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「木綿、もめん」と騒ぐ私に、母がお誕生日のプレゼントにと、手織りの本久留米絣を仕立てて持ってきてくれた。素朴な絣は、台所が似合いそうな心和む雰囲気。さすがに手織りだけあって、厚手な生地だが柔らかく手にぬくもりが伝わる。母は当初これを“もんぺ”にしようと手にしたらしいが、呉服屋さんから「手織りなのにもったいない」と説得され、もんぺ用には機械織りを別に求め、これは私の袷に仕立ててくれた。ただ、母はあまり木綿などの素材には明るくないので、呉服屋さんの言うままに普通の絹裏を付けた“洗えない木綿の袷”に仕上がっていた。くぅ、ちと残念。分かっていれば、一衣舎で“洗える仕立て”にしたかった。(笑)「ありがとう!」の気持ちがちょっと濁って複雑な心境。でも、これって、斉藤さんの館山唐桟×一衣舎の洗える仕立て....の“究極の味”を知ってしまったからこそ湧いてくる気持ちなんだろうなぁ。いい男を知ってしまった女の性と似た様な....って、ソレは違うか。(笑)とは言え、この着物はとても素朴で暖かそうで、寒く冷えるここの冬の暮らしには重宝しそうだ。仕付け糸は付けたまま、箪笥に仕舞う。夏が終わるまで、しばし、このまま。 |