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2004年 5月 | 2月


2004.5.20 [木] 2:35 pm

雑談

着物着ていると「必ずお茶やってるの?」と聞かれる。やってません。茶道なんて面倒くさいよー。大島の長着に羽織+雪駄+煙草入れ。これでふすべの合切袋を持つのが王道です。「煙草はやっぱり薩摩だねえ〜」とか言いながらキセルをパンパン叩くと、もう池波正太郎の世界。でも面倒なので木綿の袷を作ってるところ。反物はいっぱいあるが、何から作らせたらいいか分からない。よって放置。昔ゼニアのシルクウールで作ってみようと思ったが、金もったいないのでやめた。シルクウールで作るなら、ミユキのが一番だと思う。裏地にはビロウドを買ってみたが、とりあえず置いてあるだけ。個人的にはごわごわの会津木綿で作るのが楽しそうだが、軟弱だからしない。アウトだな。

着物地には木綿がいい。最初から絹を選ぶと、金かかるし外出にも気を使うし大変だって。木綿はごわごわすると思うけど、川越唐桟とか館山唐桟などは薄くてシャリ感もあるから、お勧めだ。館山のほうが手は込んでて、そのぶんお高い。川越にも手織りはあるが、一反10万もするのでお勧めしない。機械折りで十分だろう。で、これに裏地をつけて袷にすると3万ぐらいか。夏はともかくも、3シーズン着られる。だいたい着物は高い、着にくいという伝説が広まるのは違うんじゃないかと思う。袷で3万、襦袢で1万、帯は適当なのを選んで、雪駄はそこそこいいのを買うと。これでいいんじゃないですか。そこまで行かないなら、古着屋で選べば十分いいのが見つかる。どうだろう。正絹で袷と襦袢をそろえて3万ぐらいじゃないかな。ハードユーザーになると、木綿でもあえてごわごわした会津を選ぶ。漢である。上杉家の名宰相、直江兼続(山城守・1555〜1623)は木綿を愛用したらしい。質素を旨としたというより、ある種の洒落っ気というか、「ウチでは木綿作れるんですよ」という自慢だろう。千利休もそうに違いない。直江山城は金嫌いの男で、伊達正宗に自慢された大判を扇子で受け取った、いう逸話が残っているぐらいだが、殖産興業にはかなり力を入れた。和装の歴史はかなり面白いけど、たぶん僕以外誰も興味持たないはずなのでこれ以上書かない(笑)

お武家ルックをやりたいならもっと簡単。木綿で長着を作って、はかまを履きます。ビロウドで縁取りをすると参勤交代ルックになる。ウチは貧乏武家だったので、一応決まりがあったようだ。「三河振り」をしのぶため例示しておきます。長着:黒木綿。黒以外あったのかもしれないが、けち臭い色しかなかったようだ。ちなみに徳川家康は「下着も浅黄色がいい」とか言ったらしい。汚れても使えるから、とのことだったようだ。もっとも、幕臣たちは「せめて褌は白がよし」と誰もいうことをきかなかったらしいけど…。少なくとも藍を着れるのは、江戸時代は金持ちだけだった。幕末になるとまた違ってくるんだけど。ときどき時代劇を見てるが、時代考証で合格点をつけられるのは日本テレビぐらいだろうか。あとはメチャクチャだよなあ。。

絹は殿中のみ。袴:参勤交代時は馬乗り袴、短く切ってすそにビロードをあしらう。袴が長いというのは正しくない。駆け足で歩くために、馬乗り袴ってのは短いのが正しいのだ。殿中では麻の長着に大紋烏帽子。どうでもいいが、幕末の桂小太郎は縮緬を着てたらしい。豪奢というかお洒落だよなあ。明治以降、わりに着こなしがラフになった気もするが、それは幕末志士とか彼らに付き合った芸妓のせいだろう。ちなみに僕の祖先は兵児帯は結ばなかったらしい。あれは薩摩のものだってことだったらしい。幕府側の薩長嫌いというのは徹底しているなあと密かに感心した。

なんだか雑談風で申し訳なし。

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