14日上演されましたが
あいにく直前に知ったので残念ながら見ることはできませんでした。
波瀾万丈だった志ちの人生。小淵志ちは1847年に群馬県生まれ、
子どもの頃から繭から繰り糸の技術に大変優れ、
17歳で結婚したが夫の暴力と酒乱に32歳のとき隣村の徳次郎とかけおち。
旅の途中今の豊橋市二川町滞在したとき縁あって製糸を教えることになる。
しかし徳次郎は戸籍偽造の罪で投獄されついには獄死。
苦労の末玉繭から糸を紡ぎだす技術を開発して起こした製糸工場は夫の名をとって糸徳製糸と名づけ地域の発展に寄与。
かつて玉糸王国と呼ばれていた豊橋。
玉繭が紡ぎ出す糸が好きな私、近いうちに二川まで行ってみたくなりました。 |
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2009.6.14 [日] |
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今日は実家で祖父の法事。
お経の最中祖父のことをいろいろ思い出す。
初孫だった私はよく祖父と外出いろいろ旅行にも行った。
幼稚園児の時祖父祖母とフェリーに乗り佐渡島に行ったり、
東京に行った時電車とホームの隙間に落ちたこと。<今でも空いてる線あり
上京した時定宿だった弥生旅館のこと。
毎月の様に映画に連れて行ってもらったが
怪獣映画以外に何故か若大将シリーズだったこと、、、、、。
大好きなおじいちゃん、色々経験させてくれてありがとう。
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時々かみます、噛みつきます。 |
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2009.6.8 [月] |
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昨日録画したETV特集戦争を着た時代をみる。
明治から昭和10年代の頃(日本が勝利した時代)
面白柄、時代柄、流行のデザインとして受け入れられていた男性用の襦袢
羽織裏など時代を追って紹介。
それらは軍、政府の指示ではなく「売れる」から作られたデザイン。
特に売れたのが上海事変の時活躍した3人の兵士を元にした襦袢羽裏。
中でも気になったのは久留米絣に織り込まれた文字三勇士と
鉄柵門が破れその部分が赤の染めになっている着物。
そのときはどんな気持ちで織っていたのか、共鳴して?ただ単にデザインとして?
その三勇士は京都市の有名な船岡温泉の欄間にも彫られている。
面白いと思った柄は戦争時代の銃後の婦人柄。
時計の時間を中心にして一日の生活が描かれていて
節約しましょう、慰問袋を作りましょう、夜時間は生めよ増やせよ人的支援、
枕を高くして眠れるのは誰のおかげ、
贅沢は敵だの文字に絵は狐の襟巻きをした婦人が黒い忍者に切られている!凄い絵。
人々は単にその時代の先端ファッションを身にまとっていただけなのか?複雑な気持ちにりました。
余談ですが番組中の澤地久枝さんの着物、帯すごく素敵でした。 |
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2009.6.6 [土] |
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う〜ん行けばよかったかな〜お祭り。
去年の楽しかったオフ会のアルバムを再見。
一昨年、昨年と楽しかった思い出がよみがえる。
そうだ!みんなと一緒だったから楽しのだ。
又いつかツアー開催しよう。
去年の写真→ |
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2009.6.2 [火] |
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今週末の土日は有松絞りまつり2009
今年は小規模に相方と散歩がてら♪と思っていたら相方に仕事が入る。
そこに「行きますか?有松」とメールが入る。
返事は「行くかも、でも午後からかな」
今年はじめは浴衣狙いで朝一絶対行く!と言っていたのだが(笑)
最近着物熱休止中<っても購入部門ですが。
今手元にある着物をもっと活用しなくては!今ある反物をまず形にしてから!と思っている。
何年も突っ走ってきたので偶には立ち止まらなくてはね。
これからはじっくり、ゆっくり着物とつきあっていきたい。 |
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