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2008.11.28 [金] パードレ・ピオの雪 |
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雪。
昨年は年明けに一度降ったきりなので
今年は早く見れて嬉しい。
事務所アトリエの中庭にある紅葉の庭と
パードレ・ピオの噴水にもこの日は雪が。
この噴水の彫刻はデザイナー、アキッレ・カスティリオーニの父が
彫ったもので(私の記憶が確かならば)
ミラノ市内数箇所にレプリカがある。
うちのアトリエにあるのはミニチュア版だけれど、見た時は驚いた。
この噴水はミラネーゼの秘密だから。 |
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2008.11.15 [土] ”FAI DA TE(セルフサービス)” |
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早いものでもう11月。
クラウディオの事務所を後にし、新しいアトリエ系事務所に転職してからハードな日々。
朝の9時から夜の21時近くまで仕事する毎日なので、帰宅する頃にはスーパーは閉まっているし、イタリアにはコンビニエンス・ストアなる便利なものは無いし(21世紀の今でも)、冷蔵庫が空っぽな時は外食ばかりが続いてしまう。
新しい職場は、イタリア人同僚も“SIMPATICI(感じがよく)”かつ“DISPONIBILI(助け合える)”で、長時間一緒でも居心地は良い。
デスクお隣さんとなったピエロくんは、「強く・賢く・女性に優しい」ジェンティル・ウォーモというイタリア男の素晴らしい特質を備えており、(現代イタリアではこれも少なくなってます)、その上、ピエロくんはステレオタイプなイタリア人のようにお喋りではなかったので一安心。お喋りな男が苦手な私としては非常に有難い。
出社一日目の初めての仕事は自分のパソコンを組み立てることだった。新品を渡されたのは嬉しいけれど、組み立てからソフト、ドライバー類のインストール、社内LAN接続まで全て”FAI・DA・TE(セルフサービス)”。自宅のパソコンがデスクトップで正解だったわ・・と胸を撫で下ろす。
仕事自体は職場によってアトリエのフォーマットがあるので、それに慣れるのが先決。そしてこれから担当させてもらうプロジェクト、「シティ・ライフ」の図面を読み取り、それが社内LANのドコに格納されているのかハード・ドライブをスキャンするのに四苦八苦。このアトリエは忙しく、皆いちいち親切に説明してくれるなど期待できるはずもなく、「建築のプロとして雇われたんだから、自分で考えてね」と全ては”FAI・DA・TE”(苦笑)
アトリエはミラノの心臓部、ブレラ地区にあり、自宅のセンピオーネから歩いても30分くらい。自転車でも買おうかと考えている。
ブレラ通りやセンピオーネでもクリスマス用の街灯の飾りつけが始まり、段々と年末のせわしさと何処か人恋しくなる空気がミラノにも漂い始めている。
(※登場する人物名は全て仮名です) |
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2008.10.23 [木] Ultimo giorno di lavoro |
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Arrivederci!
クラウディオの事務所を退職し、新しい生活を始めることになった。
アルマーニ・ホテルの完成が最後まで見届けられなかった
のは残念だけど、新しいアトリエで私はもっと大きくなる。 |
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2008.9.20 [土] カルロ・スカルパのデザインした庭園 |
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こちらがその美術館。
Fondazione Querini Stampalia
学芸のIさんご夫婦からのご紹介(ご招待)でした。
元貴族のお屋敷を美術館に改装し
財団の建物として使用する他
建築や美術関連の企画展を行っている。
前述のスカルパが設計した庭園はもちろんのこと
当時の貴族のお屋敷をそのまま保存し
当時使われていた家具やヴェネツイアンレースがかかったダイニング、陶器など生ヴィオラの演奏にのせて
中世ヴェネツイアの私くしの屋敷へ、皆様ようこそ(>嘘) |
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2008.9.20 [土] 2008年秋・ヴェネツィアにて |
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2008年9月20日
この日は素敵な記念日となった。
3年前、メールを通じて本の企画をご依頼くださった学芸出版社の編集者Iさんと、ヴェネツィアで初めてリアルでお会いすることが出来た。やはり編集者であるご主人、そして可愛い長男のお坊ちゃまご家族3人でヴェネツィア国際建築展を訪れる為のイタリア入り。
ヴェネツィアほど待ち合わせ場所の設定に苦労する都市はない。
サンマルコ広場なんて年中祝祭騒ぎの状態なので迷ったあげく、カ・ドーロのバポレット乗り場でIさんを待つ。その時間の楽しみなこと!
この3年間メールとお電話を通じての感触から、優秀で動きに無駄が無くて、眼鏡をかけた短髪のちょっとコワイ感じの・・(笑)女性が現れるのかな?と想像していたら、(>後でこれを話したら怒られました)ぱっちりとした意思の強そうな黒い瞳が印象的なおかっぱヘアの(これはイメージ通りだった)キュートな女性であった。
カ・ドーロ近くのバカーリで海の幸盛りとチケッティ、ヴェネツィア恒例イカ墨のスパにボンゴレ。少し緊張気味の私は、余り食べられなかったけれど約2時間、本の進行状況や「必ず完成させたいですね!」と誓いを立て、それから彼女が留学していた英国の話、その後ご縁があって編集者としてのスタージュ(研修)をしたこと。
それから某デザインニュースサイトの主宰者であるO氏がIさんのご近所に引っ越されて今は家族ぐるみのお付き合いだという。(この業界というか世界の狭さに今更ながら驚き)
この後、サンマルコ広場でヴェネツィア建築展に一足先に行っていたご主人様とお坊ちゃまにご対面。ご挨拶をして、記念撮影をして、二人から「カルロ・スカルパのデザインした庭園がある」という素敵な美術館を教えてもらうばかりでなく、なんと入場チケットまでもらっちゃうというオマケ付き(えへへ) |
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2008.7.12 [土] KAYOちゃんバースデー@米蘭 |
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土曜日。3年前、南イタリアのバジリカータ州マテーラで知り会った年下のかよちゃんがヨーロッパ出張の帰りにミラノへ立ち寄ってくれた。
8日が誕生日だったという彼女。苺入りティラミスお誕生日バージョンをまた性懲りなくこしらえ、通常6人前はあろうかという量をその日二人で完食(笑)。「美味しい!アヤコさん、お店出せますよー」のおだてにすっかり気をよくしたか、パラシュートの素材でできたイタリア製の小さなポシェットをプレゼント。海外を周ることが多い彼女だからきっと活躍するだろう。
「地元の人が行くお店に行きたい!」というリクエストで、Taveggia、シシー、プリンチに次いでミラノで4番目に好きなフィオライオ・ビアンキ・カフェへ。経営者はシチリア出身のアヴォカート(弁護士さん)。店内はパリの花屋さん風ながら(フランス人ムッシュが働いているし)なぜか食事メニューはパスタ・アッラ・ノルマやクスクスなど南イタリアのお皿多し。ちなみにこの右横にあるパスティッチェリアの手作り風ケーキもブォーノな上に良心的なお値段。
シエスタのせいか私達以外に客はおらず、二人で貸し切り状態に。プロセッコで再びお祝いしながら、お喋りであっという間の2時間。3年前に出会った時はまだ二十代の元気で明るい女の子というイメージの強かった彼女が、三十代に入り今回一段と女っぽくなったように思えた。海外出張や責任ある仕事を任されるようになったこともあるだろうし、いろいろ悩みを抱えながらも信じていこうという強い意志が真っ直ぐな目に顕れていたこともあるのかな。かよもゆうこちゃんもしっかり者で、私はあまり心配していないのですが、二人に幸せになってほしい気持ちだけはかわりません。
最後に中央駅でお別れし、無事に送り出したのですけど、あのマルペンサ行きシャトル・バスの陽気なイタリア人運転手。ハイテンションで顔と耳がやけに赤かったが、あれが日焼けならいいけどまさかシャンパンなんか飲んでたんじゃないだろうなあ。。(笑)
その後、空港のかよちゃんから携帯メール。
”あやこしは既に自立した女性ながら抜けてるとこ、全てが好き!”
・・・一言、余計じゃ!!!
また次回、東京かミラノで会おうね! |
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2008.6.14 [土] ルコラの花 |
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しばらくご無沙汰していた間に
ルコラの花が咲いていた。
バジリコやセージの花は見たけれど
ルコラは初めて。
+ + + + + +
週末La Notte Biancaの夜
雨男くんがチキンのローストを準備してくれた。
オリーブと丁子、トマトでソースまでこしらえて
ご相伴したアフロくんは卵白泡立ててケーキ焼くし
今時の男達って驚くほどお料理するんですね。
(女の子がしなくなったから?)
ディナー後、なぜか昨年のananをプレゼントされる
特集は”わがままが言える女は特をする”
「アヤコさん、わがまま言ってください!!」
って詰め寄られた日には・・(黙
じゃあ言うけど、
明後日私の誕生日だからね >それも違う |
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2008.4.27 [日] デルフト・ブルー |
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今年ミラノの国際家具見本市で印象に残った
デルフト・ブルーと呼ばれる白磁に藍の繊細な模様を
施したオランダの伝統陶器。中国陶器や日本の伊万里焼
などの影響を受けて育ったので日本人の感性にも馴染み
やすいそうだ。デルフト・ブルーの藍色が今後どのような
作品を通して現代的に甦っていくのか楽しみ。
写真はオランダ人建築家ユルゲン・バイの花瓶。
スタジオ・ジョブのチューリップ一輪挿しの方が実際は
よい作品だったのですが写真に収めていなかった。
これらの作品はオランダRoyal Tichelaar Makkum社の製品で
ヘラ・ヨンゲリウスの湯呑など欲しくてうっとりしてしまいます。
(実際は色彩のあるデルフト焼もあります) |
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2008.3.31 [月] Gentile. Dott. Architetto |
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国家試験の出願が始まったので
イタリアの大学に卒業証明の写し一部お願いしたら
大きな赤の紙筒が送られてきた。
開けてみるとA2サイズ(!)の卒業証書。
こんな巨大な証明をお願いしたかなあぁぁぁぁ!?
また一からやり直し。
イタリアで送られてくる郵便物の宛名に、
「Gentile.Sig.ra.×××..」ではなく
Gentile.Dott.Architetto...と書かれる機会が多くなってきた。
現在はイタリアにも博士課程が整ってきたから
厳密には違うのだけれど、少しにんまり。 |
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2008.2.9 [土] 世界唯一の街から |
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二月のミラノは三度得する。
まずは中華街の春節(旧正月)
その次に来るのがカルネバーレ(謝肉祭)
最後にカルネバーレ・アンブロジアーノで締め括り。
通常のカーニバルは復活祭の七週間半前に
終わるのが決まりですが、ミラノだけは
伝統的にこの最終日が四日間延長されます。
四世紀にミラノの大司教アンブロージョが
黒死病の蔓延するミラノの城壁内に閉鎖された
住民の苦しみを癒す為に勅令を出し、カーニバル
終了後も四日間継続的に騒いでよいことになりました。
その習慣が現在も残ります。この四日間を
「カルネバーレ・アンブロジアーノ」と呼び、
最終日の土曜、市内は仮装した子供達で一杯です。
主役は子供達。誘拐したくなる程(>ダメです)可愛い。
カーニバルを二度楽しめる、世界唯一の街からお届しました。 |
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2008.1.4 [金] 瑞祥新春 - 初雪 |
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新年のミラノは初雪。
今朝はストラーダも真っ白です
既に初仕事を済ませ
新春慶びのBrindisi!
シャンパンがたくさん並びました
今年はイタリアで国家試験を受験予定
更なる飛躍を目指しまだまだやることはたくさんあります
今年もどうぞ宜しくお願いします |
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