| | トーク×トーク『葉山と山口蓬春〜創作の源泉としての風と光〜』
葉山を愛した日本画家山口蓬春(1893-1971)とは…。彼を知ることで、葉山というまちの力と、そして失ってはならない財産を再発見しようというメッセージのもと、水沢勉(神奈川県立近代美術館)と朝山正和(葉山芸術祭実行委員)の対談が行なわれた。
山口蓬春は、1926年の第7回帝展で、画壇への華々しいデビューを果たす。戦後、日本画にフランス近代絵画の解釈を取り入れた知的でモダンなスタイルを確立し、晩年、皇居新宮殿の杉戸絵《楓》を手がけるなど、日本画の世界において彼の果たした功績は大きい。
対談の中で水沢氏は、彼の芸術に対する考え方を表す「見たまま、知ったまま、感じたままに描くほかない」という言葉を何度か紹介した。感性をあらわす「見たまま、感じたまま」にプラスされた知性としての「知ったまま」、この言葉にこそ山口蓬春という画家を知る鍵があるのだという。
この言葉は、芸術とは何かというという問いに対する山口蓬春の答えであるのではないだろうか。水沢氏は、山口蓬春が生きた時代において、彼が日本画家であるということは、ナショナリズムといった大きな時代的な思想を避けては通れない立場にあったという。しかし、彼は、芸術が時代に利用されるという領域から常に一線を画し、絵を描くという技術としての日本画をユニバーサルな視点で追求するというスタンスに身を置いていたという。つまり、絵を描くという単純で明快な技術領域において、常に、世界を意識しながら、日本画という技術文化の進歩に尽くしたのである。
その冷静な技術者としての山口蓬春が、美を追求する芸術家として愛したのが、身近な自然であり、そこに生きる草花や生き物であった。素描を通じて、じっくりと長い時間をかけて自然と向き合い、自然との交歓の時間に芸術家であることの最大の喜びを感じていたに違いない。彼は「花鳥画」という画題について「作品の優劣は、その作家の自然への愛の深さと、観察力の如何とのみが決定する」といっている。
この二つの物語を通じて思うに、山口蓬春は、日本画が自然との交歓において、世界的に優れた技術を持っていると確信していたのではないだろうか。明治から昭和という日本が西洋化・近代化する時代とともに生きた芸術家でありながら、そうした時代の潮流にのまれることなく、ユニバーサルな視野から、あらためて日本文化のアイデンティティを人間と自然との共生に見出し、日本画という技術をとおして探求した人物ではないかと想像する。
そんな山口蓬春が愛した自然とは、身近にある自然であり、そこに生きる草花や生き物であった。葉山には、山口蓬春が生涯をかけて求めた美があり、それが、葉山というまちの力であり、そして失ってはならない財産であるのではないだろうか。 http://www.hayama-artfes.com/
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2004/8/6更新 2004/8/4 登録 3674クリック/ 2回更新 |
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