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3月7日に入院し、骨折の手術して
初めての外泊です。
1泊だけのOKが出た。
思いもよらない、こんな長くなるとは。
入院してリハビリが始まったリハビリ室で
地震にあった。
札幌はひどい揺れは無かった。
被災地の皆様のご苦労と不安、心からいい方向に向かう事を願い、悲しくも辛い思いをして命を落とされた家族の方にお悔やみ申し上げます。
そして私はたった一人の息子が
今福島にいる。
彼は仙台出張会議中に被災した。
命は助かったが、勤務は福島郡山だ
13日また福島に向かった。
なぜ、わざわざ、戻るのか?
火の中に入って飛び込んでいくのか?
理解不能だった
11日の夕方やっと電話がつながって無事を確認。彼は仙台市内のどこか公園に避難していた
「寒いけど、生きてる」の一言だった。
帰って来いと言うのも届かず、
二日後またそこから福島に向かって仕事をしていた。
危機管理はどうなっているのか
わざわざまたなぜ福島に向かわせるのか。
メールがつながった
酪農関係に携わっている彼と、私の逃げろ退避しろと言うメールに抗議が来る。
「福島の浜通り以外の無事な酪農家はどうなる?
青森の牛も岩手の牛も宮城の牛も秋田の牛も山形の牛も放っておいて餓死させて、東北の酪農家潰してそれでいいのか」と
私はそれでも我が子が心配だ
親は身勝手だと思い知らされた。
今はまた一昨日仙台の後方支援と言う事で
移動したようだ。
我が子もそうだが、
どうかこれ以上犠牲者が出ないように
そして将来この周辺の方々が身体に異常をきたさないように祈るしかできない |