|
2003.10.28 [火] 11:20 pm |
|
|
「モガのような帽子が欲しいなあ」と思っている。モガモガ...っと、思いつくままにモガの名前を検索。入江たか子から「銀幕の女神たち」http://www1.odn.ne.jp/...というHPにたどり着いた。ヘアバンドに着物の瀧花久子が面白い。
ラピュタ阿佐ヶ谷の「昭和の銀幕に輝くヒロイン」も気になる。
(画像は『ZOLA』1997年10月号P.153より) |
|
2003.10.27 [月] 7:45 pm |
|
|
『別冊太陽 昔きもののレッスン十二か月』を購入する。いつもの別冊太陽に比べてお値段が手頃な1600yen。
私は身長が162.5cmあるのでアンティークはなかなかサイズがない。サイズが合って、自分でも気に入り、状態もよいものを探すのは結構難しい。そんなわけで「可愛いなあ」とは思いつつアンティーク着物好きな自分を封印しているのだが、この本を見て「やっぱりアンティーク着物は可愛いなあ」とうっとりしてしまった。
髪型も素敵なまとめ髪が満載で、大満足。今度はこの本を持って美容院に行こうと思う。なにか髪を結うような集まりがないかなぁー。
そうそう。冬に向けて帽子も欲しい。もちろん着物に合わせられるもの。今のところの候補は
ベルモードhttp://www.lesbellesmodes.com/...
銀座VOGUEhttp://www.inter-g7.or.jp/...
missCabour http://www.cabour.com/ |
|
2003.10.25 [土] 11:28 pm |
|
|
仕事が終わるなり、急いで阿佐ヶ谷へ向かう。今日はうめ吉さんのLIVE。滑り込みセーフで、ソーラン節と三味線ブギウギと東京音頭の3曲を聞くことが出来た。初めて聞くうめ吉さんの声ははとても愛らしい。髪は島田(水色の鹿の子がついていたから結綿かな?)に結っていらして、水色の着物をお召しだった。帯はお七結び。会場が混んでいた為に余り見えず、それ以上は確認できなかった。残念である。次にワンマンライヴがあったら絶対に行くぞ!その時は私も着物で。
ライヴのあとは、しづっち.のりんさん.ミホちゃん.リリコさんとMUNCHhttp://www.zakzak.co.jp/...でご飯。お腹が筋肉痛になるほど笑った。 |
|
2003.10.24 [金] 8:51 pm |
|
|
会社帰り、本屋に寄る。まずは『VISIO』と『anan』と『昔きもののレッスン十二か月』を立ち読み。それぞれ「お!」と思う個所があり、目に焼き付けた。
立ち読みの次は、ファッション本のコーナーで絹の歴史本探し。まず手にとったのは『わかりやすい絹の科学』。なぜかストッキングの記述に大きく誌面が割かれている。シルクのストッキングはたしかに良さそうだけれど。気になったのは絹と化繊の混合素材の種類について書かれたくだり。その部分だけコピーしたかった。巻末に絹の歴史表つき。
『アパレル素材服地がわかる事典』もなかなか面白かった。布目の写真や、織り生地名(斜子織など)の解説が気になった。
上記2冊は絹の歴史とは関係なかったため、歴史本のコーナーで、ファッション史の本や「シルクロード」本を漁る。なかなか良かったのが『シルクロードを知る事典』。実は、昨日の日記で‘中国から’と書きながら、中国(王朝とその版図)について注意書きしなかったなあと反省していた。「中国」などと書くと中華人民共和国の地図を思い浮かべがちだものね。この本を読めば、そこらへんも細かくフォローしてくれると思う。絹についてもきちんと章が設けてあった。面白いなと思ったのは、黄河流域ではなく長江流域で絹に関する出土品や伝説が残っていることや(紀元前5000-4000年紀)、丈夫な絹があるからこそ紋織が発明されたのではないかということ。著者の長沢和俊氏はシルクロード研究の第一人者。それだけに情報は満載なのだが、「今時、シルクロード史観もなかろうよ」とこの本は本棚に戻す。ごめんよ。
帰宅後、紀伊國屋書店のサイトhttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/...で検索したら『絹の東伝』『倭人の絹』なども良さそう。
で、結局『アジアの歴史と文化--西アジア編』を購入。絹についてはまったく書かれていない。なんで歴史の本なんて買っているのだろう。本屋は魔窟だ。 |
|
2003.10.24 [金] 0:12 am |
|
|
23日の日記を書いていて思い出したのだが、ODAがインドでの養蚕技術の普及http://www.jica.go.jp/...に協力している。色々と問題もあるODAだが、これはなかなか良い計画のように思える。中国からの輸入に頼ってきた二化性生糸をインド国内で生産しようというのだ。二化性生糸とは二化性蚕からできる生糸で、「二化性蚕とはふ化する回数がより少ない蚕のこと(自然状態で2回)。一般的に二化性の方が繭が固く大きく、生糸は長く高品質であり、高級絹織物のタテ糸に使われる。」のだとか。
中国の絹といえば、歴史でもよく習ったように思う。まずはリヒトホーフェン言うところの「シルクロード」。この場合も絹は‘中国から’地中海世界へ絹が渡っている。ちょっと調べたところだと、紀元後500年頃からヨーロッパでも養蚕がはじまったらしい。が、やはり世界のどこよりも中国のほうが絹の分野では上を行っていたようだ。16世紀のメキシコとのガレオン貿易でも絹は‘中国から’メキシコへ流れ、かわりに中国は銀を得た。19世紀には三角貿易で有名なイギリス-インド-中国の三国間貿易が始まった。この時もまた‘中国から’イギリスへ絹が輸出されたのだ。当時のイギリスでは、中国のような上質の絹はつくれなかったと授業でも習ったように思う。
ちょっと思い出しただけでも、とても気になる世界史の中の絹。1冊にまとめられた本があれば良いのだけど。今度、本屋で探してみよう。 |
|
2003.10.23 [木] 9:33 pm |
|
|
紫織庵のHPを見て驚いた。2004S/SのN.Y.コレクションで紫織庵の生地を使ったブランドがあるというではないか。
そのHeatheretteのコレクションはこちらhttp://www.firstview.com/...
(ただし2004S/Sは2004A/W発表まで見られません)
変ったプリントが好きなのか、日本が好きなのか、2003A/W L.A.ではキティ柄の布も使っている。しかもモデルにはヒルトン姉妹の片割れが...(画像)。うーん。縮小すると渋谷のギャルにしか見えない。
一見した感じではHeatheretteの日本の捉え方がキャッチーすぎるのが気になるが、リメイクではない友禅の洋服というのは面白いと思う。デザイナーには、これを機会により深く日本を知って欲しいなあ。友禅が「キモノの生地だという事なくしても」魅力的だと知って欲しい。 |
|
2003.10.22 [水] 8:45 pm |
|
|
濱尾文郎氏が枢機卿に任命されたらしい。私は小学生の頃、濱尾氏を外国の人だと思っていた。なぜかといえば、小学校にいた外国人神父様がミサの時に「ワタシタチノ教父ヨハネ・パウロ2世 ワタシタチノ司教ステファノ・ハマオ・フミオ」と外国風にお名前を読み上げていたからだ。(その頃の濱尾氏は横浜教区の教区長でいらした。)どこをどう聞いても日本人の名前には思えなかったのだけれどなあ。
この話を彼にしたら「俺なんか小さい頃『もろびとこぞりて』は外国の歌だと思っていたよ!」と言われた。上には上がいるものだ。 |
|
2003.10.19 [日] 9:43 pm |
|
|
昨日、林檎果汁をこぼしてしまった着物を銀座もとじ悉皆へ持っていく。ちょうど山岸幸一氏の紅花紬展だったために和織は混雑していた。紅花紬の作品もいくつか見せていただいた。見るだけでもお勉強になるものね。黄色や紅色が美しく、植物でこんなに鮮やかに染まるのだなあと驚いてしまう。糸もこだわりがあるのだそうだ。なま繭を熱風で殺さずに冷蔵庫にいれ冬眠させる為、絹の風合いが損なわれないのだとか。
さて、汚してしまった着物はプロにお任せする。「これならとれますよ」と言われて一安心。ただし1ヶ月程度かかるのだそうで、お茶+バザーには着ていけない。そうなると、太田屋さんに預けている格子の着物をとりに行けなければ着るものがない!
銀座の後は、VOGUEのパーティーへ。一人で行ったのだけれど、違うパーティーで以前にも見かけた方がいたのでお話しした。大島に更紗の帯をあわせていらっしゃる方や、赤い襦袢をコートにしている方ともお話しする。着物度は思ったより低かった。やはり洋服の雑誌主催パーティーだからかしら。
赤い襦袢をコートにしてらっしゃる方は可愛らしくて会場でも目を引いてらした。格式あるパーティーでなければ、着物の着こなしにも遊びがあったほうが素敵だなと思う。遊びのポイントは、着付けの仕方.メイク.髪型の三点。どれもこれもなかなか一筋縄には行かないなあ。お洒落の道は1日にしてならず。
あ。そうそう。日経コンデナスト社長 兼 VOGUEの編集長 斉藤和弘氏は格好良かった。当たり前だけれど良いものを着ているなあ。
(画像は会場に活けてあった花) |
|
2003.10.18 [土] 0:02 am |
|
|
陶子さん主催の「秋の信州 小岩井工房を訪ねるツアー」に参加。朝5時に起き、新幹線あさまに乗って上田に向かった。車中、流れる窓外の自然がちらほらと色づいている。紅葉はここまできているのだな。
上田駅で集合し、小岩井紬工房に向かう。ご主人に上田紬の歴史をうかがい、経糸や緯糸や真綿をみせていただいた。この素材感の違いが「ツヤツヤざっくり感」を生むのだそうだ。そして上田紬は縞や格子が特徴。パンフレットにも井原西鶴が「この手紬の基盤縞は親仁の着たる」と書いてあり、基盤縞は上田紬の特徴とした縞柄のこと。
初めて訪れた人は工房も見学させていただいた。織りかけの帯や着尺が機にかかっているので、経糸と緯糸の違いをきちんと確認することが出来た。この空間のなかで糸を紡ぎ、染め、織っているのかと思うとなんとも言えない気持ちになる。いつも思うのだけれど物が生む出される場所には迫力がある。今度は平日の機が動いている時にうかがいたいな。
見学の後は紬の山に埋もれた。陶子さんが「絵織ちゃんの好きな千代の富士がお召し紬を着たのだって」と教えてくださった。陶子さんは何故、私が千代の富士ファンだということを知っているのー?
反物の山をあとにし別所温泉へ移動。そば久で蕎麦をいただく。麺を食い食い。自然を見ながらのお蕎麦は美味しい。
安楽寺を見学した後、小山憲市氏の個展へ行く。作家物の上田紬は洗練された感じだった。色々と反物をあてていただく。他の人が「似合うねえ」というものは面白い。新たな自分を発見する心地がする。清潔感を意識しつつ、いろいろな色柄にチャレンジしたいと思った。(特に縞)
良い具合の時間になり、夕食をいただくために上田駅へ戻る。夕食はイタリアン。最後のパスタ、美味しいのにお腹が一杯で少ししかいただけなかった。麺に悔い悔い。
今日の総括は「こへさんのお連れさんのひろたさんは時計マニア!」「陶子さんはやっぱり関西人!」「さわやかに!」という感じだろうか。松茸パンも気になった。
みなさん、ありがとうございました。
今度は京都旅行? |
|
2003.10.16 [木] 8:34 pm |
|
|
いよいよ週末に迫った信州ツアー。週末の天気が気になり、長野県中部の気候を調べる。土曜は晴れのち曇り。前日の最高気温は20度 最低気温は5度。...5度。5度ー!!今週頭のかごっまは最高気温29度 最低気温21度だったがー。長野はわっぜ寒かねえ。 |
|
2003.10.14 [火] 0:16 am |
|
|
昨日も一緒だった友人と鹿児島空港近くの椿高原茶屋とチェコ村 http://www.praha-gen.com/ へ。彼女が「鹿児島ノ顔」という写真集の企画でなんとアラーキーに撮ってもらった話(脱いだら?なんて冗談を言われたようだ)や、最近習っているという着付けの話に花が咲く。
鹿児島は野菜が美味しくて、空気も美味しかった。なにより人間がみんな優しかった。名残惜しい気持ちで飛行機に乗る。また来るよ。鹿児島。
(画像は永江先生デザインの振袖が印刷されたDM葉書。
10/17-26 N.A.ギャラリーにて振袖展が開催されるのだそうだ。) |
|
2003.10.13 [月] 9:17 pm |
|
|
「せっかく鹿児島まで来たのだから」と都城の永江織物(旧東郷織物) http://www.togo-orimono.org/ まで足を伸ばす。
道がわからずに電話をいれたらば、永江先生が織物工場の前で待っていてくださった。先生とお会いできると思っていなかったので、小心者の私は緊張して舞い上がってしまった。
まず、応接間に通していただき、永江先生ご夫妻のお話をうかがった。綿薩摩とはどうして生まれたか、どんなものを目指したか、などなど。お話してすぐにわかったことは、先生はとても優しくてチャーミングでいらっしゃるということ!「僕は大したことないの」と謙遜されながら、色々なエピソードを面白く説明してくださる。あまりにお話が可笑しくて、凄いかただということを忘れてしまいそうになるほどだった。
お話の間にも「楽書帖」と銘打たれたスケッチブックを見せていただいた。実際に帯や手ぬぐいなどになった絵もあり、まさにイメージの宝庫。1枚づつ絵のソースの説明をしてくださったのだが、漢詩あり、藝術あり、俳句あり、小説あり。その知識の豊富さと想像力の深さにも感動してしまった。一緒に行った友人とともに永江先生ご夫妻の魅力に引き込まれてしまう。証紙にもなった武者小路実篤氏の書や、まだ小さい曾孫さんとの合作という微笑ましい絵も拝見した。
お話が一段落したところで、奥様に同乗していただきギャラリーと工房へ向かう。車で5分程の場所。
工房では6人ほどの織り子さんが綿薩摩.大島紬.夏大島を織っていらした。やはり2〜3反分を一度に機にかけ織るのだそうだ。見ると、とにかく絣模様が細かい。絣模様の緯糸を渡すときに柄を合わせていく。それでもすこしづつずれていくために絣合わせをするのだそうだ。ニードルのような針で、柄がかすれてしまった部分の経糸と緯糸をあわせていく。すると柄がはっきり浮き出てくる。この作業が見ていて飽きない。私の持っている着物もこんな風に、奇麗な微塵格子柄になるように合わされたのだろうか。ありがたい。頭ではわかっていても、実際に見るとやはり重みが違ってくる。拝むような気分で見学を終えた。
その後は併設されるギャラリーで、永江織物の商品を見た。案内してくださったのは先生の娘さん。単衣の大島紬に、柚木沙弥郎氏の帯、麻絽の襦袢をお召しだった。宮崎は10月でも単衣に麻襦袢も納得の暑さ。ギャラリーにはいわゆるB反などもあり、お徳な気持ち。しかし、優柔不断な性格と「頼めば友人がまた買いに来てくれる」という安心感から、即決せずに1日考えることができた。友よ、ありがとう。
お茶をいただき、奥様を乗せて永江織物へ戻る。見学とショッピングの間、奥様はずっと待っていてくださったのだ。帰りしなに、見学につきあってくださった娘さんとは別の娘さんが経営されている洋服屋さんにも寄らせていただく。迷惑だろうに、ここでも温かく迎え入れていただいた。次々と向かってくる優しい誘いを断れず、もはや図々しい客状態に突入していたかもしれない。
工場に戻り永江先生のお話の続きを伺う。話は織物のことから家族のことや、私たちの結婚の話へ。ご夫妻で「あの人はどうかしら?」などと、今日はじめて会った私たちの縁談まで心配してくださる。さらに「近くに美味しいお店があるのから今から一緒に夕飯へ」とお誘いを受ける。きっとどんな人にも平等に優しいお二人なのだろう。これから綿薩摩と夏大島を着るたびにお二人の事を思い出してしまいそうだ。友人もすっかりご夫妻のファンになってしまったようだった。
13時に伺ったのに帰る頃には18時近くになっていた。夕飯は同級生の旦那様がオーナーシェフをしているというイタリアンレストランへ。お腹も心も満足の一日だった。 |
|
2003.10.12 [日] 8:17 pm |
|
|
中.高校時代の友人の結婚式に出席するために鹿児島へ発った。残念ながら私はホテル挙式に着ていけるような着物は持っていなかったのでワンピースで参列した。鹿児島はまだまだ暖かく、町には半袖の人もちらほらと見えたが、ご両親ご親戚はきちんと袷の着物。黒留袖、訪問着などをお召しだった。
式はとても感動的で、私は花嫁に「なんで泣いているんだよぅ」と言われてしまうくらい泣いてしまった。花嫁の手紙は反則技だと思う。
(写真は花嫁と私) |
|
2003.10.5 [日] 6:18 pm |
|
|
2日連続でなか志まやさんの気っ風市へ行く。今日は綿薩摩を着ていったので、それにあう帯を色々と見せていただいた。地色や糸の色を指定できる刺し子の帯と、切りビロード帯が気になる。ビロード帯はビロードで表現される柄も指定できるのだそうだ。しかも手の届くお値段。昨日から気になっていた道屯織は、今日見ても素敵だった。新潟県のかざぜんさんで作られている布なのだそうだ。帯も欲しいが、着物も欲しい。結局、優柔不断な私は何にしようか決めかね、何も買わずにお店を後にする。
その後は能鑑賞。友人のお母様のご友人のお父様(?)がシテを演じていらした。演題にもなっている錦木なるものが、一体どんなかたちをしたものなのか色々と想像して行ったのだが、小道具は珊瑚のような枝だった。「珊瑚に似たる」などと言っていたのでやっぱりそういうものなのだろう。
1時間半、完成された世界を満喫。
終演後、シテのかたにご挨拶をした。まだ舞台の熱を持っていらして、本当に錦木の世界から帰っていらしたかと思うほどだった。後で友人に聞いたところ、お年は80歳くらいなのだそうだ。そしてこれが最後の舞台になるのかもしれないとの事だった。
能の後は、後楽園でお茶。後楽園って野球しかないのかと思っていたけれど、遊園地だった。楽しそうー。
(画像はお能のお土産 和菓子) |
|
2003.10.4 [土] 11:56 pm |
|
|
なか志まやさんの気っ風市へ。仕事帰りだったのでお店に到着したのは閉店間際になってしまった。
HPの画像にもある白×柿渋染め格子柄の道屯織、それにあわせてディスプレイされた東郷織物の茶の木綿帯がとても素敵。お値段も気っ風が良い。欲しい...。私は最近、白と見まごう淡い色合いに惹きつけられる。その点で、なか志まやさんは淡い色合いの幾何学模様が多いので、結構ぐっとくるものが多い。私は洋服感覚の着物が好きなのかもなあ。
着物を見た後はなぜか赤坂見附のNINJAでお食事。にんにん。うまいでござる。カートも楽しみでござる。 |
|
2003.10.3 [金] 0:36 am |
|
|
「バラの宮廷画家ルドゥーテ展」へ行く。実は私は無類の薔薇の匂い好き。館内にたちのぼる3種類の薔薇の匂いに嬉しさの余り気を失いそうになる。
帰り道では金木犀の匂いが鼻先をかすめる。秋の夕暮れの空気が肺胞を押し広げてくれる。
匂いは、感覚器官のなかでも最も長く記憶が残るのだそうだ。今日のこの幸せな匂いも忘れずにいられたらなと思う。 |
|