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2011.3.25 [金] 寝耳に水といわれそうなお知らせ |
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ついさっきお店の方のブログにも書いたのですが、4月から新しい仕事を始めることになりました。
何かというと糸満市史の編集作業です。
3月上旬に糸満市の広報誌に募集記事が出ているのを見て「あー、これやりたい!」と突発的に思ったわけです。
条件的には「歴史学や民俗学を専攻した方あるいは市町村史編さん業務の経験がある方で、パソコン(ワード・エクセル・イラストレータ等)操作に精通していること」という感じ。
大学では真面目な学生じゃなかったけど日本の近代史やっていたし、市町村史じゃないけど編集経験はあるし、精通はしてないけどパソコン(しかもmacのみだけど)は使える……かなり虫食い的にではありますが、条件をクリアしていまして、ダメもとの応募が通ったようです。
kamekameの方も、経営的にというより体力的に続けていくのが難しいなあと思っていたところだったので、思い切ってやめることにいたしました。
とても楽しくやっていたし、それなりに回っているお店だったので、もったいないとは思うのですが、両立はムリですから。
波平が不動産屋になってから半年以上経ちますが、本当に生活時間帯も休みもぜんぜん合わなかったので、そういう意味でも少し夫婦らしい生活に戻れるかなと思います。
(あちらは早朝出て行って、私が家に戻る頃にはすでにぐーすか寝ているような具合でした。
お店で晩ご飯を食べる30分くらいしか会話ができない日々だったのですよ)
面接では「糸満の方言はわかりますか?」とか、
「ハブのいるようなところにも行かなければならないことがありますが、大丈夫ですか?」とか、
「むむむ〜」となるようなことを聞かれて冷や汗が出ましたが、
これから先、歴史学・民俗学にどっぷり浸かれる環境が与えられることに感謝!です。 |
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2011.3.23 [水] 3連休はちとのんびり |
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月曜日の祝日からお店が3連休だったのでちょっとリフレッシュできたような気がする。
昼間から大きなお風呂に行ったり、近くにできた中華料理のお店に行ったり、
壺屋に行ったり、沖展に行ったり、ずっと行きたかった台湾精進料理の店に行ったり。
このところ、もうぐったり疲れて休みの日には最低限の仕入れをするだけだったけど、
ちょっとお出かけもいいなあと思いました。
きれいなものをみたり、おいしいものを食べたりする時間はやっぱりないとダメだ。
さて、いろいろと迷うこともあるけれど、流されるだけ流されてみよう。
どういう状況になっても、目の前のことを一生懸命やればいいのだ。 |
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2011.3.12 [土] 気分的にふさいでしまいがちですよね |
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なにやら眠りの浅い朝。
いつもは絶対に起きない時間に目が覚めて、テレビをつけてみる。
悲惨だ……。
波平に「もう一回寝なさい」と言われて、彼の出勤を機にもう一度お布団へ。
ここからの方が深く眠れた気がする。
午後早い時間に弟から電話が入る。
浅草橋の会社を夕方に出て、乗り合わせたスタッフを送りながら帰ったようだが、
結局鶴見の自宅に帰り着いたのは朝4時を過ぎていたとのこと。
あれだけ揺れたんだから、うちの中はさぞかしぐちゃぐちゃだろと覚悟していたそうだが、意外と大丈夫だったとか。
あのマンションは設計者本人が社宅として使うことを想定してめっちゃ頑丈に作ったと聞いている。
波平が地震保険に入ったほうがいいかと迷っていたら、
「この建物が地震で壊れるレベルの地震なら、まわりは全部倒壊だから、保険屋がパンクしてお金は払われませんよ」
と言われたとか。
そんなことが吉とでたのだろうか?
葉山の叔母やいとこたちも無事だと連絡が取れたと。
いろいろホッとする。
今日はお店も開けてみたけれど、さすがにお客さんは少なかった。
そりゃー、楽しく外食する気分にはなれませんよね……。
帰ってきてからも、テレビではすごい映像が次々と流されている。
私には祈ることしかできないけれど、とりあえず力一杯祈ってみる。 |
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2011.3.11 [金] 避難しました |
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皆さん、大丈夫ですか?
こちらは津波もたいしたことなく、お店もさっさと締めて帰ってきたので、意外とのんびりした夜を過ごしています。
午後遅い時間になって、友人から「沖縄にも津波警報が出ている」という注意喚起のメールをもらってラジオをオンに。
その時点ではまだ「お店どうしようかな?」と思っていたのですが、
災害情報に敏感な常連のお客さんがわざわざお店を覗いてくれて、「私はこれから避難しますよ」と。
一足先にお店を閉めた3ピースカフェのななさんからも、
「もうまわりに誰も人がいなくなってるよ。こゆきさんも早く避難してください」と電話が入る。
結局、津波予報時刻直前にお店を閉めて、立ち寄ってくれたななさんと一緒に
私のうち(糸満市ではかなり高台&鉄筋の建物4階)に戻る。
スクーターで那覇市内に出勤していた波平も早上がりで帰ってきた。
うちでテレビを見て、改めて内地は大事になっていることを知る。
(やっぱりNHKとはいえ、ラジオでは伝わらないことが多いですね)
ななさんの東京のご家族も無事が確認できて一安心。
うちの弟とはなかなか連絡着かなかったけれど、遅くなってから「会社のスタッフと乗り合わせて自宅に向かっている」とメール。
ものすごい津波の映像を見ながら、とりあえずごはんを食べる。
この場にいられることの幸せよ……。
東京在住のiちゃんからもすごく久々に電話が入る。
なんでも、石川町に出かけていたところで地震にあって、近くの友人宅に身を寄せているらしい。
幸い、連れ合いのSちゃんも大丈夫だったよう。
痛ましい情報が続々と入ってきていますし、都心から歩いて帰らねばならない人も多いと思います。
とりあえず、皆さんのご無事をお祈りしています。 |
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