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2007.12.23 [日] 聖月夜 |
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クリスマスイブ・イブの23日に
スカラ座で観たオペラ「トリスタンとイゾルデ」
帰りにドゥオーモのツリーの記念撮影
月夜がポイントです
怒涛の年末終了
28日が仕事納めで事務所にイギリスからも全員集合してパーティ。
いよいよ新年へ向けてカウントダウンです
今年は外見よりも内面に変化を感じる年でした。
これまでは年上の友人や大学の恩師に囲まれて
その支えに立っているところがあったけれど
今年は仕事でもプライベート面でも年下世代に多く囲まれたせいか
支えてもらう側から見守る側へ立場がシフトしようとしている
そんなことを実感した2007年でありました。
皆様もよいお年を |
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2007.11.20 [火] ミラノ:朝6時47分 |
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朝、ふっと目がさめて朝焼けに出会った。
時計は6時47分。
新しい我が家の寝室は、南向きの窓一面がガラスなので
映画の1シーンのよう。
今年の秋は長かった。
「ミラノは夏と冬だけで、春と秋はない」といつも愚痴をこぼしているが
ミラノで秋がこんなに長かったのは初めてのように思う。
年々雪は積もらなくなるし、地球が悲鳴をあげているのかもしれない。
長い秋を堪能した後は、ミラノ名物の「霧」が恋しくなる。
オレンジの街燈が霧で滲むようになったら、我が家もクリスマスの準備を始めよう。 |
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2007.10.27 [土] La Festa di Crisantemo 菊の節句 |
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友人からのメールを読んで、ふと幸田露伴の「五重塔」を思い出し、久しぶりに読んでみようかと本を開いたら、同じ露伴で「菊 食物としての」に目が止まる。ちょうど私の右手には重陽の節句(菊の節句)にとっておいた菊花酒がぷるぷる震えていたのですから。
こういうタイミングを、偶然と思わず神さまの必然と思うことにしている。
旧暦9月9日に祝う重陽句。今年は平日ゆえ忙しく何も出来ずじまいだった(残念)。それにしても菊花に之ほど種類があるとは。露伴の散文の中だけでも:
大笑い菊
ヒョロケ菊
モジャモジャ菊
バサケ菊
富士菊
戸隠菊
食べる菊は普通、「黄の千葉」又は「万葉の小菊」
薬用の菊では「ぬれ鷹」
どれも現代国語辞典に載らない菊のようで。
イタリアでは菊花をCrisantemo(クリザンテモ)と呼ぶ。野菊のようなものから、花弁の裏表色違いでくす玉のように鮮やかな大きなものまで様々な品種があるけれど、全てに”クリザンテモ”と同じ名前が付けられているのはいかがなものかな。細かいところまであまりこだわりが無いのはやはりこの国の特徴。
この時期にはイタリアでもシニョーラ(奥さん)が菊を買って買える姿がみられます。でも食用をみかけたことはまだありませんが。 |
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2007.9.16 [日] Maria Callas |
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今日はマリア・カラスが永眠してから30年目。
スカラ座で「CALLAS ASSOLUTA」がオマージュ上映
されると聞いたので出掛けた。その他にも隣接のスカラ
座美術館がこの日だけ特別に無料開放。カラスが身に付けた
ステージ衣装を展示している。スカラ座内部にある
「トスカニーニの間」では200点に及ぶ写真展も開催。
「カラス・アッソルータ」は、先日のヴェネツィア
映画祭で上演されたばかり。来年辺り世界を周るの
でないかと思う。
CALLAS ASSOLUTAは仏のPhilippe Kohly監督で
来年お正月に日本で公開される映画とは別のようですね。
写真:終盤に流れたスカラ座からカラスへのオマージュ
特別映像集。スクリーンも通常の映画館の2倍 |
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2007.8.16 [木] vacanze |
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満喫 |
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2007.7.7 [土] 七夕@Milano |
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毎年恒例?となりつつあるPIATTI店長のトランジットと
もう一組はイタリアつながりのかわいい弟分で
シチリアのレストランLa gazza ladraで修行中
未来のイタリアン・シェフKくんが
お母様(>若い!)とミラノを訪れた。
この後それぞれニースとシチリアへ旅立つ為
別々に時間を取るのが難しく
少し強引で珍しい顔合わせの合同ランチ。
「イタリアつながり」は幸福を呼ぶのか、会話も弾み
発泡性の白ワインはほどよく冷えて美味しかった
短くも楽しいある夏の午後。
モディカのレストランでクチーナ・クレアティーヴァを学ぶ
Kくんは、先日行ったというエオリア諸島
リパーリの≪マルバジア≫DOCパッシート(天日干)2005年
白ワインをプレゼントしてくれた。
前回はドンナ・フガータのパッシート≪ベン・リエ≫であったが、
地に足のついた彼のセレクションは嬉しい。
シチリアで物や人との出会いからどんどん吸収して欲しい。
いずれ彼が自分のレストランを持ったら
目新しさだとか珍しい食材を使ったお料理よりも
ズッキーニの輪切りが感動的に均等であるとか
そこに採れたての質のいいオリーブオイルが
必要な分量だけ絵画のようにまわしかけてあるとか
お米が濃いブロードをぎゅっと吸い込んで
最後にクレモーゾになったサフラン入りのリゾット
カルロ・クラーコのように最後は必ずテーブルに顔を出すとか
他の人に真似ができないものを磨いて欲しい。
なんといってもまだ若いあなたの前には
たっぷりと時間があるのだから。
Accrucio Craparoの後ろで働く若いクオーコ(コック)はKの模様。
写真で見ても黒いなあ、本当に(笑) |
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2007.6.30 [土] Buon compleanno |
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もう何十回目だろう
バースデー。
今年は土曜日だった。
偶然モンツアの王宮(Villa Reale di Monza)で
エンニオ・モリコーネのコンサートが行われた。
今年4月にジョルジオ-アルマーニの主催で
スカラ座でもコンサートが行われたが
ちょうどサローネの時期と重なってしまい行けなかった。
バースデーにモンツァの王宮でモリコーネが聴けるなんて
神様の贈り物としか思えなかったが、
とりあえず今回、このチケットを見つけたあなたはえらい!
ジャンフランコ・フェレが逝く。
ミラノ工科大で建築学を修めた彼はOBだった。
訃報を伝えるニュースでは"デザイナー"でなく
"アルキテット(建築家)"と呼ばれていたのが印象的。
ジャンフランコ・フェレ - 洋服をつくった建築家。
冥福を祈ります |
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2007.5.21 [月] マドリード |
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7日からマドリード市の都市計画局と
マドリード工科大学を訪れてきた。
いつもの会社の出張と違って今回は半分プライベート。
飛行機の小さな窓からはロンバルディアの風景が。
地表全体がしっとり水に濡れて銀色に光っていた。
そこで今稲作のシーズンなのを思い出す。
普段見ないミラノの別の顔。
イタリア北部に地震が少ないのも、豊富な水が地面の中で
クッションの役割を果たすからだという。
須賀さんが『ミラノ、霧の風景』ならば、私は
『ミラノ、水田の風景』でも一冊書こうか?
官庁入り口のガードマン。
スペイン屈指の闘牛場が� るマドリッドでは
省庁関係関係のガードマンは闘牛士のような
写真の帽子を被ってました。
素敵なデザインで、ぱちり一枚。
ローマのヴァチカンを護るスイス兵の制服は
ミケランジェロのデザインだし、
日本も制服デザインにぜひ凝ってほしいところ。 |
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2007.4.23 [月] ミラノの国際家具見本市 |
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4月恒例「ミラノ国際家具見本市」終了。
今年は当たり年でしたね。
たくさんのデザイン関係者に会えて、
お話できて、カクテルできて、作品が見れて嬉しかったです。
出会いが多いこともサローネの魅力ですね。
世界中の人と会える。今や国境のない環境だし。
ガエタ—ノ・ペッシェもアーティストという先入観とは
裏腹に素顔はとても優しい巨匠でした。
月に一回はイタリアに戻ってきているのだそうで
また電話するように言われた。
実は、こちらの作者ともミラノでお会いすることができました。
これが当日いろいろありましてねえ(笑)
友人はそれを聞いてお腹抱えて笑ってました。
今や私の周りでは伝説化。
* * * * *
写真:ミラノ在住デザイナーTomitaさんのFutton(Moroso社)
京都の伝統帯を2枚接ぎ合わせ製作したソファだそうで
ステッチをどこに取るかなど繊細なディテールや
日本とのやり取りなど困難を伴う作業だったそうです。
背後に小さな陶器のアクセサリーが。 |
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2007.3.17 [土] 『Kengo Kuma Selected Work 1994-2004』@コモ市 |
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本日のハイライト、建築家・隈研吾氏の巡回展『Kengo Kuma Selected Work 1994-2004』。点数こそ少なかったものの、丁寧につくられた展覧会でした。わざわざコモまで出掛けたかいあり。
昨年のミラノ・サローネでデザイナーの吉岡徳人さんにインタビューの最中、突然会場に現れた隈さんに私はノックアウトされた(殴られたのではありません)。
この日の本題:
隈 研吾「織部の茶室(2005年)」(写真)
第7回国際陶磁器展美濃の為に製作された茶室。茶室を「建築の実験室」と捉え、自由な造形を持ち込んだというそのフォルムは王蟲。素材は白濁半透明のポリカーボナイトの積層を現場で組立てたもの。にじり口も作られています。
イタリアの巡回展では、シラクーサ大学とアスコリ・ピチェーノ大学建築学部の学生さんが共働で、隈氏の図面を元にワークショップで茶室を組み立てたそうです。
その他にイタリアのIKEA(!)と共働でつくったという木材と竹を使った什器など、日本の伝統的な素材を前面にアピールしながら、イタリア人の施工の拙ささえ微笑ましく思えてしまう。日伊の掛け橋となった隈建築イタリアにおける存在感が育ってきているように思えました。
今年のサローネ(ミラノ国際家具見本市)にも出ますしね。 |
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2007.3.17 [土] お花見@コモ市 |
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桜がピークのイタリア。
週末土曜は、車に乗ってコモ湖へ。
「お昼はリストランテ」の野望があったが、湖に面した満開の桜を見て急遽計画を変更。ピッツァと生ハム、チーズ、白ワイン、ドルチェを買いこんで桜と戯れることになった。
この公園の桜は柳のように頭を垂れている。桜の向こう側で湖が銀色の光を照り返す。週末の幸せなひととき。それも太陽の下で。 |
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2007.2.19 [月] ミラノ春節(CAPODANNO CINESE) 6 |
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もうすぐイタリアでも始まる
カー二バルの仮装のよう。
中国風のタルト(お祝い?)配ってました。 |
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2007.2.19 [月] ミラノ春節(CAPODANNO CINESE) 5 |
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子供たちも一緒に行進。
旗袍(チーパオ・チャイナドレス)風が
なんとも愛らしい。 |
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2007.2.19 [月] ミラノ春節(CAPODANNO CINESE) 4 |
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太鼓、銅鑼、シンバル担当部隊。 |
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2007.2.19 [月] ミラノ春節(CAPODANNO CINESE) 3 |
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続いて爆竹音と共に
恒例の獅子舞が登場。
金・銀2体。
ちょっと安っぽい感はありましたが
まだこれからの中華街。
今後に期待しましょう。
獅子舞の先頭に賽銭箱のような
赤い箱を持った男性が、
パオロ・サルピ通りのお店に入っていき
「厄払・商売繁盛」とお布施を巻き上げていました。
(「金の豚」発見>中国の亥) |
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2007.2.19 [月] ミラノ春節(CAPODANNO CINESE) 2 |
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15時半からパレードが始まり。
先頭にはイタリアと中国の国旗が仲良く入場。 |
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2007.2.19 [月] ミラノ春節(CAPODANNO CINESE) 1 |
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18日春節。
ミラノの中華街でも新年を祝う
獅子舞がパオロ・サルピ通りを練り歩く。
パリやロンドンに比べ
移民暦の浅いミラノの中華街。
まだ規模も小さく、イタリア人も
中国の春節を知る人は少ない。
・・と思いきや、
イタリア人見物客も案外混じっていた。 |
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2007.1.9 [火] フーさんの本 |
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今年こそは真楽さんの日記を続けてみようと・・。
(>既に挫折経験アリ)
昨年クリスマスの直前
東京のしょうさんからイタリアに届けられた
フーさんのご本「京都きもの生活」
写真が綺麗で眺めるだけでも楽しくなる。
「きもの作りの現場」もよかった。
私の高校時代はバブル期で
修学旅行は海外も当然という風潮だった。
高校が修学旅行でブランドを競う、
そんな歪んだ時代でした>日本のバブル
我が高校はお堅い県立だった為か
海外は軽佻浮薄。かと言って京都奈良では
他の高校に勝てないということで
なぜか長野へ温泉スキー(!)なのでした。
(>もっと悪い選択)
京都は町名や番地でなく「上ル下ル、入ル」
と表記することをこの本で初めて知った。
イタリアにもフランスにも無い
京都独自のチャーミングな都市計画ですね。
こういうこと、もっと早く知りたかった。
今の職業を考えたら絶対に京都・奈良がよかった。
その時はよさがわからずとも
何かしら記憶に残ったはず。
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周囲の目が少し恥ずかしかったですが
ミラノのドゥオーモ大聖堂前にて
記念に一枚お撮りしました。
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そう、本が逆さなんです
周囲の視線を気にしてちゃちゃっと撮影
しようとした為か気がつかなかった |
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