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2016.2.28 [日] |
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お雛様を飾りました。
それほど高価なものではないはずですが、このお雛様は結構好きです。
女雛の顔がなんとなく、(特に若い頃の)母に似ているような気がするので。 |
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2016.2.27 [土] |
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今日は、今年初めて雲雀の声を聞きました。
穏やかな日。
いろんなことがよい方向へ向かうのかな…。
アメリカ大統領選で、誰が選出されるのか、それによってずいぶん変わってくるような気がする。
(某氏の主張は、かなり過激ですよね…。本気でなければいいのですが)
もしほんとうにISとの戦いが始まったら、安保関連法案が可決している現在ならば、支援要請が日本に来たとしてもぜんぜん不思議じゃないし…。
どうなるかな…。 |
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2016.2.26 [金] |
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かの国がISと全面戦争に突入し、ロシアと中国と北朝鮮(シリアもかな)が動いたら。
…この予想は、是非ともはずれて欲しいものなのですけど。 |
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2016.2.26 [金] 第三次世界大戦が勃発するなら勝手にすればと思う瞬間 |
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献血の依頼が来ました。
が。
ごめんなさい。
癌に一度でも罹患したことがある人間は、もう、一生、献血が出来ないのです。
たとえ今、健康診断で「要精検」が全く無くても。
「健康なひと」と、話が合わないなぁ、と思うのは、こんなときです。
(このひとは…、どうなんだろう。全然秘密にしていない、私が「癌患者」であること、あったことを全く気にとめていないのか…、それとも、そのこと自体を嘘であると思っているのか…、どっちなのかな。とても無自覚な、無神経なひとなのは、確かなのかな、と思いますけど)
さて、明日は気分転換に、どんな楽しみを拵えましょうか(^^)。
さて。
賢明なゲストの皆様にはもうお分かりかと思いますが。
近頃、わたくしに喧嘩を押し売りしてくる方々がいらっしゃいまして。
その対処法を、現在、考えているところでございます(^^)。
なんだろう、売られているものならば、率直に、「買えば」いいのかな。 |
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2016.2.25 [木] |
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今日は、雪の写真を撮ってみました。
庭の椿です(^^)。
可愛いお子さんのいるママさんに、うんと羨ましがられる、という事例が発生しました…。
……………。
うーん、人生結局は、いろいろないものねだり、なのかなぁ。 |
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2016.2.22 [月] |
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今日は、再就職助成金の記事を見ていました。
(なんだか空気を相変わらず読まない展開になってきましたが。お雛様出すのもどうだかなーとか。お雛様を仕舞いっぱなしにしないためだけで、あまり祈願するものもないのですが…)
「行き過ぎた雇用維持型から労働移動支援型への政策転換を図る」…。
私は、もうこれ以上の労働移動支援は不要だと思います。
もともと、雇用維持は、国民の生活安定のため、というよりは、次世代を担う「最高の子ども」が育つための環境として、扶養する親側の収入が安定していることは不可欠、として導入されたものだと思っているからです。
(これ、長崎で友人と話しているときにも感じていたんですよね。かつての日本の「スタンダード」は、私が個人的に、「よりよい子どもが育つためにはどういった環境が理想的なのか」を考え始めたとき、かなり符号が合うものだったので。そういう意味では、昭和の、「サザエさん」のような家庭スタイル、雇用のシステムは、かなり練られたものだという感想を持っています)
もちろんこの理論は、雇用者側からしたらかなりとんでもない部類に入る理屈だと思います(^^)。
(あとは自営の方とか)
政府は、かなり長いこと労働者の権利拡大のために動いてきたけれど、バブル崩壊の時期頃から、かなり一方的な雇用者側の利益のために、いろんな政策を敷いてきたように思います。
でもそれは、「陰」と「陽」のように、どっちかに偏りすぎてはダメなんです。
賃金労働者の四割が非正規雇用というのは、もう多すぎます。
で、少子化がものすごく問題になっているのに、未だに社会には、「シングルマザー」も、「ワーキングマザー」も、「子どもが可哀相」って言われてしまう土壌が残ってる。
専業主婦で、子どもは二人以上…。
そうでない家庭環境のひとは皆「可哀相」なのかな?
そうでないひとは、子どもを持つべきではないのかしら。
日本は、「専業主婦で子どもは二人以上」が実現できない世帯は、子どもを持つべきではないということにしたいのかなぁ、それではいつかほんとうに、日本は死ぬよね。
そんなふうに、今は思っています。
20年後、日本は「生きて」いるのかな…。 |
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2016.2.21 [日] |
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というか…、これからの若いひとはたいへんだろうな、と思います。
戦後の日本が目指したものって、男性は働いて、女性は子どもを二人以上産んで育てて、夫を支えて、老親の介護もこなして、持ち家(マンションでも可)を持って、その子どもは大学まで進学して…、というものだったのでしょうが…。
たぶんその日本が目指した基準とは、決して「普通」などではなく、「世界最高レベル」だったので。
「世界最高レベル」が、「普通」でなければならない国…。
ちょっとコワイですね。
「普通がいちばん」って言われて育ってきたけれど、今その「普通」は、ものすごく贅沢なものだった気がしています。
専業主婦とか、子ども二人以上、とか…。
私はそういったものから、だんだんフェードアウトして、少しずつ自由になっていっているけれど…。
戦後の日本が目指したものは、ほんとうに「世界最高」だったのだろうと思います。
今、「子どもが可哀相」と言われない環境(兄弟が居て、ママが常に家に居て、おじいちゃんおばあちゃんが同居しているとか含めて)は、「最高の子ども」が育つと思われる『型』だったのでしょうから。
終身雇用がこわれた頃からそれもこわれていって…。
「世界最高が、普通」を目指した国は、今は。 |
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2016.2.21 [日] |
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そして更に、「はてな匿名ダイアリー」の、
「保育園落ちた日本○ね!!!」と
「保育園の第一志望受かったけどやっぱり日本○ね」
のエントリーに呆然としています。
(かなり強烈な言葉が羅列されているので、引用なのですが、そのまま書きたくない…)
最初はテレビの報道番組で見て、ネットで検索してみたんですけど。
ここまで甚だしいのか。
というか、ここまで来ると、子どもを持つって、もうリスクにちかい、ですよね…。
ものすごくお金もかかるし。
(どうしよう、これを読んだら、子ども居なくてよかったという気分に、とうとう、なってしまった…)
へんだなぁ。
私の周りには、すっごく可愛い赤ちゃんのパパさんが居たり、お子さんと楽しく遊んでて風邪引いちゃったくらいのパパさんが居たり、「とうとう子宝に恵まれた!」喜びいっぱいのパパさんが居たり、毎日定時で帰宅して三人のお子さんをお風呂に入れてたりするパパさんが居たり…。
そういう、私よりももっともっと裕福で、いい暮らしをしていて…。
何もかもを手に入れたひとたちの、しあわせそうな話ばかりが聞こえてくるような状況だったのに。 |
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2016.2.21 [日] |
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そして更に、桜のティーウェアと桜の紅茶の取り合わせです(^^)。
LUPICIAでこの「サクラ・プレミアム」を見つけたとき、この組み合わせをやってみたくて仕方なくなってしまいました。
ダージリンはあまり飲まないのですが(濃く抽出しても渋みが出ないタイプのお茶が好きみたいです)、これは水色が綺麗ですね。
お花も桜で揃えた「桜尽くし」は、まだするかどうか分からないのですが…。 |
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2016.2.21 [日] |
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「白桃烏龍 極品」昼バージョンの写真です。
撮り直してみました。
なんとなく、撮った写真を記録するようになってから、こだわりたい部分も多くなって…。
時期的にやっぱり桃の花があったほうが、絵的には映えるよね、とかなんとか。
あとは単純に、「○○尽くし」が好きなんだろうと思います。
今回は「桃尽くし」。 |
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2016.2.20 [土] |
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今日はちょっと遠出をして、温泉施設へ行きました。
ほかほかのぬくぬくで、あたたまりました。
夜は焼肉とか食べて、その後、ワインも飲んだりして。
金曜日にとてもいやなことがあって、気を遣ってくれたのだろうと、後で気づきました。 |
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2016.2.18 [木] |
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アルビオンの限定ケースを買ってみました。
綺麗ですね(^^)。 |
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2016.2.17 [水] |
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桃のお茶が届きました。
LUPICIAの、「白桃烏龍 極品」です。
このお茶が気になったのは、やっぱり、桃の意匠のお茶器を持っていたからだと思います。
自分で買ったものではなく、父から貰ったものなのですけど。
(わりと昔から持っているもので、2012年1月15日にもこのお茶器の写真をアップしています)
とてもいい香り。
私が注文したときにはなかったはずですが(注文するのが早すぎたようです)、今はさらに素敵な限定デザイン缶入の「白桃烏龍 極品」が発売になっています(^^)。
台湾茶には(中国茶もかな)「お茶に酔う」という言葉があるとか。
いいお茶には、ひとを酔わせるちからがあるのですね(^^)。 |
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2016.2.14 [日] |
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今日は、なんだかフツーではない暖かさ、でしたね。
相変わらずのどの痛みが続いているのですが、ミストでのどを潤したくて、地元の温泉施設へ行ってみたり。
バレンタインも終わって、いよいよ、「桃色の」時期へ突入、…なのかな?
私も、桜と桃のお茶を手配したりしています(^^)。 |
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2016.2.13 [土] |
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「○の歌」の元ネタは、もしかしたらいつかここに書くことがあるかもしれません。
(「ヴァルキュリア」…、「ワルキューレ」の原語(古ノルド語)ですもんね。北欧神話だし…、セイレーンとか、ギリシャ神話も混じってるかもしれない)
でも…、才能のある魔法使いが、自分のちからを自覚せずに「創ってしまった」みたいな、禁忌の香りがしますね(^^)。
この曲を創った方は、ご自身にはぜったいにその自覚がないと思いますけど…。
この世界は、魔法や魔力や呪術に頼ることを「やめた」世界だと思いますけど、「禁術」って意外に、才能のあるひとがその自覚なしに「創ってしまった」果てにあるものもあるのかも。
話が変わって、今年は楽しくゲームの新作を待つことになりそうです。
「ドラゴンクエスト」の新作と、「ファイナルファンタジー�Z」のリメイクが進んでいる、ので…。
いろんなハードが発売されすぎたこともゲームから離れてしまっていた理由のひとつでしたが、こんなビッグタイトルが揃うとあっては、PS4を買ってもいい、かなぁ…、とかなんとか。
「ファイナルファンタジー�Z」のエアリスも、ファイナルファンタジー史上屈指の偉大なヒロインだと思うのですが…。
どうなんだろう。
生き返るイベントとか、追加されたりしないのかな。 |
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2016.2.11 [木] |
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今日はとてもいいお天気ですね(^^)。
お洗濯したり、お布団を干したり…。
バレンタイデーを先取りして、チョコでお茶にしてみました。
おなじ「Yellow Jonquils」では芸がないかな、と思っていろいろ組み合わせを考えてみたりしたのですが、なんだかやっぱり、どうしてもこれが今の気分にいちばんしっくりくるみたいです。
トリュフ美味♪ |
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2016.2.9 [火] |
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陰暦のお正月も過ぎて、本格的に新年がスタート。
(しつこいようですが)陰と、陽。
陽の極限は、恒星なのかなぁと。太陽とか。
その世界は灼熱。当然生き物が住めるはずもない。
陰の極限は、絶対零度の世界。
当然生き物が住めるはずもない。
その極端な宇宙の構造の中で、「水」が存在できる温度の世界。
蒸気でもなく、氷でもなく、液体の「水」が、「水」として存在できる温度の世界。
宇宙の中で、その奇跡的な「陰」と「陽」とが存在したからこそ、生命は生まれたのかなぁ、とか…。
「陽」って結構生命にとっては害が多いので。紫外線とか。
そのつよすぎる光から、地球の場合はオゾン層が生命を守っている。
人類の存続のためには、「陰」も大事。
地球の構造は、誰かが(創造主でさえも)「こういうふうにしよう」と思って「創れる」ものではないような気がするときすらあったりします。
あまりの奇跡的な偶然の重なりの果てに、「出来てしまった」モノ…。
そんな、驚くほどの奇跡的な偶然の重なりの上に生まれた人類なのに。
争ってばかり、というのも、なんとも皮肉な気がします。 |
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2016.2.7 [日] |
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体調はすこしずつ上向き加減なような気がしますが、今度は両親がどこからか風邪をもらってきてしまいました(!)。
どうなんだろ、同じタイプの風邪なのかな。
それとも……。
…………。
しーん。
ということで(?)、気分だけでも明るくしたいなぁ、と思って、お茶にしてみました。
(私の欲望ってうすいなぁ、と思います。こういうささやかなものでいいんです)
児童文学「クレヨン王国の十二か月」じゃないですけど、2月の色はやっぱり黄色、なのかな。
萌葱色と合わせると、ぱぁっと明るくなって、気分がとっても華やぐんです。 |
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2016.2.6 [土] |
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今週末ものんびりしています。
体調がなかなか本調子に戻らなくて…。
あたたかくして、栄養をしっかり摂って、休養して、体力を回復させなくては…。
風邪だけでなく、インフルエンザもすごく流行っているみたい。
日本人真面目だからなー。休まないのでしょ。
真面目はたぶん「陽」に属するのでしょうが、この場合は「陰」に属するお休みを取ったほうがよいのかもしれませんね。
頑張りすぎるとカラダこわしちゃうから。「陽」の破壊の側面ですよね。
「陰」と「陽」って、結構応用がきく感じ。 |
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2016.2.4 [木] |
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立春ですね。
私が陰と陽のことを考えるきっかけになったのは、やっぱり天使と悪魔のことで、疑問に思うことがあったからだと思います。
全知全能の神は、なぜ悪魔を許容している、のか…。
悪魔があってはならないものなのならば、神はほんとうに全知全能といえる、のか…?とか。
この問いは、昔から、結構命題的なものだったみたいですけど。
ただ、一神教の信者の方から見たら、「破壊」を司るシヴァ神の信仰は、かなり理解しがたいものがあったりするのかなぁ、と思うこともあります。
立ち位置がちがうだけなんだけど、その立ち位置こそがちがいすぎるので。
ただ、「異なる」と「誤っている」は決してイコールではないので、その点は混同しないようにしなくてはならないですよね。 |
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2016.2.3 [水] |
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今日は節分ですね。
相変わらず、豆まきはしないです。
ただ…、「陰」と「陽」とのことを考える機会が増えるにつれ、昔のひとにとって、「陰」とか「隠」とかいうもの(「おに」の語源は「隠(おぬ)」だそうです)が非常に畏怖すべき存在であったことは、間違いないのだろうな、という気がしています。
「陰」の定義のもっともよい側面とは「伝統」とか「維持」というものなんだろうと思うのですが、それが「停滞」し、「腐敗」を伴うものになると、疫病に直結するんですね。
昔は抗生剤とか、ましてやワクチンや手術などが存在したりしなかったのですから、病に対する手立てがなかったも同然で。
おそらく大きな病や怪我は死に直結するものであったから、だからこういう概念が発達したのかなぁ、と思ったりするんです。
「陰」の気は穢れの象徴とされていたこともあったのかもしれない。
(そしてそれゆえに、疫神をも祀って神とする疫神信仰が発生したりもしたのかなぁ、と…。怨霊を御霊として祀る御霊信仰(菅原道真公)とか、牛頭天王を祀る祇園信仰(京都の八坂神社)とかもそれと似たパターンですね。日本の歴史の中でも、「陰」の気はただ排除すればいいというものでもなかったのでしょう)
そして「陽」の気を象徴するのであろう創造と破壊のシヴァ神に対して、おそらく「陰」の気を象徴する世界維持のヴィシュヌ神が在る、という事実は、ちょっと(いやかなり)興味深いものがあります。 |
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2016.2.3 [水] |
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「マウンティング」って全然好きじゃありません。
だって私たちは猿ではなく人間なのだし。
「マウンティング」とは、人間の価値に対するものさしがひとつしか意識されていない状態のような気がして、いやなんです。
人間の価値はひとつじゃないから。
それぞれに長所があって、短所がある。得意分野もあれば、不得意分野もある。
その適材適所の中で、いちばんよいと思う道を探していく。
それぞれの長所に、互いに敬意を払う。
私が「うつくしい」と思うのは、そういう関係性なのだろうと思うようになったので。 |
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