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2008.1.27 [日] 千秋楽 |
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千秋楽結びの一番、本当にいい相撲でしたね。
あの館内の空気を体感できた私は、なんと幸せ者なんでしょう。
胸も目頭も熱くなりました。
胸が熱くなるといえば、表彰式が終わった後におこなう、新弟子検査に合格した力士たちの門出を祝う儀式も毎回ジーンとします。
観客も全員起立し、三本締めで祝うのだけど、文字通りヒヨッコな感じの新弟子たち(まれに山本山みたいなのもいるけど)に「厳しい道を選んだけれど、がんばってくれい」と心から思うのです。
そして行事の胴上げ。
これは、神様を天にお返しするという意味の儀式。
以上で場所が終了です。
そして正面玄関からは、陸自音楽隊の生演奏に送り出され優勝力士のパレードが出発。
その頃、館内は清掃業務たけなわです。
さて、仕事から大急ぎで帰宅し、なんとか30分少々で訪問着を着て千秋楽祝賀会へ。
袋帯は二年半ぶり?
出勤前に二回練習するも手順うろ覚え。まあこれでそれっぽく見えるだろうレベルの装い。
遠藤政孝さんの訪問着(初おろし)、天神唐草文袋帯。
遠藤さんの着物は、よく身体に添ってくれて安心度満点。 |
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2008.1.26 [土] 大先輩の訃報 |
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日本画家の片岡 球子さんが1月5日に103歳で亡くなられていた、ということをTVの週間ニュースでさっき知った。
彼女は高校の大大大先輩。
100歳で脳梗塞に倒れた後も、療養に努めながら現役を続けていらしたとのこと。
彼女の絵そのままに、生涯情熱を持ち続けた方だったのだなぁと、胸が熱くなった。
どうぞやすらかにお眠りください。 |
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2008.1.24 [木] |
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うっそー、お父さんと糸子さんて同い年だったんこ!? >ちりとてちん |
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2008.1.20 [日] 初場所中日 |
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豊真将、若ノ鵬の叩きにくずおれる。
本人も親方も何も語らないけれど、身体全体から不調が読み取れる。その状態での三勝をほめるべきか。
とにかく!
健康を取り戻して、上を目指してほしい。
回復を祈っています。
勝った若ノ鵬が、力水をつけるため土俵下に残る。
土俵上には把瑠都と黒海。
そして東土俵だまりに露鵬。まるでロシア東欧相撲選手権だ。
もし私が昭和から来たタイムトラベラーだったら、この光景を理解することはかなり難しいことだろう。
20世紀には誰も考えなかったであろう状況が、今の角界にある。 |
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2008.1.19 [土] 初場所7日目・真楽相撲部初集会 |
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19名の参加者を得て、相撲部初集会。
初観戦の方がほとんどで、みなさん生の迫力を堪能していただけた様子。嬉しゅうございます。
「これはクセになりそう」との声、多数。
クセになってくださいな。
難しいご注文でなければ、いつでも前売り券入手にパシリまっせ。 |
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2008.1.16 [水] メタボはやめて |
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「メタボ」という言い方が、すっごくいやだ。
忘年会・新年会シーズンになり、メディアで一段と見聞きすることが増えて、その度にキィ〜〜ッ!っとなっている自分。
ストップメタボ→代謝しなくなったら死ぬよ!
メタボ元年→生き物は最初から代謝しとるわい!
メタボ体型→意味わかんない
などなど枚挙にいとまがない。
メタボリックシンドロームを「メタボ」と言ってしまうのは、飲酒運転を「飲」と言うのと同じじゃない?
「ストップ飲」なんていわれて、誰が飲酒運転を止める意味だと思うもんか。
我が家では「メタシンと言おう条例」発布。
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初場所4日目、豪栄道vs青横綱。
今日も東二階席から気合い玉を送ったが、効き目なかった。
豪栄道、明日は白横綱戦。
go! |
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2008.1.14 [月] 二日目のジンクス |
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本日は友人3名+相方がマスC席15側で観戦。私も仕事の時間まで一緒に観戦。
ピクニックのように飲物・つまみを広げておおいに楽しみました。ん〜、やはり二人マス席はいいわぁ。
私的分析により初場所二日目が鬼門の青横綱、私が稀勢の里に東二階席から気合い玉を送った甲斐もあり(立ち会いの瞬間、背中にぶつけた)、やはり黒星。
ふふ、ジンクスの確度があがったよ。
舞い飛ぶ座布団に初観戦の友人ご一同も感動したそうです。
稀勢の里も、けたぐりの恨みを晴らすことができたことでしょう。金星おめでとう!
霜鳳の休場で取り組みがひとつ減ったけど、安馬vs豪栄道の取り直しがあってプラマイゼロ。
好取組が多く、よい一日でした。
一気に面白さが増した初場所。
真楽相撲部集会の7日目は、どんな様相を呈していることか。
熱い戦いを期待! |
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2008.1.13 [日] 帯揚げの整理 |
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三つ折りにして、半分に折り、くるくると丸めてスーツケースに入れるバッグにまとめてみた。
おぉ、これは使いたい物がすぐ探せてよさそう。
それにしても、きれいな色の少ないこと。
思っていたより数はなかったのをよいことに、堂々と買い足していくことにしようっと。 |
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2008.1.12 [土] 着物にまつわる記憶 |
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ふとよみがえった記憶。
小学校二年生の学芸会。
私はうらしまたろうの乙姫様役でした。
衣裳は各自家庭で用意することになっていて、母が絵本を参考に『絹の長襦袢+洋服の裏地で作ったウエストゴムスカート』を考案。裾広がりになるようにスカートの裾には細く切ったスポンジを入れて、かなりイイ感じの衣裳ができました。
ところがこのスカート、畳むときがタイヘン。広がるように入れられたスポンジが、小学二年生女子の小さな手には余ってしまうんですよ。
出番が終わって楽屋で悪戦苦闘していた私に「手伝ってあげようか?」と上級生のお姉様二・三人の優しい声が。今思うと不思議なんだけど、楽屋は体育館に近い教室を全学年合同で使っていて、教師の姿はなかったんですね。本当に助かりました。
で、肝心なのはここから。
「わぁ、これ長襦袢じゃない」と驚かれたのです。
それは七五三の時に祖母が贈ってくれたもので、長着の方よりも気に入っていた私の唯一の襦袢。
さらに「自分の?」と尋ねられてうなづくと「すごいねぇ〜」「すごい」と口々に言われ、私は誉められているようだけれど、どうしてお姉様方がそんなに驚いているのかわかりませんした。
当時それしか持っていなかったので、私には襦袢=長襦袢だったけれど、今思うと彼女たちは半襦袢しか持っていなかったのかも。確かにあの時の口調には、羨望の響きもまじっていたような気がします。
突然よみがえった記憶に、現在、普通の家庭に育った小学校高学年で「長襦袢」という言葉を知っている子どもはどれくらいいるだろうか?と思いました。
昭和40年代、北海道の田舎町でのお話です。 |
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2008.1.5 [土] 妹妹来了 |
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なんと、今年初めて服を着た。
昨日まではだか祭をやっていた訳ではなく、連日和服かそれに近い物を着ていたのだ。
妹が来て、夕食。
たらちりとうま煮、五目ちらし、そして二日早い七草粥。
バレエ教室は、小学生中学年軍団が受験のために辞めてしまい、大変らしい。 |
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2008.1.1 [火] 元旦も教会へ |
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明けましておめでとうございます。
昨年は真楽で新しい出会いがたくさんあり、たくさん良い時間を過ごすことができました。
今年もよろしくお願いいたします。
天気予報が大はずれで、全く想定外の穏やかな年越し。
今年も母と、テレビ塔前にある札幌北光教会で元旦礼拝に出席。
子どもの頃に比べると、本当に和服姿が少なくなって残念。
特に、高齢の方の和服姿が激減。な〜ぜ〜? |
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