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2008.8.31 [日] 四国

これだけ雨が降っているのだから、一時は50%と聞いた四国のダムの状況も好転しているかも。
と思っていたがやはり甘かった。

かたや浸水、かたや渇水…。
日本の治水ってもしかしたら、とっくの昔に根本的に見直さなくてはならない時期に来ていたのに、後回しにされ続けてきたのではないかしら…?
「異常気象」で済ませてしまうには、もう「例年」過ぎる。

2008.8.31 [日] 秋の光

今日は白大島を愛でる。
秋仕様の白大島って、じつはこれ以外に見たことがない。
白大島って圧倒的にブルー系が多いし…。
これもセカンドハンドなんですが、クリームの地色といい、茶の葡萄の意匠といい、まさに秋に照準を合わせた非常に趣味性の高い品だ、とかんじます。
合わせる帯は、祖母のユーカラ織の八寸のみ。
時期そのものが短いので、小物でバリエーションを愉しんでいるうちに次の季節がやってくる。

手前味噌になりますが、これにぴったり合うお装履があり、帯揚げがあり、帯締めがある。
どれも同じところから購入したものではありません。
誰かに選んでもらったものでもありません。
美意識の選択の責任はすべて自分にあります。
でもその満足できる選択を自分自身で成し遂げることが出来たと思う、その喜びは何にも代え難く、これこそが逃れられない着物の魅力、魔力なのかと。

要するに、「やっとここまで来たよぉぉ」ということです(涙)。
明日から9月か〜。

2008.8.30 [土] 夜は雨

ここのところ、夜はほんとうに降ってばかりいるような気がする…。
帰宅がいつも夜遅い友人の状況が気がかりです。
「なんとか」してはいるのだろうとは思うけど。
私のほうが異様に、外出時って降られてないので…。
気、気をつけてねー。

2008.8.29 [金] 羽織を中心に世界は廻る

「美の壺」鑑賞。
(次回は「切手」ですか? あらー私の日記と連動しているようないないような)
…色気たっぷりすぎてお腹いっぱいです。。。
私はやっぱり「枯れてる」ほうがダンディズムを感じます〜。
(「枯れる」って、辞書を引くと、とってもいい意味合いがあるのです)
あ、そか。私たぶん、男のひとの「着物」は粋より伊達が好みなんだ。
そしてそう言えば、銀座こそは男のダンディズムの街ではないですか。影響受けてるかも〜。
(男のひとの着物にも、それぞれの土地柄の“好み”があるのかしら…?)

すばらしいニュアンスの結城を見る。なんか変わってきましたね!
結城もね、もしかしたらこの「枯れた」質感が、最大の特長なのかもしれなくて。
これこそが、手つむぎの糸ならではの、結城の特筆すべき“持ち味”なんじゃないかな。
なんとも言えず素敵だったんだけど、やっぱり「うちの子がいちばん!」です(←バカ)。
手持ちの帯や羽織との兼ね合いを考え抜いて選んだものなんだもん。

祖母が遺してくれた絞りの羽織が宝物。
こういうニュアンスのものは、もうほんとうに見かけなくなったし。
丈が短めの、すっきりな羽織です。
これを羽織って「合うかどうか」が、今の着物・小物選びの基準ですらあります。
いよいよ引き算、です。羽織は難易度が高いから。
一歩引いて、全体の調和を見極めるのが肝要。
そのためには、ひとつのパーツが突出して目立ってはならない。アクセントは必要だけど。
必然的に各部品は、それぞれの相性を鑑みつつも、上質且つシンプルにならざるを得ません。
やりすぎがいちばんダメ。
というのが、今まで失敗したなりに得た持論ですが。うーん、自分で自分のくび締めてるなー。

2008.8.29 [金] 昨夜は

こちらも大雨。雷がうるさくて寝つけないほどでした。

集中豪雨とか、アフガニスタンでの出来事とか。
かなしいニュースが多い。。。

2008.8.28 [木] とても綺麗な

切手を買いました♪
ふふふー、久々のヒットなのです。
…いや、私が気がつくくらいなので、じつは売り切れ続出。。。皆さんお目が高くていらっしゃる。。。
これ以上探し回るのが面倒で、通販を利用。

繊細で女性的なうつくしさ、だと思う…。ちょっと洋風、です。でも翠草堂の印章は使う(笑)。
クレインのレターセットなんか似合いそう。
これでまたお手紙を書こう。
手紙が、書きたい。

2008.8.28 [木] 着物その後

ちょぼちょぼと出したり仕舞ったり。
これらは要するに、私と祖母との合作なんですが。
祖母は喜んでくれているかな…?
それとも「こんな取り合わせはない!」とか「まだ早い!」とか、言いたいことがあったりするかな…。

衿は最近、白衿に戻ってきてます。
というか、ほんとうに「白衿」なんだけど、東雲だの縮緬だの鶉だの絹縮絽だの絹縮だのふくれ織だの、なんというバリエーションの豊富さだろう、と先人のコダワリに唖然としてしまう…。
「たかが」白衿、「されど」白衿…。
夏は絹縮絽がいちばん好きかも。絽縮緬の風合いが苦手だったので…。

着物年齢はこれからが本番、なのがこころづよいですね。
「腐る」のはいただけないけど、「枯れる」のは却って望ましいくらいですらある。
ダンヒルのお着物も素晴らしくて。確かに渋くて、なんかまた違うカッコよさだと思いました。
(でも高価いですねぇ…)
ああいうお着物にふさわしい女性の装いってどんなのかしらん、とか思いました。
紬は女性もかっこよく着るのが理想で、合わせる小物は専ら都内で調達しています。
やはり京風とはあきらかに異なる(どちらがよいとかいう意味では決してなく。土地柄の“好み”と思います)、趣き。

2008.8.27 [水] 

情報誌やら新聞やらを、いつものように、読む。

政治ネタは書くのが激減したなぁ。
でもそれは、私が思っているのと同じようなことが、ちゃんと新聞に書いてあるから。
取り立てて書く必要を感じない。
やるべきことも、その原因も、ちゃんと世論は見つめている。
あとは政治家が実行するだけなんだと思うけど。
政治家と官僚だけが、全然違うところを見ているような気がするなぁ。

とあるネット情報誌で、「競争」について、全く正反対の論調のコラムを読む。
同一の雑誌なのに、ここまで論旨に一貫性がない、というのにもびっくり。
これは民主的なのか無責任なのか…判断に迷うなぁ。


ブログ終了の衝撃は、我ながら驚くことにまだひきずっていて。
共感そのものではなく、シンパシーを感じていたんだろうな。
大変僭越ながら、「同病相哀れむ」ような。

…毎日書くことが目的でなくてもいいのに。
…私だって、「今日は書くのお休み!」とか、ほとんど毎日思っているのにぃ…。
(じゃあこの量は一体何なんだって?…そこが私の度し難いところなのですよ!もー!!)

ファンになるブログは大抵が、誰かを貶めることなく、でも「自分を貫いている」ブログ。
ある意味ではいつも、まったくと言っていいほど空気は読んでいない。
窃視、という訳でもなく(ひとさまのブログを読む、という行為には多かれ少なかれそういった側面があるのかもしれないとも読む立場になって思ったケド)、それらを見るのが好きだったのは、長い航海の途中にめぐり合った船同士が、信号で互いの航海の無事を祈り合うのにも似ているような気が、たぶんしていたから。
その航海から離脱されてしまったような気がして、私は勝手に淋しかったんだろう。
…しょぼん。

2008.8.26 [火] ずどん

とあるブログが終わってしまった。
…えー、なんだろう…、この、喪失感は…。
おかしいな、うまく、書け、ないな…。
どうして私は、こんなにショックを、受けて、いるの、かな…。

だって私は待っていた、のに。復活、してくれる、その、日を。

2008.8.26 [火] くだらぬ疑問

昔ね、「詩聖」と「詩仙」はどっちが上なんじゃ、という超くだらない疑問に頭を悩ませたことがあった。
(��1は杜甫らしいけど。今は違ったりする?)
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」は、じゃあ、物事が「過ぎる」のと「及ばない」のとは、どっちが悪いのか…?とか。
(どっちも同列、ってことだよね?)
なんという、教師に嫌われそうな生徒だったんだか。。。

今はですね、「達人」と「名人」はどっちが上かな?とか。
達人かなー、やっぱ。
日本語はほんとうにいろいろな表現があって、自分の気持ちを的確に表す言葉を探すこと自体に、すごくやり甲斐を感じるけれど、ときどき細分化が過ぎて混乱する。。。

2008.8.25 [月] 

スマスマ見てます。だって北島選手だしさ。おめでとう!!
女性ゴールドメダリスト連が呼ばれたがってるんだろうなぁ…とか思いつつ。
でもやっぱり4年間大変だったと思うので、こういうご褒美くらいあっても、ぜんぜん罰は当たらないでしょう!とか。

「なんも言えねぇ」といじられつつ(笑)、なんで喩えが“ズゴック”なんだろう!!
そこまでガンダム好きか!
反応する自分がちょっとイヤです。でもガンダムは別格だよね。

2008.8.25 [月] きもの取り合わせ

大島と結城を引っ張り出して、秋冬の取り合わせの確認なぞしております。
やたら気が早いのは承知しておりますが、つるりとした大島、ほっこりとした結城があると、秋から先の年内の紬には不自由しない気がして、とても安心感があるのです。これなら場所も選ばないし。
(小紋はもういろいろ決まってるのでいいのです)

とくに、帯揚げと帯締めは理想のものがようやく…ようやく!揃いつつあり、我ながら「うあ〜、素敵!!」と自画「絶賛」(汗)したくなる喜びは、ものすごいストレス解消になっております。。。
メーカーさんの意匠保護の観点を考えると、写真にアップするのが憂鬱だったのですが、これからはそれを「書く」だけでなく、実際に見てもらえる機会が増えるといいな、というのが密かな夢、です。
(これからは本腰を入れて、それが似合う自分も合わせて目指せたらいいなぁ、と思っております)
で、いろいろご指南いただこう。

年が明けたら紬は結城ばかりになるだろうし(大島はさすがにあの時期は着られない!)。
そうしたら今度は、肌寒いなりの春色の取り合わせを考える。
熱が上がってきています。実際に風邪を引いたみたい…。

2008.8.24 [日] フォトエッセイ

沈んだので(たまにはそういう日もある)、ふよふよと浮上。
「逆立ちしても私には描けない…!!」と打ちのめされる(や、よそさまの表現はそんなのばっか)、すんばらしい猫エッセイを読む。
「可愛い」(「愛」することが「可」、とか言って。コレ当て字らしいけど)どころではなく、「愛らしいッ」。
そうか、もうすでに愛なのか。

いやしかし、ペットは飼い主に似るというではないか。
この猫ちゃんたちがこんなにも愛くるしいのは(そうか、もう愛がくるしいのか、くるおしいのか)きっと飼い主さんが素敵なひとだからなのだろうな。
一生に一度くらいは猫と暮らしてみたい気もするが、まぁそれにはそれなりの覚悟が要るものなので、迂闊なことは出来ないと思いつつ、こころ奪われる私なのであった。
(文体がいつもと違うな)
トイプーも可愛いよね!

2008.8.24 [日] 

今日も寒い。

こんな天気なのに、合間を縫うように蝉が鳴いています。
ううん、こんな天気だから尚更、なのかもしれないな。
蝉にとってはたぶん、「鳴くこと」も生きた証なんだろうし。
「鳴けない蝉」は、可哀相、なんだろうか。


しゃべらない日は、未だにやっぱり、声がへん。
傷痕こそとても綺麗になったと言ってもらえるようになったけれど、引き攣れたような痛みにちかい違和感も決して消えた訳ではない。
でも、それは残念なことではあるけど、イコール不幸、という訳でもない。
ぽんこつなりに、今日も生き延びています。
同情を引きたい訳じゃないから、こういう気持ちは極力書かないようにしていたんだけれど。

「不幸」とは何なのか。
ふとそれを考えてしまうきっかけが在ったのは事実。
この世には「不幸なひと」が居るのではなく、誰かを不幸だと決め付けるひとと、自分を不幸だと決めてしまうひととが居るのではないのかと、ぼんやり思った。
不遇であったり不運であったりする環境は打破されるべきものなのかもしれないけど。
もしかしたら、この世のいちばんの「不幸」とは、不遇・不運そのものではなく、自分にすでに与えられた、そこに在る「幸福」に気づけないことなのかしら…?
そんなふうに思った。

2008.8.23 [土] 近況

とーてーもー涼しくて綿セーター着てます。
でもこの気温でちょっと嬉しいのは、「もしかしたらパンジーが夏を越したか?!!」ということ。
(さすがに全盛期と較べてみすぼらしくなりましたが、まだ花、咲いてるのよ)
パンジーは涼しいほうが元気なのよね。。基本的に、秋から春にかけてのイメージだし。
大抵は暑すぎて、夏を越せずに枯れちゃったりするんだけど。
喜ぶのまだ早いかなぁ。

2008.8.22 [金] 用の美

「和」のデザインは素敵だよね…。
私の眼には、「和」が今、世界でもっともモダンに見えているのです。
久々にディスプレイで見た、ホンモノの漆器は、息を呑むほどうつくしかった。
やっとプラスチックと漆との区別がつくようになったみたい。
やっとプラスチックと鼈甲との区別がつくようになったみたい。
そして確かにそこに在る、つくったひとの手のぬくもり。

以前はスカンジナビアのデザインに惹かれたりしまして。
あのシンプルなラインが、無駄を削ぎ落としたものに見えていたんだけど。
日本にもそれに通ずる「用の美」という概念は、とうの昔から在ったのでした。

でもなんか、「用の美」は、「シンプル・イズ・ベスト」とは違う気がする。
実用一辺倒って、もしかしたら日本人ってキライだったんじゃないのかなぁ。
「用の美」とは。
実用性+ウイット、ではなかったかと、今は思ってる。
あそびとか、洒落っ気とか、知性とか、呼び方は何でもいいんだけど。
とにかくそういうの。

展覧会などでは、贅を尽くした逸品がよく見られるけれど、昔の日本ってそんなに皆が裕福だった訳じゃないはずだよね。
だから江戸でもきちんとリサイクルしてたんだと思うけど、でも、なんていうのかな、それだけじゃない、モノをほんとうに大切にする気持ち、しかもその節約すら愉しんでいた余裕が感じられる。
つくった職人さんの思い、誰かから受け継いだ誇りとか慈しみとかも、こちらに伝わってくるようで。
だから私はそういうホンモノの作品に出会うと、何十年でも持っている(←オマエは幾つだ)。

2008.8.22 [金] 

【ソフトボール女子】
や、コレはどうしても書いとくべきではないかと。
傍からはムチャクチャに見えかねない、監督と上野さんとの信頼関係に脱帽です。
(フツーありえないよね?)
今年のオリンピックは、日本女子の活躍が特筆すべきものではないのか!という気すらする。

なんだか一気に涼しくなったので、体調管理にご留意くださいと言いたい気分。
風邪引いてもいいことないと思うので。私は肌掛け出して長袖着ましたよ。
どうかどうか、ご自愛くださいませ。

2008.8.21 [木] 型破り

「型」その後。

では、きちんと「型」を極めたら。どうなるのかという話。
「型」をきちんと己のものにしたら。“教科書通り”がどうにもつまらなくなってくるはず。
そのときかな、「型」を破りたくなってくるのは。
自分だけの表現を試したくなってくるのは。

一世代では辿りつけない極みが、この世には在る。
それはスポーツも、表現も、たぶん同じこと。
…基礎ってそれほどに、大事なことなんだと今は思いますよ。
「型」を習得するのに躍起になっている世代を「観る」、「観続ける」のが好き。
そして彼らがその「型」を踏襲しいつか破り、「型」を進化させる瞬間に立ち会えたらと願う。
それはヒトが進化する、その瞬間にこそ似ても見え。

2008.8.21 [木] クーラー要らず

日中は暑い日もあるけど、陽が落ちるともう秋ですねぇ…。
虫の声。
萩やススキや…秋草が恋しいな。

2008.8.20 [水] 「型」

友人に招待してもらって、サントリー美術館へ。
「小袖」見てきました。
総括。「うーん、いつの時代も女はお洒落が好きだよね…」(by友人)

教科書的な「着物」という印象より、「昔のお姫さまって実は結構、傾いてたんだね」という印象のほうが勝る。
それくらい、「保守的」とは映らなかった。かなりアバンギャルドな印象で。
そっかー、きちんと知識と教養と傳統とを極めると、こんなにも自由にあそべるようになるんですね。

着物に限らず和モノには、それぞれに完成された「型」があるものだけれど、それは逆に「それ以外」の縛りがないということでもある。
言い換えれば、「型」さえ守っていれば、ある意味では際限なく自由にあそぶことができた、ということでもあったのかと思う(…巧く表現できてる?)。
そういう意味では、現在のほうが空気を読むのがタイヘン、かも。
(あ、でもだからこそ私は、「型」を自分のものにしていないうちに「型」そのものを壊してしまっているひとをお見かけすると、「分かってない」っていう印象を、大変僭越ながら持ってしまう、のかな)
進取の気骨に溢れた女たちの、どこまでも貪欲な美の追求の一端を垣間見たような気がしました。
数々の奢侈禁止令もどこ吹く風。女って逞しい〜〜♪

以前からミッドタウンは、かなり和の傳統をリスペクト、且つインスパイアされた造りになっているなぁと感じていたんだけれど、今回ようやくまともに見た(遅い)ガレリアの品揃えには瞳孔開きました。
…なんか、やたら国産品多い、しかもホンモノばっか。
それが取り立てて「○○の○○です!」というブランドアピールをすることもなく、ごくフツーに、ただの雑貨みたいに(実際に「雑貨」ではあるんだろうけど、…でもぉ)売られていたのです。
スゴイ企画。

ホンモノなんだからお値段もよい。しかし決して「手の届かない」レベルではない。
品揃えの「目」に、よいものを確かに感じます。
まるで宝探しのように、逸品を是非探しに行ってください。

2008.8.19 [火] 郵政民営化見直し?

えー……? 冗談じゃなかったの。
財政的に黒字なのでは? で、社会的に運営上致命的なポカもないはずでは?
それをなぜ今更、見直し…。
あのー、もっとほかに労力を費やすべきとこがいくらでもあると思うのですが。
借金時計を見ると卒倒しそうになるよ…。

今までずっと黙って見てたけど、このままだと内閣改造は完全な失敗に終わりそう。
(我ながらヤな予想…。はずれて欲しいと切実に願っちゃう)
改革はどこへやら、票欲しさのあまり目先の利益にしがみついているという印象を受けるばかりで。
(「やる気だけは充分にあったのですが、なにぶん、与えられた時間が少なすぎました」とか言う気なのかしらね…)
バラマキ復活とかも聞くけど、その財源は一体どこから出てくるのかなー。かなー。
(なぜアナタがつぎの選挙に勝つためだけに、私たちが余計に税金を払わなければならないの)

このぶんだと次に一票を入れるべき政党は。

2008.8.18 [月] 大音響

うーん、ささくれだっていたなぁ…。
その気晴らしに懐かしのゲームをやっていて、無意識のうちに却って戦闘時の楽曲に気分を影響されてしまっていたかもしれない。
……私の修行不足に他ならないのですけどね。
(そのディスクは2枚目で予期せぬ傷がついた。これ以上やってはならないと神さまが言っているような気がした)
自分の獣の部分を制御しきれてなかった、というのは否定できないかもしれないんだ。
自分ではあきらかな変化があるとは思っていなくても、どうしてもいつもより攻撃的になっていた、というか。
ありゃー、気をつけねば。

…私に限らず、ひとには、破壊衝動があるのかな、それはどうしても避けられないのかな、と、思うときは、ある。
ならば、その破壊衝動を、ときには女である私には想像もできないかもしれないつよいその衝動を、公的に発散させる機会を持つことも必要なのかもしれないと思ったり。
(…それが祭りなのかもしれないと思うときもある)
私は、その衝動を、ある音楽を大音響で聴くことで発散させることができたけど。
でも。

あっ、そうだ。
前にですね、「芸術の神さまからとくべつに愛されたひと」について書いたことがあると思うんだけど。自分自身を捧げ尽くすようにして、それらを愛し愛されてしまったひとは、おんなじように異性を、伴侶を愛することができるものなのかな、と。
芸術以上にたいせつなものを、果たして持つことが可能なのか、と。

その答えを私は貰って、そして、納得すらしたような気がするの。
愛情は別なんだそうですよ、そのひとによればね。でも命は芸術に捧げるんだって!
(つまりいざというときにはシゴトをとるから、そのときは自分でなんとかして! でも愛はあります!、…ということ、らしい)
……なるほどぉー。了解しました。

2008.8.18 [月] 接続解除

つながることを働きかけるのを、もうどうにも諦めなくてはならないらしい存在がいます。
結局、私の声はそのひとには届かなかった。
ある意味では、こちらにもつながる「義務」があるひとでしたが、もう限界だな。
徒労、というか、努力してもお互い不幸なだけ、というか、いい加減に自分の身を守ることを考えなければ…。
こういうのは何度経験してもツライものがあるけどね。仕方ないよね。

私はひとに対しても、概して好き嫌いがかなりハッキリしていますが、欠点のあるひとが嫌い、という訳じゃないですよ。
傍から見てどんなヤなひとでも、自分の欠点に対して自覚を持っているんだとさえ分かれば、私は大抵、好きになります。偽悪的なひとって、決して嫌いじゃないし。
そういうひとって結局やさしいし、いずれ欠点が魅力になるしね。

その反対に、もぉぉ勘弁して欲しいのが。
自分の欠点に鈍感というか、その自覚のないひと、なのです。
こういうひとに限っていろいろ「振りかざす」からタチが悪い。いいとこが帳消しになります。
あ〜、ぜんぜん寛容になれないな〜〜。

そのひとの口汚さにじつはかなりダメージを受けているんだけど。
もうすぐ友人と会うから愚痴こぼしたくないのよね。
なんとか態勢を整えねば、なのだ。

2008.8.17 [日] 音楽

ささくれだった心を慰めてくれる、珠玉の音楽たちがあります。
長い時間をかけて、いろんなところから、ほんとうにやっと見つけ出したんだよ。

明るくて穏やかなどこまでも青い海の、漣の音がしてきそうな曲とか。
(これ聴いてると愉しくなります)
あらゆるひとに祝福された、しあわせな船出をイメージさせる曲とか。
夏の夜の、白い花の香りがしてきそうなセレナーデとか。
まるで双子の音楽みたいな、「目覚め」の曲とか。
とっても疲れたときに聴く、「休息」の曲とか。
乾いた赤い土と空とが見えてきそうな、孤独がテーマの曲すらも、「こんな思いをしたことがあるのは私だけじゃない。独りじゃない」と思えて、救いになる。

こういう書き方すると「そんなオーバーな」って言われそうなんだけど。
(○○○の風味を評してこんな表現するひと居るよね…)
でもそうなの。何度聴いても「そういう」テーマなの。
私の感受性が特殊、って訳ではないと思う。

2008.8.16 [土] 蝉の声

アブラゼミがよく鳴いております。
(あ、でもこの間、庭でこの夏初めてツクツクボウシが鳴きました)
で、今日初めて気がついたのですが、蝉の声にもかなり個体差があるぞ…!

とても綺麗なアブラゼミの声を聞いたのです。
アブラゼミの声に「綺麗」という形容ができる日が来るとは思ってもみなかった。
私には絶対音感がないので、アブラゼミの声を音階で表現することはムズカシイのですが。
なんかクヤシイ。。。

2008.8.16 [土] 江戸の、浴衣

「ぶらり途中下車の旅」で今日、あらためて見ました。
江戸の浴衣はほんっとうにカッコイイなぁ!

メトロなどでは今までも見かけることはありました。
「あ、今日は祭りなんだな」ってひとめで分かる印半纏姿。
江戸の印半纏もほんっとうにカッコイイよねぇ。。。
おじいちゃまがばっちり着こなしていると、惚れ惚れしちゃう。
粋だ。

「いきの構造」は未だよく理解できていません。
ただ、私が見て「…粋だなぁ!!(うっとり)」と絶賛したくなるあの姿は、男性特有のもの、だったのでした。
(女性がやると「姐さん」になってしまうのよね…。玄人さんぽさっていうのは、今はあまりアピールポイントにはならない気がする)

私が粋だと思うあの浴衣は、祭りのためのもの、なんだろうな。
色はね、シブい紺や茶で、基本的に地味なの。
で、白地とのコントラストと、空間が単調にならないためのアクセントとが、絶妙なバランスなの。
それはまるで、すっきりきっぱりはっきりさっぱり(笑)の江戸っ子気質を具象化したかのような、無駄なものを全て削ぎ落としたモノトーンの表現ならではの潔さとプライドと、ぽっちりの色気。
オトコも色気、ですかね。

…残念ながら、洗いざらしは似合わないんだろうなー。
いつでも新品。毎年潔く買い換える、みたいな。
ものすごくカッコイイので、ジャニーズの、とくに若手の皆さんにお薦めしたい気などする。
あ、でも印半纏はおじいちゃまがいちばん、似合うと思います。

2008.8.15 [金] 光る石

これは私の、ハズカシイ話です。
高校の頃、小論文を書いていたとき、センセイに言われたことがある。
「あのさ、自分が書いたこと全て正しいと思ってる…?」
当時の私の答えは。
「ハイ、思ってますが」
……当然のことながら、小論文は「それっきり」になった。
うーん、今なら違う返答ができる、と思うけどね…。

“なんでもかんでも自分の主張が全て、正しい”と思っていた訳なんかない。そこまで立派じゃない。
“自分自身が「これがより正しいのではないか」と思われる方向性・中身を確立したくて、がむしゃらにやっていた。やってしまった”というほうが、正解に近い、のかな。
少なくとも、これが正しいのではないかな、と信じられることでなければ、当時の私には小論文なんか書けなくて。
それを他者に区別できるように伝える、という技術が、そもそも決定的に不足していた、んだろうな。
(今もかな〜)
「私の一票はこれです」ではなく、「これに一票を投じるべきである」とか、「上から目線」で書いてもいたんだろう、きっと。

あの頃の私には、まだ自分の中に宝石がなにもなかった。
見つけたかったのです、まずは、ほかの誰がなんと言おうと譲れない自分の価値観を。
自分の中に“譲れないもの”があれば、ほかの誰かが大事にしている、そのひとだけの“譲れないもの”を私も大事にしてあげることができ、また私の“譲れないもの”もそのひとに大事にしてもらえるだろうと、思ってたんだけど。

ほかのひとは、チガウのかな。
なんかそこからして立ち位置が異なっているような気がして仕方ないな。
「負けてあげればいいのに」とも言われたことあるけど。
私の“宝石”を、「お前のそれは宝石などではない。だからこっちの石と交換してやろう。交換せねばならない」というひとが居続ける。
私はお互いの宝石を見せ合って、「これも凄いね」と褒め合って造詣を深めたかっただけなのに。
蹂躙される。

…“宝石”を見せること自体が暴力であったかもしれない。
「このひとに分かってもらいたいな」と、私が無茶な要求をしたのかも、しれない。

2008.8.15 [金] 思考の強要

久々に大喧嘩をする。
こういう「喉の訓練」はすべきじゃないと思うんだけどなぁ。。。
たぶんもうバレてると思うけど、私は誰かから特定の思考の強要をされるのが大っ嫌い、なのです。
「こう考えなくてはならない。そう考えないお前の論理は間違っている。もっとよく考えなさい。以上」
あ、もうダメ、書いてるだけで拒絶反応が…(笑)。
「自分としては、こういう意見なんだけど」という主張は、ほんとうに面白がって聴くのになぁ。。。

世の中にはいろんな考え方があるよね。
で、あるひとには「これが完璧!」って思えても、ほかの誰かが見たら「え? そんなのってアリ?」ってこと、じつはたくさんあると思う。
自分で思ってる以上に。

この世界にはいろんな思想や主張があって、私たちはそれに対する「一票」を常に持ち、投じているのかな、と思うときがある。
どれに一票を投じるかはそれぞれの判断、それぞれの自由だと私はたぶん思っていて(勿論自選もOK)、同時に他者が投じた一票に対しても「…ホントかな?」とか「うわー納得!」とか感じている気がするのね。
でもやっぱり誰がどれに一票を投じるか、っていうことに、事前に私が口出しするのはなんかチガウだろうともたぶん思ってて。
コントロールしたくないんだよね。「私ならこう思うけど」くらいは言うかもしれないけど。
ちゃんとそのひと自身の判断で「選んで」欲しいの。それを待ってるの。
その果てに私が望んだものとは違う結果が出ても。

だからね、
「お前が投じようとしているその一票は間違っている。ただしいのはこちらである。だからお前はこちらに投票しなくてはならない」という主張に出くわすと、激昂しちゃうのです。
そんなの私の勝手じゃ!! ぷんぷん。

なんかすごい屁理屈こねてる気もしないではないが、私が拘るのはそこなのです。
そんなにただしい“論理”“解”ならば、見事証明して私の心を納得させてみよ。
それができないのならば、そもそも私が粉骨砕身して得た(と私が勝手に思っている)私の“解”を、最後まで聴く耳も持たず「よく勉強したほうがいいよ」などと、口が裂けても言うな。

あ〜、こういうの書いちゃうから婚期がどんどんおくれるのよね〜。

2008.8.15 [金] 戦没者追悼式

武道館での戦没者追悼。
こういう形のほうが、個人的にはずっといいと思う。

忘れないこと、そして被害を受けたという痛みだけでなく、自分たちも誰かにとっては加害者であったという事実を、きちんと見据えられるように。
それこそが「戦争を知らない」世代の、役割なんじゃないかなと思うようになった。

2008.8.14 [木] 新作

北川さんの新作を見る機会を得る。
有名ですね、「楓」のモチーフ。
(しかし最高傑作はやはり「乱菊」であろう! …あ、「南天」も好き。あのブルーの効かせ色がよい)

型はかわらないけど、色使いはまた変化したみたい。
地色も漆黒や墨色、茶やグレイに紫…。ミルク色の地色を生かしたり。まさに千変万化。
描かれる楓も、青楓や赤一色だったり、または色彩の乱舞だったり。
今回のものは燃えるような赤ではなく、それでいて従来より色づいた雰囲気を追求しているみたい。
このシリーズの職人さんは、ほんとうにへたな画家よりも描く技術がしっかりしている。
いつも感心しちゃう。

とても凝っていて配色・ぼかしのバランスがよく、尚且つ力加減が偏っていない。
いろんな実験をして、さらにうつくしい、「季節をまとう喜び」を届けてくれようとしているんだろうね。
個人的には金彩要らないんだけどな。
着物を開くたびにパリパリいうから、剥がれないかな、と実はいつも冷や冷やしてます。
(そのぶんお値段下がらないかな〜…とか…)

…松岡姫の縮緬はどっしりとして、寒い時期に見るシボ感が秀逸なんだけど…。
袷に仕立てると、すんごい重い(摺り友禅は私は単衣にしません)。
反物の時点で直径がぜんぜんチガウんだよね。。
しかも寒い時期は道行着るから(私は小紋には道行)。
「やわらかものはもういいかな」と気が済んでしまったいちばんの理由は、もしかしたらこの、着たときの重さ、だったのかもしれない。

2008.8.13 [水] お盆だ

こっちはそうなのだ。

朝に、百合の葉にくっついてる蝉の抜け殻を発見しました。
昨日はなかったと思うんだけどな…。
まぁ田舎なので、庭にも蝉の抜け殻はごろごろしています。
大抵はちゃーんと木に登って、かなり高いところで羽化している。
が、これは。ちかくに登るべき木がなかったんだね…。

11時までには帰ってこようということで、速攻でお寺に行ってお墓参り。
11時までに、という理由は、要するに、アレです。
「メダルを獲って!!」とは、要求できない(そりゃ獲ってくれれば嬉しいけど。文句なく嬉しいよ!)。
ひたむきに頑張る姿そのものが、やっぱり素敵で心から応援したくなる。
それは自分のためなのかもしれないし、とても大切な誰かのため、なのかもしれない。
ただそのためだけに、全力で我侭にやって欲しいの(笑)。私はそれがいいと思うの。
泣いても笑っても、そのひとの人生の中でたぶん格別に輝き続ける一瞬だと思うから。
誰にでも得られる機会じゃないんだから、大事にして欲しいし、大事にしてあげたい。
振り回される必要、全然ないと思うんだ。

蝉さんも成虫になると残りの寿命はみじかくて。
飛ぶのにも難儀し始めるのか、家やベランダの壁にぶち当たってゴンゴン音がしてます。
網戸につかまって鳴かれるととんでもなく煩いのでそこはご勘弁願うけど、……儚いものだよね。

2008.8.12 [火] 失敗学

日航機の日だと思うので。。

今更ながらに事故の検証記録を読んで、こういった大きな事故というのは、「原因がたったひとつ」ではないんだなぁということを思う。
間違っても「それは運命で、避けられない事象であった」とは読まれたくないけれど。

「もしも」「もしも」「もしも」。
読んでいくうちに、何度もこの言葉が頭をよぎって。
「もしもこの不備が避けられていたら、この事故は起こらなかったかもしれない」と思われる悔やむべき失態が、いくつもいくつも重なっていた、ということなんだろうね。

忘れてはならないのだろうと思う。
そして、自分に課せられた役割をきちんと果たしてゆく、ただそれだけのことが、悲劇への運命の歯車を回転させないために私たちが出来る、たったひとつで最大の力なんだろうということも、心のどこかに置いておいたほうがいいんだろうな。
個人的にこの夏は、どうも死者と向き合う季節みたいだ。
オリンピックで君が代を聴きながら、というのも皮肉っぽいような気がするけど。
それも生と死のそれぞれが持つ一面、なのかな、と思ったりする。

2008.8.11 [月] 外出

「地獄変」を再読して、読後感がサイアク♪だったので外出。
(私のなかでいちばんの悪役は大殿。決定)
……ときめいた……ッ!!

稲穂が出てるよ!!!
頭を垂れるのにはまだまだなんだけど。
みどりの「ピン!」とした穂が出てきてる。
梨もそろそろ出荷の時期だし、梅雨時に花が咲いてすんごくクサかった栗も、実がついてる。
(もう10センチ以上ありそうなの!結構デカイ)

家の周りではまだまだアブラゼミが全盛なんだけど、林に行けば涼やかで少し淋しげなヒグラシの声。
田舎の晩夏の到来近し、です。
夕暮れがまたよい。気の早い秋の気配。

2008.8.10 [日] 双子の

↓で偉そうなことを書いたので、口直し、のつもり。
うーん、でもそれでも消そうという気にもならないところが我ながら度し難い。
…書いておきたかったんだろうな、たぶん。
「ほんとうに言いたいこと」はちゃんとどっかに出しておかないと、私の場合は凝る。
いつまでも残ってしまって、カラダによくないんだよね…。


まるで「男女の」双子のような作品を鑑賞中です。
作風違うのに。どこかがそっくり。
同工異曲というのでも、もちろんパクリ、というのでもない。
つくった二人の根底にあるものが、どうしても表出してしまっているかのような…。
…かなり面白い。

2008.8.10 [日] ネタバレ

「PLUTO」6巻読了。
うーん、この本に関しては結構こまめに感想を書いているんだよね…。
ゲジヒトの「退場」の巻でした。あ、でもゲジヒトはアトムの中で生きると思うけどね。
つぎはとうとう、エプシロンです。
一年かけてそのショックへの耐性を養っておこうっと。
ちょっと覚悟が要る。でも見届けねばならん。
小さい頃アニメで見たエプシロンが、私はとても好きでした。
その命が喪われる理不尽さが納得できなかった。
でも彼はやはりこの物語の中で、居なくなることが宿命付けられた存在だと思うので。

ロボットによる、人類存亡を賭けた代理戦争、…なのかしら。
それほどまでに、人類は、醜く愚かしく、存在価値の無い生物、なのだろうか。
そうじゃないと思うんだけどな。
ただ、「自分がされたら痛いこと」を他者にしなければよいのでは。
あとは、自分の欲望・観念のごり押しをちょっと抑えるとか。
…それだけでこの世界は、ずいぶんと生き易くなるのではないのかなと思うのに。


話が飛ぶのだけれど、
誰かが生きるか死ぬか、というときに、その姿を無表情で写メに撮る、という光景は、“当たり前”になってしまったのかしら。
それはかつて「地獄変」で描かれたり、ピューリッツァー賞を受賞しその後自殺したケビン・カーターの作品「ハゲワシと少女」で描かれたりした、「表現」を取るか「人道」を取るかという、表現をする者にのみ突きつけられる“究極の選択”であると、私は思っていたはず、なのに。

掲示板に「死ね」と書き込み、なのに自分が「死ね」「馬鹿」と言われる立場になった途端、自殺してしまうひとが居たりする。
その姿は私には、他者の痛みにあまりにも鈍感で、自分が受ける痛みに過敏すぎるように見えてしまって。
特殊な例だと信じたいのに、自分でそれが打ち消せない。

2008.8.9 [土] うろうろうろ

花火を見たり、オリンピックを見たり。
あちこちに移動するのに忙しい。。。

今日は気温は確かに高かったけど、風がよく吹いて。
今はとても涼しくて非常にありがたいです。

2008.8.9 [土] 

今日は、長崎。

2008.8.7 [木] …寝不足

こう暑いとやはり辛いなぁ。さらに今日はとっても湿度が高かった。
基本的に睡眠時間を長めに取らないと保たないのに加えて、この暑さで深く眠れていないみたい。
さすがに、ちょっとぐったりしています。。。
パソコンが熱くて長く触っていられません。ではでは。

2008.8.6 [水] 夏の結城

いや、着てみた訳ではありません。当然のことながら。
でもなんとなく、「今」見てみたら、どんな感想を持つのか、自分で興味があった。

ほっこりした質感の着物の代名詞、ともいうべき結城ですが、不思議と「暑苦しい!」とは感じませんでした(色にもよるのかもしれないけどね)。
かなりさっくり、乾いた質感、という印象。
紙っぽくも木綿っぽくも見えかねないのに、ほんのり密やかな艶感はやっぱり絹なんだよなぁ…。
この、湯通しした結城の乾いた質感(表現が適しているかな?)は、ほんとうに独特かもしれない。
(こういうレポートって意外に少ないような気がするので気が向いて書いてみた)

ついでに私の大島は、というと、つるつるやわらかでコシがあります。とろりとした感触。
皺になりにくさでは超一級、という気がしますが、機械織りである縞大島はまた質感が異なる印象があります。
縞大島のほうがぱりっとしてる…、と思う。
祖母の茶泥は意外に糸の節ムラなんかもあって。

著作権の問題がコワイんだけど、「檀流きものみち」で、「サラサラつくるひとは居ないと思う。のたうちまわるけど、苦労のあとが作品に出るのはもっといけない」というような記述があるのを思い出しました(←意図的に脚色してあります)。
…ものをつくる、という行為には。
どうしても、総てに通低するものがあるような気がしてしょうがないみたい。

2008.8.6 [水] 

忘れてはならない日だと思うので。

2008.8.5 [火] ド雨

日中は降らなかったんだけどな…。
朝も夜も、こちらは大雨。
うーん確かに昨日、「そろそろ降って!」とは思ったんだけど。
こんなに、とは…。

2008.8.5 [火] 岩牡蠣パーティー

夏なのに牡蠣です。私大好きなのです。
一年分、喰らいました。。。
生牡蠣はミルキーかつクリーミィ。とろとろ♪
焼き牡蠣はぷりぷり♪ 磯の香りが溢れております。
で、合わせる飲み物に、野望(笑)がありました。

今まで書いたことないと思うけど、それがミュスカデ。白ワインです。
フルーティだけど酸味がわりと強くて、ちょっと塩っぽい印象もある。
そのままだと「すっぱ!しょっぱ!…あんま飲みやすくない、かも」で終わってしまいがちでもある。
でもこれを、是が非でも今回合わせたかった。

和食に白ワインって、結構ムズカシイよね。
下手なカリフォルニアワインなんかだと、食材の生臭さがいっきに口の中に広がって、「わ、クサ!」なんていうことになりかねない。
でも、よーく冷えたミュスカデならなんともなかった。
すっきり爽やかで、よかったですよ。とても夏らしくてね。
同じ魚介でも、トロなんかとの脂身とは、また相性が異なるのだろうけど。

1000円しないワインだったけど、本当に愉しめました(ミュスカデは値段帯が概して低めなの・笑)。
こういう食材を選ぶワインこそ、個人的には合わせる側の腕の見せ処だ!と思っている節がある。
私にとってワインって、ほんとうに単体で飲むものではなくて、食事とのマリアージュが総て。
(だってそのほうが愉しいんだもん〜)

それから。
「脇」にあるものが、どうしても好きなの。たぶん。
「主役」がイイから「脇」が輝くのではないでしょ。
素晴らしい「脇」が支えるからこそ、「主役」の輝きが何倍にも増幅されるのだと、私はきっとそんな風に考えてるんだろうと思うんだ。

2008.8.4 [月] 熊野の話

思い返せば…の話になるのですが、6月のそれも梅雨のド真ん中に熊野へ行ってました。
でも、やはり雨は降らなかった…。

感想は。
「なんでこんなに緑なんだろう…」
や、そんなこと言われても熊野も困るんだろうけど。
でも熊野はほんとうに、緑、でした。
本宮も速玉も那智も、なんか苔むしてそこら中、緑。
(そういえば妙に紫陽花が多かったな。というか、花というと紫陽花しか印象に残っていないな…。あ、ホタルブクロが咲いていたっけ。白と紫の)

川下りもしたけど、水まで翡翠色(船頭さんがスペシャリストでした!)。
「死者の国」とも言われていたらしいけど、あっけらかんとした明るい山でした。
(古道はちょっとしか歩いてないから、ほんとの姿なんて決して分かっていないのだろうと思うけどね)川湯温泉で足湯に浸かってみたりとか。
(さすがに女性にあそこの露天は無理かも〜)

「熊野のいちばんの綺麗を見てって!!」と言われているような気がしました。
愉しかったよ。

2008.8.3 [日] ミステリ喰わず嫌い

「容疑者Xの献身」を愉しみに待っているのでした(もうバレてたでしょ?・笑)。
…しかし私はミステリをほとんど読んだことがない。
(友人はミステリ大好きなのに…)
ま、要するにアレです。「ミスリード」が嫌い、だから。証明終了。
「ミステリを読んでいる間は、騙されるのがシアワセ」という感想を某所で読んで、ぶっとびました。
そういう感覚、私持ってない…!!

さて。「そういう」人間が、果たして「容疑者Xの献身」を受容できるのでしょうか。
東野さんの小説に、「ほだされる」という言葉がでてくるときはあるのかな、とか。

2008.8.3 [日] 夏の昼

買ってもらったケーキを食べきる。

庭はだいぶ緑づいていますが…、なんと薔薇が(あかいのも黄色いのも)また花をつけている。
摘心されても花がやたら元気なのはサフィニアだけかと思っていたよ。。。

2008.8.2 [土] 育ちきった…か?

もー無理。すべき手立てはすべて施した…はず。
…なんか最後は意地だった、…かも。
でも見た。聴いた。
最高傑作。史上最高のプレゼント。

2008.8.2 [土] 

バースデーカードが届く。ありがたいことなり。

庭にて休憩中のカエルさんを激写(カエルきらいなひとはゴメンナサイ)。
でも私はこういうの、すごく可愛いと思うの…。
(じつは二匹いるのです。見つけた?)

パンジーがまだ花づいています。
根元からは次世代が生えてきました。
実をつけさせると株が弱るので、萎れた花や役目の終わった茎はこまめに摘除。
若芽を好んで食する毛虫なんかも居るので、それには謹んでご退場いただいて。
次世代を育てるのにもいろいろ腐心すべきことはあるのだなぁ…と、そんなことを考えています。


柴咲コウさんの「影」を、今更くるったように聴いています。
好きだけど…、物語に添うかのように、複雑骨折なメロディーライン、だと思う。
主人公くんにもいろいろ言いたいことがあって…。

自分が不倖になっても誰かを倖せにしたいなんてそんなのは間違っている。
あなたがそんなにもスキなそのひとは、あなたが不倖になっても自分が倖せならばそれでいい、そんなひとでなしなのかッ。
もしもそんなひとなのならば、尚更あなたが不倖になってまで倖せにしてあげる価値などないッ。
…詭弁ですな。
でも、こればっかりは変わらないの。いつでも、そんな結論にしか、私はゆきつかないのよ。

2008.8.1 [金] 

国民目線は首相が持っててくれればいいので…。
私だったら閣僚にはプロが居てほしいんだな、ということが分かりました。
とにかく、官僚寄りでない、官僚に言いくるめられない、官僚を論破できる実力のあるひと。
あと、私個人は渡辺さんと石破さんを結構評価してたんだなっていうのも認識できました。

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