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2004.9.29 [水] 5:58 pm

午前中だけ出勤。

午後はEPOCAの地下にある「和の器のセレクトショップ日々」で器を見て、その後、RIMPA展へ。

酒井抱一の「夏秋草屏風図」が目当て。これは光琳の風神雷神の屏風の裏面に描かれたもので、風神の裏には野分に倒れる秋草が、雷神の裏には雨に打たれる夏草と水の流れが描かれている。風の流れ、水の流れ、草花の動き。琳派は画面の構成が大胆と言われるけれど、表面的な構図だけでなく、こういった見えない動線を含めてのことだと思う。本来屏風の表であった風神雷神との対応も素晴らしいなあ。

もうひとつ気になったのは俵屋宗達「舞楽図屏風」。左隻には蘭陵王、右隻には納曽利が描かれている。このふたつが対になった番い舞(つがいまい)という事は知っていたが、他の3つの舞を知らなかった。2人では舞うことのない蘭陵王も納曽利に合わせたかのように何故か2人で踊っているようにも見える。とにかく何か意味があって対になっているに違いないと、調べたら面白かった。http://www.tv-tokyo.co.jp/...

感じ取らなければわからない構図がある。その見えない動きが大胆だなあ。

2004.9.28 [火] 10:47 pm

真楽の皆様とお食事。
途中から参加したせいか、お話できなかったかたも居て残念。
楽しみはまた次の機会に。

最後に食べたドーナッツが美味しかった。
あれが私のお月見団子。

2004.9.27 [月] 9:13 pm

雨に負けて1日家でゆっくり過ごす。本当は松屋銀座の「石田毅司つまみ簪展」へ行きたかったのだけれど。

昼頃、注文していた種子鋏(4寸)が届く。牧瀬種子鋏製作所のもの。昔ながらの技法で作られたこの手打ち鋏は「切るたびに磨く」と言われ、刃が刃を研ぐ。その佇まいも簡素ながら力強さがある。

夜、なか志まやさんからメールが届く。なんとお任せしていた羽裏のデザインを芝さんがしてくださったらしい。びっくり。なか志まやさんは誂えに柔軟に応えてくださるから、1枚こしらえるのにも喜びが沢山ある。こうやって呉服屋さんの意見を聞きながらあれこれ誂えることは着物の楽しみのひとつだろう。呉服屋さんはやっぱりプロで、私が考えつかないような事を提案して驚かせてくれるのだ。

画像は本種子鋏

2004.9.26 [日] 9:27 pm

『和のWEDDING』http://www.amazon.co.jp/...(ゴマブックス発行)という本を発見。これこそ、ありそうでなかったムック。中身もなかなかに充実していて面白い。沢山の和装婚礼写真を見るだけでも勉強になる。綿帽子も良いし、角隠しも良い。自髪で高島田や先笄を結うのも良いなあ。打ち掛けか、はたまたお引きずりの振袖か...。悩みどころだ。

ちなみに結婚の予定はない。

2004.9.25 [土] 5:12 pm

たくみhttp://www.kanshin.jp/...へ「手織りの古裂と小裂の会」を見に行く。品揃えは弓ヶ浜絣の古裂が半数を占めていた。なかにはいかにも弓ヶ浜絣らしい大柄で味のある絣もあって、心を惹かれた。

弓ヶ浜絣以外では石垣島の川平織小裂が素晴らしかった。手にとったらどうしても離せなくなって木綿の藍絣を2枚と、植物染めの花織、藍の生葉染めの花織を持ち帰る。

日本橋三越では「日本伝統工芸展」を拝見。染織では数点(宮入映氏、築添純子氏、高木秋子氏など)気になるものがあった。たくさんの作品を見て満腹。

たくみの小裂はどうしようかな。眠らせてしまうのは勿体無い。

今日のK-1ではセフォーが勝ったので私は上機嫌。

2004.9.24 [金] 9:13 pm

シャネルの真っ赤な口紅http://www.kanshin.jp/...を購入。今回発売されたのは金に輝く艶紅(ひかりべに)の「NARA」、蘇芳色の「KYOTO」、そして「AKA」。この3色を見るだけで、赤色の色の幅にうっとりする。

私が手にしたのは「AKA」。もともとシャネルの口紅にはコチニールを使っていたそうだけれど、そこに紅花の赤を混ぜた。フランスの赤と日本の赤の競演だ。また、紅花には発光作用があり、赤の中に青みをプラスしているのだ。(詳細は今月号のSPURをご覧あれ)

この口紅、着物の紅となりそうだ。

2004.9.19 [日] 9:32 pm

『美神の邂逅』(里文出版 塚田晴可著)を読む。
葉月の「阿吽」に心打たれる。
このページ、何時間眺めても飽くことがない。

2004.9.18 [土] 9:24 pm

山口伊太郎、山口安次郎ご兄弟の帯を「これでもか!」というほど堪能。安次郎氏の唐織は、軽くするために裏に糸を渡さず一色使うごとに糸をとじてある。それにしてもあの軽さ。能装束は さぞかし舞いやすかろう。

2004.9.17 [金] 6:48 pm

小川町のTEORIYAで開催されている「旅で出会った手織布」展へ。色々な土地の色々な布が所狭しと飾られていた。特に好きだったのはペルシア更紗の帯と、経緯絣の布。どちらも他の方とご縁があったようなので、私はふっくらした木綿のスカーフを頂戴した。木綿なのに空気を含んで暖かく、柔らかい。優しい手触りの布ににっこり。

今日の着物:更紗大島/弓浜絣帯/瓢箪帯留http://www.kanshin.jp/...

2004.9.15 [水] 9:56 pm

『和樂』9月号を遅まきながら手に入れる。更紗の特集が読みたかったの!

NHK「その時歴史が動いた」でトマス・エドワード・ロレンスが取り上げられていた。オスマン帝国に対する 武器としてのアラブ主義 に翻弄されたという構成は納得もするけれど、彼が偏ったアラブ主義者であったことも口添えしなければいけないだろう!「アラブは長らくトルコの圧政に苦しんだ」という一方的で誤った図式がここまで広まったのは彼の影響が大きいと思う。パックス・オットマニカという言葉もあるのに。

あ。VOGUEのオークションhttp://www.vogue.co.jp/...が気になっている。Marni×撫松庵は幾らで落札されるのかしら。

画像:和樂

2004.9.14 [火] 9:40 pm

先ず型があって、型を繰り返すうちに何かを見出して、型を破る。そうやって作られた型破りなものが素晴らしい事は理屈の上では判る。が、正直なところ表面だけ真似したものと区別がつかない。

型を写そうとしている段階のものは、良し悪しを判定する基準が型の中にある。だから、まだ判断もつく。それに対して型破りなものを評価することは容易ではないなあ。しばらくその難しさに煩悶していたが、納得できる答えを見つけた。人間に対しては、パッと見て良い人か悪い人(笑)か判断しようとは思わない。物だって同じだろう。買って付き合っていかなくては真価は判らない。使ったこともないのに、良し悪しを判断できるほど私は経験を積んではいないのだ。

文化村の創立に関わった清水氏が、その著作のなかで「芸術を芸術たらしめているのは『発見』にはじまるひとつのものの『見方』である」という言葉を引用していた。私もこの言葉が好きだ。

今、私自身は浅い物の見方しかできていないことだけは判る。もっと深く物を見つめることができたら、今見えている世界とは違う美しさを見つけることができるかもしれない。それがとても楽しみだ。

("いつかいつか"と思っていたら「若い人は若い人なりの物の見え方があるのだ」と無境さんに言われてしまった。私、もう駄目かしら...。)

2004.9.13 [月] 7:36 pm

どうしても更紗大島を着て出かけたくて、銀座へ出かける。

こうげい芥川さんで帯を見せていただいた。お店の方に「半襟はどうしたの?(変よ)」とご指摘を受ける。半襦袢に縫いつけたまま洗濯を繰り返し、皺々だったのだ。恥ずかしい〜。不精しては駄目よね。やっぱり。半襟は着こなしの要だそうだ。

資生堂パーラーでお茶をして、たくみで「小鹿田焼窯元後継者展」を見る。月曜は民藝館休館日のため、会場は民藝館のかたで賑わっていた。次は9/25から9/30まで「手織りの古裂と小裂の会」が開催されるそうだ。楽しみ。

そのあと、ギャラリー無境さんへ初めて伺う。とっても素敵な空間だった。お目当ての帯留も見せていただき、勉強になるお話も聞く。家に帰ってから気がついたのだけれど『樋口可南子のきものまわり』の青白磁の帯留は同じ作家のものではないかしら?蓬莱の女将さんも購入されたらしい。

大満足の休日。

2004.9.12 [日] 9:01 pm

帰宅すると、思いがけず 一衣舎さんから雨コート(兼 単衣)が届いていた。春に開かれた一衣舎さんの個展でご縁があった品。仕立てをお願いした時は「よっぽどのことがない限り雨コートとして使おう」と思っていたけれど、実物を見たら心が揺らぐ。折りしも季節は九月。更紗染めの大島は単衣としてデビューしそうだ。

さて、いつ おろそう?

画像:更紗染め大島雨コート(単衣兼用)

2004.9.6 [月] 8:51 pm

漆の机の上で信楽焼きの花生を引きずったら「危ないですよ」と窘められた。ひえーん。その通り。
愛を持って扱わなきゃねえ。
粗忽者で申し訳ない。

2004.9.5 [日] 7:30 pm

矢車染めの綾織が手元に届いた。植物の中からこんなにも奇麗な色を取り出して、織り上げてもらう。なんて贅沢なんだろう。このご縁に感謝せずにいられない。

午後、ほさぷさんと なか志まやさんに伺った。ほさぷさんは袋帯とご縁組。お手持ちの江戸小紋に誂えたかのようにぴったりな色味で、私も見惚れてしまった。

2004.9.3 [金] 11:23 pm

色々な人に見てもらいたい、でも売れてほしくない素敵な帯が1本。
毎日のように引出しを開けて眺めている。眼福、眼福。

2004.9.2 [木] 10:36 pm

最近、雑誌をカラーコピーするのが楽しくてならない。今日は『和樂』掲載の染谷有里氏「麗」http://www.nihon-kogeikai.com/...などをコピー。青色も好きだけれど、檸檬色も大好きなのだ。特に檸檬色+白+薄鼠という取り合わせには滅法弱い。実物が見てみたいなあ。

「重陽の節供も近い」と、菊の色に心を馳せる。

2004.9.2 [木] 9:45 pm

ざざんざについて手持ちの資料から抜粋してみた。

「(前略)平松氏は染料と手織物の研究を始めた。これは弟の中村精氏や高林兵衛氏の勧めによる。基礎の織物を京都の青田五良氏から学び、草木染めは京都の上村六郎氏の指導を受けて研究したと聞く。昭和四年に至って自宅に民藝織物の平松工房を開設して、この工房の織物を「ざざんざ織」と名付ける。この年の四月に外村吉之介氏と柳悦孝氏の二人が平松工房に弟子入りする。(後略)」
(「遠州民藝運動の記録」『民藝』2004年2月号より抜粋)

「(前略)外村吉之介氏は浜松の印象を『民藝』四〇四号に、次のように文を寄せている。(中略)「芹沢さんは高林兵衛氏とも親しくて、高林氏は絶えず芹沢作品を賞めて喜んでおられたが、次のような悲しい話があった。(中略)高林の口から「芹沢の仕事もこの頃よくなりました」と言われたのに対して、柳師(原文ママ)が「それは君の言う立場ではあるまい」と戒められたのが、高林氏の心証をひどく害したと師から聞いたのであった。その後まもなく、高林氏は自邸の民藝館問題を取止めにし、柳師から預けられていた多くの蔵品を、西ヶ崎の外村宅に押送されたのである。彼と悦孝氏との生活はそれから狭間の中のような辛苦なものとなった。(中略)」高林氏は民藝の理論家ではない。(中略)経営者的な感覚で民藝運動を支えた実践家である。氏は第一に個人作家を育てること。特に柳悦孝、外村吉之介、平松実、鳥谷成雄、芹沢�C介の各氏への支援、(中略)作品販売への協力。

(中略)高林氏は民藝運動に対して、広い分野にわたり大きな夢を抱いておられた。ところが、その進め方の手法で、柳師との間に認識の違いがあった。さらに遠州の中村、内田、平松の各氏と、浜松入りした外村、悦孝しの両氏の間にも、かなりの温度差があり、これが遠州民藝運動の挫折の要因になったといえよう。(後略)」
(「遠州民藝運動の記録」『民藝』2004年3月号より抜粋)

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