|
母のお下がりの結城紬は二枚ある。一枚は私が乳飲み子だった頃、毎日の様に着ていたそうであちこちのシミはきっと私が付けたものだろう。散々着倒した布は光沢すら出ていてとても着やすく、私も普段着に気兼ねなく着ている。もう一枚は、仕立てて袖を通す前に身幅が狭くなったとかで、仕付けがついたまま貰ったもの。最初はかなり固い風合いだったが、サイズが合わないので洗い張りして仕立て直してもらったら、随分と柔らかい風合いになって戻ってきた。結城紬は、最初は女中に着せ、柔らかくしてから着るもんだ....などという話を聞いた。洗い張りを繰り返す毎に結城独特の風合いになるらしい。ならば、高価だから勿体ないと箪笥に仕舞っておくのは、きっともっと勿体ない!と思い、休日の一日を新しい方の結城紬で寛ぐ事にした。写真はランチを食べた近所の“てんや”から出てきたトコロ。(笑)
半襟はグレーの絞り。半幅の博多帯は、それこそずぅ〜っと昔から母と私で締めてきた帯で、これもクタクタだけど昔の絹の風合いがシュルシュルと締めやすい。長襦袢は白地に赤い鈴の模様の正絹。これも洗い張りしながら長く着ている。
さて、ちょっと肌寒くなった秋の一日、絹を纏っていて改めて感じたのは、やっぱり絹は気持ちいい!という事。肌に一番近い天然素材である絹は、繭の様に、肌の周りの空気を、適温・適湿に保ってくれる。着物はその快適な空気を孕んだまま、体と一緒に動いてくれる。つまり絹の着物は、着ているだけでエアコンって事じゃないだろうか。特に結城は、そんなエアコン機能がとても優れている布であるように思う。きっと、絹の本領は、見た目じゃなくてこうした機能にあるんじゃないかな?なんて思った一日でした。 |