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2008.7.31 [木] 年取った |
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ずいぶん永いこと封印していたゲームをもう一度やってみようかしらん…。
ふと思いついて手にとってみた。けど。
うーん、年取った…。
まず画面が極彩色てんこ盛りで目がチカチカしてくる。コントラスト強すぎ。
(オープニングデモしかずっと見てなかったんだよね…)
次に音楽が。とってもいいんだけど、情動が煽られがちで、なんと長時間聴いていられない。
(あれ?長いこと出来ないってイイこと、なのかな?)
才能がものすごいとんがってて、若い。
輪郭がくっきりしすぎてて高音が突出しすぎてて、「まろやかさ」とは対極にあるもの。
うわー……。
こんな刺激的なのやってたんだね。
半ば暴力的に、感情を「持って」いかれる。操られてしまう。掌の上で。
今はもう「そう」じゃないものが聴けるようになっているんだけど(嬉)。
感覚の共有、というか、そのひとが感じたものを、その表現で追体験できるというしあわせな錯覚が得られてる。
表現の最終目的って、実はほんとうに「それ」なのかも。
個人の体験をいろんな形に変えて、「誰か」がまるで自分のことのように追体験できること。
…それは、独りなのに独りじゃないってことで。
もしかしたら「共感」以上の、人間の持つ底力なのかもしれない。
その能力がすこしでも手に入るのならば、年取るのも案外悪くないような気がする。
「ハリー・ポッター」最終巻、見たい、ような気もするんだけど…。
文体がどうにも合わず、「アズカバンの囚人」以降、読むのを止めてしまいました。
(文体が合わない、というのは、私にとって「読まない」最大の理由になり得るのです)
子どものもののはずなのに上下セットで中身の確認が出来ないことも、文庫がなかなか出ないことも、売り方そのものに共感できなくなってしまって。
完結したからやっと書けるけどね。 |
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2008.7.30 [水] 食料自給率の戯言 |
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経済のことはよく分からないので、引き続きお勉強中です。
…が。
食料自給率のことは。
食肉生産のためにやたらと飼料を輸入していることとか、そのわりにゴミとして廃棄される食材が多いこととか、あんまり名の知れてない魚は獲れてもそもそもほとんど流通されてないこととか知るようになって。
こういうのの無駄を省くだけで、実はかなり改善されるんじゃないのかな、と思うようになったりしてます。
石油が高騰してるから、夜漁も極力避けたほうがいいよね、とか(実際そうなってきてるらしいし)。
ただ…、そういう「高騰」を受けて、いろんな意味での自衛は始まってる気がする。とくに地方は。
「地産地消」はその最たるものかもしれない、と思う反面、ある程度流通は確保しておかないと、都市部への食料が上手く流れてゆかなくなる惧れはないかな、と心配してます。
うーん、都市部、と言っても具体的には東京都しか知らないけど。
「東京」は、実は、電力も水も食料も、結構地方への依存率、高かったんじゃなかったかしらね。。。
ちゃんと流通することで農家が食べていけるシステムを維持することって結構大事じゃないかと個人的には思ってる、のね。
ようするに直営所ばかりが増えるのはどうか、ということなんだけど。
(農家にとっては直営所のほうが、市場に出荷するより実入りがいいかもしれない。形悪くても新鮮で安ければそれなりに売れるし)
でも、そんなふうにして、「プロ」の生産者が減少し流通が衰えてしまった場合、「冬」になったら皆食べ物困るんじゃないかと。
それだけは妙に気になってるんだけど。杞憂であることを祈る。 |
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2008.7.29 [火] 夏の夕方 |
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今日は日中は暑かったけど、夕方は風がとても涼やかです。
…過ごしやすい。
気の早いヒグラシの声が聞こえて、アブラゼミとの混声合唱。
まるで季節が一ヶ月くらい早送りされたみたいだな。
そうだ、昨日はとても夕焼けが綺麗でした。
電線が邪魔で、写真に撮るには適さないシチュエイションだったけど。
紅花から採ったピンクみたいな独特の夕焼け雲と、甕覗がかった水色の空とが何層にも交互に重なって、本当に綺麗だったの。
あんな空もあるんだなぁと思ったよ。 |
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2008.7.28 [月] 感想文 |
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……………。
そんなに好きなら、奪いに行けばいいのに…。
書き方悪いかな(そりゃ無理強いはダメだろうけど)。
でも、そんなに魅力的なひとなら、他の誰かも同じような熱視線を送ってるんじゃないのかな。
万が一そのひとに先を越されて。
泣いて諦められる程度の「好き」、なのかなぁ?
そっちのほうが、このひとはずっと後悔するんじゃないのかな、とか。
そんな気がした。 |
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2008.7.27 [日] ファイナルファンタジータクティクス |
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「忘れてない」ゲームシリーズ最終章(とかゆって。ただの思い出話)。
PS版「ファイナルファンタジータクティクス」。
…これも発売されてから11年経ってるね…。
(つか11年経ってるからやっと書ける、のかな)
個人的に、ドット絵の最高峰。
キャラクターデザインとも違和感がなく、ほんっとに可愛い!
ドット絵とは思えないくらい演技するし、すごく愛着があります。
音楽もいいです。サントラ持ってるし。
(ただ、味付けがちょい装飾過多かつ重厚すぎて、長時間の鑑賞には個人的にもたない)
ストーリーも重厚で安っぽくないし。結構シビアだよね。
ただ。何点か、何度も繰り返してプレイするのにはキツイものがあったなぁ…。
タクティクスの名のとおり「戦略」が中心になるのだけど、上級職を効率よくマスターしてゆかないと、そのうち攻略不可に陥る点とか。
「速攻」が全く加点にならない点とか(敵軍キャラを回復させつつ何時間も弄る「戦略」が最も自軍を「レベルアップ」させることができる、という設定は私には耐え難かった)。
対ラスボス戦より、中ボスであるはずの対ウィーグラフ三連戦のほうが何倍も大変!!とか…。
(しかも初戦で勝利してセーブしてしまうと、撤退してリトライすることが許されないの。私はコレで一度最初っからラムザを成長させなおす羽目になった)
…うーん、ゲームって楽しいんだけどね。
間違いなく楽しい部分も、あるんだけど。
きちんと「現実」と「ゲーム」とを割り切る自覚を持っていないひとがやった場合、人間としてもっとも守らなくてはならない部分が崩壊してしまう惧れがある、ということは…。
否定できないかもしれないと、今回書いてみて思った。
最近のゲームってほとんどやってないから、そっちのことは何とも言えないのだけど。
格闘ゲームとか、バイオハザード、たまごっちなんかも、やったことないし。 |
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2008.7.27 [日] 雷どかん! |
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ついさっきまでこちらでは雷雨でした。
台風と見紛うほどの暴風雨〜。ものすごいです。
雷には全く動じないヒトに育ってしまいました。
光ってから雷鳴があるまで「…7秒。まだ遠いね」とかがフツーなので、そういった「可愛さ」とは対極に居るかもしんない。
でもこの雷があるからこそ、ここらへんは渇水しないということでもあるので…。
あんまり怖がっても雷さまに申し訳ないかもね。
究極の打ち水効果。非常に涼しいです。 |
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2008.7.26 [土] 歴史改変 |
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は、もちろんやってはイケナイ。
しかし「過去をちょっといじること」はやってもイイのだ。
かの藤子・F・不二雄先生の「T・Pぼん」では、タイムパトロールそのものが、不慮の死を遂げた「歴史には影響ない一生を過ごした人々」の命を救う存在なのです。
(あーやっとこの着地点まで来たよ。まとまるまで長かったね)
「クロノ・トリガー」は間違いではなかった。
どんな未来を選択したか、もしくはしなかったか。
その数だけ「クロノ・クロス」が生まれるのだとしても。
クロノは誰かのささやかな「過去」を変え、星の命を救う「未来」を選択する。
マールはそんなクロノの命を救う「ただ一度」のチャンスを得るために、数々の試練を越える。
それは「間違い」では、ないんだ…。
私はたぶん、このことがずっとずっと、書きたかった。
あー長かった宿題がやっといっこ終わったよ。 |
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2008.7.25 [金] ついでの話 |
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勇者、とか救世主、とか。
個人的に独裁者とおんなじくらい、厭かもしれない…。
勇者も救世主も、タイヘン、だよね…。
「この世界を救えるのは、アナタだけ」
えっ、ナンデ? ほんとに「俺」じゃなきゃダメなの?
この世界が終わるかもしれないのに、どうして他のひとは何にもしないの??
しなくて、いいの?
ナンデ教会に寄付したら死んだひとが生き返るの?
ナンデ教会に寄付しても生き返らせられないひとがいるの?
引きこもって全然外に出てこないラスボスが絶対悪だって誰が決めたの?
この世に絶対悪なんて、ほんとに、居るの??
そして歴史上の「救国の英雄」「救世主」なんて、末路はみんな、ああ、なのに???
…私ってもしかしたら、「指輪物語」の世界観、全然受け付けていなかったのかな。
RPGは楽しいですよん。名作って、確かに在る。
でも同時に。
私はそんな疑問も育てて、だからあんまりゲームそのものをしなくなってしまったのかな…。
でも、もしかしたら。
今度こそ「そう」じゃないRPGが見られるかもしれないんだ。 |
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2008.7.25 [金] ドラゴンクエスト�X |
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懐かしいな。
SFCを貰って、生まれて初めてやったゲームがコレだった。
(ほぼ同時期にファイナルファンタジー�Y)
私はいちおうオトナになってからゲームを始めたんですよね…。
キャラがころっとして可愛くて。
オトコのひとの人生(しかも幼少時代から)なんて初めてだし、嫁は貰うわ子どもはできるわ…。
興味深かったよね。
(後輩くんに聞いたらやっぱりベストは「三部作」だったらしいけど)
出たばかりの頃は「やっぱり自分が勇者でないと」という意見が多かったように記憶してるけど…。
私はこの物話を覚えてた。
ひとが死ぬことの哀しさも、それがどうにも防げない自分の無力さも、“どーしよーもない”友人が成長してゆくのを見る喜びも、子どもの頃に出会う「未来の」自分の姿も(あ、そういえばここでもミスリードは無かったね)、自分が勇者でなくとも“世界を救う”選択も。
みんなこの物話には在った。 |
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2008.7.25 [金] うーん |
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蝉の声が、雨のように降ってくる。
視界は、緑。 |
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2008.7.23 [水] ポニョを、見たぞ |
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日比谷スカラ座に出没。久々の有楽町の空は、雲ひとつなく青かった。
見終わった後、感想が言葉になって出てこなくて困りました…。
宮崎駿監督からの、超弩級・直球勝負。どかん!!(たぶん)
ハウル見たときは相当ひねってあって、いろいろ謎解きに励んだりもしたけれどこれは。
ひとの手によって描かれたイマジネーションの極みを見よ!!(違うか)
この映画で何かを危惧したり心配したりしてるのは、ポニョの父のフジモトだけだったと思いました。
全幅の信頼とは、傍からはときに乱暴にさえ見える。
ほかの登場人物は、驚くことに、なにも、危惧していませんでした。
信頼だけが、そこにあった。
そして宮崎監督も、この映画で何かを「危惧」することを放棄したようにさえ見えました。
では、見たほうは受け止めましょう。よっしゃ。
映画の後は友人と食事。
美味しいものを食べ、どーしても言えなかったことを吐き出し、…スカッとしました。
(イライラしている自覚はあったよ…)
ありがとう、友人。
私はこのひとにいつもいつも、甘やかされています。
「大きな地震が来るのかも…」と思ったら、青森、でした。
大きな地震があるときは、なんだろう…初期微動が違うような気がします。 |
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2008.7.22 [火] ぴったんこカン・カン |
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面白かったんでちょっと反応してみました。
ロケ、結城だったんだー。 |
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2008.7.22 [火] 独断と偏見に満ちて |
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でも書いちゃう。
個人的にいちばんその存在理由が分からないのが「輪唱」なのです…。
今だったら独りで多重録音すればできちゃうのでは?
「二人」もしくは「複数」で音楽をする意味がこれほどなくなってしまう(異論・反論お待ちしております!)形態もなんかめずらしいね、という気がして仕方ないの。
たまにならいいのかもしれないけど。
和音とか副旋律とかが好きみたい。
それぞれに“違う”、独自の存在が、調和し補完し互いを引き立て合い、ひとつのものを創りあげる。
私が見たかった世界は、たぶん「そういう」ものだったんだろうな。 |
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2008.7.22 [火] 「坊ちゃん」 |
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なんか急に思い出した。
夏目漱石のアレですね。読書感想文で書いた、そんな記憶がある。
…名作だ、とは、実は全然思わなかった…。
漱石がこの物語で何を語りたいのか、頑張って読んだつもりだったのに、さっぱり分からなくて(「猫」もそうかな…)。
だって坊ちゃんは一体、何をしにあそこに行ったの??
あそこに行って、何をすることができたのか。
あれはただの「異邦人」の物語でしかなかったように、私には見えたんだろうな…。
きちんと同僚と交わることもなく、自分とは育った環境の異なる生徒たちと理解し合おうとすることもなく(教師なのに)、自分の価値観だけで全てが断じられ。
嵐のように周囲を振り回して、嵐のように東京に戻ってゆく。
残された人々は「アレは一体なんだったんだ」という思い以外のものを、心に残すことができたのか。そんな疑問が残っただけだったんです。読みが浅いね。
自分の価値観だけで意図的に誰かの人生を左右するとか、自分の価値観だけで誰かの人生を断じるとかいうことは、怖いなと思う。
(うーん、「断じる」と「感想を発信する」という概念をきちんと他者に区別できるように書けているかが問題、なのかな。私にはそれができてるかな)
ひとにはそのひとだけの過去がある。
そしてたぶん、その過去そのものが、「そのひと自身」を構成する礎になっているんだろうし。
私にできるのは「私だったらこうする」「私はこう思う」ということを書いて、選んでもらうことだけかも。
ただ…私がしたいのは、伴奏とか通奏低音なのかなぁと(楽器弾けないんだけど。「表現の」と解釈してもらえると嬉しい)、思ったりもする。
伴奏は、どんな歌も受容してそれに合わせて弾かないと成立しないから。
それで、私にしかできない音が出せて、あなたに是非やってほしいと請われるような通奏低音が奏でられたら、最高だと思う。 |
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2008.7.20 [日] 9:27 pm |
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あらためてここしばらくの文章を読み返してみたら…。
「うわ、重!!!」
つ、つぎはもうちょっとカルイのを書けると…いいなぁ…。
と言霊さんに期待。 |
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2008.7.19 [土] 時をかける少女 |
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去年のほとんど同じ時期にテレビ放映があったんだよね。
ビデオとかDVDに撮っておかなかったから、見るのはこれで二度目。
感想も変わったみたいだよ。
…どうしようもなく莫迦だなぁ…、真琴…。
なぜこんなにも、「これをやったら“どう”なるのか」ということに、思いが至らないのだろうね…。
まるで全能になったかのように、ぜんぶタイムリープで片付けようとして…。
ひとのこころも、運命も人生も、誰かが“なんとかできる”問題じゃないはずなのに…。
こーりゃ神さまが「そんなチカラは持っちゃいけません」って言うはずだ…。
そう思うくらい「過去をやり直すことは危険、なのです」って言われてる気がした。
あーほんと、真琴がそれに気がついてくれてよかった。
逆に言えば、「過去をやり直す」というのは、それくらい魅力的な誘惑、ということ、なんだろうね…。
私だって、もしどうしても変えたい過去があって、神さまだの天使だの悪魔だのから「一度だけそのチャンスをやってもよい」と言われたら、それに乗るかもしれない。
己の全てを賭けて。
まあ、それが「何度でも」可能、ということになったなら、真琴みたいに過去にばかり囚われて、明日に全く目がゆかなくなるのだろうね…。
だっていくら過去をやり直すことができたとしても、「なにが完璧な人生なのか」なんてきっと人間には分かりっこないんだろうとも思うから。
ただ、ちょっと思ったことがあって。
「自分の表現したもの」が、誰かの人生に影響を及ぼすとか、…下手したら人生狂わせる、とか。
その責任と怖ろしさとが分かっていたのかどうか、その自覚が果たして自分にあったのかどうか、誰かが私に問いかけ始めてる。
だからだったんだ、書けなくなってたのは。
へんだなー、この日記ってただの表現の「習作」だったはずなんだよ?
なのに。
「そんな大げさな」って思うひとも、もちろん居るんだろうなっていうのは考える。
「そこまでのチカラが自分にあるって思うほうが“チガウ”んじゃないの」と。
でも、どんなに稚拙でも(ううん、もしかしたら稚拙であればこそ)、「それ」に気がついていない表現は、ただの暴力と変わらないときが来るのではないかしら…?
そんなことを考えるようになってきています。 |
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2008.7.14 [月] FINAL |
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……すごいもの見た。
誰かの「本気」は、かならず他の誰かに伝わるとしんじています。
それは今も、ぜんぜん変わらないの。
手加減なし!容赦なし!の全力投球以外のなにものでもないと思った。
気持ちよかった。こういうの好きなんだもん。
発信者と受け手とのガチンコ勝負。
(挑まれると血が「沸く」という性分も我ながらどうかと思うが。特殊だよねかなり。よけるということ、いなすということを覚えないとね…)
個人的には朝倉さんと木村さんとが混ざってしまいそうで、まーヤバかった。。。
ここまで好みのタイプを目にするのは、虚構でも現実でも、初めての体験だったので。
私の「理想」は朝倉さんです! とか言って。
ふふ。「今は」、ね。
(「今は」ってとこがポイント・笑)
選挙出るときにはぜったい押しかけ応援しますから。
虚構と現実をごちゃまぜにして、それでも言う。
もしかしたら自分のいろんな人生を賭けて、こんなリスキーなことをやってくれたひとたち。
どうしてかな、なんかどうしてもお礼が言いたいな。
こんなドラマつくってくれてありがとうございました。お疲れさまでした。
そしてどうか、ゆっくりの休養を。
やーほんと、いつかぜったい、会いたいわ。…でもコンサートチケットって取れないんだろーな…。 |
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2008.7.11 [金] ゲド戦記 |
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まずは宮崎吾朗監督に、見るのが遅くなってごめんなさいと言わなくてはなりません。
この映画を読み解くことは、ひとのこころを暴くことでもある。
だから、不用意なことは、書いちゃダメ。
ただ、監督はこの映画をつくることによって語りたいひとと語り、抱きしめて欲しいひとに抱きしめてもらうことができたのではないかと、思っています。
そして今はもう、これとは異なる映画がつくれるようになっているのではないかとも、思っています。
世界は、変わる。たぶんもう、変わってきているから。 |
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2008.7.11 [金] たまにはワルクチみたいなものを |
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書きたいときもあるのよ。
ソクラテスも、ナザレのイエスも、ジャンヌ・ダルクも…終わりはおなじだったんだな、と。
アホだなーと思う。時の為政者たちは。
みすみす人類の財産みたいなひとたちを葬り去るような真似をして。
味方になってもらえばよかったのに。
テキトーに対価払ってその智慧を分けてもらえば。
後世に残る自らの名誉も不動のものになったのだろうにさ。
なんちて。 |
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2008.7.10 [木] 分からないことだらけ |
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私、経済弱いから…。
それぞれ利害の異なる国同士で、どうやったら共通の環境目標を掲げることができるのかなとか。
サブプライムで失敗して行き場を失ったマネーが食料や石油に流れ込むのを、どうやったら「国家」が防げるのかな、とか。
あんまりつっつくと逆ギレしかねない北朝鮮とどうやったら争いになることなく対話を進められるのかな、とか。
…分からないことだらけ…。
でもいっこ思ったことがある。
何が「無駄」かは、有権者に決めさせて欲しい、な。
「分かりません」と言うことは、私だって恥ずかしい。
でもソクラテスの「無知の知」は、面白い概念だなって思ってて、自分のものにしたいとも思ってる。
…誰が優れているとかそんなのはどうでもいいんだけど。
「自分には見えていないものがある」、その自覚があるかないかによって、ひとつの問いから導き出される解が全く異なってしまうときが、いつかきっとやって来る。
そんな気がして仕方ないんだもん。 |
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2008.7.9 [水] 残されなかった表現 |
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削除した文章は、果たして無かったことになるのか。
…ならんだろうなぁ。
何を書いたかは自分自身がいちばん覚えてるし。
見ててくれたひとなら尚更だろうし。
ここしばらく、個人史上最大級に動揺した。それは自覚があって。
今まで気づかなかった、というより気づこうとしてなかった部分に、とうとう直面したりとか。
ただその揺れは、人目につくかたちで「残しておく」べきものでは無さそうだ、とは思った…。
いつまで書き続けんのかな。とは、今も。 |
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2008.7.9 [水] とあるメインテーマの感想文 |
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これは、祝福された船出の音楽なのだな、と思いました。
おおきな船の、船出。
私は船の舳先に座って、海風を頬に受けてました。
かもめの声が聴こえて、髪をなびかせる風が心地よかった。
で、船体が一気にアップになって、船がゆっくり遠ざかっていきました。
その音楽から、私はこんな光景(イメージ…疑似体験?)を貰いました。 |
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2008.7.9 [水] 反省、とか |
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この場所で取り立てて「書く」ことがあんまりない、というのは…「イイこと」、なのかも知れないけど。
その分、よそさまに押しかけた部分もあり、それはそれでご迷惑だったろうから自重せねばならない(○○様ごめんなさい。メール攻めにしたのは私です)。
書くペースが「ノッて」くると、過剰になる部分も出てくるようで(つまりは修飾に走り出してる自覚が有る、ということだな)、素朴さがなくなればなんとやら…、ということでもあるのでしょう。
自分の中身が長周期で揺れたので、ざぼんと縁から溢れ出てしまってる…みたいです。
かぶったほうは、たまったもんじゃないだろう…とも思う。反省。
自分の中身を沈静化せねばならんなーと思いつつ、溜めとけば溜めたぶんだけあとで一気に流れ出すだろうから小出しにしといたほうが却っていいのかなとか。
勝手にぐるぐるしてます。
何かを得ることが出来たときには、たぶん何かを必ず喪ってもいるのだろうとも、最近はそんなことを考えています。 |
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