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作州絣織り人の空間
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2011年 1月


2011.1.5 [水] 2:39 pm

私の紹介をさせていただきます。私は、京都の綾部で産まれ、実家は鳥取県岩美郡岩美町大谷、そして、嫁ぎ先は岡山県津山市堺町(作州絣の織り元の近所)でした。そして、現在は岡山県久米郡美咲町です。作州絣を織られていた杉原博さんが亡くなって、十四年がたち、また、奥様が亡くなられて早いもので九年たち、すてきな作州絣の反物だけが残こされました。
 私は、作州絣が以前から好きで、杉原さん宅におじゃまし、いろんな作品を見させて頂きながら、一反ずつ買って着物に仕立てて着ていました。
 主人の先代が作州絣の色止めの仕事をしていた関係からか、奥さんが亡くなってからの作州絣販売のお手伝いを、四年程前からしています。作州絣とは、絣とは、をいろいろと勉強していくうちに、津山の絣のルーツは倉吉絣にあったということを知りました。また、浜絣、久留米絣、伊予絣、出雲絣、広瀬絣、倉吉絣と勉強する中で、絣の良さを知るには、自分で糸のくくりをし、染め上げて織ることが、一番だと結論に達したのです。そこで、以前、何回か見学させて頂き、そして、素晴らしい人柄の指導者、吉田館長の元で師事して4年、現在に至っております。
 私は、今、密かに夢を抱いています。作州絣の工房「大一織物」を解体すると聞き、私は軽トラック主人は2トントラックを借りて、持って帰れる資料的な物はゴミのようなものまで持って帰りました。しかし、機織機、糸を整形するもの、備後式緯括り機、括られた糸など、大きく重たくて持って帰れず、断腸の思いで、帰りました。その中に、杉原さんがデザインしている下絵、方眼紙に細かく書いているデザイン画、絣に関わる本など、数百点近くあったのです。それを、基に、基礎を勉強させていただき、主人と一緒に復元できたらいいなとささやかに思っています。 年齢的なこと、家族のこと、仕事のことを考えると、今がそのときと思い、作州絣を育てる会を立ち上げ、今頑張っているところです。 H22記

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