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2009.5.21 [木] 継いでいくもの |
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私のタンスに眠らせている浴衣が在ります。学生の時、授業で自分が縫った浴衣です。
眠らせ過ぎて、今の私が着られるかどうか不安なくらい。
手放すには思い入れが大き過ぎる、でも誰かが着ないと浴衣が可愛そう。
継いでいく人を探すのもいいけど、思い切って自分で試着してみました。
着れるかも? 着物って洋服の感覚よりも、案外 派手ですものね。
今週みたテレビ番組で、ある人が 話していたことが頭から離れません。その人は、進化生物学者で大学院教授でもあります。
●生き物の基本戦略は「一生懸命」
一生懸命に生きていなかったら、ここには居ない。
生き物は皆、一生懸命に何かをやって。子孫が残り、上の世代が死んでも、その子どもがまた何か一生懸命にやって。だから一生懸命やっていないのを、見ることは出来ない。
もし、一生懸命生きていなくても存在していられて、それを他者が見ることが出来るとしたら。それはとても不思議なこと。
一生懸命やってないのに生きていけるというのは、他の誰かが支えてくれているから。
●私は自分の子供がいないんですね。だから私が死んだら、ここまで伝わってきた生命の様々な情報が全部途絶えてしまう。それは生物学的に見て残念なことだと思います。
ただし、人間が何かを伝えていくということは、自分の子どもを産むことだけではない。私が一生懸命に他の人の子供たちを教えたりしているのは、私の何かを残すということでは同じ意味合いを持っているのかも知れない。
殺人の研究!?
衝動。
ヒトは 殺人”してしまう” 動物である?
ニッポン人は 突然変異?
オスはつらいよ
生き物の基本戦略は「一生懸命」
爆笑問題のニッポンの教養 過去放送記録 FILE071「ヒトと殺しと男と女」 長谷川眞理子 2009年5月19日放送分 |
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2009.5.15 [金] 小袖展 |
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「小袖 江戸のオートクチュール」展に行ってきました。
小袖と聞くと、室町時代や戦国時代の着物という印象があります。
画像として思い浮かぶのは、お市の方の肖像画でしょうか?
実は小袖の定義は、もっと広いのです。
ウィキによると…。↓
「小袖は平安時代中頃に誕生したと思われる和服の元になった衣類である。
それまでの着物が袖口が大きく袖丈一杯まで開いていたので大袖と言うのに対し、小袖は袖口が狭いという特徴がある。」
つまり、今に生きる私たちが着る着物も、小袖の一種なんですね。
(大袖は、雛人形が着ているような着物です。)
着物は本来、お誂え、注文服(オーダーメード)。既製服(レディーメード)ではありません。
だからこそ、一点物ならではの 個性豊かな仕上がりになるのですよね。
今回の特別展は、江戸時代の物を中心に展示されてます。
江戸時代のオートクチュール(高級衣装展、呉服店)の名品が一堂に会してます。
全て手づくりですし、それはそれは豪華で 見ごたえがありました。
あんな豪華な小袖を、着る機会は私には無いだろうなぁ。
目を皿のようにして、展示を見て回りました。空腹も気にならないほどに…。
小袖 江戸のオートクチュール|大阪市立美術館 |
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2009.5.9 [土] 京都へお出かけしてました |
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大型連休中に、京都市内へ2回行きました。着物で。
●1回目は、フジコ・ピアノリサイタル。ペア招待券に当選した知人に誘われて。
テレビでの演奏を見ていましたが、生演奏を初めてだったので楽しみにしてました。
感想は、ゆっくり演奏なさる方だなぁ、お歳のせいかな? P席(クワイヤ席)のせいか、音響が不思議な感じ。
●2回目は、大原へ。
やはり大原日帰りは、遠かった…。以前に行った時は、三千院だけで時間切れでしたもの。
でも今回は、長年の望みの 寂光院へも行けました。
消失後の再建築でしたが。歴史ある庭園の 雰囲気を体験できました。
バス停から寂光院までの道中の風情も好きでした。
単なる田舎の田園風景ですが、何だか懐かしくて心落ち着きました。
着物でお寺庭園の階段を たくさん歩いて思ったこと。
深くて低い段差、駅階段とは違う配分、これは着物での歩幅にはぴったりでした。
大股で歩けない着物向きの 段差配分(小股で、一段に2歩)だったんですね。なるほどです。 |
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