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写真のお雛さまは、新年会で集った「音羽楼」に飾られていた約100年前の物。
この別荘の創建者である玉塚家に伝わる由緒正しいお雛さまだ。
とても高貴で、上品なのだけれど優しそうな顔立ちに、うっとりと見とれてしまう。
大切に保管されてきた為、保存状態が大変良く、すべての素材が“本物”である。
絹地の着物地、髪飾りの珊瑚、蒔絵の金、ミニチュア琴は象牙、簪の銀細工、べっ甲....などなどは、じっくりと細かな観察をすればするほど“本物”の力を感じた。
今日は、このお雛さまを片づけにいらっしゃった持ち主にお目にかかった。
この別荘の創建者の娘さんである目の前の女性は、まるでこのお雛さまの様に美しく上品な方だった。子供の頃のここでの暮らしをいろいろ伺う。兄弟姉妹にはそれぞれにお付きの人が居て、夏の別荘暮らしは、生活道具一式を運び込み、「日帰りなんてとんでもない」という人と物の大移動だったそうだ。いわゆる“別荘族”と言われた上流階級の暮らしぶりを聞きながら、品格というのは持って生まれた血筋だなぁ....などとぼんやり考える。
着物の事にも話が及ぶ。
昔は、身分によって着る着物は違った。女中は綿や紬の絣だし、粋筋の人はそれっぽい衣装として、良家の子女は伝統柄の柔らか物。立場によって着る物が決まっていたし「それが当たり前」だと思っていたと言う。
今は、どんな着物だって自由に着る事が出来る。着ているものから身分を推測される事もない。それだけ、女性の生き方が多様になったのだろうと思う。反面、今は一人の女性が「奥様」も「女中」も「職業婦人」も全部やらなければならないわけだ。
自由と不自由。
お雛さまは、優雅で高貴だけれど不自由な気もする。
いや、不自由だからこそ、何かに守られて、優雅で高貴な雰囲気を醸し出せるのか。
お雛さまと、お雛さまの様な女性に会って、そんな事を考えた。 |