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2005.12.29 [木] ゼミに入れました

今日、ゼミの建物の前にいたら、偶然秘書のE先生が私を見て建物を開けてくれました。誰かに開けてもらえれば、休み中でも来れるようです。でもこれではいつも先生方の都合に合わせなくてはならず、不便です。別のゼミの博士の学生が建物の鍵を開けていたのを今日見ました。彼女は建物の鍵を持っているのか??それとも借りたのか?でも、鍵をなくしたら鍵の取替え費用5000ユーロ払わされるということだから、貸す人はいない気がしますが・・・休み明けに教授に建物の鍵をもらえる可能性はないのか聞いてみることにします。あんまり可能性なさそうですが、聞いてみるのにこしたことはないです。
建物の入り口の鍵は、ゼミの鍵と同じように見えたので、多分ゼミの鍵と兼用なのではと思います。ということは、費用の問題じゃなくて、博士の学生が信用できないから建物の鍵を大学側が渡さなかったんだと思います。信用されてないというのは、気分悪いです。

2005.12.23 [金] どうして?

ゼミの入り口の鍵はもらえたのですが、建物の鍵をもらえなかったため、休み中ゼミに来れるのは今日が最後でした(ゼミの入ってる建物は12月24日から1月1日まで閉まっているので)。でも、M助教授が19時ごろ帰るので、私も帰るようにと言いました。公式的には建物は今日も夜10時まで開いているから、私もそれまではいてもいいと警備員に聞いたのに・・・そう言い返しましたが、「でも私はゼミを今閉めたいのです」と言われ、しぶしぶ帰りました。クリスマスの前だし、何かあったらどうするんだと言われましたが、じゃあ何が起こるって言うんだと聞きたかったです。それじゃあ、ほかのときもほかの人がいなかったら私はゼミに残ってはいけないのか?建物の鍵をもらえなかった以上、せめて建物が開いてる時間ぐらいゼミにいさせてくれないと、ゼミと図書室の鍵をもらった意味がないです!
誰も建物の鍵をもらってないのかと思っていたら、M助教授は持っていました。大学に雇われている人(うちのゼミでは教授、助教授、秘書、助手の4人。非常勤講師は持っていない)は持っているようです。でも、助手のS先生に建物の鍵について聞いたとき、そうは言ってませんでした。私がSさんに「新しいゼミでは誰も週末に勉強できないんですね」と言ったら、「残念ながらそう」とSさんは答えましたが、それは違うじゃないですか!!それに別のときに鍵について聞いたとき、「残念ながら私たちはこの建物にある美術コレクションのために建物の鍵はもらえない」とSさんは答えましたが、それも違うじゃないですか!「私たち」じゃなくて「あなたたち」でしょう・・・どうしてちゃんと言ってくれなかったのか、なんか不信感がつのります。多分、自分たちは建物の鍵をもらえたと言ったら、私が文句言うと思ったから(もちろん不満たらたらです!)?それとも鍵を持ってるとわかったら、週末や休日に開けてくれと言われそうな気がして面倒だから?でも、どうせわかることなのに。まあ、面倒が起きそうな気がしたからしゃべらなかったっていうんでしょうが・・・ほかの建物では、学生も鍵をもらっているのに・・・先生方だけ鍵をもらえるっていうことは、あたかも私たち学生が美術品を盗むとでも大学側に思われてるような気がしていやな気分です。

2005.12.13 [火] クリスマスパーティ

今日はゼミでクリスマスパーティがありました。ゼミが引っ越して初めてです。建物の閉まる10時まででおしまいかと思いましたが、10時過ぎても残ってもOKでした。ただ、12時半ぐらいにはすでに終わりになってしまいました。以前は3時ぐらいだったのに。
日本食というと「Sushi」というイメージのある皆さんの期待に応え、今回は寿司を作ることにしました。でも、これがまた大変でした・・・4時間超かかりました。予行練習に日曜日にも寿司を作ったので、すっかり疲れてしまいました。作ったのは、太巻き2種(卵焼・かんぴょう・きゅうり、卵焼・かにかま・きゅうり)各4本と細巻き2種(きゅうり、かんぴょう)全部で5本です。それににぎり(卵焼、シーチキン、いくら)をつくりました。にぎりはどうみても美しくは作れなかったのですが・・・プロでないので勘弁してください。
40分ぐらい遅れて到着したので、残っちゃいそうと思ったのですが、今年のパーティにはまともに料理を作ってきた人がいなかったので(サラダぐらいで、あとは買ってきたサラダやピクルス、レバーチーズ、パンなど、ケーキを作った人はいました)、全部食べてもらえました。完食してもらえたのはうれしかったですが、ほかの人が手抜きのものばかり持ってきたので、なんだか自分だけあほくさ、という気になりました。次回からは手抜きでいいや・・・

2005.12.6 [火] 鍵もらえた!

ゼミの鍵、もらえました!よかった。でも、50ユーロ保証金払わされました。金曜日にさっそくもらったBさんは払わなくてもよかったそうです。
まだ博士の学生でも鍵をもらえてない人がいるので、どうやら早い者勝ちだったみたいです。というわけでちょっと後味が悪いです。
机は海外に半年滞在している学生のを借りることになりました。というわけで根本的に解決したわけじゃないのですが・・・先生方はたいした問題と思っているわけじゃないので、根本解決してくれるとは思いがたいです。部屋にもう少し机を置いてくれと頼んだのですが。ほかにも机をもらえてない人もいて、やっぱり後味悪いです。公平にしてほしい。

2005.12.2 [金] 鍵

今日、ようやくゼミの鍵が取り替えられたので、私も合鍵をもらえるかと思っていたのに、もらえませんでした。がっかり・・・・私はゼミの中に机をもらえなかったので、私の分の鍵はないそうです。同じ博士の学生でも、机をもらえた人の分はあるのに。同じ身分なのに机も鍵ももらえないってとてもがっかりです。

2005.11.23 [水] クリスマスマーケット

早くも今日からクリスマスマーケットが始まりました。去年初めてクリスマスマーケットを体験したのは、つい先日のような気がします。本当に時の経つのはおそろしいぐらい早い・・・

2005.11.17 [木] またとられた!

先月もとられたのですが、また今日卵とられました。今度はハムも。うちは台所共同なので、冷蔵庫も共同です。今夜チャーハンにしようと思ったのに、卵もハムもなしの、ねぎだけチャーハンに・・・しくしく。
疑いたくはないのですが、多分先月引っ越してきたJが犯人ではないかと思います。先月彼が引っ越してきた次の日に私の卵10個(パックごと!)なくなりました。それだけなら疑わないのですが、彼が私の卵の隣に置いていたでっかいコーンビーフの缶をどこかへ持っていった後に私の卵もなくなっていたのです。今までそういうことはなかったので、悪いけど彼を疑ってしまいます。本当に台所・シャワー・トイレつきの部屋に引っ越したくなりました。でも、まだしばらく我慢するしかないですが・・・

2005.10.12 [水] 秋の味覚

今日、栗おこわを作ってみました。とは言っても、インターネットで探した「炊飯器でも炊ける栗おこわ」というレシピを探して作ってみたのです。
http://allabout.co.jp/...
栗に砂糖をまぶして前夜に冷凍するのが栗がほくほくになるこつと書いてあったので、そのとおりにしましたが、最初はおいしいと思って食べましたが、ご飯まで甘くなってしまって、最後はちょっと気持ち悪くなりました。砂糖は半分か、なしで試してみてもいいかもしれません。あと、水を少なめにしたつもりでしたが、それでもご飯がやわらかかったので、今度はもっと水を減らそうと思いました。それと、お酒をレシピどおりに入れましたが、炊飯器を開けたときお酒のにおいが気になってしまいました。こんどは半分ぐらいにしてみようと思います。でも、栗の皮をむくのが大変だったので、もう当分作らないかも・・・

2005.10.2 [日] カレーライス

今日は、ほかの日本人留学生3人とカレーライスを作りました。私は今日作った福神漬けを持っていきました。インターネットで検索してレシピを探したのですが、われながら結構うまくいったと思います。残念なのは、レンコンが手に入らないことですが・・・Mさんが実家から送られてきたコシヒカリを持ってきてくれたので、お米がぴかぴかですごくおいしかったです。Milch Reisではこうもいきません。ぴかぴか光ったご飯はおいしいなあと本当にうれしかったです。カレーももちろんおいしくて、皆で作って食べるとおいしいです。今度は餃子を作ろうと言っています。

2005.9.26 [月] お城見学

今日はお城見学です。最初にねずみ城(Burg Maus)を見学しようと思ったら、ガーン、なんと月曜日は休みだというのです・・・しくしく。その近くのねこ城(Burg Katz)は、私有で見学不可だそうです。しかし、お城を持てる人って・・・すごいなあ。維持費だけで大変そうです。
お城の代わりに、ローレライの岩山へ行ってきました。歩くと大変そうなので、めったにないバスで行きました。でも、4人しか乗ってませんでした。頂上には観光客がたくさんいたので、皆自家用車か観光バスで来ているようでした。
その後、宿泊していた(今朝チェックアウト)ラインフェルス城(Schloss Rheinfels)の廃城部分を見学しました。だんなは15時20分の電車に乗らないと飛行機に間に合わないので、あわただしく見学し、電車の中で別れました。

2005.9.25 [日] ライン川

コブレンツからリューデスハイムまで、川沿いにあるお城を見ながら船に乗りました。眺めをじっくり見たかったので、外に座りましたが、まだ9月なのに寒かったです。やっぱり船には盛夏に乗るほうがよさそうです。

2005.9.24 [土] ウィーン出発

今日はウィーンを出発してドイツへ行く日です。朝8時30分にウィーンを出て17時30分にコブレンツへ着いたので、ほとんど移動だけで終わってしまいました。コブレンツのライン川の合流地点へ行ってみたのが唯一の観光でした。

2005.9.23 [金] またもシェーンブルン宮殿へ

おととい、シェーンブルン宮殿へ行ったとき、その名前の由来になった泉を見忘れました!ので、また行ってきました。その執念すごすぎる・・・とだんなに言われてしまいましたが・・・1時間で帰ってくるつもりが、結局ステファン寺院に着いたのが11時でした。地下墓見学ツアーに参加した後、寺院の塔に登ろうと思ったら、12時から13時まで昼休みで上れませんでした。でも後で考えてみたら、内陣に入り口のない南塔は登れたかも。
その後、皇帝の墓所になっているカプチーナ教会へ行ってきました。音楽協会の見学ツアーが13時半からなのに、すでに13時過ぎていたので、仕方なくハンバーガーを昼食に食べました。音楽協会は、火曜日にコンサートで行ってきましたが、小ホールのほうは見てなかったのです。こちらの見学ツアーは残念ながら日本語がありませんでした。でも、1時間10分も説明してくれました。
その後、クリムトが天井画を描いているブルク劇場の見学ツアーに行ってきました。ドイツ語と英語しかなかったのですが、ドイツ語のほうが人数が圧倒的に多かったので、英語のツアーに参加しました。
それからステファン寺院に戻って、北塔(エレベーター)と南塔(階段)に登りました。南塔は塔の頂上まで行けず(多分真ん中ぐらい?)、眺めも窓からで、がっかりでした。北塔は未完成に終わったので、低いのですが、外で眺めを見られるので、北塔のほうがよかったです。

2005.9.22 [木] ベルベデーレ宮殿

今日はオーストリア国立ギャラリーになっているベルベデーレ宮殿(上宮と下宮があります。写真は上宮)に行きました。目的は上宮に所蔵されているクリムトの絵です。本当は絵をゆっくり見たかったのに、オーストリアの戦中戦後の歴史の展示と絵がごちゃまぜに展示されていて、よくありませんでした。斬新のつもりなのかな?クリムトの絵もちょっとしかなかったので、次は多分行かないと思います。でも、クリムトの絵を見れたのは感動です。特にあの有名な「キス」という絵を見れたのは本当にうれしかったです。
その後、オペラ座に行ってガイドツアーで内部見学をしました。なんと日本語を話せるオーストリア人係員がいて、案内してくれました。
その後はラーメン屋でランチしましたが、ぎょうざを注文したのに忘れられました。結局食べれましたが・・・揚げ餃子でなくて、焼き餃子が食べれてうれしかったです(ドイツの日本食レストランで揚げ餃子がきたことがありましたので)。ゆっくりメニュー見て選びたかったのに、「本当は閉店だから」とせかされたのに、後から客を入れてました。こういう点は日本人の店でないから、日本人には違和感があると思います。
それからクリムトの「ベートーベンフリーズ」のある分離派会館へ行きました。でも、戦争で破壊されたので、内部は鉄筋コンクリートで、現代美術の展示に利用されていました。現代美術の展示は私には理解不能でした。ベートーベンフリーズを見れたので、満足ですが、次回はわざわざ行くまでもないなと思いました。
その後、国会図書館のPrunksaal(豪華な旧館)へ行きました(入場有料)。高い天井と天井画、背の高い本棚には圧巻でしたが、今は本来の役割を果たすことなく本棚で眠っている本のことを考えると、ちょっと複雑な気持ちでした。
それから木曜日は開館時間が長いので、クリムトやエゴン・シーレの絵を所蔵しているレオポルト博物館へ行きました。ここはゆっくり絵を見れて、ベルベデーレ宮殿よりはるかによかったです。絵がたくさんあったので、博物館を出たときは、閉館(21時)15分前でした。

2005.9.21 [水] シェーンブルン宮殿

今日は早起きして朝8時半の開館時間にはシェーンブルン宮殿に到着しているはずでしたが・・・食いしん坊の私はゆっくり朝食をとりすぎて結局10時ごろ到着しました。
宮殿内部はやはりというか、撮影禁止でした。庭が広大で、1日いてもあきない感じでした。結局17時までいたので、1日いたことになりますが。残念ながらオベリスクが修復中でした。あと、ローマ風廃墟では、地図では道が通っていたのに、実際はローマ風廃墟の門(?)は立ち入り禁止になっていて道はなくなっていました。
宮殿を出た後は、ベートーベンゆかりのハイリゲンシュタットへ行きました。ベートーベンが田園を作曲したというベートーベンの小道も行ってみましたが、住宅地の前を流れている小川の横の小道といった感じで、風流だという感じはまったくしませんでした。当時は風流な小道だったのかな?

2005.9.20 [火] ウィーン美術史博物館

今日はプラハの学会で知り合った美術史博物館にお勤めしているHさんを博物館に訪ねました。Hさんが編集した本は博物館の店で売っているという話だったのですが、なんといただいてしまいました。しかも博物館のカフェでお昼までごちそうになってしまいました。日本での特別展のカタログと日本酒をおみやげに持って行ったので、気を使ってくれたようで、かえって申し訳なかったと思います。持って行った日本酒は4合瓶で1500円ぐらいのなんですが、ウィーンの日本食レストランではほかの日本酒ですけど、4合40ユーロぐらい、いいちこなんて55ユーロ!!(何mlだったかは忘れましたが)もしていたので、すごく高いものだと思ったのかもしれません。
結局閉館まで一日中いましたが、絵を見る時間はあまりなく、1時間ぐらいで済ませてしまいました。
その後、どうしようか迷ったのですが、音楽協会のコンサートへ行ってきました。当日券を買ったら、ちょうどステージの真上で演奏している人はまったく見えませんでした。でも、クラシックファンのだんなは「すごく音がいい」と感激していました。

2005.9.19 [月] ウィーン1日目

今回は時間節約のため、ドイツから寝台電車で来ました。直前に予約したため、安い寝台車がとれず、個室寝台になりました。乗車券もあわせて2人で250ユーロぐらいだったかな。プラハに行ったときの簡易寝台とはえらい差で(料金もえらい差ですが・・・簡易寝台料金13ユーロプラス乗車券でした)、とてもきれいで快適でした。
朝10時ごろホテルに到着したので、チェックインはまだ無理かと思ったら、もうチェックインできました。インターネットも自分のパソコンで部屋でLAN接続でできました。うちにしてはこのホテルは高いと思ったけど、納得です。
その後、さっそくHofburg(王宮)に行ってきました。栄衛兵隊?かなにかセレモニー?をしていたので、皆写真を撮ってました(私も!)。新王宮にはパピルス博物館が入っているので、行ってきました。

2005.9.13 [火] パレルモ

今日は朝10過ぎに出発してパレルモへ向かいました。最初に博物館へ行きましたが、これまたHPにあった情報とは違って13時半から14時半まで昼休みで閉館するというのです!イタリアではこういう経験がもう3回目・・・本当にがっかりしました。おかげで1時間半だけであわててみる羽目になりました。
その後、有名なカタコンベ(地下墓)でミイラを見ました。中には、蝋人形のように保存状態のいいミイラもありましたが、ほとんどは骸骨と化していました。
そして18時20分にパレルモ空港へ着きました。びっくりしたのが、スーツケースを預けるとき、X線検査がなかったこと。カウンターに並んでそのまま預けました。手荷物検査も2回あるかと思ったら、入り口の1回だけで終わりでした。今回は初めて格安飛行機会社の飛行機で帰ることにしたのですが、スーツケース4kg重量オーバーで24ユーロとられました。今まで普通の飛行機会社でこの程度でお金をとられたことはなかったので、びっくりしました。もちろん機内サービスはなしで、飲み物は有料です。これは予測してましたが、格安にはそれなりの理由があるということですね。

2005.9.12 [月] サボテンの実

明日はドイツへ帰る日です。Gさんはまだシチリアにいますが、私はウィーンへの家族旅行が来週控えているので、飛行機で帰ることにしました。
チェファルーの町の背後には岩山がそびえているのですが、そこを上りました。岩山には要塞があったので、遺跡が点在していて、遺跡を見ながら眺めも楽しめてよかったですが、すごい急な道で、朝7時過ぎに上り始めて、下ったときには10時になっていました。写真は岩山から眺めたチェファルーの町です。
Gさんのおじさんがサボテンの実をいっぱい栽培(?一度植えたら、ほっときっぱなしでいっぱいなるような印象でしたがどうなんでしょう)しているので、サボテンの実をもらいに行きました。エジプトで数年前に何の実かわからず買って、手にとげが刺さった経験があったのですが、あれはサボテンの実だったんだと、今になってわかりました。
それから近くの山の公園でろばに乗れるというので、行ってみましたが、残念ながらろばは売り払われてしまったそうです。ろばに乗らず、自力でまた上まで登りましたが、正直言って今朝登った山のほうがいい眺めでした。
その後、またGさんの親戚の家に行きましたが、これまたなかなか帰らないし(結局2時間ぐらい)、おなかもすくし、イタリア語もわからないので、すごく退屈でした。私は明日帰るんだから、正直ここに長居するよりも、別のところを見に行きたかったです。言わなくてもわかってもらえるかと思ったけど、日本人じゃないとそうはいかないのかな。

2005.9.11 [日] またもシラクサへ

今日もまたシラクサへ行きました。本当は今日はパレルモへ行くつもりでいたのですが、昨日見れなかったパピルス博物館をどうしても見たくて行くことにしました。Gさんに車を出してもらうように頼むのは、申し訳ないし、昨日けんかしたので、電車で行こうと思ったら、朝一番早い電車で行ったとしても、12時55分に着くというのです・・・それでは着いたころにはまた博物館は閉まっています・・・厚顔を承知でGさんにガソリン代全部(60ユーロぐらい)出すので、シラクサまで行ってくれないかと頼みました。以外にも「あ、そうなの」という感じで「じゃあ行こう」と言われました。ますます昨日の大人気ない対応を反省しました・・・シラクサ行きを頼んだからというわけではないのですが、謝ったら「水に流そう」と言われました。タイミング的には頼んだからって感じになりそうで、自分がいやなヤツという感じだったのですが・・・
9時過ぎに出発、シラクサに11時半ごろ到着しました。まず、パピルス博物館を見学、その後考古学遺跡公園(ギリシアやローマ時代の劇場などの遺跡がある)を見学しました。が、Gさんは見たことがあるし、お金がもったいないから待っていると言いました。昨日もそうだったので、待たせているのは気にかかるし、申し訳ないし・・・で、あまりこころおきなく観光できません。昨日、早く帰ろうとしつこく言われたのも、仕方ないことですね。ほんと、大人げなかったです。
公園を出た後、昨日発見できなかったCiane川下りの船乗り場を探しました。いろいろな人に道を聞いて、うろうろ探して、最終的には親切なバイクに乗ったおじさんが先導して連れて行ってくれました。なんと昨日通り過ぎたところに看板もちゃんと立っていました。船下りは10ユーロでした。船頭のおじさんによれば、Ciane川は全長4kmですが、狭いので船で行けるのは2kmだけだそうです。パピルスの茂った支流がありましたが、そこはとても狭くて残念ながら船では行けませんでした。でも、川の両側には木が茂っていて、とてもいい雰囲気でした。船で行けるところまで行って、途中で船を降りてパピルスの茂っている様子を見てきました(写真)。そしてまた船に乗って元の船乗り場へ戻りました。昨日の20ユーロの船より、値段と内容はずっとこちらのほうがよかったです。

2005.9.10 [土] シラクサ

今日は市場が開かれるというので、シラクサへ出発する前に急いで行ってきました。朝7時には開いていると聞いたのですが、7時半ごろ着いたのに店の半分ぐらいはまだ開いてませんでした。シチリア島の市場はドイツのWochenmarktと結構違うのかと思ったら、ほとんど同じ感じでした。野菜、オリーブ、衣料品、靴など売る店がありました。
その後、9時にシラクサへ出発しました。シラクサはチェファルーより島の南側にあり、結構遠いです。内陸の沙漠を通っている高速道路を通って11時半ごろ到着しました。目的はパピルス博物館と考古学博物館です。考古学博物館はとても大きくて、2時間で見ましたが、ゆっくり見るには足りないぐらいでした。博物館の展示とは関係ないのですが、ここのトイレの便座は、イタリアの高速道路のサービスエリアと同様にありませんでした。ふたと便座がはずされて隅に置いてありました。どうして便座とっちゃうの?!サービスエリアだけだと思ったら、結構イタリアではあることのようです。
パピルス博物館は2時まで開館しているとHPで確認していたため、先に大きな考古学博物館を見学しました。これは間違った判断でした・・・(T_T)1時半ごろ考古学博物館を出て、すぐ隣のパピルス博物館へ行ったら、もう閉まっていたのです!どういうこと?!中にいたおばさんに聞いたら、とにかくもう閉まっているというだけでよくわかりませんでした。イタリア語で書かれていた小さな看板によれば、1時までに入場、2時閉館ってことらしいです。でも、小さい部屋が3つあるだけの博物館なので、普通の人なら30分もあれば見終わります。本当にそういう開館時間なら、HPにもちゃんと書いて欲しい!何のためのHPなのか・・・フィレンツェに続き、またもやイタリアでこういう体験で、がっかりしました。フィレンツェの体験があったので、Gさんに電話で昨日開館時間を確認してもらっていたのですが、Gさんはパピルス博物館も6時半まで開館だと聞いたというので、どうやら考古学博物館ととりちがえていたようです。イタリア語が話せないからと言って、他人任せにしていたつけがきました・・・英語でいいから、電話を自分でかけて確認すべきでした。
その後、海岸のがけに開いている洞窟(写真)を見る船に乗りました。私は最初乗らないと言ったのですが、Gさんがもう1回聞いてきたので、よっぽど乗りたいのだなと思い、乗ることにしました。最初の話では一人13ユーロで、折り返すときにあと7ユーロ出して来た方向と反対側の要塞のほうまで行ってみないかと言われました。私はいらないと思ったのに、Gさんは聞く耳持たずという感じで「いいよね?!」と強引にOKと言ってしまいました。Gさんは船に乗るのが好きだから、、と思ってまあ仕方ないかと思っていたら、後で聞いたら、ここでいらないというのはみっともないからだというのです。好きで納得して乗るならともかく、そんなことであと7ユーロ出すのはあほくさいです。断ったからと言って、相手はなんとも思わないだろうに。商売でやってれば、断る人もいれば、承諾する人もいる。そうGさんに言ったのですが、わかってもらえませんでした。価値観が違いますね。
その後、Ciane川に自生しているという、パピルスを探しに行きました。前に行ったことがあるというので、すぐにわかると思いましたが、えらく迷いました。Ciane川の船下りもあると聞いていたのですが、結局発見できませんでした。でもパピルスの自生地は発見できました。道に迷ったせいで、遅くなったからか、Gさんはしきりに「早く帰る」と叫ぶので、せっかくここまで来たのに気分的にゆったりできず、最悪の気分でした。あんまり何回もしつこく言うので、つい「船に乗らなければ、船に乗ったとしても、あそこで追加を承諾しなければ、こんなに遅くならなかったでしょ」と言ってしまいました。Gさんは私が承諾したと言い返してきましたが、私は最初断ったと言ったら、最後まで断ればよかったと言われました。でも、何回も聞かれたら、よっぽど乗りたいんだな、じゃあ協調するかと思うのが普通では?それともそれは日本人的なのか・・・せっかくシラクサまで来たのに、後味が悪くなってしまいました。

2005.9.9 [金] 海水浴

今日初めてシチリア島で海水浴しました。プライベートビーチでは、お金を払わないといけないのですが、それ以外の囲われていない砂浜ではお金を払う必要はありませんでした。ドイツでは、ほとんどがお金を払わないと砂浜に入れません。
今日は暑かったですが、最初に海水に足をつけたときはすごく冷たく感じました。

2005.9.8 [木] 食料買出し

今日は食料を買出しに出かけました。びっくりしたのが、スーパーが13時から16時まで閉店すること。夏は夜は22時ぐらいまで開店してるようですが・・・
食料は、ドイツよりだいぶ高いと感じました。野菜のコーナーでは、係りの人がいて、ビニール袋に入れてくれました。日本やドイツではセルフサービスですが、この分がイタリアの食料が高い原因なのかな??

2005.9.7 [水] シチリア島上陸

朝6時45分にサービスエリアを出発、10時ごろシチリア島行きの船に乗りました(写真)。乗っていたのは30分ぐらいでした。メッシーナに上陸、高速道路でさらに東へ1時間半ぐらいでチェファルーに到着しました。車の温度計によれば、31.5度で、ドイツとはえらい違いです。
メッシーナでは、信号待ちのときに物乞いや物売りがやってきて、びっくりしました。そういえば、ナポリの高速道路料金所でも物乞いを見ました。北イタリアでは見なかったので、北イタリアと南イタリアは結構風土が違うのかな。。。

2005.9.6 [火] ローマ

サービスエリアを出発したのは7時45分だったのですが、市の中心部に車を止めたときには9時になってました。中心部へ向かう車が多くて渋滞していたこともありますが、駐車場探しに難儀したからです。Gさんは警備員のいない駐車場には止めたくなかったのですが、警官に聞いたらそんな駐車場はない、みんな道や広場の駐車場だというので、とある広場に駐車しました。それも移動式売店の近くに駐車して、売店の人に注意していてくれと頼んでいました(あとでちょっとお金を払いました)。でも後でスペイン階段の近くに屋内駐車場が発見しました。
その後、バチカン博物館へ行きました。すごく広くて、ゆっくり見たら1日かかります。でも12時までにしました。その後、大聖堂も見たかったのですが、すごい行列で、残念ながら断念しました。ローマ観光を1日で済ませるというのは所詮無理な話ですよね。ローマでは現代の町の中にそこらじゅうに遺跡が散在していて、話には聞いていましたが、実際に見れて感動しました。今度来るときには、もっとじっくり見たいです。
その後、コロッセウムとフォロ・ロマーノへ行きました。バチカンからコロッセウムまで歩いたし、コロッセウムに入るまでにすごく待ったので、とても疲れました。その後、Gさんがスペイン階段に行きたいと言ったので、歩いていくか、車を移動させるか迷ったのですが、結局車を移動させました。でも、また道に迷って、スペイン階段をなかなか発見できず、あきらめかけていたのですが、発見できました。近くにも駐車できて、念願のスペイン階段を見たら・・・ちょっとがっかりしました。観光客が鈴なりで、その背後を車が通っていきますので、落ち着けませんでした。ドイツならこういう場所なら車両通行禁止なのに・・・
イタリア人(と言ってもドイツ生まれドイツ育ちドイツ在住)のGさんがいるから大丈夫とあてにしていたのですが、結構道に迷ったり、地下鉄もわからなくて歩きどおしだったりして、他人をあてにしたのは失敗でした。Gさんはローマに来るのは初めてで、地図もろくなのを持ってませんでした。私も用意すべきでしたと本当に後悔しました。Gさんは道に迷うたびにそのへんの人に聞いてましたが、本当にわかっているようではありませんでした。そのへんは、Gさんのイタリア語力の問題なのか(普段は両親とのみイタリア語で会話、兄弟とはドイツ語で会話)、道を教えてくれる人が実は道を知らないのか、わかりませんが。ガイドブックって、時間と労力の節約のためには、必需品ですね。ツーリストインフォメーションに行こうと思っても、インフォメーションの場所がわかりませんでした(!)。
17時20分に駐車場から出て高速道路へ入りました。ポンペイのすぐそばを通っていたそうですが(暗くて何も見えなかった)、寄れなくて残念!でもこれ以上は車中泊はできません。日付が変わって1時にサービスエリアで就寝しました。

2005.9.5 [月] フィレンツェ

朝8時にフィレンツェ・サービスエリアを出発、9時過ぎに目的の博物館に着きました。が!なんと午後2時から開館だというのです。HPでは9時開館となっていたと言ったら、それは8月までだというのです。だったら、ちゃんとそういうふうにHPに書いてくれればいいのに!本当はフィレンツェは午前だけにして、ローマへ出発する予定でした。で、車を運転するGさんは「どうするの?あなたの意思で決めていいよ」と聞いてきました。正直言えば、ここまで来て見ないのはくやしいから、午後まで待ちたいですが、そう言ったら、Gさんは不機嫌になりました。それで申し訳ないと思って迷いましたが、ますますGさんは不機嫌になり・・・でも結局フィレンツェに午後までいることになりました。
最初に大聖堂へ行って、その後有名なベッキオ橋(写真)に行きました。ベッキオ橋は、観光客でごったがえしてました。昼食後、目的の博物館へ行き、16時半までいました。駐車代が20ユーロもかかり、びっくりしましたが、Gさんは車が心配なので多少高くても係員のいる駐車場に止めたいそうです。それは納得。
車中泊3日めになるので、さすがにシャワーを浴びたくなりました。こんなとき、日本みたいに銭湯や温泉があるといいのですが、そんなものはイタリアには(ってヨーロッパには、ですかね)ありません。でも、トラック運転手が利用できるシャワールームが高速道路のサービスエリアにドイツではあると聞いたことがあるので、イタリアでもあるのではと思ったら、ありました!本当はトラック運転手用でしたが、店の人に聞いたらOKだったので、シャワーを浴びました。気持ちよかった!23時少し前にローマサービスエリアに到着、就寝しました。

2005.9.4 [日] ミラノとピサ

朝6時10分にサービスエリアを出発しました。車の中で初めて1晩寝ましたが、ぜんぜんよく眠れませんでした。足を伸ばして横になって寝ないとよく眠れないことがよくわかりました。
朝8時ごろドイツ、オーストリア、スイスの国境にあるボーデン湖に着きました。9時ごろ、スイスの国境コントロールを受けて(スイスはEUじゃないからですね)、12時ごろイタリアに入りました。車の温度計を見たら、外は26.9度だそうです。正確かどうかはわかりませんが、確実にドイツより暖かい気がします。ドイツはすでに8月後半から秋の気候でした。イタリアでは、高速道路は無料ではないのですが、日本よりは安いと思います。国境からミラノへ着くまで、全部で2.7ユーロ払いました。でも、ガソリン代はイタリアもドイツも日本よりだいぶ高いです。1リットル1.3ユーロぐらいします。
13時ごろ、ミラノのCastello Sforzescoへ到着しました(写真)。このお城のなかには、古典古代や古代エジプトの美術コレクションがあります。その後は、ミラノ大聖堂へ行きました。真っ白な外観で美しい・・・はずでしたが、あいにく修復中で、足場が組まれていました。
16時ごろミラノを出発し、19時半ごろピサへ到着しました。今回は高速代が結構高くて、18ユーロもしました。ピサへ到着したときは、太陽の最後の光がまだ射していて、かろうじてピサの斜塔の写真が撮れました。イタリアは、ドイツより30分ぐらいは暗くなるのが早い気がします。ピサの斜塔の入場は23時(22時だったかも)までだそうですが、チケットを買うと時間指定されていて、同じ時間に指定された人といっしょに上ります。その後の時間に指定された人たちが来る前に、警備員たちが「下りろ」といいます。有名なピサの斜塔に上れたのはうれしかったですが、塔だけに15ユーロは高い!(もしかしたら、ほかにも博物館とかに有効なチケットなのかもしれませんが・・・)上る前から、当たり前だけど、本当に傾いているってあきらかにわかったけど、一番上に上ってみると、すごく傾いてて最初は怖かったです。
その後、ピザを買って食べて、21時半ごろ出発、フィレンツェサービスエリアで23時半ごろ就寝しました(もちろん?また車の中)。

2005.9.3 [土] シチリア島へ

今夜シチリア島へ向けて、ドイツから車で出発します。ゼミの学生の友達が、ドイツ生まれ・育ちのイタリア人で、休暇のたびに両親のふるさとシチリア島へ車で行くそうなので、同乗させてもらいました。途中、ミラノ、フィレンツェ、ローマに寄る予定です。もちろん(?)宿泊代はけちって車で寝ます。
8時半ごろ出発、0時10分(9月3日)にウルム(まだドイツ)のサービスエリアで寝ました。

2005.8.26 [金] 発掘参加最終日

今日は最終日です。現場には行かず、土器洗いをしました。数年前にバイトしてたころ、散々やりましたが、本当に久しぶり!でも、土器洗いってこんなに単調な作業だった?!
現場では、バガーが来て埋め戻したそうです。今日は別の発掘地にバガーが来る予定だそうですが、来るはずだったバガーが故障で、代わりのバガーが後で来るとJさんが言っていました。それで、新しい現場に行くはずだったA君が手伝ってくれて、昼ごろには土器洗いが終わりました。
その後、お昼を皆で食べて、ちょっとお話して部屋を掃除してKさんの車で2人で帰りました。

2005.8.25 [木] けんか

今日もUさんの測量の手伝いをKさんとしました。でも、始める前に2時間以上Uさん対私、Kさんで家の外でけんかしてしまいました。昨日の車の件をおかしいと思ったので、Jさんが出かける前にJさんに「Kさんの車で仕事に出るのはおかしい。ガソリン代だってただじゃない」と言いましたが、Uさんにそれが聞こえたようです。Jさんは「ガソリン代は払う」と言いましたが、問題はガソリン代だけじゃないんです。個人の車、しかも実習生の車で有無を言わさず仕事に出かけさせるのが問題なんです。もし事故があったらどうするんですか!事前に車の配分を考えなくちゃいけなかったんじゃないですかとJさんに言いましたが、のれんに腕押しでした。
Uさんは、「俺は自分の車は出さないってはっきり言った。それなら歩いていくか、Kさんの車で行くしかないって言ったら、Kさんが納得して車を出した」と言うのです。どうして事前に車の件をJさんと相談しなかったのかと聞いたら、相談してもらちがあかなかったそうです。まったく・・・「でも、Kさんは実習生でお金も何ももらってない。あなたはお金をもらっている学生アシスタントだ。それならあなたの車で行くのがより合理的ではないか」と私はUさんに言いました。そうしたら、「俺がお金をもらっているのは、測量の技術があるからだ。君たちは学んでいるんだけだから、お金をもらえないのは当然だ」ときました。お金が欲しくて言ってるんじゃないから、お金が問題なのではないのですが、ドイツ語じゃうまく説明できませんでした。ああ、もどかしい・・・だから「それはわかっている」といいましたが。それで話がだんだんそれて(どうしてそうなったのかよくわかんないですが)、「俺はそもそも学生の教育には責任ないんだ!」と言い出しました。「測量は5年(だったかな?)学んでやっと卒業なんだ。そんな短い期間で何が学べる!」だそうです。そんなことはわかっているから、知ることができればいいんだとと言いました。それにもし学生の教育に責任がないっていうんだったら、初めに隊長のJさんと話し合ってどこまで責任を持つのか決めておくべきだったと思います。これは言ったかどうか忘れましたが。でも今になって考えてみたら、測量師としてのキャリアで呼んでもらったとしても、お金をもらっている名目は「学生アシスタント」なんだけどね・・・
車の話にいつしか話題は戻りました。Uさんは以前に調査で自分の車を出して、壊れて修理代が1000ユーロ(だったかな)以上かかったそうで、それ以来二度と自分の車は出さないことにしてるそうです。でもそれってじゃあ、Kさんの車は壊れてもどうでもいいのかと聞いたら、「別にいい」だそうです。これにはあきれて「自分勝手すぎる!」と言いました。逆に彼は「どうして自分の車じゃないのに田鶴はKさんの車が壊れたらどうでもよくないのか?」と聞いてきました・・・そういう気持ちが理解できないと返答するしかありませんでした。彼は「自分の車でもないのに、文句いうなんておかしい。おまえはここに来るときだってKに乗せてもらってきて、楽チンでよかったよな」と皮肉を言いました。
Uさんは今週土曜日に結婚式をひかえていて、車は実は婚約者のものだというのです。だから余計に仕事に車を出したくないんだそう。そして私たちに車検証(なのかな?)を見せました。結婚式に汚い車で行きたくないって言いましたけど、あんまりきれいじゃなかったから、どっちにしても洗わなきゃいけないじゃんと思いました。それに、発掘中に結婚するというか、結婚式前後に発掘に参加するって決めたのはUさん自身じゃないかと思いました。
こんなにもめたのは初めてだとUさんは言いましたけど、ちょっと信じがたいです。今までだって、本当は休みは土日だけなのに、月曜日の夕方に帰ってきてただ飯を食べたり(まあそれは隊長と話済みだとしても・・・)、彼を迎えにいくためになぜか皆仕事帰りに30分以上駅まで発掘隊の車に同乗しなくてはいけなかったことには、皆不満あったんです(Jさんが先に私たちを宿舎に戻せばよかったんですけど、なぜかJさんはそうしませんでした)。Uさんと同室だったアイルランド人のAさんは水曜日に帰ったのですが、Uさんは彼とも最後に大喧嘩して火曜日の夜はポーランド人のA君の屋根裏部屋に泊まったんです。どうやらAさんが不満を最後にぶちまけて、それにUさんが激怒したようです。今までUさんといっしょに参加していた人たちが控えめであんまり意見言わなかっただけじゃないかと思いますが、ドイツ人より私のほうが自己主張するのかな?!最後の最後にこんなけんかしてしまって気分が悪くなりましたが、もうどうせ終わりで、今日の夕方ベルリンに帰るUさんとはもう会わないんだからいいかと思うことにしました。でも、こんなにもめたのも、結局隊長のJさんがちゃんとコーディネートしないからなんだよね。Jさんの発掘にはもう2度と参加したくないです。
結局10時過ぎに測量に出発、17時ごろ無事に測量を終了してUさんはベルリンへ帰っていきました。

2005.8.24 [水] 測量の手伝い

今日は学生アシスタント(と言っても測量を専攻してすでに測量のプロとして働きながら今は考古学の学生している)Uさんの測量の手伝いをしました。9月か10月に調査する遺跡の測量です。でも疑問に思ったのが、Uさんも車で来ているのに、当然のごとく学生実習生のKさんの車に道具を詰め込むのです。聞いたら昨日もKさんの車で測量に行ったそうです。森の中のとても狭い砂利道を通ったりしたので、Uさんはそれで自分の車使いたくないんだと納得しました。でもそれって勝手過ぎないか?それにもともと仕事なんだから、個人の車を使うのって??発掘隊の車が1台しかなくて、発掘地に行くのも車がいるけど、それならそうで、どうして隊長のJさんがなんとか手配を考えないのか?たとえばJさんとSさんがもっと早く起きて(相変わらず一番遅い起床のくせにのんびり朝食、しかも少しずつ遅くなっていく・・・)先に皆を送ってUさんに発掘隊の車を使わせるとか。でもそれはJさんに都合が悪いんでしょうね。だって発掘作業時間中に何時間も車でどっかにいつも行くから。

2005.8.23 [火] 最後の発掘

早くも今日が私にとって最後の発掘参加です。明日からは測量のお手伝いをするからです。結局私は土器の破片以外、1cmくらいの大きさの青銅製指輪(?)の破片を見つけただけでした。その破片を発見した遺構のZwischenplanumの図面完成させ、その後さらに深く掘りました。破片を発見した遺構だから、慎重に掘り進めていたら、Jさんは「それじゃいつまでたっても終わらない」と言い、スコップでどかどか掘り始めました。なんか、そんなたいしたことない遺構なの?とかなりがっかりしました。

2005.8.21 [日] 後片付け

昨日、Sさんの友達(男性)がどこで寝たか話題になりました。Sさんの部屋で寝たそうですが、Sさんは自分の部屋で寝なかったそうです。それに対してSさんの友達は「どこで寝るの?」と聞いたそうで、これが聞こえたときは隣の部屋にいたCさんとZさんは笑いそうになったそうです。彼女はもちろんいつもどおりJさんの部屋で寝ました。今週からはCさんとZさんが寝しずまってから、毎晩Jさんの部屋に行ってるそうです。でも彼女の部屋のドアはCさんとZさんが寝ている部屋にあるので、どうしてもCさんたちは気づきます。先週私はダブルベッドを使っていたのですが、月曜日に帰省(?)から帰ってきたら、シングルベッドに変わっていました。そのダブルベッドは今Jさんの部屋にあります・・・彼女が部屋を使わないのなら、皆が使う居間で寝る羽目になっている人に明け渡せばいいのに・・・どうせ皆彼女が毎晩Jさんの部屋で寝ているの知ってるんだから。朝ごはん食べに来る人たちが来る前に布団たたんで着替えなくちゃいけない人の気持ちにもなってみたらと思います。私の同室のKさんもそう言っていました。
今日はRundlingという形を残した村を見学に行くことになっていました。Rundlingというのは、村のメインの道路から放射状に家に続く道があって、上空から見ると家が輪になって配置されている村のことです。この形がよく残っているLueblnという村でフリーマーケットがあるそうで、それも見ようと言っていました。
でも、結局4時過ぎに出発、到着したときには既に半分ぐらいフリーマーケットは店じまいしてました。博物館も17時までで、結局は入れませんでした。それというのも、出発直前になって、SさんとJさんがBさんの台所で昨日の後片付けを手伝ったからです。出発するというから、車の中で待っていたのに、結局30分以上待つはめになったのです。それならそうといってくれれば、皆で手伝ってもっと早く出発できたのでは?と思いました。午前中、Bさんに洗ってない食器を食器洗い機に入れようかと聞いたとき、いいって言われたのですが、JさんとSさんは食器洗い機に入れられない大きい鍋などを洗ったそうです。でもそれなら午前中に言ってくれれば洗ったのに・・・それか帰ってから手伝うとか。私たちは多分また行く機会はほとんどないので、時間通りに行きたかったです。そのへんを配慮して欲しかった。
日本食、夕食に作りましたが、大失敗しました。大なべでご飯炊きましたが、水が多すぎておかゆの散らし寿司になってしまいました。どうかこの味が「散らし寿司」だとは思って欲しくないですが・・・Zさん以外はまったく日本食食べそうな人たちじゃないので、そう思われてしまう可能性大です。罪深い私・・・今回はSさんがお皿を洗ってくれたので、よかったと思いました。

2005.8.20 [土] 誕生日パーティ

今週末は、帰ろうか帰らまいか、だいぶ迷ったのですが、先週日本食を結局作らなかったし、今週末が最後の週末なので、帰らないことにしました。今日はSさんの誕生日パーティです。彼女のボーイフレンドが来るというので、Jさんと対決?!とすごい盛り上がりました(って私だけ興奮?!)。そのボーイフレンドはわざわざベルリンから車で来るというのです。でも、彼女は「Ein Freund von mir」と彼のことを私たちに紹介していました。「Der Freund」または「Mein Freund」が彼氏のことで、「Ein Freund」はただの友達なんだそうです。でもただの友達がベルリンからわざわざ来るだろうか??疑問が深まるばかりです。
アイルランド人のAさんは、ここ数日飲みすぎて頭が痛いと言っているにも関わらず、また飲みすぎて、いすから転げ落ちて焚き火に足をつっこんでしまいました。
料理のほうは、家主のBさん(ベルリンのとある大学の教授だそう)がすごいいろいろ作ってくれました。今日合宿所に残っていたCさんとZさんがアップルケーキを焼いて、私は寿司を作りました。出し巻き卵は味はうまくいったと思うのですが、形を整えるは難しいですね。寿司好きのZさんも私の卵焼きおいしいとほめてくれて、すごくうれしかったです。でも巻き寿司はやっぱりうまく作れません・・・近所の方々も呼ばれましたが、高齢の方が多かったせいか、料理はあまってしまいました。

2005.8.19 [金] クロスセクション

今日は、クロスセクションを書きました。でも、同じ遺構のクロスセクションを2人で分担して書いたので、次回は一人で仕上げてみたいです。クロスセクションも糸を張るのを全部学生アシスタントSさんが一人でやってしまって、その後「はい、ここ掘って。その次、図面書いて。」なのです。本当は、クロスセクション設定するところから勉強したいのに・・・
昨日現場を訪問したHさん(女性)は、Jさんの部屋に泊まったそう!居間で寝たとばかり思ってましたが。Jさんの彼女Sさんは自分の部屋で久々に寝てたそうです。HさんはJさんがロシアで発掘していたころにいっしょに参加していたそうで、ただの友達というか、仲間だそうですが、私にとってはJさんって理解不能・・・ただの友達だとしても、自分の彼女の前で自分の部屋にほかの女を泊めるか??そういえば、昨日もなんかJさんとかなり親しげな様子でした。HさんもJさんの彼女なの??昨日、明日Sさんの誕生日パーティがあるってHさんに話したら、JさんはHさんにそのことを告げてなかったそう。え、それってどういうこと?

2005.8.17 [水] 土壌学

今日は、昨日発掘地を訪問した土壌学の専門家と学生が、土壌学的調査の基礎を教えてくれました。9月の発掘地で、1mの長さのパイプを土の中に打ち込みました(写真)。それで土の色の変化を見るわけです。でも、正直言って考古学にはそんなに有効ではないかも・・・と思いましたが、現場によっては有意義かもしれません。

2005.8.14 [日] Altmarkへ日帰り旅行

今日は、Altmarkという地域(旧東ドイツ)へ日帰り旅行です。地元で考古学同好会に参加しているHさんがガイドをしてくれました。中世の教会や、約5000年前の巨石墓(写真)を見ました。巨石墓は、石舞台古墳とそっくり!なんて思いました。人間の考えることはどこでも同じなんですね。
あんまりHさんが熱心にガイドしてくれるので、最後の要塞跡を見たときには18時を過ぎていました。今夜の夕食は、私が散らし寿司と豚汁を作ると言っていたのですが、宿舎に着いたらもう19時半でした。そこで、金曜日に大量にゆですぎて余ったスパゲティと野菜、豚肉で急きょ夕食を作りました。でも私たちが作っている間、JさんとSさんは「手伝おうか」の一言もなく、食後の後片付けもしないので、もう皆で作るのはいやになりました。来週は自分だけで作るか、少人数で作りたいです。朝ごはんの食器も先週は洗ってない食器があったら、洗ってましたが、今週から自分の分だけ洗うことに決めました。そうしたら、2日前の食器がまだ残っていたりします。それもJさんとSさんのだったりします。。。二人は一番遅く起きてくるので、食器を朝洗う時間がないのですね。それなら帰ってから洗えばいいのに・・・

2005.8.13 [土] 考古学野外博物館

今日は、Hitzackerというところにある考古学野外博物館へ皆で日帰り旅行です。この博物館の場所は、3000年前の集落跡で、調査後に盛り土をして(多分1mくらいかな)、家を復元したりしてあります。博物館には、青銅と石の斧があって、青銅の斧で木を切るのを試したり、弓矢を射てみたり、楽しい一日でした。石の斧は、作るのが大変で、素人が使うと壊れるというので、試させてもらえませんでした。弓矢を射るのも、青銅の斧で木を切るのも、本当に大変でした。
今日の夕食は、ポーランド人のA君が作ってくれることになっていました。彼は朝の6時から用意し始めて、博物館へ行く前にあらかた準備を終わらせました。そのおかげでいつもと同じぐらいの時間に目が覚めてしまったのですけど・・・そんなにしてまで作ってくれて、しかもデザートまで用意してくれたのですが、口に合わない人もいたようで、Sさんはデザートを残してそのまま席を立ってしまいました。正直、私もそのデザートは口に合わなかったですが、礼儀として全部食べるべきではないかと思いますので、全部食べました。残したり、「おいしくない」と顔に出すのはよくないのでは・・・と疑問に思いました。

2005.8.12 [金] ちょっと疑問・・・

今日も土堀りで腰と肩がすごく痛いです。今日は学生アシスタントのUさんとアイルランドのAさんといっしょに作業していましたが、作業に関する質問をUさんにしたら、「知らない。あなたがそうしたなら、それは正しいのでは?」なんて無責任なことを言ってきました。経験少ない私ですが、だんだんこの発掘のやり方にちょっと疑問がわいてきました。先週は隊長のJさんはまだ発掘地にいましたが、今週からはいつも途中で車で出かけて2、3時間帰ってきません。どこに行ってるのかは誰も知らないようです(それか恋人で学生アシスタントのSさんだけは知っているかも)。多分、この発掘地からは何も出てきそうもないからだろうなと思いますが・・・(実際まだ土器の破片ばかりしか出てきてないです)彼がいない間、学生アシスタントと実習生しかいないわけですけど、学生アシスタントは何に責任を持つのか、はっきりしてない(学生アシスタント自身知らない)ので、私がUさんからもらった無責任な答えのようなことがおきるわけです。Jさんは発掘の全体の成果を皆に知らせることもないし、Sさん以外の誰にも来週、いや、明日われわれが何をするのか話しません。私はドイツで初めて発掘に参加したので、こういうやり方がドイツでは一般的なのかと思いましたが、Uさんによるとかなり変わっているそうです。UさんやAさんも同じような疑問を持っていることがわかりました。Jさんは人としては親切な人でいいんですけど・・・

2005.8.10 [水] 発掘見学

今日もトレンチ掘り下げで、腰が痛くなってきました。いっしょに作業しているKさんがしゃべってばかりでぜんぜん動かないので、ストレスがたまってきました。ライプツィヒから来たCさんはすごく働き者ですが、ライプツィヒのもう一人のCさん(CAさんとでもします)は、Kさんが話しかけるとずっと話し込んでほとんど動きません。
それでも今日は13時半に作業終了だったので、まだよかったです。一日中土堀りだったら、正直腰がだめになりそうでした。
作業終了後、エルベ川を渡って別の発掘を見に行きました。エルベ川を渡るとき、橋ではなく、渡し舟に乗ったので(写真)、驚きました。橋はあるけど、ちょっと遠いそうです。最初は紀元後8世紀のスラブ人の要塞跡、その後はその要塞のすぐ近くのおそらくスラブ人の居住地だったところです。要塞跡を見学しているとき、説明が私には早すぎてよくわからなかったのですが、Cさんが説明しなおしてくれました。親切だなーと感激しました。

2005.8.8 [月] 夕食

夕食は月曜日から木曜日まで写真の居酒屋で皆で食べています。食事代は払わなくてもよくて、飲み物代だけ自分で払うことになっています。台所は小さいので、週末各自が作ると大変なことになりそうなので、今週末は共同で作ることになっています。
今日の発掘のほうは、バガーで掘ったトレンチをさらにスコップで掘り下げる作業でした。耕作土がまだたくさん残っていたので、大変でした。でも、ちょっと深く掘りすぎました。反省・・・

2005.8.7 [日] 週末あっという間に終わりです

週末はあっという間に終わってしまいました。夜10時過ぎに宿舎へ到着。来週から発掘に参加するライプツィヒ大学のCさんとアイルランドから来たAさんが宿舎に来ていました。Aさんはドイツ語はぜんぜん話せないそうで、英語が苦手な私はちょっとどうしようと心配です。

2005.8.5 [金] 今週末は帰ります

今週末は全員帰省することになりました。私もKさんともう一人のポーランド人学生A君といっしょに今日の発掘終了後に帰りました。Kさんは、車の運転がそんなに好きではないというので、Kさんの車でもよりの駅(といっても車で1時間、もっと近い駅は30分ぐらいだけど、電車の接続が悪い)まで行って、そこに車を置いてそこから電車で帰ることになりました。
帰りの電車は結構込んでいて、4人対面の席に後から1人中年女性が座りました。窓が開いていたので、閉めてくれと言われて、A君が閉めましたが、完全に閉めなかったので、その女性がもう1度閉めてくれといいました。その言い方にむっとしたのか、もうよく覚えてませんが、Kさんは「空気が悪いから、開けたい。私たちが先に座っていたんだから」というようなことを言いました。そうしたら、その女性が「ここは居酒屋ではない」と言いました(A君がビールを飲んでいたので)。そんなことを言う人がいるなんて、すごくびっくりしましたが、Kさんは「あなたは失礼だ」とはっきり言い返しました。私もそう思ったけど、なかなかそうは言えません・・・次の駅で別の席が空いたので、その女性は別の席に移っていきました。
その後、ちょっと気になっていたことをA君とKさんに質問。発掘隊長と学生アシスタントのSさんはできているのか?いつもなんだかいっしょにいるので・・・別に手をつないだりしてるわけではないのですが、なんとなくそういう雰囲気を感じました。でもA君によると隊長のJさんは結婚してるというのです。じゃ、気のせいか・・・(でも翌週からわかってきますが、私のカンは、にぶい私にしてはあたっていたのです。)

2005.8.4 [木] 地面の表面をみがきます

バガーが掘った後の地面の表面をシャベルでみがいて観察、写真、図面を作ります。シャベルでみがく作業(写真)が結構つらい。みがくだけならいいのですが、土を穴の外に出さなくてはいけないから、その際に腰が結構痛くなります。普段運動を特にしてないツケが来たかと思いますが・・・それでも、表面をみがく作業はまだ楽で、穴を掘り下げるのはたくさん土を穴の外に出さなくてはいけないので、気をつけないと腰を痛めそうです。

2005.8.2 [火] 発掘第2日目

今日はバガーが来て、表面の耕作土をとりました。4m×100m掘って何もなさそうなので、さらに2m×50m(?!多分そのぐらいだと思う)掘りました。このトレンチは、そのとき気づかなかったけど、10人ぐらいしかいないのに、大きすぎたと思います・・・

2005.8.1 [月] 発掘第1日目

発掘第1日目とは言っても、今日は発掘しないで、発掘地の標高を測っただけでした。近くにある村の教会からレベルで標高を発掘地まで繰り返し測りました。とは言っても、初めから一人でできたわけではなく、教えてもらったんですが・・・
発掘地は畑です(写真)。中世のスラブ人の居住地だったというのですが、何か見つかるのかなあ・・・9月からは作物を植えつけるので、8月中だけの発掘地です。9月からは別の畑で発掘することになっていますが、私はその頃は帰っています。

2005.7.31 [日] 発掘実習へ出発

明日から、大学の発掘実習に4週間参加します。11時に大学で待ち合わせして、同じゼミの学生Kさんの車でWendlandへ向かいました。もっと近いかと思っていたら、思っていたよりも遠くて車で4時間ぐらいはかかってしまいました。住む場所は、発掘隊長がベルリンの技術大学の教授の休暇用の家を借りたので、そこに住むことになりました。もちろん学生は家賃は払わなくてもOKです。私はKさんと同室になりました。部屋にシャワーとトイレがついているのはいいのですが、なんと扉がないので、トイレは結局別のトイレを使うほうが多いです。

2005.7.30 [土] 日本人会設立

今まで、私の住んでいる町には日本人会がなかったので、長期滞在している人を中心に日本人会を設立しようという話になりました。まとめ役になった人が定款案を作って、皆で話し合って、修正したのを役所に届けるそうです。正式登録した団体は、活動に対して年間いくらかの補助金を得られるそうです。

2005.7.3 [日] プラハ5日目

今日はドイツに帰る日です。午後3時半の電車なので、少し観光しました。ムハ(ミュシャ)美術館にも行きましたが、そこでムハがプラハ城の教会のステンドグラス(写真)をデザインしたことを知りました。昨日、ぜんぜん気づかなかった・・・ということで、汗だくになりながら大急ぎでプラハ城まで行ってきました。教会の無料で入れる部分にステンドグラスがありました。よかった・・・

2005.7.2 [土] プラハ4日目

今日はプラハ城に行きました。本当は早起きして午前中から行くつもりだったのですが、寝坊して、12時過ぎに到着しました。門番のお兄さんのところで記念写真を皆撮っていて、私も撮りましたが、順番待ちが大変でした。お城の庭(塀の中、建物の外)は18時まで開いているのですが、教会などの建物は17時までしか開いてないので、最後は大急ぎで見ることになってしまい、とても残念でした。入場料が、ガイドブックよりもだいぶ値上がっていて350コルナになっていてびっくりしました。でも、建物の中に入らなければ、庭は無料で入れるので、今度来ることがあれば、庭だけでもいいかなと思いました。教会も途中までは無料で入れます。

2005.7.1 [金] プラハ3日目

今日は18時に日本から学会に来ている人と夕食の約束があるので、プラハ城には行かず、国立博物館と考古学博物館へ行きました。そのほかにも火薬塔にも登りました(塔からの眺めは昨日の写真です)。
夜、待ち合わせしてから結局カレル橋を渡って、お城のあるほうの岸へ渡りました。結局お城のほうまでは登りませんでしたが、橋から眺めるお城は本当に美しかったです(写真)。

2005.6.30 [木] プラハ2日目

今日で学会は終わりです。本当は月曜日からだったんだけど、授業を優先して、昨日からにしました。プラハの研究所が出している本を安く買えるので、たくさん買ってしまいました・・・でも、インターネットで見る定価とあまりにもかけ離れていて、これからは定価で買う気がしないです。定価100ユーロとかなのに、学会特価では25ユーロです。本当はそのぐらいの値段でできている本なんでしょうね。どうりでカラー写真がないわけです・・・

2005.6.29 [水] プラハ1日目

昨日の夜ドイツを出発して、夜行寝台に乗ってプラハへ朝8時15分にプラハへ着きました。寝台と言っても簡易寝台で、しかも上中下に寝台がある一番安いタイプなので、狭かったです。また乗りたいかというと微妙です。もしお金があったら、1つのコンパートメントに4人の寝台車に乗りたいです。
9時からの学会に間に合うか微妙・・・と思っていましたが、やっぱり遅刻しました。
プラハは古い建物が残っていて、とても美しい町並みでしたが、裏通りにはよくみるとメンテナンスされてない建物もたくさんありました。街中はほとんど石畳の道なので、歩くととても疲れます。
宿泊は、ホステルにしました。シャワー・トイレ共同の部屋を頼んだのですが、シャワーのみ部屋についている部屋になりました。ホステルは古い建物を使っていて、全部が全部リニューアルされてないので、きれいとは言いがたいです。部屋の天井の塗装がはげかかっていたり、掃除自体もそんなに行き届いているわけではありませんでした。でも、街中にあって便利なので、まあいいかと我慢できる範囲かな・・・
もっと物価が安いと思ってましたけど、あんまり安くないです。それに、観光客向けの店ばかり目に付く感じで、それにはちょっとがっかりしました。

2005.6.26 [日] チュービンゲンから帰る

前日に雨が降ったので、残念ながら川がにごっていますが、きれいな景色でした。やっぱり川がある景色っていいですね。私の住んでいるところには、本当に小さい運河があるだけなので・・・

2005.6.25 [土] シュベービッシェ・ビュッフェ

学会の後、シュバーベン地方の料理を学食で味わえるという企画があったので、申し込んでありました。料理はおいしかったですけど、飲み物がソフトドリンクも含めて有料だとは思ってませんでした。クーラーがないのか、すごく暑かった・・・
写真はヘルマン・ヘッセが働いていた本屋さんですが、閉店して、チェーン店のカフェへ改装工事が進んでいました。残念・・・私のガイドブックにはまだ営業中と書いてありましたが、観光客は店の中見るだけで、本を買うわけじゃないでしょうから、仕方ないんでしょうか。

2005.6.24 [金] チュービンゲンへ

学会のため、チュービンゲンへ今週末は行きました。同じゼミの人が車で行くので、同乗させてもらいました。往復で電車より30ユーロ安くなりましたが、ちょっと高いんじゃないかと思いました。片道で満タンのガソリンがちょうど空になるぐらいだったのですが、同乗者からのお金だけでガソリン代まかなえるんじゃないかと思いました。ま、ずっと運転してもらったからいいかと思うことにしましたが・・・
朝8時ごろ出発して、チュービンゲンに昼1時ごろ到着しました。宿泊は、ユースホステルが満室だったので、普通の家庭が余った部屋を貸し出しているところに泊まりました。屋根部屋のせいか、これがすごく暑くて寝汗をびっしょりかいてしまいました。
学会は2時半から始まるので、歩いて会場まで行きましたが、思っていたより遠いし、バスは1時間に1本しかないので、少し遅刻してしまいました。でも、まだ講演は始まってなかったので、ラッキーでした。夜はお城でワインとブリッツェルが出る歓迎パーティでした。

2005.6.19 [日] ミュンヘンから帰る

帰りは、ほかの人の車に同乗させてもらいましたが、本当に天気がよくて、車が温室状態になり、すごく暑かったです。車にはクーラーがなかったし、窓を開けると高速道路ではうるさいし・・・ガソリン代はゼミが負担するそうで、払う必要はなかったです。そう考えると、行きの電車代がちょっともったいなく感じます。

2005.6.18 [土] 集中講義のため、ミュンヘンへ2

集中講義は、学生の発表と議論だったのですが、レジュメなしの発表が多く、しかも抽象的な内容なので、理解するのが難しく、へこみました・・・レジュメを作ってくれ!と本当に思いました。
集中講義の後、歩いてビヤガーデンへみんなで行きました。暑かったし、すごく広いので、たくさん人が来ていました。でも、20分は歩いたので、正直言って、ビヤガーデンなんて、ここじゃなくてももっと近くでもいいじゃないかと思いました。昨日も夜、居酒屋へ行くのに20分は歩いたので・・・先生のうち、1人が1リットルのジョッキを4杯も飲むので、びっくりしました。

2005.6.17 [金] 集中講義のため、ミュンヘンへ1

私の在籍している大学と、ミュンヘン大学合同の集中講義に参加するため、ミュンヘンへ行きました。ほかの先生や学生たちは、今日10時ごろ車で出発しましたが、私は早くミュンヘンに着いて博物館を見学したいので、朝6時に電車で出発しました。集中講義は明日のみなので、今日1日博物館見学をして、ユースホステルでほかの皆と合流しました。夜は、ミュンヘン大学の学生さんなどと居酒屋で夕食兼飲み会しました。が、そこにたどりつくまで20分以上歩きました。そこらじゅうに居酒屋なんてあるんだから、別にそこじゃなくても・・・と私は思ったんだけど、多分そこがミュンヘン名物なのかな?

2005.5.21 [土] 集中講義

今日は、普段バーゼルにいる先生の集中講義第1回目がありました。6月と7月にもう2回ある予定です(結局7月は中止)。ほかの学生がいっぱいノートしてるのに、私は先生の言っていることを半分も理解できず・・・授業が終わった後、ほかの学生にノートをコピーさせてくれと言ったら、読めるかどうかわからないから、パソコンで清書して印刷してあげると言われました。でも本当にしてくれるのかどうか・・・

2005.5.1 [日] プルコギ

今日はHさんの知り合いの韓国人留学生がプルコギを作ってくれるというので、ごちそうになっちゃいました。おいしかったです。キムチも自分で作るそうですけど、今日は残念ながらないそうです。作り方教えてもらいたいです。材料が手に入るのかどうか・・・
この間Hさんが親子丼を作ってあげたそうですけど、ご馳走になったお礼に何か私も作りたいなと思いました。

2005.4.30 [土] 親子丼

この間、Japanologieの飲み会で知り合った日本人留学生HさんやYさんたちと親子丼や豚汁を作って食べました。おでんも作ったのですが(はんぺんは入手できないのでなし)、おなかがいっぱいすぎて、ぜんぜん食べませんでした。残念!

2005.4.21 [木] Japanologieの飲み会

Japanologieの学生さんたちが主催して、学期初めにいつも飲み会があるので、それに行ってきました。知らない日本人もたくさん来てました。去年そういう飲み会でドイツ人の友達を作ろうとメルアドを聞いて飲み会の後メールを送りましたが、結局つきあいは続かなかったので、今回はほとんど知り合いとばかり話してました。
びっくりしたのが、日本の大学で同じドイツ語の授業をとっていたYさんと再会したことです。4月からゲーテ・インスティトゥートでドイツ語を勉強しているそうで、1月か2月ぐらいまで滞在するそうです。

2005.4.15 [金] Exkursion nach Wuerzburg

バイエルン州のビュルツブルクへゼミの先生と学生とで日帰り研修旅行に行ってきました。写真は王宮です。向かって左側は王宮として公開されていました。右側はビュルツブルク大学の博物館が入ってます。その博物館も行ってみました。ギリシャのものがいっぱいあるので、古代ギリシャに興味のある方には、宝の山です。
王宮(として公開されている部分)は、残念ながらあんまり見るところなかったです。天井画の修復に関する展示は興味深かったですが、ミュンヘンの王宮みたいに見られる部屋がいっぱいあるのかと思ったら、結構少なかったです。当日何か王宮で会議か学会みたいな催しがあったらしいので、そのせいか、それともそういう場所として使われているので、観光用に公開している部分は少ないのか・・・

2005.4.10 [日] やっぱり・・・

やっぱり荷物整理は早めに済まなくて、ぎりぎりまで荷物整理をしてます。といいつつ、日記書いてます。新しい部屋ではインターネットができないので、ひんぱんにメールや日記を書けなそうです。大学のパソコンでは日本語を見ることはできるのですが、書けないのです。
荷物の整理があるといいつつ、最後に心残りになっていた、池袋のオリエント博物館へ行ってきました。でも閉館40分ぐらい前に到着したので、ゆっくり見れず、残念でした。といいつつも、ミイラに変身!コーナーで変身して写真を撮ってもらってしまいました。

2005.4.9 [土] 千葉へ

国民宿舎の朝ご飯は、バイキングで、正直もの足りなかったです。料理してあったのは、卵焼き、スパゲティーのサラダ、ウィンナーだけで、あとは漬物とか豆の煮物、煮干のようにスーパーでパックで売ってるようなおかずでした。鮭とか、温泉卵とか期待してたんですけど・・・
その後、本当は佐久平から新幹線で帰るつもりだったのが、結局山梨の大月までドライブをして、中央線の快速電車に乗りました。電車代は安くすみましたが、時間はかかってしまいました。

2005.4.8 [金] 染めの着物展

今日から須坂クラシック美術館で「染めの着物展」が始まるので、さっそく行ってきました。今日行かないと見れませんので・・・アンティーク着物もよかったですけど、草木染めの信州友禅の着物や帯もすごくよかったです。草木染めのやさしい色は、科学染料では出せない色ですね。地元の着物をいつか買いたいと思いました。
午後は、小諸の国民宿舎へ行って家族で1泊しました。ご飯は、国民宿舎だから正直あまり期待してなかったのですが、結構よかったです。

2005.4.7 [木] 着物三昧

今日は長野でプチオフ。着物三昧の1日で、本当に楽しかったです。とは言っても、私自身は洋服でしたが。
午前中にふくいくさんと待ち合わせして、古着屋さん(「くらや」)へ。アンティークの着物が結構たくさんあって、しかもリーズナブルでくらっときました(だじゃれじゃないです)。古伊万里のお皿を切って作ったという帯留めに「お皿がもったいない」とつい考えてしまいました。帯留め自体は素敵でしたが。
次に呉服屋の「いとはん」さんへ。木綿の着物が結構あって、あててもらったりして、心引かれました。それにリーズナブルですし、アットホームな雰囲気のお店でよかったです。
その次に須坂の「わたこう本店」さんへ。ここでふくいくさんのお友達のYさんとお会いしました。はじめて行きましたが、よくある呉服屋さんの「買わなきゃ帰れない」ような怖い雰囲気がまったくなく、居心地のよいお店でした。素敵な着物や帯がリーズナブルな値段でたくさんあって、買いたいものがたくさんありました。特に、バティック織の帯、本当に欲しかったです・・・京都の織り元さんが帯の幅で織るように、バリに注文したものなんだそうです。また着物を増やしたらだんなに怒られるので、足袋ソックスだけいただいて帰りました(泣)。そのほかにも、竺仙の浴衣見本が届いていて、柄と布の種類の多さに圧倒されました。大手デパートでも、全種類は置いてないそうです。それに、この見本は呉服屋さんがもらえるものではなく、見本をチェックし終わったら、次の呉服屋さんに回されるそうなんです。だから、これを見れるのは本当にめったにない機会だったんですね。
今日1日、本当に楽しく過ごさせていただきました。

「わたこう本店」さんの写真、いまさらですが、アップしました・・・若主人ご夫妻です。気さくにいろいろ教えていただけました。バックに写っている格子のウールの反物は、もうそれだけしか残っていないと聞きました。反物のかわいさもともかく、そのお値段もすごく素敵でした・・・奥様が着ているウールの着物は、写真ではよく見えないかもしれないですけど、パステルカラーの草木染の格子模様です。このシリーズはわたこうさんのオリジナルで、始められたばかりだそうですが、白のウールの反物がもう手に入らなくなってしまってピンチだとうかがいました。続けられるといいですが。

2005.4.6 [水] 名古屋

今日は、名古屋へ展覧会を見に行きました。名古屋在住の友人Kさんと一緒に展覧会を見て、その後名古屋名物みそかつを食べてごきげんでした。みそかつは、矢場とんというお店で食べましたが、なんでも名古屋では有名だそうです。本店ではいつも行列だそうですので、駅の地下で食べました。サークルKでみそかつ味のポテトチップスが売ってるそうです。誰か見たことありますか?
その後は、名古屋から特急に乗って長野の実家に帰省しました。

2005.4.5 [火] 歌舞伎町で飲み会(どきどき)

今日は早起きして池袋のオリエント博物館、目黒の東京都庭園美術館に行って、夜は歌舞伎町で友人と飲み会・・・と思っていましたが、なんだかだらだらしてしまい、家を出たのが結局13時になってしまいました。結局目黒だけ行きましたが、「日本のジュエリー100年展」行ってきました。やっぱり素敵だったです。ティアラなんて、逆立ちしてもつける機会がないので、個人的には束髪につけた髪飾りにひかれました。どんな風な髪型につけたんでしょうね。庭園内の桜も咲いていて、とても素敵でした。
夜は、歌舞伎町で飲み会でした。友人が見つけたお店でしたが、ドアの鍵が閉まっていました。玄関のベルを押すように書いてあって、ベルを鳴らしたら、お店の人がドアを開けてくれました。こんなお店はじめてです。。。なんでもお出迎えしたいからとか???理解不能です。料理も飲み物も出てくるのが遅くて本当にいやでした。ビール頼んでも10分経っても出てこない。催促してもすぐに出てこないのです。お店自体はそんなに込んでいなかったのですが、ウェイターが1人しかいないからですかね?バーテンも1人、あとレジのところにいてぜんぜん働いてないように見えるウェイターがいましたが、この人はオーナーだったかもしれません。次に帰るころには、このお店はもうないだろうなと思います。
気分が悪くなったので、みんなで居酒屋に移動して、思い切り食べて解散しました。

2005.4.4 [月] 大学へ

10月に日本で所属している大学へ行って以来、半年振りに行って来ました。いろんな人に再会して、ランチは好きだった韓国料理の店(でも経営者が変わったので、店の感じがだいぶ変わりました)、夜はKさん、Iさんと日本料理?の店で飲み、と今日も1日充実してました。

2005.4.3 [日] 着物満喫の1日

昨日も日本を満喫しましたが、今日は1日中着物を満喫できた1日でした。
午前中、Sさん、Mさん、Oさんと4人で原宿の東郷神社の能美の市に行って来ました(写真)。始発電車で行っても掘り出し物はもうないといううわさの能美の市ですけど、さすがにそんな元気はないので、10時半頃行ってみました。かわいい着物ありましたけど、ぐっと我慢、我慢・・・
その後、三軒茶屋の「京都に残る100枚の銘仙展」に皆さんと行きました。そこから何人か合流されました。展示は、場所が狭いせいで、広げて展示してある着物は10着あるかどうかで、残念でした。セミナーの講師の方の話は、ところどころ勉強になりましたけど、もうちょっと準備して理路整然と話していただけるとよかったのに・・・と思います。
その後、おいしいワインやお料理をいただくホームパーティで、本当に楽しく過ごさせていただきました。今日の計画を立ててくださった方々、今日1日付き合ってくださった方々、本当にありがとうございました。

2005.4.2 [土] 久しぶりに着物見に行きました!

成田から着付け教室に直行して、Sさんや教室の皆さん、先生と久しぶりに再会しました。その後はSさんと一緒にたんすやさん系列の古着屋さんに行って来ました。前は結構アンティークものが多かったのですが、移転してからは少なくなったのかなという感じでした。お寿司もSさんと一緒に食べて、さっそく日本を満喫した1日でした。

2005.4.1 [金] 前科者なの?!

今日は、日本に帰る日です。前回、化粧ポーチの中に眉毛切りばさみを入れていたら、空港で没収された苦い経験があるので、眉毛切りばさみはスーツケースの中に入れて万全!と思っていました。ちなみに、同じ空港に戻ってくるのなら手数料5ユーロぐらい払えば手元に眉毛切りばさみは手元に戻ってきたのですが、そのときは100円ショップのはさみだったので、「いりません!」といいました。でも、ほかの国では、後の便で持ってきてもらえるそうですね。ドイツは融通がききませんね・・・
話は元に戻りますが、引越しにはさみやガムテープなどを使って、最後にリュックに入れたままになっていたのをすっかり忘れていたのでした・・・そして1回目の手荷物チェックのときは、リュックを開けさせられたのですが、係員もはさみを発見できず、私もはさみのことを忘れていたので、そのまま出発ゲート前の2回目の手荷物チェックへ進みました。2回目で発見されたとき、警察官が呼ばれ、「これはドイツでは犯罪です」と言われ、8枚ぐらい(同じ書類2枚ずつ)紙にサインさせられました。飛行機を私のせいで待っていてもらったので、警察官もそれ以上は説明せず、私も良く読みもせずサインしちゃったのですが、私は前科者ってことですか?!罰金は払わなくてよかったのですが・・・前回の眉毛切りばさみのときは、1回目のチェックで発見されたからなんともなかったのかもしれません。それとも小さかったからかな?本当にどきどきしました。次回からは手荷物のバックの中身よく確認します・・・

2005.3.31 [木] 寮最後の日

ボンから電車を乗り継いで、寮に着いたらもう31日夜1時でした。それから寮の部屋を掃除して、最後の荷物を運び出して、終わったときには5時になってました。鍵の引渡しが10時半なので、3時間ほど寝ることにしました。
8時過ぎに起きて、寮で最後の洗濯をしました。次の家では、4月の半ばまで洗濯機がないのです。そして、10時半に鍵引渡しです。1年も住まなかったですが、やっぱりちょっと感慨深かったです。
部屋の中で洗濯物を干したら、さっそく大家さんに怒られました。カビが生えるから、庭か共有スペース(狭いのに)に干せだそうです。ドイツ人は外に洗濯物干さないのに(少なくとも人に見えるところには干してない)、人には干せっていうのね・・・大家さんは、部屋に入ったから、洗濯物のことわかったようです。電気がまだ裸電球だから直すと言っていたからだと思うけど、そうじゃなくてしょっちゅう無断で入られるのだとしたら、すごくいやです。

2005.3.30 [水] ボン3日目

今日はシンポジウム2日目。その前にA教授と会いました。願書に書くテーマは、後でも変更可能ということで、問題はないので、安心しました。一番問題なのは、奨学金で、夏学期中に研究プランを練って、奨学金を申請しようということになりました。
シンポジウム最後の発表を聞かずに、月曜日休館だった博物館へ出かけました。でも、思ったより小さくて、最後の発表聞けたなあ・・・とちょっぴり後悔。
電車を乗り継いで、寮に着いたらもう31日夜1時でした。それから寮の部屋を掃除して、最後の荷物を運び出して、終わったときには5時になってました。鍵の引渡しが10時半なので、3時間ほど寝ることにしました。

2005.3.29 [火] ボン2日目

今日からシンポジウムが始まりました。けど、ボン大学の学生以外はあんまり来てなさそうです。私もせっかくボンまで来たのに、いまいち発表内容を理解できず、疲れていることもあって、半分ぐらい寝てました・・・いったいなんのためにボンまで来たのか・・・
でも、冬学期からお世話になろうと思っているA教授に久しぶりに(ってだめですよね)会えたので、よかったです。明朝、シンポジウムが始まる前に1時間ほどお話することになりました。
そうそう、今日はホテルにほかに3組ぐらいお客さんがいるようでした。

2005.3.28 [月] ボン1日目

明日から1日じゅうシンポジウムなので、今日はボンで見たい展覧会を見ようと思っていました。ところが、目的の2つの博物館のうち、1つが臨時休館でした。がっかり・・・でも、今日はOstermontagなので、もしかしたら休みかなとは思っていたんです。仕方なく、ツタンカーメン展にのみ、行きました。3時ごろチケットを買いましたが、指定された入場時刻は5時。とても込んでいました。でも、日本の博物館みたいに何時に入れるかわからなくてただ行列するよりは、時間が指定されているほうがいいですね。
ホテルはネットで予約した安いホテルだったのですが、夜7時半ごろ到着しても、電気がついてなく、誰もいません。もしかして今夜は路上で寝るしかないか?と思いつつ、ドアに貼ってあった連絡先に電話してみたら、ドアの横の金庫?に暗証番号を打ち込んで、鍵を取り出すように言われました。こんなホテル初めてで、とてもびっくり!ほかにお客さんはいませんでした。良く見ると、外にホテルの借り手募集の貼り紙がありました。もうあんまりホテルはやりたくないんでしょうね。次回ボンに行くころには、このホテルはなくなってそうです。

2005.3.27 [日] 引越しほぼ完了

明日から30日夜までボンに行っているので、荷物を金・土・日ぐらいでほぼ運び終えました。もちろん車はないので、リュックと自転車の荷台で荷物を運びました。疲れました・・・結構荷物が増えてしまってました。もう引越しはしたくないですが、また半年後に引越ししないといけないんですよね・・・

2005.3.26 [土] 歓送迎会

31日に帰国されるKさんご一家と新しくこられた方の歓送迎会がありました。先日、餃子の作り方を教えてもらった(見てただけ??)ので、そのときにいっしょにいたKさん(帰国されるKさんとは別の方)と餃子を作りました。普通の具(豚肉、わけぎ?、白菜、しいたけ)とキムチ餃子の具2種(鶏肉と豆腐入り、豚肉)作りましたが、皮は自信がなかったので、冷凍で作りました。

2005.3.24 [木] うれしいです

日記なんて誰も読んでないだろうな、みたいなつもりで書いてましたけど、「おめでとう」って伝言が届くととてもうれしいです。
日本に4月2日から11日まで帰るので、真楽KWにもなっている「日本のジュエリー100年」展と、京都に残る「100枚の銘仙展」東京巡回展を見に行くつもりでいます。「日本のおしゃれ」展は、とても残念なことに1週間の差で逃してしまいます。ああ、残念・・・ほかにもKWを見ていて、行きたいところはいっぱいあったのですが、いっぱいありすぎて行けないです。

今朝、銀行口座をHPでチェックしてみたら、大学口座に振り込み手続きは完了していました。1週間かかるっていうのは、銀行の振込み手続きじゃなくて、大学の手続きなんでは?と思います。大学の在籍証明書はやっぱり今日は印刷できませんでした。仕事遅すぎ!って頭きますけど、制度は日本より便利にできてると思います。学籍番号、パスワード、TANがあれば、HPで在籍証明書などが印刷できるんです!つまり自分の部屋でも真夜中でもできるわけです。日本で在籍していた大学では、証明書発行機に学生証を差し込んで印刷するので、大学が閉まっているときには証明書は発行できません。もっともうちの大学では(日本)証明書が無料じゃないので、インターネットで証明書印刷できるようにはしたくないでしょうけど・・・(国立大学では無料で発行してくれます。が、独立行政法人になりましたから、これからはわからないですね。)

荷物明日から運び出す予定ですが、まだ3箱分しかまとめてないです。日曜日までに掃除まで済ませないといけないのに、間に合うかなあ・・・31日午前に鍵返却ですが、28日から30日までボンへ行っているので、27日までに済ませたいです。いざだめだったら、ボンから30日夜に帰ってきてから徹夜で掃除するって手もありますが、あんまりそれは考えたくないです。
うちの寮では、昨日今日で引越ししていった人が3人いるようです。その人たちの冷蔵庫のスペースが空になっていました。「引っ越していったみたい」っていうのもおかしいですけど、特に挨拶も何もなかったんで・・・SさんとAさんカップルが昨日夜に荷物を運び出していたと思うけど、さっき見たら寮の居間のテレビがなくなってました!今朝はあったかなあ・・・あれってSさんかAさんのものだったのね・・・でもリモコンだけ残ってました。

2005.3.23 [水] 本届いたけど・・・

ゼミで「本売ります」という貼紙を発見して、本2冊買いました。今日郵便局で受け取ってきました。少々本が壊れてるってことでしたが、それはまあ納得のうえでした。でもボールペンや蛍光ペンでめちゃめちゃ書き込みまくりっていうことは聞いてなかったよ!!ひどい・・・15ユーロプラス送料12ユーロ、たいした額じゃないかもしれないですけど、ああ買わなきゃよかったって思ってしまいます。78歳のおばあさん相手じゃなんだか返品するのも気が引けて、結局そのままです。
・・・と思ったら、良く読んだら「書き込みあり」って書いてありました。ドイツ語面倒くさくて良く読んでませんでした。いけませんね。

2005.3.22 [火] DSH合格!

口答試験では、私の勉強している分野の日本での状況などを聞かれました。最初はちょっと緊張しましたけど、なんとか話せました。そして、とうとう合格!ここまでくるのに、1年かかってしまいました。
午後はさっそく学期ごとに払う登録料を払い、市役所に行ってビザに必要な書類を提出しました。わたしはドイツ銀行から登録料を振り込んだのですが、大学の口座はSparkasse(日本で言えば、信金みたいな感じですかねえ)にあるので、なんと入金されるまで1週間もかかるっていうんです!それを先に知っていれば、Sparkasseで振り込んだのに・・・このご時勢でそんなに仕事が遅いのか?!おかげで大学の在籍証明を市役所に提出しなくてはいけないのに、ぎりぎり提出間に合うかどうか・・・という感じになりそうです。

2005.3.21 [月] DSH筆記試験の結果

とりあえず、筆記試験は合格しました。やっぱり聞き取りがいまいちで、ほかはみんな70%以上点をとれていたのに、聞き取りだけ60%しか取れてませんでした。聞き取りが私のネックです・・・明日は朝9時から口答試験です。「どうしてドイツで勉強すると決めたのか?」、「なぜその分野を勉強することに決めたのか?」、「卒業したら、どんな仕事に就けるのか・何をするつもりか?」などという質問応答形式で、15分だけです。その場ですぐに合否がわかり、成績証明書をもらえます。次回のDSHからは、口頭試問ももっと難しくなるらしいので、今回で合格したいです。次回からは、自分の分野に関連のある文章を渡されて、15分(多分)後に自分の意見などを述べる、というように変わるようです。

2005.3.18 [金] 契約

無事、賃貸契約すませました!ちょっと気になるのは、住む人5人に対して、台所のコンロが2つしかないのと、オーブンがない、調理器具は一切共有なし、ってことですが、もうそうも言ってられない時期ですし、半年だけの辛抱なので、我慢することにしました。この際フライパンや鍋ぐらいは買います・・・本当はあんまり荷物を増やしたくないのですが。あとは、一番問題なのは、インターネットのためにテレコムに回線開設を申し込むかどうか、です。半年だけだし、すごく遅いだろうから、回線開設しないで、図書館かゼミに自分のパソコンを持ち込もうかとも考えているのですが、それも重いから、やっぱり回線開設を申し込もうか・・・と迷っているところです。
本当は4月1日入居なのですが、25日夕方に鍵をもらえることになりました。イースター休暇の第1日目だから無理かなと思いましたが、今の寮は31日午前に鍵を返さなくてはいけないし、シンポジウムのため28日から30日までボンへ行きたいので、お願いしたらOKでした。来週末はがんばって、荷物を運びます。その前にずいぶん増やしてしまった荷物、片付くかなあ・・・

2005.3.17 [木] 餃子

今日は、DSH準備コースで一緒になった中国人留学生2人と、ケニア人留学生、日本人2人で餃子を作りました。とは言っても、中国人留学生がすでに餃子の種は作っていて、餃子の皮もめちゃめちゃ手際よく作っていたので、ちょこっと餃子をくるんだだけでした。私は散らし寿司を作って持っていきました。菜食主義の中国人留学生Yさんにとても好評で、うれしかったです。
そうして食べている間も、昨日見た部屋がほかの人にとられてしまうのでは?という不安があり、電話しましたが、大家さんは留守。結局18時ごろ電話し、明日契約することになりました。よかった・・・

2005.3.16 [水] またも・・・

昨日夕方「ほかにもう決まってる」と電話で言われた部屋がまたインターネットに登録されているのを発見しました・・。いったいどういうことなんでしょう。その後でドタキャンされたのか・・それともやっぱり外国人だから断られたのか、ドイツ語がたどたどしいから断られたのか・・・なんかこうも続くと、ついつい悪いほうに考えてしまいます。
今日は、昨日電話したところと今日電話したところと合わせて2件見に行くことになっていましたが、昨日電話した部屋見学はドタキャンされました・・・17時に約束したのに・・・部屋の窓は開いてるにもかかわらず、呼び鈴を3度か4度ならしても誰も出てこず・・・
でも、その前に見た部屋が結構場所もよかったし、大家さんもよさそうな人なので、明日電話してここに決めようと思います。ただ、難点が1つ・・・インターネットがどうやらアナログのようです。しかも自分でドイツテレコムに回線開設申し込まないといけないし・・・たった半年のために面倒くさいなあとなると、大学の図書館でインターネットするしかないかな。大学の図書館では、1学期10ユーロ払って自分の大学アカウントを獲得すれば、図書館のコンピュータか、自分のパソコンを持ち込んでインターネットができます。日曜日は閉館なので、インターネットできないけど・・・でも、そういうことを言ってると、本当に部屋が見つからないので、今日見た部屋にします。

2005.3.15 [火] いったい?!

今日、Internationales Bueroに行って、入学許可について質問をしたら、そもそも今回私が応募したこと自体無効だったとわかりました。ちゃんと応募書類出す前に直接相談にも行ったのに・・・どうして今頃になって・・・でも、DSHにさえ受かりさえすれば、4月からも在籍はできるようでほっとしました。応募した時点では、交換留学生の学籍は1年で無効になるので、新たに応募しなくてはいけないと聞きました。ところが、交換留学生も制度的には卒業なしの短期の学生と同じ扱いなので、1年半まではいられるそうです。ということで、DSHが受かれば今の学籍番号であと1学期のみ延長できるそうです。応募書類、何時間もかけて書いて、日本から成績証明書も取り寄せたのに・・・いったいなんだったんでしょう・・・
部屋のほうは、今日は何件か電話したのですが、昨日夕方まだ空いているとメールをもらった部屋が、今日電話したらもう借り手が決まっていました・・・1件だけまだ借り手が決まっていない部屋があったので、明日見に行くことにしています。明日で決めるぞ!

2005.3.14 [月] ヒ、ヒドイ・・・

先週返事をくれるって言っていた、部屋の件、ぜんぜん返事をくれないので、借りられるのかどうか電話して確認しました。返事をくれないってことは、だめなんだろうなと思っていましたが、「忘れてた」だって!!ひどすぎる・・・今まで見学に行った部屋で、だめだったところはみんなちゃんと返事をくれたのに。しかも、この場合、先方の都合で2週間も待たされたのに・・・ま、そんな人と同じ屋根の下で住みたくはないからいいか・・・と思うことにしましたが、さすがに引越しまで3週間きってるのに、次の部屋が決まらず、あせってます・・・
ところで、先々週私に断る前に、インターネットに部屋の情報を掲載していた人が、また部屋の情報を登録しているのを発見しました。決まってないのに、断られるって・・・こうも断られるのが続くと、へこむなあ・・・

2005.3.11 [金] DSH

いよいよDSH本番の日になっちゃいました。基本的に模擬試験と同じような出題傾向でした。ちなみに、おとといNさんとどんなテーマが出題されるかと相談していたテーマは出ませんでした。というか、そんなに最近話題になっているテーマは出ませんでした。
模擬試験よりはましに書けた気がしますが、それでも、準備コースで過去問をやったときよりはできてないです。後はひたすら結果待ち・・・
月曜日に見に行った部屋の返事が来ました。やっぱりだめでした。10人も見に来ていて、私が10人目だったので・・・2月末に見学した部屋の返事は今頃もらえるはずだったのに、まだもらえません。ということは結局だめだったのか・・・部屋探しは、そんなに悠長にみんなやってるわけじゃないから、そんなに待たせるってこと自体ひどいんだから、だめでも返事ぐらいはきちんと欲しいです。

2005.3.10 [木] 先生のうちへ

今日は、ドイツ語コース最終日です。明日、DSHなのですが、今日は授業ではなく、先生のうちへみんなで遊びに行くことになりました。本当は、第2週目に行くはずだったのですが、天気が雪続きだったため、延び延びになっていました。正直言って、前日じゃないほうがよかったかな・・・
先生の家は、駅からバスで30分も行ったところにあり、近所に家は数軒のみ。近くの村は車で5分ぐらいかな。先生の家は、昔は何代も続いた農家だったそうですが、4人も息子さんがいたのに、誰も後を継ぎたがらず、15年前に先生一家がここを買ったそうです。ドイツでも日本と同じような農家の後継ぎ問題があるのですね。
先生のほかに、もう1家族住んでいて、その家族と先生のご主人は、馬を飼っています。先生の家族は、馬を15頭も飼っています。ご主人は馬を生産して売るのが仕事だそうですが、隣人は世話をするのが仕事だそうです。馬を持っている人がその人に預けているそうです。その馬と先生の家族の馬を合計すると、30頭ぐらいはいそうなぐらいでした。
先生が馬を先導して、みんなを馬に乗せてくれました。といっても、とってもおとなしいポニーですけど。馬に乗るのは、実は2回目なんですが、初めてのときは先導なしで、馬が走った(超疾走じゃないですが、ギャロップっていうのかな??)ので、とても疲れたのを覚えてます。今、考えると、馬に乗ったこともなかったのに、すごい大胆・・・
そのほかにも、ちょっと原っぱを散歩しました。馬を飼っている場所の隣は、すごい一面見渡す限りの原っぱでした。普段運動不足だったので、ちょっと足が痛くなりました。

2005.3.9 [水] ちょっと勝手では??

ドイツ語コースの普段そんなに仲良くしているわけではないNさんに、今日授業が終わってからDSHに出そうなテーマを図書館で探さないかと言われました。面倒くさいと思ったから、コピーして明日あげるよ、と言ったらそれじゃ遅いと言われました。彼女はまだ学生証がないので、図書館でインターネットができないから、頼んできただけのような気がしました。自分の都合で頼んでいるのに「それじゃ遅い」って勝手だなあと思いましたが、OKしてしまいました。結局2時間以上かかってすごく疲れ、帰ってから頭痛がしました。やっぱり断ればよかった。しかも、失礼な質問してくるし・・・Nさんは、私がいつも授業でたくさん質問するって結構からかってくるんですが、今日も「日本の大学でもそんなにいっぱい質問してたの?」だって。本当に失礼な人だ!もうかかわりたくないです。

2005.3.8 [火] 模擬試験

今日は、DSHの模擬試験でした。同じ準備コースをとっているHさんは、昨日から風邪がひどくて、模擬試験もお休みでした。早くよくなるといいのですが・・・
模擬試験の内容は、今までの過去問とかなり傾向が変わっていて、しかも難しくなっていたので、ショックを受けました。準備コースでは、古い過去問しか先生がコピーしてくれなかったのですが、先生自身が「DSHは年々難しくなっている」と言っていたのに、どうして新しい過去問を出してくれなかったのかと残念です(1998、99、2000年ぐらいのが多くて、1回だけ2002年の過去問やりました)。規則があって、新しいのが出せないなら、そう言ってくれれば納得するのに・・・いずれ、新しい過去問出してくるだろうと思って、質問しなかったのですが、聞くべきでした。

2005.3.4 [金] なんと・・・

月曜日に見に行った部屋は、2つともインターネットのサイトで見つけたのですが、今日別のサイトを見ていたところ、まだ返事をもらってないはずの部屋の情報が昨日登録されていました。いったいどういうこと!!私のほかにも2人女子学生が連絡先を書いていったのに、3人とも気に入らなかったってこと?!それならそれでいいけど、礼儀として先に断りを入れるべきでは?と思いました。そんな失礼な人と一緒に住む気は毛頭ないですけどね。

2005.3.3 [木] DSH申し込み

DSH申し込みは本来午前中だけなのですが、授業が1時45分まであるため、私たちだけのために特別に2時に事務所が時間をとってくれました。クラスで共同の申し込みの機会を設けてもらえるって聞いたけどそれはいつですか?、とちょっと先走って事務所にメールで問い合わせちゃって月曜日に返事をもらいました。でも、月曜日に先生がみんなに伝えたので、もう少し待ってメールすればよかったかな。

2005.3.1 [火] 部屋の返事

昨日の1つめの部屋の返事をもらいました。私の後に来た人が即決したそうです。ま、このへんは本当かどうかわかりませんけどね。というのも、私が滞在するのが1学期だけと大家さんが聞いて「そんなに短いの」と言っていたからです。ま、気を取り直して次にアタックします!

2005.2.28 [月] 部屋見学第三弾

早くも2月が終わるのに、まだ部屋が決まりません。今日も2つ部屋を見に行きましたが、やっぱり先週木曜日に見た部屋に比べると、契約する気になれません。1つめの部屋は場所もまあまあいいのですが、部屋が30平方メートルもあるので、家賃が私の希望より少し高いのです。それに、洗濯機がWG共同のものではなく、個人所有ということが判明しました。1回あたり80セントくらい払えばいいそうですけど、気を使いそうでいやでした。インターネットも自分で申し込まなければだめだそうで、それもちょっとひっかかりました。
2つめの部屋は、部屋を見る前にいやになりました。というのは、雪がめちゃめちゃ降っていたのに、すごい坂道をえんえんと登っていかなくてはならなかったからです。部屋自体は別に悪くなかったし、インターネットも自分で申し込まないで済むので、よかったのですが、坂道はいやです・・・
どちらも即決したくなる物件ではなかったので、数日以内に先方から返事をもらうことにしました。

2005.2.25 [金] 新しい冷蔵庫!

昨日、新しい冷蔵庫が来ると聞いていたのに、昨日は来ませんでした。だから、金曜日はもうドイツでは午後から仕事しない人も多いっていうから、冷蔵庫は来週かな・・・と絶望的になってました。そしたら、朝でかけるときに冷蔵庫を寮の前で発見!やった!週末の食べ物買いだめもできる!うれしくなりました。

今日は、不動産屋の家具つきアパートも見学しました。部屋も場所も悪くないけど、考えてみたら、布団とか、鍋とか、掃除道具とか全部自分でそろえないといけないのですよね。今は大学の寮なので、布団は貸してもらえるし、掃除機や鍋はぼろいけど寮の備品としてあります。それに、不動産屋の部屋だと、敷金3か月分最初に払わなきゃいけないのがイタイ!木曜日に見に行ったところは、不動産屋の敷金の半額以下でいいので、できれば木曜日の部屋のほうがいいなあ・・・

2005.2.24 [木] 初の部屋見学

3月末に今の部屋を出なくてはならないので、先週あたりから部屋を探していました。インターネットや貼紙で見つけたところへ、今まではメールだけしてたのですが、やはりメールだけでは連戦連敗です。電話だと、自分のドイツ語が聞き取ってもらえるか、相手のドイツ語がわかるか、心配で電話できなかったですけど、すごくいい条件の部屋を見つけ、電話を決意しました。やっぱり電話が一番早いですね。ということで、今日の部屋見学アポをとってありました。
どうしても午前中しか先方の都合がつかないということで、授業を抜け出し、行ってきました。街中のすごくいい場所で、部屋もとても良い感じでした。部屋は、本来の借主が1学期留守にするので、Zwischenmieteという形での賃貸です。即決したかったのですが、相手は即決したくないようすで、今日の午後から出かけて3月7日ごろまで帰ってこないから、返事はその頃になるというのです。正直ショックでした。それまでこの部屋だけにかけていて、結局だめだったら、どうなるんでしょう。そういうことで、まだまだ部屋探しは続きますが、あの部屋あきらめがたいなあ・・・っと思っていたら、インターネットのことを聞くの忘れてました。自分で申し込まないといけないのは面倒くさいからなあ・・・

2005.2.22 [火] 冷蔵庫壊れた!

今朝、寮の冷蔵庫が壊れました。今までも、中に入れた野菜が凍ったり、中が汚かったりといろいろありましたが・・・あと1ヶ月あまりで寮を出なくてはいけないのに、割り勘で冷蔵庫を買わないといけないのかと内心どきどきしていたら、冷蔵庫は寮の備品で、新しい冷蔵庫をもらえるそうです。よかった、よかった。新しい冷蔵庫は今までの冷蔵庫より少し小さめなので、2つもらえるとのこと。今まで1つの棚を2人で半分に分けて使っていたので、これからは1つの棚を気兼ねなく使えると思うとうれしいです。なにより、野菜が凍らないし、清潔な冷蔵庫はうれしい!ってまだ冷蔵庫来てないけど。

2005.2.17 [木] TestDaF

とうとうTestDaFの日がやってきてしまいました。11月よりはできたような気がしますが、やっぱり難しかったです・・・Niveau 5は絶対にとれないでしょう。全部Niveau 4以上とれればいいなあと思ってますが・・・TestDaFよりは、DSH(外国人志望者がドイツの大学入学資格を得るために受けるドイツ語試験)の問題のほうがやさしいかな。でも、DSHの聞き取りと読解の試験は、たくさん書かせる問題があり、特に聞き取りのテキストはTestDaFより長いので、少なくとも聞き取りはDSHのほうが難しいと思いました。明日から気をとりなおしてDSH対策です。

2005.2.14 [月] さよなら会

日本学の学生Wさん(冬学期で卒業)が日本の会社に就職するので、17日に(私とは別の)寮を出て、21日に日本へ行くというので、今日お別れ会がありました。とはいっても、ドイツじゃ誕生日会もお別れ会も自分で企画するんですよ。だから彼女の部屋へお邪魔しました。
彼女は冷凍ピザ20枚スーパーで買って、5ユーロ追加で出せば配達してくれるというので、配達を頼んでました。しかし、約束の17時を過ぎてもピザは到着せず、18時半ごろ電話したら「配達の車はもう出た」と言う。きっと忘れていてこれから出るんだろうと思ってました。だって、いくら雪が降っていて道路事情が悪くなっていても、スーパーからは自転車で15分か20分ぐらいの距離なんです。Wさんは「典型的なドイツの現象」だと言っていました。そう、正直言って、ドイツはいろいろ日本に比べていいかげんです。ドイツに来るまで、ドイツはなんでもきちっとしていてドイツ人は勤勉というイメージがあったのですが、まるでくつがえされました。
ピザは結局9時を過ぎても到着せず・・・9時近くに彼女の携帯にこれからピザが到着するという電話があったようですが、仕事の終了時間にとってもきっちりしているドイツ人が配達するかは疑問でした。私は翌日の宿題をまだやっていなかったので、9時少し後に帰りました。だからピザが本当に到着したのかどうかわかりません。Wさんにメールで聞いてみようと思います。もし到着しても、残った人が5人ぐらいしかいなかったから、ピザの処理に困ったのでは・・・

2005.2.12 [土] 人形劇

今日は、人形劇祭で日本のお話を元にした人形劇があるよと教えてもらったので、見に行ってみました。そんなに観客いないだろうと思って開演ぎりぎりに行ったら、前の席がまったくなく、後ろのほうから見るはめになってしまいました。
河竹黙阿弥原作の"Goldener Regen"というお話だったのですが、劇が終わってから原題を教えてくれと聞いたら、「知らない」だそうです。原作ってわけじゃなくて、インスピレーションをそこから得て、ほかのお話も合体させて、オリジナル部分も付け加えたお話のようです。ところで、表記は、「黙阿弥」、「木阿弥」、どっちが正しいのでしょうか?古典の教養がないので、恥ずかしながらインターネットで調べたのですが、両方書いてあるHPが結構あるので、迷ってしまいました。
人形自体は、文楽みたいなのではなく、マリオネットでした。作務衣みたいな服と地下足袋を履いた2人のオランダ人のおじさんが人形を操作してました。人形の衣装自体は、仕方ないと思うけど、本当の日本の着物とはちょっとちがう感じで、芸者の人形の笄も垂れ下がっていました。

お話はこんな感じです。
老漁師が魚を釣っていましたが、成果がなく、湖に船を出して網を使うことにしました。しかし、これは湖の主である金色の鯉に禁じられていたことなのでした。老漁師のなけなしの網は、金色の鯉にさらわれてしまいました。そこで、老漁師が網を返してくれと頼んだら、琴をうまく弾くある若い女性をつれてきたら返してやると金色の鯉は言いました。鯉は、その女性に恋をしていたのです。どうやって探したらいいのかと老漁師が聞いたところ、かぶらやに聞けと言う。そこでかぶらやが現れたのですが、彼は実は着物を着たかえるでした。
かぶらやは、彼女(芸者?「およくに」という名前です)に湖へ来てくれという鯉の手紙と贈り物の鏡を持って行きました。そこに彼女の雄鶏の使用人(「ときの・・・」って名前ですが、忘れました)がやってきて、かぶらやは帰って行きました。雄鶏におよくには、湖へ出発する準備をするように言いますが、雄鶏は躊躇します。およくには侍とも会う約束をしていたのでした。結局駕籠に乗っておよくには出発します。駕籠は雄鶏とかぶらやが担いだのですが、かぶらやは弱くてしょっちゅう休憩しなければいけませんでした。
およくにの出発後、老漁師がようやくおよくに宅へたどりつきました。もちろんおよくにを見つけることはできませんでしたが、琴を見つけて持ち帰ります。老漁師は琴を持っておよくにの後を追いますが、途中で侍に出会ってしまい、琴を置いて逃げる羽目になります。侍はその後、空の駕籠を見つけ、かぶらやにも出会いますが、かぶらやを追い返します。その後、(なんの脈絡か理解できませんでしたが)閻魔大王みたいな姿の人が現れ、死闘の末に侍が打ち負かします。その後、今度は金色の鯉がやってきて、侍と戦い、鯉が侍を打ち負かします。そしておよくには琴を弾き、鯉とおよくにがキスをして、老漁師も網を取り戻せてめでたしめでたし・・・
って老漁師はほとんど何もしてないような・・・それでも網は取り戻せたのね・・・

ところで、とうとう藤村のふるさとが岐阜県になってしまう。信州出身者としてはとても残念。でも、そこに住んでいる人たちの選択だから仕方ない。生活がかかっているから、外の人たちにいろいろいう権利はないと思う(感想を言う権利ぐらいはあるけど)。確かに山口村は私の実家から行こうとすると、とても遠かった。岐阜(というより、中津川)とのつながりのほうが強いっていうのはわかる。

2005.2.8 [火] 新鮮な空気強迫症?!

ドイツ人は「新鮮な」空気が大好きです。いや、わたしだってよどんだ空気は嫌いです。ですが、ドイツ人は外が零下だろうと、教室の窓を定期的に開けたがります。うちのゼミの先生もそうなのですが、DSH準備コースの先生もそうです。学生が寒がって部屋の中でもコートを着ているのに、窓を閉めて1時間もしないうちに、窓を開けましょうと言う・・・明日からババシャツを着込むことにしました。いまや、自分もそのくせがうつってしまって、自分の部屋にいてもしばしば窓を開けて空気を入れ替えます。

今日はコースの後にドイツ語発音授業があり、その後すぐにまた自習時間があったので、めちゃめちゃ疲れました。朝8時15分から夕方17時半までびっちり・・・しばらく今月いっぱいは火曜日はそういう生活です。ところで、自習時間をわざわざ大学の教室でとってやっているのは、聞き取りのカセット貸し出しが権利関係の問題でできないからだそう。チューターが来てカセットを再生し、問題を解きます。でも、大学の図書館で問題集のCD借りられるのを発見(とは言っても、先生お勧めの問題集は図書館になかった)。

2005.2.7 [月] Rosenmontag

今日は、Rosenmontagというそうです。なんでそういうかはわからないんですけど、カーニバルに関係のある日です。カーニバルは11月11日午前11時11分から始まるそうで、Rheinlandで主に大きく祝われます(たとえばケルン)。そのほかにはニーダーザクセン州のBraunschweigでも結構大きな行事があるそうです。残念ながら私の住んでいる町では、何の行事もありません。あさってのAschermittwochでカーニバル期間は終わりなんだそうです。
今日は、留学中に一番仲良くしていたHさんの帰国日でした。彼女が乗る電車はドイツ語の授業が始まる前だったので、見送りに行くつもりでした。電車の到着には間に合ったものの、到着直前にホームに着いたので、彼女を発見できないまま、電車は発車。最後のお見送りになんて失敗なんだと恥ずかしくなりましたが、後で電話したところ、Hさんは乗り遅れて1時間後の電車に乗ったそうです・・・何はともあれ、飛行機にはまにあってよかったです。
ところで、今日からDSH準備コースが始まりました。朝8時15分から午後1時45分までで、ちょっとつらいです。さっそく聞き取りでへこみました。ほかの学生さんは聞き取りは結構できるみたいです。「すごく簡単」なんて言われちゃうと、へこみます・・・受講者は全部で14人ぐらいで、トルコ、中国、韓国、日本、ガボン、ケニア、ロシア、ウクライナ出身の人々で、西ヨーロッパ・アメリカ大陸出身者は一人もいません。先生は、この大学でドイツ語を教え始めて20年近いキャリアのドイツ人女性で、結構いいです。でも、文法の説明はちょっとわかりづらかったけど・・・上級コースなので、わかってて当然みたいなところがあるので、仕方ないかな。

2005.2.6 [日] 明日が最後

こちらに来て一番仲良しにしていた日本人留学生のHさんが明日帰国します。ここで出会ってあっという間に11ヶ月経ってしまったわけです。ダンボールなど、いらないものをもらいに行き、ご飯でもどう?と誘い、一緒に食べました。ベトナム料理の店、のはずでしたが、料理は完璧に中華料理でした。荷物まとめるの大変だったのに、誘ったの悪かったかなと思いましたが、最後に一緒に食べれてよかったです。明日、朝7時半に駅へ行って見送ることにして、別れました。

2005.2.5 [土] 新年会

中国の春節が今頃だったと思いますが、中国学のゼミの学生が新年会(?)をするので、日本学の学生さんや日本人留学生にもどうぞ、と声がかかりました。同じ敷地の寮で開かれるので、行ってみましたが、知っている人が2人しかいなく、1人は1時間もしないうちに帰ったので、話し相手がなく、早々に帰りました。料理はいちおう大学芋(のつもり)を作っていきましたが、ちょっと甘くしすぎて失敗しました・・・あんまり好評じゃなかったです・・・

2005.2.4 [金] TestDaF模擬試験

TestDaF模擬試験が今日はありました。この試験は、問題が適当かどうか、問題の難易度などをTestDaF研究所がはかるための試験です。もちろん無料なので、TestDaFはどんな感じで進行するのか知るためにはもってこいだと思います。なんでも15人以上集まらないと受けられないそうですが、当日は20人ぐらいはいたかな。無料だから個別には結果は知らせてくれないそうなので、大学のドイツ語を教えてくれる組織がメールで結果を教えてくれるそうです。
Muendlicher Ausdruckはいつも10個の問題があるのに、模擬試験では7個で、しかも2つの表を組み合わせて内容を話す問題や、表の内容だけでなくて自分の意見も同時に話す問題だったりして、結構変わっていました。一瞬あせりましたが、2月のTestDaFは現行のままで、6月のテストから変わるそうです。最後にアンケートあったのですが、一番大事なこと書き忘れた!130ユーロも払うんだから、問題用紙回収しないで、受験生にちょうだい!そうそう、肝心のできは・・・特に聞き取りがまたもやだめでした・・・

夜はまたもやさよならパーティ。11時少し前に到着したのですが、会場に数人しかいないので、間違ったのかと思いました。いつものように持ちよりでパーティするのかと思ったら、違っていて、飲み物は買うようになっていました。そして、基本的にディスコ(えっと・・・クラブですか??わたしゃ、旧世代・・・)のように踊るようになっていましたが、半分は踊らず、半分は踊ってる人のスペースというように、きれいにわかれてました。

2005.2.3 [木] もう冬学期終わりです

早くも今日で冬学期の授業が終わりです。明日まで授業期間ですが、明日は授業の代わりにドイツ語模擬試験なので、私は終わりなのです。明日のドイツ語模擬試験の時間に重なっている授業は、先生が風邪で先週休講にしたから、模擬試験本当にやるのかとか、場所とかぜんぜんわからなかったのに、連絡をまわしてくれませんでした・・・前は休講にするとき連絡してくれたのに・・・授業もう終わりだからいいっていう適当な感じがすごくにじみでてました。
授業の後は、留学生向けにドイツ語授業をやっている大学の組織の学期末のパーティがありました。この間のAさんのさよならパーティで肉じゃがは作っちゃったので、またもやおでんもどき(大根、卵、鶏肉)を作りました。ジャガイモも入れればよかったかな。はんぺんは手に入らないので、その代わりに鶏肉を入れました。食べ物があっという間になくなっちゃったのに、私のおでんは結構最後まで残ってました・・・やっぱりしょうゆ味とにおいがいまいち欧米出身者には受け付けないようです。Sちゃんが作った握りすし、いくらのを食べたかったのに食べないうちになくなっちゃいました・・・(泣)。でも、そのほかの巻き寿司2切れ食べられたからまだましだったかなあ・・・

2005.2.2 [水] 筆記試験(Klausur)

今日、1科目だけでしたけど、Klausurがありました。いつものことながら、もっと早く準備しておけばよかったと後悔・・・いまいちのできでした・・・

2005.1.29 [土] さよならパーティ

今日はAちゃんの送別会でした。4日に日本へ発つそう。早いなあ・・・本当は彼女の寮のパーティルームを使うつもりだったのが、予約が遅かったので、先約が入っていることが判明、うちの寮の居間を提供することにしました。それは私から言い出したことだからいいんだけど・・・空き瓶1ダース以上何も言わずに置いてかないでほしい!誰が片付けると思ってんだか・・・結局気がついて半分ほど持って行ってくれたのは、一番仲良くしていたHさんだけでした。しかも、目の前で次のパーティの話してるのに、Hさんと私は誘われないし・・・どうせひがんでます・・・が、ちょっと気がきかなすぎでは???ま、若いからしょうがないか・・・
今度の水曜日にテストがあるから、早々に切り上げたかったのですが、自分の寮だからそうもいかず、最後だし無粋なことを言っても・・・と思っていたら、2時半終了になりました。眠かった・・・

2005.1.28 [金] また悲しいことが耳に・・・

年末にWさんが亡くなった事をNさんから聞きました。お隣のSさんといい、Wさんといい、お二人ともまだ若かったのに・・・こう立て続けに訃報を聞くと、人生って突然何が起こるか本当にわからないなと思います。「また後でやろう」って思っても、その「後」が来ないことがありうるのです。いつもどちらかというと、「後でやろう」派だったのですが、一瞬、一瞬を大切に、後悔しないように生きようと思いました。

2005.1.27 [木] 授業料導入・・・

連邦憲法裁判所(Bundesverfassungsgericht)が大学授業料禁止は無効と判断を下しました。これにより、各州は各自の判断で授業料を導入できることになりました。今のところ、全ドイツでというわけではないですが、まずキリスト教民主同盟(CDU)が多数派の州では導入されることになるそうです。私の住んでいる州でも残念ながら授業料がおそらく2005/2006年冬学期から導入されます。まだ1学期500ユーロといっていますが、将来的には2500ユーロまであがる可能性があるみたいです。ということは、今の日本の国立大学より高くなりますね。
正直言って、ドイツに留学してきている学生は「授業料無料」っていう理由が大きいと思うんです。特に理系。そうでなければ、ドイツ語苦労して覚えても、国際語じゃないから、理系の方々は国際学会じゃ使えないそうですし(私の分野はフランス語でもドイツ語でもOKでした)。まだ、イギリスやアメリカのように外国人から高い授業料をとることにしてないから、良心的だと思いますが・・・(イギリスやアメリカのやり方にも、税金を納めてるのは国民だからという理由がありますけど、それにしたって差が大きすぎると思いますし、消費税は外国人だっていやでも納めなきゃいけないのにね・・・)

2005.1.25 [火] 雪

今まで暖かかったのに、急に寒くなって一日中雪が降っています。1月初旬は、東京と大差ないぐらい暖かかったです。でも、今はとても寒い・・・

2005.1.23 [日] 教会の塔が火事!

街中の古い教会の塔が、なんと放火で焼けてしまいました。650年ほどの歴史がある教会だそうです。2001年までは、神学の学生さんが塔のてっぺんに無料で住んでいたそう(その代わり水周りいっさいなし)。その後、修復が始まりましたが、今回の放火で数年間の修復がぱあになってしまいました。15歳と19歳の少年が放火したそうです。15歳は家に帰ることができたそうですが、19歳は刑務所行きだそうです。今回の放火の損失は何千万ユーロだそう・・・

2005.1.22 [土] 寝坊・・・

寝坊して集中講義の発表すっぽかしてしまった・・・朝1番の発表だったのですが、2日ほどほとんど寝ていなかったので、1時間ほど寝るつもりが、すっかり寝坊してしまいました・・・今日1日じゅうやっている授業なので、後の順番で発表させてもらえないか頼みましたが、やっぱりだめでした。先生は怒り心頭で、ほかの発表も聞かせてもらえないような雰囲気で、そのまま帰りました。気のせいか、その授業に参加していた学生(1人)が冷たい気がします・・・いつも思うことなのですが、ぎりぎりになってあわてないよう、今度こそは余裕を持って準備したいです。

2005.1.14 [金] 新しいお隣さん

隣の部屋に新しい人が来ました。インターンシップで2ヶ月半だけここに住むそうで、大学は昨秋に卒業したそうです。ここは大学の寮なので、本来この大学に所属している人しか入居できないので、又借りだと思われます。新しい正式の入居者は4月から来るだろうけど、私はもうそのときはここを出ている。ドイツでは、結構又借りがさかんです。学生で半年や1年留学する人なんかは、部屋を引っ越さないで、家具をそのままに置いて人に貸します。荷物はたいてい片付けると思いますが、人によります。大家さんによっては賃貸契約で又貸し禁止の場合もあるようです。日本ではほとんど禁止ですよね。それに人に自分の家具を置いた部屋を貸すのは、ちょっといやだと思うんですけど・・・日本人ならたいていそう考えるのではないかと思います。ドイツ人はそのへん合理的に考えるようです。

2005.1.12 [水] お隣、入居間近?

先月亡くなったお隣のSさんの部屋にペンキ塗りが入っていました。お隣にもうすぐ入居者が入るようです。ドイツでは、壁がたいして汚れてなくても、入居者が入れ替わるときにたいてい壁を塗り替えているみたいです。WGでは、部屋を出るときに自分で塗り替えているのを見ました。

2005.1.11 [火] 荷物運び出し

先月亡くなったお隣のSさんの荷物が午前中に運び出されたようでした。あっという間、たぶん1時間ぐらいで終わったようでした。荷物は既に誰かがまとめたのか、この1週間ほとんど部屋にいなかったので、わかりませんが・・・多分、次の借り手が来るんでしょう。世の中いやおうなく、時が流れていくんだと実感しました。

2005.1.9 [日] ミュンヘン3日め

今日はミュンヘン最終日。うちらにしては早起きして、ミュンヘン郊外のニュンヘンブルク城に開館前に着きました(写真)。残念ながら、あまり天気がよくなかったのですが、天気がよくて時間があるなら庭を散策するのもとても気持ちがよさそう。ただ、ミュンヘンは第二次世界大戦で爆撃をかなり受けたので、このお城も、街中にあるお城(Residenz)もみんな復元で、結構コンクリート造り(に見える)の部分もあり、残念です。
その後は、お昼を食べてResidenzへ行きました。冬季期間は開館時間が短くなるので、途中で時間切れになり、宝物館を半分しか見れなかったのが、残念です。Residenzは本当に広くて、見学できる部屋も多いので、2時間はかかるでしょうね。それに宝物館を入れたら、もう1時間はかかると思います。
その後はAltes Rathaus(旧市庁舎)にあるSpielzeug Museum (おもちゃ博物館)へ行きました。この博物館は、個人のコレクションを元に開いている私立博物館です。ちょうどテディベアの100年展をやっているところでした。この特別展は多分1月末か、2月半ばまでやっているそうです。いろんなテディベアが展示されてましたが、どんなものなのか私にはぜんぜんわかりませんでした・・・
その後、ペーター教会の塔に歩いて登ってミュンヘンの夜景を見てから電車で帰りました。

2005.1.8 [土] ミュンヘン2日目

今日は、Residenzにある州立エジプト美術博物館(Staatliches Museum Aegyptischer Kunst Muenchen)へ行きました。そこで、ミュンヘン近郊のSeefeldというところでも古代エジプトの特別展をやっているという情報を得、その後すぐにSeefeldへ行きました。思ったよりも遠くて、普通電車で50分ぐらいかかりました。その特別展は、Seefeldのお城でやっていました。写真はそのお城の門です。駅からお城まで歩いたとき、遠くにアルプスの山並みが見え、結構感動しました。でも写真に撮ったら、本当に小さくて、目に焼き付けておくほうがいいんだなと思いました。

2005.1.7 [金] ミュンヘン1日目

今日の午前中の授業をさぼって午前中からミュンヘンに行こうかどうか、とても迷っていたんだけど、結局授業に行きました。最近、その授業の先生が明らかにやる気を失っているような感じで、授業内容もいまいちだったから迷っていました。でも、最初20人ぐらいいたのに、いまや5、6人しか学生が出席しないから、それも無理ないですね。今日も5人しかいなかったので、自分の会話を録音した後、先生が1人ずつ学生の録音を聞いてくれました。だから、結果的には出席してよかったかな。
3時ごろ、だんなと一緒にミュンヘンへ出発しました。当然のことながら、到着したらもう真っ暗でしたが、まだデパートは営業中だったので、おみやげを少し買って、少し散策しました(写真は新市庁舎、といっても1867年から1909年にかけて建てられたそう)。その後、日本食のお店でごはんを食べました。ひさびさに本格的に日本っぽい食べ物を食べられてうれしかったです。結構繁盛していて、大都市だとアジアの食べ物にあんまり抵抗ない人がいっぱいいるんだとびっくりしました。なにせ、私の住んでいる小さい町じゃ、パーティに私の作った料理を持っていっても、「何これ?」って感じで、しょうゆのにおいや味に抵抗があるようです。
ホテルは、日本のインターネットのホテル予約サイトで見つけたすごい安いホテルです。一泊ツイン7600円でした。だからか、シングルベッドが並べて置かれていなくて、向かい合う壁際に、しかも正対ではなく、互い違いに置かれてました。もともとはシングルの部屋だったようです。こんなの初めて見た。びっくり!!でもどうせ寝るだけなので、この価格なら満足です。

2005.1.2 [日] ローテンブルク2日目

ローテンブルクには、中世の町の周壁がそっくりそのまま残っています(途切れてないんですよ、すごい!)。私の住んでいる町にも壁の痕跡は残ってますが、いまやただの土手と化しています。写真はその周壁です。壁の上にも登れるので、登って少し歩いてみました。ただ、壁の上で1周はできなくて、途中で降りないといけないです。
お正月でも、結構観光客はいて、日曜なのに観光客向けのお店は開いていました。わたしの住んでいる町ではありえません。でも、普通のお店や、市役所の塔は閉まっていたので、残念です。ガイドブックによると、日曜でも開いているという話だったのですが、さすがに1月2日ということで、休みのようです。インフォメーションも休みで、無料の地図だけとれるようになっていました。
明日からもう授業なので、今日の夜にはローテンブルクを出発しました。正味1日しか観光できませんでしたが、市役所の塔に登れなかったのと、市役所の仕掛け時計を見忘れたの以外は、堪能できたと思います。ゆっくりできるのにこしたことはないですけど、小さい町ですから、町をほぼ1周して教会と中世犯罪博物館を見学しても十分時間はありました。

2005.1.1 [土] ローテンブルク1日目

今日は、日本からだんなが来る日なので、フランクフルト空港へ迎えに行きました。その後、2人でバイエルン州のローテンブルクへ。着いたのは、すっかり暗くなってからでしたが、中世の雰囲気が残っていてとても素敵な町ということはすぐに感じ取れました。日本人観光客が多いわけです。明日町をめぐるのがとても楽しみです。

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