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読んでいたのはこの本です。
画像は偶然持っていた1994年に開催された作品展のチラシ。見ていないのになぜか捨てられず納戸の壁に貼ってあったのものです。
新聞の書評の「恩地孝四郎」の書名に急にあのチラシの人だ!と思い出したのです。
当時「恩地孝四郎」について知っていたのは翻訳家の恩地三保子さんのお父さんで装幀で有名だったということだけでした。
この本を読んで分かったのは「月に吠える」の装幀をした人で、竹久夢二の友人だったことそして画家で版画家で写真家、詩人でもあるということです。
また同時代にバウハウスの設立がありカンディンスキーも活躍していました。
具象から抽象への転換の原点がセザンヌにあったことなども知りました。
彼の版画のほとんどは一枚刷りです。理由を聞かれると彼は「売れないから」と答えたそうです。しかし著者はそれは彼の作品の必然であったといっています。“永遠の試し刷り”それが恩地孝四郎の作品なのだと。素敵だ。いつも変化していくということ。
お金にならない楽譜の装幀もしています。わたしの好きなのはラヴェルやドビュシーの曲の印象を作品にしたもの。自分でピアノを弾きながら曲から受けた印象を画にしていくこともあったというので驚きました。
もうひとつは作品に必ず詩が添えられていること。これも彼の作品に惹かれたことの一つです。
彼の青春時代は印刷技術の進歩と共にありました。それが装幀の仕事に結びついたのでしょう。ただ画家(版画家)として彼の描く題材はすこし早すぎて日本の美術界には受け入れられなかったのです。恩地の才能を認めたのは占領軍の軍人でした。その後、彼は日本の創作版画の国際的な研究者兼コレクターになったです。その為、恩地の最良の作品はアメリカに行かなければ観られないのだそうです。
この本で特に面白かったのは第3章の『美しい本』と『「変体活字」の時代』です。
前者は文字通り美しい本を作る話しで恩地と志茂太郎の出会いを描いています。この志茂太郎という人物が面白いのです。岡山の造り酒屋の跡取りでウイリアム・モリスの工芸運動に憧れ家業を廃業してしまい“酒屋のオヤジ”に転職、あくまでも趣味で出版をしたいという人です。だから本は売れなくても良い。活字にもこだわり、活版印刷全盛の時代にオフセットに執着します。この頃、石井茂吉の写真植字機(写植)が実用化されていて、二人は興味を持ちます。写植を購入し、後述の「変体活字廃棄運動」で活字不足の時期も余裕で乗り切ったのです。
「季節標」を見てみたいです。ふたりの望みが形になった“美しい本”を。
後者の『「変体活字廃棄運動」』は「変体活字廃棄運動」の時代を描いています。
「変体活字廃棄運動」というのは印刷所の活字そのものを代表的な書体3種類にしてあとは捨てるという運動だそうで初めて知りました。確かに文字は読めれば良いというのであれば3種類でも十分、書体のデザインは必要ないという訳です。
昭和13年ごろは服装から米のつき方(七分づき以上は禁止)まで日常のすみずみまで統制が強化された時代です。ナチスは思想弾圧の為に本を焼いたが日本では活字だったのです。
戦争末期に鍋釜を供出したということは聞いたことがありますが、これは当局によるものではなく、最初は印刷会社の一経営者が提唱したもので、その頃はまだ金属がそれほど不足していなかったと思われるのに業界は一丸となって賛成し協力したそうです。
しかし、実態は廃棄ではなく「売却処分」だったという噂もあり、いっさいは黒い霧の彼方だとか。怖い時代です。
やり残したこと、不十分だったこともあったでしょうが、ほとんど売れない詩画集の出版を現実にし、彼は生涯妥協せずに好きな仕事をした人でした。美術界では認められなくとも夢を形にできる才能に恵まれ、家族や志を同じくする友人に恵まれ幸せな人生だったと思います。
評伝ですが私生活にはほとんど触れず、作品と時代を通して生涯を描いていることに好感を持ちました。
著者の池内紀さんの思い入れが強い為か、この本も美しいです。手元に置きたいけど予算オーバーなので図書館で借りました。
表紙は暗めの赤ではなぎれは褐色、しおりは深い緑です。ジャケットは作品を使用しています。図書館の本なのでしっかり補強のカバーがかけられていて背表紙を含めて全体を観ることが出来ないのが残念です。
電子図書の時代に入って「装幀」はどうなるのでしょうか。そして出版の形態も変わるのでしょうね。
「装幀」のていの字がなかなか変換できなくて、苦労しました。
夏休みの読書感想文みたいに長くなってしまいましたが読んでいる間、とても幸せでした。
ここまで読んで下さった方に感謝します。 |