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 2005.9.29 [木] 久留米絣 | 
 
 
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  今年の春、まとめて譲り受けた中の一枚。
 
厚手木綿の久留米絣に袖を通してみた。
 
もちろん、お端折りは出来ない。
 
それを更に短めに着付ける。
 
裄も袖丈も短くて、
 
袂がまぁるく仕立ててある。
 
適度に着込んであって柔らかな風合い。
 
 
黒沢映画の赤髭を思い出す。
 
雑巾掛けしなくっちゃ。
 
 
母達に言わせると、
 
木綿の絣は、「貧乏臭い」らしい。
 
うん。それも分からなくもない。
 
 
でも、実際、毎日着物で家事までこなすと、
 
こうした“労働着”に徹した着物は気楽でいい。
 
キビキビ働けて気持ちいい。
 
久留米絣の働き者っぽい雰囲気も好きだ。
 
 
今の時代は、
 
色んな着物を好きなように着分ければいいと思う。
 
ひとくくりに“着物”って言ったって、
 
ピンからキリまであるんだからさ。
 
 
※写真は、
 
上:久留米絣に半幅ミンサーをカルタ結び。
 
下:今朝、浜の公園で拾ったドングリ。  | 
  
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 2005.9.25 [日] ちりめんみたいな海 | 
 
 
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  海の表情は見ていて飽きない。
 
毎日、時間ごとに刻々と変わる。
 
壮大な大自然の演出には人間なんか敵いっこない。
 
いつも、ぽかんと口を開けて「すげぇなぁ」って見とれてる。
 
今日は、台風が去って風が強く、でも波が無くて、
 
海の表面がちりめんの反物みたいに見えた。
 
ちりめんの向うには、伊豆半島や大島まで見える。
 
キラキラ光ってるのは、熱海辺りの建物かな?
 
強風で、砂浜の砂が舞い上がって肌に痛い。
 
着物の裾がはだけて湯文字が丸見え。
 
湯文字まではだけちまったら大変だ。
 
大相撲が始まるし、帰ろ帰ろと帰ってきた。
 
ところで、ちりめんじゃこの“ちりめん”と、
 
絹織物の“ちりめん”は、なにか共通の語源でも?
 
そんなくだらない事を考えつつ、ごくらくな三連休オワル。  | 
  
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 2005.9.23 [金] こみちあるき | 
 
 
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  そろそろ散歩の季節かな?と、「葉山のこみち」をかばんに入れて、こみちを歩いた。
 
10時くらいに出発して、途中お昼ご飯も食べて、帰ってきたのは3時半。鐙摺(あぶずり)から一色まで、細いこみちをぐるぐる探検。ほんとに色んな発見があって面白い。まだまだ未踏のこみちがたくさんある。同じこみちでも季節によって表情が違う。歩く度に新鮮。
 
おばぁちゃんになっても、元気に自分の足で葉山のこみちを歩いていたい。柔らかな感受性のまま、楽しい発見を続けたい。つまり、ココロとカラダの健康がイチバン大事。
 
ところで、陽が差すとまだ暑かった。半襦袢+薄手木綿の長着+半幅+ビーサンという残暑対応普段着スタイルだったけど、背中にもんわか汗かいた。帰宅後すぐにシャワーを浴びて、ビール&大相撲。ごくらくな三連休初日。
 
 
※写真は、
 
上:鐙摺バス停裏の小さな浜。
 
中:家紋入り工芸品みたいな「タコノマクラ」。棘皮動物。
 
下:人ひとり分の幅しかないけど町道。道端にぽつんと彼岸花。  | 
  
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 2005.9.20 [火] ツギあて | 
 
 
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  台所で料理してる相棒。
 
晩酌しながら夕刊を読む私。
 
夕刊をめくる拍子にふと見ると、彼の短パンのお尻が裂けていた。
 
「あれ?破れてるよ。」と教えてあげると、「ウソ!あ、ホントだ。この短パン好きなのに」と残念がってる。そーだよねー、ずいぶんと気に入ってはいてるよねー。もう何年も前に買った“STUSSY”の短パン。よく見たら、お尻の部分はだいぶ布が薄くなっている。「寿命だよ」と私が言っても「ちぇ、もうダメかなぁ」と、まだ諦めきれない様子。気に入らない洋服は新品同様でほったらかすくせに。(笑)
 
しょうがないなぁ....と、数日後、ミシンに向かう。
 
ちょうど先日買った“MASON'S”のタグ替わりの布が目に付く。花柄ポップでキュートな布きれ。これこれ、これがカワイイ。赤い糸をセットして、まず裏から晒を当てて裂けた部分をジグザクに縫う。表に返して、MAISON'S布を当てて、花の周りや文字のアンダーラインみたいに、ミシンでカタカタ線を描く。
 
ふふふ。
 
おちゃめなツギあてパンツの出来上がり。
 
相棒に見せに行く。「えー!?派手だなぁ」
 
うん、派手だね。(笑)でも、オヤヂが着るからこそカワイイぞ。
 
そんなわけで、リニューアルした相棒のお気に入りパンツは、引き続きお気に入りみたいで、よく履いてくれている。
 
今日も、台所でツギ当てパンツのお尻がかわいい。
 
 
以上、ちくちく部の自主トレ報告。  | 
  
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 2005.9.17 [土] ネオン街から月夜の浜へ | 
 
 
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  蒲田の猥雑なラブホ街にその店はある。
 
「ウマウマなベトナム料理を食べに行きませんか?」と誘われてフラフラ出かける。
 
なかなか予約も取れないという評判の店は、やっぱり大変旨かった。
 
着物で集まるというので、私も。
 
下品なネオンや看板が並ぶ路地を歩くキモノビト達。
 
とっても妙で、いいカンジ。(笑)
 
 
そんなわけで、私はキッチュ&下品に着崩した。
 
単衣の長着は、不揃いな縞がフリーハンドに染めてあるてろろんとしたちりめん。
 
半襦袢に麻の葉柄の手ぬぐいを切らずにそのままかける。芯無しだから適度にクタクタだらしなくてそれでいい。半幅帯は短めなので片結びして結び目の上をかぶせてオシマイ。だらりと垂れは長目に、ユラユラ。コタツの電気コード紐がなんだかカワイイので帯締めにしてアクセント。花柄悪趣味足袋も足下のアクセント。草色本天の鼻緒の右近下駄。
 
こんな風に、組み合わせや着方で遊ぶのは好き。
 
でも、イメージ的には着る人の年齢は、25歳くらいまでだよなぁ。
 
自分でもよくやるな....と。(笑)
 
 
お腹いっぱいになって、帰路につく。
 
でもまだ今日は帰らない。
 
逗子駅から山周りのバスに乗って長者ケ崎へ。
 
今晩は「満月ツーリング」があるからね。
 
バス停前のバーで日付が変わるまで暇つぶし。知った顔が続々集まる。
 
そろそろかなぁ?と浜へ降りる。砂浜にくっきりと月影。てろろんとしたちりめん地のシルエットが秋らしくていい。縞柄も月明かりに浮かんできれい。月夜に着物はやっぱりいいな。
 
月を眺め波の音を聞きながら、大倉さんを待ったけど、またフラれちゃう。く、残念。
 
でも、「現場に行ってみなければ分からない」なんて事にいい歳こいた大人達が大勢集まる。月明かりの浜で大倉正之助の大鼓を聴こうと大勢集まる。そんな事実がとても素敵。なんでも情報化された今の時代だからこそ、とてもいい。  | 
  
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 2005.9.15 [木] 秋の気配 | 
 
 
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  昨日までの残暑とはうってかわって
 
今日の葉山は爽やか。
 
でも急に秋がやってきたわけじゃなくて、
 
日中は暑かったけど、ちゃんと日毎に秋がきていた。
 
咲く花、空の高さ、夕焼けの色、虫の声、月の輝き。
 
ほんとに日毎に、少しずつ違う。
 
淡々としているようでドラマチック。
 
ぃやあー、おもしろいなーーー。
 
 
写真は、9月13日の夕焼け。
 
昼間はほんとに暑かった。
 
赤と紫の世界。
 
本当の色はデジタルには記録不能。  | 
  
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 2005.9.12 [月] 凹む。 | 
 
 
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  アンチホワイトバンドな意見やサイトをたくさん見かける様になったので、昨日、シンプルな思いを書いた。迷ったけどアップした。
 
でも、「ライブ8の深層」とか、矛先となってる「日本政府に対する債権放棄」の問題とか、選挙の結果とか、政治的な表面や、裏や、そのまた裏の裏を、足りない知能をフル稼働させて考えているうちに、どんどん凹んで落ち込んでしまった。ずぶずぶずぶ。
 
アンタ何様?
 
変わるかも?
 
ダークサイドな自分の声に悶々とする。
 
「こんな時は寝てしまえ!」と、布団に潜り込むが、明け方目覚めて、また堂々巡り。
 
ほっとけないけど、ほっとくべきなの?
 
 
結局のところ、私には分からない。
 
でもやっぱり“無関心”はよくないと思う。
 
 
世の中は、ほんの一握りの人達のパワーゲームで動いている。
 
無関心な状態は、その人達の動きを楽にする。
 
地球上の全ての人間を、あなた達のパワーゲームに巻き込まないで!
 
戦争はまっぴらごめんだ!
 
 
ずぶずぶに落ち込むだけ落ち込んだら、立ち上がる元気が出てきた。
 
しかし、ナニヤッテンダロ、アタシ。
 
さぁ、やる事、どんどんやっつけよう。
 
 
※写真は、庭の萩と近所の芙蓉。  | 
  
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 2005.9.11 [日] ホワイトバンドと糸の危機 | 
 
 
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  100円ショップが嫌いだ。
 
もう数年、店内に入った事はないけれど、どう考えても100円で売られたら可哀想な商品が並ぶ光景。「アタシにはもう100円の価値しか無いの」と、恨めしい声がドヨヨンとした空気となって充満している。....気がする。
 
100円で採算がとれる背景には、学校にも行けずに働く子供達の労働力や、フェアじゃない取引や、国力による貨幣価値の違いなど、歪んだ経済構造がはびこっている。
 
今の世の中は、全ての事柄が“経済”とか“効率”で判断されて回っていて、そんな風潮がたまらなくイヤだ。どんどん“人の思い”が取り残されていく。哀しい。
 
着物業界では、糸の危機が叫ばれて久しい。国内では、糸を績む、紡ぐ、といった作業をするより、スーパーでレジ打ちのパートをした方が時給がいい....という現実。生産者の個性や思いより、効率を重視するビジネス。着物の世界にも、100円ショップと同じ論理が働いている。哀しい。
 
私は、何かを購入する....という行為は、その商品に対する「一票」だと思っている。
 
“好きだから”、“欲しいから”、“いいと思うから”。
 
“安いから”、“とりあえず”、“早いから”。
 
全て、同じ「一票」。
 
不公平な今の状況を変えるために、今、私が出来ることは、毎日の暮らしの中でそんな「一票」を大切に考えながら積み重ねていく事なんじゃないかなぁ?と思っている。リスペクトする気持ちを一票に託す。
 
たくさんの人が自分の消費行動を意識していけば、少しずつ何かが変わるかもしれない。アフリカも救われるかもしれない。着物の世界も変わるかもしれない。
 
そして、消費行動がアウトプットなら、インプットである仕事に対する姿勢も同じ様に意識したい。数字を動かして儲けるなんて絶対変だ。効率が多少悪くたって、自分の仕事に誇りを持って真面目に働くことは、必ず“貧困をなくす”ことに繋がっていくはずだ。糸績み作業をやってみた時、私の指先は「楽しい」と喜んだ。手間を楽しみ、何かを創りだす喜び。それらは、効率の論理からこぼれ、忘れ去られた仕事の根源だけど、私は忘れずに意識していたい。
 
 
そんな思いを込めて、ホワイトバンドをしている。
 
常に自分で自分の意思を確かめるためにも。
 
 
2005.06.16の日記に書いたこれ。(↓)
 
>着物に関係ない話題でごめんなさい。 
 
>でも、私の中では完璧に繋がっているんだ。 
 
>説明するのは難しいけど。
 
 
やっぱりうまく説明出来ないけど、
 
三ヶ月後の今だからこそ頑張らなくちゃと、書いてみた。
 
 
※写真は、自分で糸績みした糸芭蕉の糸。
 
今、庭に咲いているホワイトジンジャーと芙蓉の花。  | 
  
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 2005.9.1 [木] 夏の終わり | 
 
 
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  あぁ。夏が終ってしまった。
 
昨日の夜は、海の家の営業最終日。
 
ラストナイト。
 
名残惜しくて、一色の海小屋でまずビール。
 
そして最後のKAZZライブ。
 
それから、森戸のOASISまでハシゴ。
 
みんな集まってる。
 
最後の夜を楽しんでいる。
 
裏メニューの春雨に酔う。
 
酔ったせいか、胸がキュンと痛くなる。
 
 
いい夏だったね。
 
楽しい二ヶ月をありがとう。
 
 
9月になり、浜辺の小屋は解体され、
 
ガランとした砂浜に戻る。
 
たった二ヶ月の海の家は、泡沫の夢のよう。  | 
  
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