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 2004.1.25 [日] 葉山で新年会 | 
 
 
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  皆をむりやり葉山に呼び寄せて(笑)、新年会。
 
昭和初期、葉山には500棟もの別荘が存在した。でも、現存する建物は50棟程で、しかもどんどん消滅している。趣のある庭や建物が更地になって、小さく分割されてギチギチに住宅が建つ。そんな場所が今あちこちに存在している。....なんとかこの状況を食い止めたいと痛切に感じる。
 
音羽楼は当時のままの建築をそのまま残し、会席料理のお店として営業している素敵な所だ。
 
今日は、そこに着物な人々が集結する。嬉しいなぁ。
 
集まった皆の装いは、新年会らしく華やかな雰囲気に満ちていた。
 
私自身、やはり晴着を着ると嬉しくて気持ちがウキウキしてくる。
 
集まった全員がそんな気分になっているのか、部屋の中の空気がキラキラした華やぎ成分で充満してすごく幸せな気持ちになった。
 
オシャレをするって、本当に大切な事なんだね。
 
思いきり「ハレ」な気分を楽しんだ一日だった。
 
 
着ていたのは....、
 
20代の頃に作ってもらった千總の小紋。
 
母がこの着物の事を「チソーのコモン」と呼ぶので、耳覚えのある言葉ではあったのだけれど、その意味する所をまったく理解していなかった。何とはなしに“紅型”とか“板絞り”とか、技法を指す言葉だと思っていた。“チソー”は“千總”と書き、京都にある京友禅の老舗だった....という事は真楽で得た知識。まったくもって何も知らない私である。
 
知らないとは言え、この着物はずっと大好きでお正月などにはよく袖を通した。着物自体が魅力的なオーラを放っているんだと思う。柄ゆき的にもまだまだ着られそうなのでこれからも大切に着ていくつもり。
 
帯は、先日締めた洋山の裏を出して二重太鼓。裏は白地の紬に鈍い金と銀がうっすらと織り込んである。着物の柄が個性的なので、帯はこの位あっさりしている方が締めていて落ち着く。
 
緑がかった青系の綸子の帯揚げ。
 
紺色の冠の帯締め。
 
白半襟を掛けたピンク色の長襦袢。
 
白足袋に、赤いラインの入ったグレーの草履。  | 
  
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 2004.1.24 [土] 9:45 am | 
 
 
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 よしよし。今朝になって風は収まった模様。
 
あぁ、良かった。  | 
  
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 2004.1.23 [金] 葉山便り | 
 
 
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  ここ数日、葉山はゴーゴーと風が吹きすさんでいる。
 
海からの風が三ケ丘山にぶつかってうねり、おんぼろ我が家はガタピシ鳴ってて飛ばされそうだ。
 
砂混じりの冷たい風は、散歩にだって出たくない。
 
そんな風が、相変わらず今日も収まらない。
 
新年会の日曜日までには収まって欲しいなぁ....と、切に願う。
 
 
そしてこの時期の朝晩は、寒い。
 
セントラルヒーティングのマンション暮らしですっかり鈍ってしまった私の体も、やっとこの環境に慣れてきてくれた気がする。ニンゲンの適応能力は素晴らしい。
 
そんなわけで、最近は重ね着。
 
昨日と今日は、二重ガーゼの肌着・ネルの湯文字・モスリンの長襦袢・ウールの長着(男物)・薄綿の入った縞柄のお召し?(男物)・別珍の足袋。
 
縞柄の着物は、鎌倉の花ぐるまで丹前を探していて見つけた物だが、綿の入り方が控え目なので丹前というよりは、単なる綿入りの着物なのかもしれない。補強と汚れ対策に黒繻子の布を衿に掛けて着ている。
 
ウールの上に半幅を締め、その上に羽織った綿入り着物には兵児帯を巻き、買い物などに出る時は、綿入り着物を半纏やコートに変えてという感じ。
 
さすがにこれだけ着ていれば、ぬくい。
 
夜、囲炉裏のそばで寛いでいると、ほんわかしてきてぽわわぁ〜んと眠くなる。
 
あれ?もしやそれは一酸化炭素中毒?(笑)
 
ま、神経細胞が多少死滅したとしても、このぬくぬくは幸せだからやめられない。
 
 
葉山の風も寒さも、過酷な剥き出しの自然は、辛く厳しい。
 
でも、そんな環境に居るからこそ、感じられる幸せがある様に思う。
 
生命体としての知恵と能力も鍛えられる様に思う。
 
メリハリは、必要だ。
 
 
でも、日曜日だけは穏やかな天気になって欲しい。  | 
  
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 2004.1.12 [月] 革と皮膚と現実 | 
 
 
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  仕事仲間のお見舞いの為、東京へ。
 
 
ついでに近かったので、自由ケ丘のCAILAN'Sへ寄る。
 
http://kanshin.com/...
 
セール中だった。
 
革手袋の癖に妙にエレガントな手袋が、諭吉さん+α程度のお値段になっているので購入。最近、葉山をスクーターで走るたびに、革手袋があればなぁ...と思っていたのだ。小羊の皮は柔らかく、しっかりとした手縫い。ラベルには「FRANCESCO FARNERARI」とある。調べたけれどフィレンツェにあるお店らしい事くらいしか分からない。微妙にこだわった緩やかなラインは、着物でも違和感なく使えそうだ。
 
 
帰りがけに原美術館へ立ち寄る。
 
ずっと、パトリシア・ピッチニーニの個展が気になっていたのだ。
 
吸い込まれるように、作品の細部を自分の眼球がスキャンしているのが分かる。何と言うか、そういう作品としか言えない迫力なのだ。脳が細部を解析しながら、哲学的な妄想もしている妙な感覚。ちゃんとナマで見られて良かった。
 
そう言えば、目線を低くして見て欲しいという意図なのか、作品の置かれた空間は靴を脱ぐカーペット敷きになっていた。小部屋に別れた原美術館では、結構、何回も靴の脱ぎ履きをしなければならない。草履はたいへん楽だった。もし、これから行く予定がある人は、ブーツはやめて着物でどうぞ。二月一日まで。
 
http://www.haramuseum.or.jp/...
 
 
着ていたのは....、
 
唐桟の無地の長着に、上島洋山の洒落袋帯。洋山は母が好きで、帯を数本持っていた。これは菫の柄で、なし崩し的に私ばかりが締めている。そろそろ?(笑)
 
卵色の帯揚げに、菫色の冠の帯締め。
 
クリーム色の縮緬の半襟を付けた鴬茶色の長襦袢。
 
白足袋に畳表の草履。
 
上から、保多織りコート。
 
結局、病室でコートを脱いだ以外はずっとコートを着たままだった。
 
ま、冬の場合はそんなもん。  | 
  
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 2004.1.11 [日] どんど焼き | 
 
 
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  どんど焼きの日を間違えて記憶していた。
 
朝、正月飾りを持って浜へ出ると、気配が無い。さっき浜へ出る手前ですれ違った犬を連れたおじさんが、「あれぇ?どんど焼き、昨日だよ」と、後ろから大声で教えてくれた。
 
うわぁ〜ん、ウソ、昨日だったの?ガーン。久々にかなりへこむ。
 
どんど焼きとは、地域に根差した伝統行事で、正月に使用した門松やしめ縄を集めて積み上げて焼くという一種のお祭り。浜でやるからきっと絵になるだろうと、楽しみにしていたのに残念。
 
 
さて、燃やせなかったこのお飾りはどうしよう....と、調べてみたら、三浦半島の東京湾側で何ヶ所か今日やっているらしい。
 
えぇいっ、行っちゃえ!と、突発的三浦半島ドライブとなる。
 
134号線を南下して、途中から山を越えて三浦海岸側へ出る。
 
東京湾の向こうは房総半島だ。
 
長沢海岸という所で、それらしいモノを見かけたので、車を降りて観察。
 
間伐した竹を組む作業の傍らには、お飾りがたくさん山になっている。
 
おぉ、これだこれだ、きっとそうだ....と、しばし待つがいっこうに火が放たれる様子が無い。
 
作業中のおじさんに尋ねてみたら、今日は準備で、来週18日の日の出と共に点火するのだと言う。なぁんだ、そうか。この辺りでは、ちょうど正面の房総半島の山並みから朝日が昇るらしく、たいていの点火はその時間に合わせるらしい。うぅぅ、それも絵になりそうですなぁ。
 
おじさんに「来週、またおいで。」と言われつつ、お飾りはここで焼いてもらう事にして預けてきた。
 
来週、気が向いたら大きな炎を見に行くのもいいかもしれない。
 
 
その後、三浦海岸で大根を見物し、三崎でマグロランチを堪能し、今や三浦半島でもほとんど栽培されていない希少な三浦大根をゲットして、早めに帰る。
 
 
着ていたのは....、
 
朝着たまんまの久留米絣の長着にバザーでしょうちゃんから譲ってもらったウールの帯。御太鼓部分だけ巾が広くなってる形の帯。名前はなんというのでしょう?ウールの帯は普段に大活躍している。nicoちゃんから10円でゲットした半幅もよく締めている。ありがとう!
 
出がけにコートを羽織る。このコートは、一衣舎の木村さんから無理やり譲ってもらった保多織りユニセックス洗える仕様コートだ。実は試作も兼ねた木村さんご本人用の物だったらしいのだが、素材感と形に一目ぼれ。綿なのに暖かくて、女々しくなくて、すごくイイ!略奪して良かった。(笑)
 
 
写真は....、
 
1.正面の陸地は房総半島。こうして見ると、館山もすごく近い。
 
2.この辺ではおんべ焼きと言うらしい。作り物は10mはある。
 
3.たくあん用に浜に干された青首大根とコートの私。  | 
  
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 2004.1.5 [月] 迎春 | 
 
 
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  おめでとうございます。
 
今年はとてもお正月らしいお正月を過ごせました。
 
ハレとケがある日本の暮らしを大切にしたいと思います。
 
暖かく天候に恵まれ、気持ちのいい三が日でした。
 
 
紅白を見て、近所の森山神社へ初詣。
 
祝い箸と福錢、そして甘酒をいただき、ホッコリ幸せな気分。
 
葉山に越してきて初めてのお正月なので、
 
まずはここへお参りに行きたかったのです。
 
念願かなって良かった。
 
着ていた着物は、大晦日のまま足袋も別珍のまま。
 
暖かいので、上にちりめんの長羽織を羽織り、首にショール。
 
寒くはありませんでした。
 
 
元旦のお昼は、お向いのNちんが「私も着たい」と言うので、
 
私の着物一式を着付けて、森戸神社へ行きました。
 
さすがにチラホラ着物姿の人も居て、嬉しくなります。
 
私は、長着や襦袢は大晦日から着ている物に、
 
小袋帯を締め、赤い冠の帯締めを刺し色的に締めました。
 
上は、昨晩と同じ雪輪の長羽織に白いショール。
 
 
二日は、東京の実家へ。
 
親戚や家族が集まり、賑やかな楽しいひとときです。
 
新年会用に千總の小紋を持ち帰りました。
 
ついでに、祖母が着ていたモスリンの長襦袢も。
 
これは普段着に重宝しそうです。
 
着ていた着物は、大晦日と同様でした。
 
白い割烹着も持参します。
 
 
三日は、宮城へ帰る叔母を見送りに東京駅へ。
 
実は、叔母が煮付けてくれた干しぜんまいの煮物を
 
昨晩持ち帰り忘れたので、食意地半分のお見送りです。
 
叔母の干しぜんまいの煮物は私の目標だし、
 
めったに食べられないから貴重なのです。
 
着て行った着物は、ずっと同じ生成の結城に、
 
鉛色の縮緬地の紅型名古屋帯をお太鼓にして、
 
卵色の帯揚げ、朽葉色の冠の帯締め。
 
暖かいので、同じ雪輪の長羽織だけで大丈夫でした。
 
 
四日は、鎌倉の友人が遊びに来るというので、
 
しめしめ....という感じで、お節などのお正月料理を
 
胃袋の中へ片付けてもらいました。
 
さすがにそろそろ白っぽい紬も気疲れしそうな気分なので、
 
半襦袢に青系のウール長着、綿の半幅、タビックス。
 
夕暮れどきの浜散歩は、つんぬきにポンチョで暖かくして。
 
晩ご飯も付きあってもらって、お料理は八割方消化。
 
 
そして、お正月料理が減るのと一緒にお正月気分も薄らぎ、
 
いよいよ「日常」が、また始まります。
 
 
今年も一年、みな健康で良い年でありますように....。  | 
  
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