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2004.1.31 [土] 

晴れ。

 ミホちゃんとおでかけの日。
 ミホちゃんに連れられて行ったお店でおいしいお昼ご飯を頂きました。うま〜。また行こう。
 近所にあるお岩稲荷にもお参りした。お岩稲荷は左門町の他に新川にもあるのだそう。知らなかった。ちなみにお岩さんのお墓は巣鴨。

 今日のメインイベントは、KWにもなっている「高畠華宵展」に行くことだ。なかなか見応えありました。三輪明宏がいっぱいだった。
 会場の解説文の中に、華宵描くところの美少年美少女の特徴として、三白眼、どこをみているともわからない焦点の定まらない目、ありえないような手や指の柔らかなポーズ、などが挙げられていた。稲村ガ崎にあったという華宵御殿といい、本当にありえないような、浮世離れした雰囲気が作品にも生活にも感じられた。
 戦後の作品として展示してあったアルセーヌ・ルパン全5巻とそっくり同じ物が、そういえばうちにあったのだ。伯母が子供の頃の持ち物だったのだ〜。しかし一昨年、もう読まないからと小学校へ寄付してしまったのだ〜〜。大切に読んでくれているだろうか。
 
 銀座では「石田節子の箪笥の中身展」を見、晩御飯食べてまたも長話しました。今日はいっぱい喋って楽しかったです。どうもありがとう。

2004.1.29 [木] 

晴れ。夕焼けがきれいだった。山に沈む夕焼けもいいもんですよ。

 こないだの続きの治療をしに歯医者へ行った。
 幼い頃には虫歯はなく、成長してからも殆どなかった。それが急に虫歯だらけになったのは就職してからだったが、それでも神経が鈍いからか治療中に痛い思いをしたことはあまりない。だからあの歯医者のキュイィ〜〜ィン、という音を聞いても何も感じず、今日の治療でも何故痛くないのかと不思議がられた。何故って、鈍いからですよ・・・。

 餃子のようにみえる画像は、お土産にもらった私の歯形。

2004.1.27 [火] 

晴れ。

 新年会で皆さんの手作り話を聞いていたら、久しぶりに私も何か作りたい気分が高まってきたようだ。いろいろとアイデアはあっても面倒だからと実行していないことは多く、まずは簡単なものから始めました。
 画像は、アルミ線を渦巻き状にし金槌で叩いて平たくした物を幾つか作り、それらを適当に重ねた帯留。他に、山珊瑚のカケラをボンドで金具に貼りつけた帯留、七宝焼きの大き目ビーズを繋いだ帯留を作った。
 調子に乗ると狂ったように作り続ける傾向アリアリなので、暫くこういうセコイ物を量産しそう。

2004.1.26 [月] 

朝方は雪。薄っすらまぶされた程度なのですぐにとけた。晴れ。

 足にしもやけが出来た。しもやけ。こんなの中学か高校以来か。先週、寒いところで仕事してたのと、不思議な集会の会場が寒かったからかな。

 なぎら健壱「中毒」というCDが届いた。別にこの人のファンではない。歌も殆ど聞いたことがない。こんなものを買ったのは、この中にある歌「悲惨な戦い」を一度聞いてみたかったから。
 こういう歌です。(注意:お下品な歌です。)
http://zerodama.com/...

2004.1.25 [日] 楽しい集会

晴れ。本当にいい天気。夕焼けがキレイだったので明日もきっといい天気。

 真楽の新年会に行った。
 玉すだれのご披露をさせて頂くため、ミホちゃんと少し早めに会場に向った。2人で合わせての練習は全然していなかったのだ。
 もぐらの穴ぼこがある芝の庭で、じりじり暑い日差しを衣紋を抜いた後ろ首に受けながらする練習は楽しかった。上を見ると、本当に雲一つない晴天だった。おまけに私達のちょうど頭上にトンビが輪を描いていた。私は雨女なのに今日は随分気前よく晴れましたなあ。
 本番は、とりあえずちゃんとできました〜。大きな間違いもせず。よかった〜。相棒:ミホちゃんありがとう。みなこさんありがとう。
 音羽楼は、ご飯おいしかった。分量もすごく丁度よかった。また食べに行きたい。 旨いもの食べるだけで終らず、建物の説明などして頂けて更に楽しかった。
 公園を散歩したり海を眺めたり、欲張って予定をぎゅうぎゅうにして観光するのも好きな私だが、こうしてのんびりするのはいいねえ。海を見たのなんて、いつ以来だろう?(ナポリでは港に行かなかった)
 今日はこのまま家に帰ったが、東京からだったら1時間ちょっとで行けてしまうところなのね。鎌倉にしても葉山にしても、もっと探索の余地アリでこれからが楽しみだ。

本日の装い:紫無地お召+オレンジ地唐織袋帯
お召は、2年前にネットオークションで雨コートと名古屋帯のおまけ付きで3900円だったのを、洗張りして仕立て直してもらったもの。
帯は母の。

画像提供:リリコさん
陽光が神様スポットライトみたいでかっこいいのだ

2004.1.24 [土] 

晴れ。

 ようやく映画を観た。「ミスティックリバー」むむむ、面白かった。監督のイーストウッドは今年で74歳だよ。まだまだ頑張って欲しいよ、ハリー。
 伊勢丹の日本のデザイナー展へも行った。初めて見ました、蜻蛉羽織。蜘蛛の糸より細い糸も使うとか。すごすぎる。

2004.1.23 [金] 不思議な集会

晴れ。夜には冷え込みきつく、寒冷注意報とかいうのが発令された。

 先日いつもの友達から電話があり、ちょっと付き合って欲しい、とお誘いというよりお願いをされてしまった。今日は仕事後には届いたばかりの漫画「14歳」全巻(楳図かずお作)を一気に読破しようと思っていたのだが。

 お願いというのは、ある議員の応援集会に形だけでいいので出席してもらえないか、というものだった。何でも、職場の暗黙のルールにより、誰か必ず1人を連れて行かねばならない決まりらしい。こんなことは頼み辛いが、もし気にならないのならば一緒に食事に行くついでにちょっと寄る、という程度に考えて欲しい、とのこと。私には特定の支持政党や団体はないので、こういうのってどんなのだろう?という興味本位で出かけていった。
 不思議な集会だった。会場の壁には彼女の勤め先の関係者が書いた「檄文」が沢山貼られていた。「檄文」などという言葉を、今時の日常で当たり前に使うことがあるだろうか。「○×△先生、子供たちに明るい未来を!!!」などという文言が、力強いタッチの毛筆で書かれているのだ。友達によれば、これ以外にも職場環境の改善を目指して「檄文」を書いたり読み上げたりする集会があるという。中には寸劇まで披露することもあり、その内容は?と問うと、例えば、
「みんなっ!大変だ!給料がカットされるらしいぞ!!」
「えええー!なんだって?!」
というようなものらしい。プロレタリア演劇、という感じ?
 先生のお話は小一時間続いた。その前後にも、激励する言葉や挨拶などが次々とあった。内容の良し悪しよりも、とにかくそこが寒く、私も会場に集まった人達も震えていたことが印象的だった。付近に寒冷注意報が出たという町内放送が途中で流れた。
 今は家でこじんまりと商売し、その前にもあまり大きな会社には勤めたことのない私にとって、慣れない世界の一端を覗いた夜だった。

 晩御飯を友達がご馳走してくれた。友達はあのような集会に連れてきたことをしきりと恐縮しているようだったが、初めての体験だし面白かった。場の流れによっては、全員で「えいえいおーっっっ!!」
とかぐらいやるのかなあ、と思っていたがそれはなかった。

2004.1.20 [火] 

晴れ。雪は殆どとけた様。

 歯の詰め物が取れたので歯医者へ行った。
 夜、ハギレで袋を作った。「sticks」を入れる専用袋だ。こんなもん作ってないで自主練しなきゃ〜。

2004.1.19 [月] 

昨夜からまた雪。昼頃までに8cmくらいの積雪。
 
 またも雪かき。すぐにとけそうだけど。

2004.1.18 [日] 

東京、鎌倉は晴れ。うちの方は昨夜から雪が降り、今朝は5cmの積雪だった様子。母は雪かきをしたらしい。すまぬ・・・。

 着物好きな友達3人と共に鎌倉の「花ぐるま」「一文字」へ行った。欲しいものは山のようにあったが我慢し、それでも下駄を一足買ってしまった。
 ふと入った骨董屋さんで面白いものを見つけ、またしても買ってしまった。
『主婦之友 昭和七年四月號 附録 「子供物から大人物まで 和服物一切の仕立方」』
だ。絵がきれいなので欲しくなったのだが、読んでみたらけっこう面白かった。
 例えば「訪問着の襲物と袷」の頁には、
「訪問着−−−ますます歡迎されてゐる至極重寶な服裝であります。縞物や絣などでは一寸物足りない、といって裾模様ではあまりに物々しい、さうした場合に、氣軽に召されますので、最近は、なくてはならぬものの一つとなつたやうであります。」
とある。もしかしてこの頃に普及し始めたのだろうか。訪問着の持つイメージも今とちょっと違うようだ。もっと鯱鋒ばったもののように思っていたが、この本ではさほど偉そうなものではない。
 更に、長襦袢は裾模様には無地などの礼装用を用いるが、訪問着の場合には友禅や絞りなどの普通のお好みの物で構わなかったようだ。
 八掛けについても、一枚着の場合は共八掛けの必要はなく好みの配色のものをあわせればよい、二枚襲の場合には上着と下着は必ず同色でなければならないが、下着を共八掛けにした場合は上着と同色にはせず、上着は別八掛けにしてもよい、のだそうだ。流行としては、上着の八掛け・下着の表・下着の八掛けの三枚を同色にするのが受けていたらしい。また、
「紋なしのが普通ですが、一つ紋か三つ紋を、共色、または金絲のぼかし縫などでつけるのも流行」
だとか。
 今は襲は殆どないけど、こうしてみると他の点でも昨今の訪問着と大分違う。私が着付け教室で教わった訪問着とは、裾模様が縫い目を跨いでいる等の他に、
・表と同じ生地を用いた共八掛けである(付け下げは別八掛け)
・無地などの礼装用の長襦袢を着る
・紋が付いている
だったように思うが、この本の頃にはそうでもないのね。こういうキマリごとって、もちろん最低限のことは守らねばならないけれど、目くじらたててうるさく言っても、結局時と共に変化していくものなのだね。
 まだざっとしか読んでないけど、みたところ付け下げは載っていない。戦後あたりから登場するのかな。
 長着の寸法についても今時の並寸と比較してみたが、意外と大差ない。あるとすれば繰越がやや大きい(1寸)ことと、身八つ口がやや小さい(3寸)ことくらいか。

2004.1.17 [土] 

朝から雪。積雪約5cm。

 いつもの週末のように朝から出かけようと思ったが、雪のために出られず。駅から離れたところに住んでいるので、雪仕様でないくるまが動かなければどこへもいけないのだ。
 雪かきなどしていたら、小降りになった夕方、日に数本しかないバスが動いていることを知り、はやり出掛けることにした。今日はかずさんのお宅へおじゃましました。うちの方とは打って変って都内には雪はせいぜい舞う程度。かずさんちにいたっては地面が濡れてもいなかった。電車で1時間一寸の距離だが、けっこう違うものなのだなあ。
 随分長居してしまい、晩御飯においしいお店にもごいっしょさせてもらった。椎茸とメキャベツの炒め物がおいしかった。あればご飯がすすみそうな一品だった。
 雪は降るし、でもいっぱいおしゃべりしてご飯をおいしく食べて、そして素敵な着物(うしし)まで手に入れ、よい一日でした。

2004.1.11 [日] 

無事に旅行から戻ってこられました。
楽しい旅行でした。また行きたい。

2004.1.10 [土] 東京

ナポリは曇り。物凄い霧で数メートル先も見えない。

 宿はバスターミナルの近くなので、早朝でも動いているバスがあればそれに乗って空港まで行けばよい。しかし、先日かっぱらいにあってからというもの、このように暗い内にあてもなくバスを待つのはアブナイことのように思われ、用心してタクシーを頼むことにした。ここはマテーラやアルベロベッロのようにのどかなところではないのだ。あれ以来、バイクの音を聞いたり走ってこちらへ来る人を見ると、私のカバンを狙っている?と自意識過剰になり気味だ。背後に誰かいる気配がすると思わず振り返ってしまう。映画「世界中がアイラブユー」で「俺の後ろに立つんじゃねえ・・・」と仮釈放中のティム・ロスがいう台詞があり、そんな感じ。
 朝5時過ぎではあったが、宿のオヤジは起きていた。ナポリ到着の初日の深夜、チェックインした時と同じオヤジだった。宿の名前「コロンボ」は、もしかしてこの人の名前か?確かにコロンボ、って顔をしているな。昨日までの世界遺産の宿のような優雅さはカケラ程もないところだったが、必要にして充分な内容というか、値段相応だった。

 空港までは車が速ければ15分位の距離だ。しかし今朝は濃霧で視界が悪く、結局30分かかった。前に車がいないとどっちに進んだらいいのかさえ分からない位すごかった。運転手は、
「マンマミーア!」
といっていた。イタリア人がこれを言うのを初めて聞いた。
 霧で遅れたのはタクシーだけではなかった。前が見えなきゃ飛行機だって飛べないのだ。2時間近くの遅れでようやく離陸したが、しかし私はこの後ロンドンで乗り換えをせねばならず、このままでは恐らく間に合わない。しかもロンドン・ガトウィック空港に着いて、ロンドン・ヒースロー空港から乗るので、少なくともこの間の移動に1時間はみておかねばならない。
 今回の旅行は出発間際になって飛行機を予約したので、安いのとなるとこのように不便なものしか残っていなかった。往も帰りも空港間を自腹・自力で移動するので、お金も時間もかかる。英国ポンドもこのために持っていなければならず、そしてポンドって、高いのね!!空港間のバスが往復で6000円以上もするよ!(しかも何故か往と帰りで値段が違う・・・)
 案の定乗り継ぎはできず、2時間後の便に乗せてもらうことになった。が、今度はこれはこれで機材の整備に時間がかかっているそうで、更に3時間を待たねばならなかった。明日は本当は成田に9時に着いて、その足でリリコさんの着物散歩+着物カフェに参加する予定だったのだが、どうも無理っぽい。
 待つ間にお食事券の配布くらいはあるかと期待したがそれもなく、何か買い食いしようと両替した1000円は、3.29ポンドにしかならなかった。1000円=3.29ポンド!?成田では200円=1ポンドだった筈だが。間違いじゃないかとよく見たら、手数料を300円以上も取っている。そういうものなの?私がなめられただけ?空港の売店では水が1本1.5ポンドくらいだった。通常レートでは300円、これでも充分高いが、さっきの手数料を考えると456円!さぞや旨い水なんだろうなー!!

 ようやく乗れた飛行機の隣席は、11人のお客を引き連れたツアーの添乗員さんだった。私にとってお楽しみの旅行も、この人にすればお仕事なのだ。お疲れの御様子だったが、添乗員さん秘話などを色々聞かせてくださった。
 宿のどの程度までの不具合をクレームすべきか、という話題では、ベネチアで泊まったホテルの部屋の天井が、夜中にドオンッ、という音と共に落ちてきた、という体験談をしてくださった。また、この人が乾電池、イヤホン、煙草の箱くらいの大きさの黒いもの、などを沢山持っていたので何なのか尋ねたら、今時のグループツアーでは美術館などではこのイヤホンと受信機をお客さんに付けてもらい、ガイド内容を無線で伝えるのだそうだ。大変便利なのだが、昨今の飛行機での警備強化のために爆弾と勘違いされることが多く面倒である、とも言っていた。
 私がナポリに行ったというと、日本の旅行社の多くでは、ナポリをイタリアツアーに組み込まないのが普通で、あってもローマからの日帰りのみ、町並みの見学はバスの窓からに限り、下車できるのはサンタルチア港付近まできてから、としているという。すべて安全性を考えてのことで、今回の私のようにうっかりひったくりにでもあわれると困るから、なのだそうだ。
 まあ、気持ちは分かるけどね。添乗員さんにしても、自分の連れて行ったお客さんの中にそういう被害が出るかもと思えば行きたくないだろうし。でも、今回の事で別にナポリを嫌いになったりはしてないですよ、私は。それはそれ、これはこれ、ということで。

 東京駅で電車を待っていたら、この寒空の下に、ランニングシャツ+膝上のトレパン、というイデタチの男の人が立っていた。腕をさすって、寒そうだった。何かの罰ゲームだろうか。ここは東京、もういつもの生活に戻りつつあるのに、まだおもしろワールドにいるように錯覚した。

2004.1.9 [金] ナポリ

くもりのち雨。旅行中初めての雨。

 ここいらの夜明けは遅い。7時半くらいにならないと日が出ないのではないか。今日は朝6:20のバスに乗るので、辺りが真っ暗なうちに宿をでるのだ。出発が早朝になることは既に昨日女将さんに告げ、支払も済ませてあった。だから安心して出て行けばいいのだが、この小さなホテルの事だ、こんな時間に誰か起きて番をしているのか疑問だった。
 支度を整えて部屋を出ると、案の定廊下もロビーも真っ暗で、誰もいない様子。こういう事を想定して置き手紙を用意してきたが、でかい荷物を背負って夜も明けぬ内からこっそり出て行くというのは、まるで夜逃げか宿代を踏み倒していく人のようで気まずい。
 一応誰かいないかと声を掛けてみたら、近くで仮眠をとっていたらしい男性(女将さん夫婦の息子さんか?)が起き出して、見送ってくれた。眠そうだった。ごめんなさい。いつかまた来ます。その時はどうぞよろしく。オレンジ色にライトアップされたサッシの街も見納めだ。本当にいつかまた来たい。

 朝5時半の街には人影がなく、勿論お店もすべて閉まっていた。バスが来る広場へずんずん歩いていったが、これで本当にストライキをしていたらどうしよう。昨夜、長距離バスのストの話を聞いて不安になり、宿の先ほどの男性に聞いてみたら、大丈夫、問題ないでしょう、と言っていた。しかしもしバスが来なかった場合、この真っ暗けの中で夜明けまで待ちぼうけ、手間のかかるプランB、C、に予定を変更せねばならない。
 悶々として数十分を過ごし、待ち焦がれたMARINO社の長距離バスが現れた時は飛び上がるほど嬉しかったよ。しかも二階建て豪華バス。よかった!本当によかった!私の幸運はまだ続いていたのだね。このバスに乗ればナポリには10:30に着ける。プランBにした場合、うまくいっても17時半、Cなら21時頃なのにだ。

 携帯電話片手に、暴走ともいえるすごいスピードで運転手のお兄さんがぶっ飛ばしてくれたお陰で、バスは予定通りの時間にナポリに着いた(というか、あの爆走も予定の内ってことなのね)。
 初日に泊まった宿に荷物を置いて、今日は食料品の買い出しに行こう。宿の周りには魚介類の市場がたくさん立ち、こういうのはさすがに買って帰れないけど、眺めるのはとても楽しい。日本人以外にもこんなに沢山の種類の魚介を食べる人達がいるのだなあ。

 バスに乗ったり歩いたり、遠い所まで来た頃、折りからの雨が激しくなった。傘を持たずに出て来たし一旦帰ろう。しかしさっきからバスを一台も見掛けない。おかしいと思っていたら、ついにやられました、
バスは今ストに突入したそうです。
本当にあるんだなあ、ストって。バス停で待ちぼうけていた私に通りすがりの女性が教えてくれたが、人々はこれで怒るでもなし、別段変ったふうもなく行き過ぎていく。よくあることなのか。
 しかし私も運がいい。あれだけ移動が多かったというのに、一度もストに巻き込まれなかった。今日のこのストくらいなら歩いてでも宿に帰れるし、なんならタクシーに乗ってもいい。昨日のヤーラもタクシーはストをしないと言っていたし。
 で、やっぱり近くのカフェでお茶しているうちにバスは復旧していた。半端なストだなあ。

 バス停で日本人の男性2人に声を掛けられ、話し込んでいる内に一緒に晩御飯を食べることになった。
 彼らはナポリのピザ屋を見学するため、ここ数日店に通いつめ、厨房をビデオに撮らせてもらい、ナポリに来てからは殆どピザしか食べていないという。厨房の見学かあ。いいなあ。頼めば結構させてくれるのだとか。ピザに使うモツァレラは、普通の丸いのと違ってもっと長く、50cmくらいはある太い棒状のものなのだそうだ。若い職人にどのくらいの給料なのか尋ねたら、月に約30万円と答えたという。本当かね〜?
 色んなイタリアの楽しみかたがあるのだね〜。

 明日はまた早い出発。飛行機が7:25発なのだ〜。またしても5時半に宿をチェックアウトなのだ〜。こんなんばっかり。

画像は買ってきたパスタ、オレッキエッテ。

2004.1.8 [木] マテーラ

嬉しいことに今日も晴れ。私は雨女の筈だが。

 明日はナポリに移動する。幾つかあるプランの内一番簡単な、直通バスで行く、というプランAの準備の為、旅行代理店でバスの切符を買ってみた。希望通りの便を買うことが出来、一安心した。これでサッシ歩きを堪能できるぞ。
 いいお天気な上に辺りは静かでとにかくのどか。急で切り立った階段もゆっくりゆっくり上っていけば苦にならない。一段登っては辺りを眺め、もう一段登っては下を見下ろし、もう一段登っては野良猫をからかう、今日中に本当に歩ききれるのか、というペースが心地よい。
 階段だらけで石畳の道も狭いので車は入れないのかと思ったら、あちこちに路上駐車されていた。道はともかく階段をどう走るのかとよく観察したら、ちょうど轍に当たるところに階段の段差を埋めるようにセメントが塗り付けてあり、そこだけ縦に繋ぐとタイヤの巾分の坂道が出来るので、そこを上手に走っているようだった。生活の知恵だけど、おっかないことするなあ。
 すり鉢上の地形の、鉢の縁の向こう側に下りたら、更に向こうには険しい渓谷が広がり、対岸の岩肌に穴が幾つもあいているのが見えた。あれも昔は住居だったのかな。基本的にはサッシも穴居なので、あれは元祖サッシというところか。谷間の川の上をカラスがゆうゆうと飛んでいた。何だか羨ましかった。
 日が暮れるまで歩き倒して、宿の女将さんにいいレストランはないかと尋ねたら、何と昨夜私が行ったところを教えてくれた。あそこもおいしいけど他のも試したいなと思ったが、何だかよく分からない内にたまたまそこにいた地元の女の子と一緒に食べに行きなさい、ということにイタリア語で話が纏まってしまっていた。
 一緒にご飯を食べたのは、ミラノの大学でミュージックビデオ?の勉強をしているヤーラというおとなしそうな女の人だった。私はイタリア語を、彼女は英語ができないので会話は難航を極めた。2人を繋ぐのは「旅の指差し会話帳」と気合いだけだ。さっき彼女はそれでも一生懸命に、チェックアウトを今した方がよいという女将さんの言葉を通訳してくれて、とても真面目で感じのいい人だった。
 意気込んで私は沢山のものを注文してしまった。彼女が何を注文したのかよく分からなかったが、あなたは随分沢山食べるのですね、と驚いたように彼女は言った。彼女は何を頼んだのか尋ねると、サラダ1品のみだという。ええっ、そんなー。私の注文といえば、チーズ盛り合わせ、ジャガイモいり卵焼き(うまい!)、マカロニ、子豚のステーキ、パンナコッタ、お茶、水、である。というのも、実はイタリアの人が普段どれだけのものを食べるのか興味津々で、今日のお昼に高校生が大勢同じレストランにいたので、彼女たちのメニューを観察したところ、パスタ、サラダ?、肉、デザート、果物、水、コーヒー、と一揃い平らげていたので(皆スリムだった!)、やはりああいうふうに食べるんだ!と思い、こういう注文をしたのだ。(ちなみに今迄はビール、パスタ、チーズ、デザート、お茶という注文をしていた。)そのことをヤーラに告げると笑っていたが、せっかくだから2人で分けましょうと勧めると、彼女はベジタリアンなので食べられないという。残念…。
 ご飯はおいしかったが、いくらなんでも全部は食べきれなかった。3年前はこのくらい何とかなったんだが(ビール、カプレーゼ、メロンと生ハム、スズキのグリル、チョコのシュークリーム、お茶をぺろりと)。
 彼女によると、明日長距離バスのストライキがあるという噂を聞いた、という。そんなー!さっきナポリ行きの切符を買ったばかりなのに。急に不安になってきた。私の幸運もこれまでか…。

画像は宿の窓からの眺め。

2004.1.7 [水] マテーラ

今日も引き続き晴れ。お天気に恵まれているなあ。

 本日もまた移動の日。昨日の成功に気をよくしているがそういつまでも上手く行くものだろうか。またしても心配だ。

 しかしまたしてもスムーズに移動できてしまった。おかしい。こんなにうまく行く筈ではなかったのだが。でも嬉しい。
 道中でミラノ在住の日本人男性とお話した。この人と友人数名はやはり昨日、アルベロベッロに着いたが、同じく休日で電車が止まっていたために移動に難儀し、タクシーを雇ってやって来たそうだ。よく休日にたどり着けましたね、と驚かれた。ふふふふふ…。ちゃんと休日の代替バスを教えて頂いていましたからね〜。ありがとうございます!!彩古さん!!
 そういえばこの人達も私と同じ事務所のトゥルッリの宿に泊まっていたそうだ。そして同じくお湯が出なくなって困り、今朝のチェックアウトの時にクレームを付け、宿代を安くしてもらったという。そうかー、お湯の事もう忘れていたなあ。宿代を値切るネタにするという手があったとは思い付かなかったが、まあ私じゃ上手く行かなかっただろうな。
 列車からの眺めはどこも面白かった。何もないようなところでも、そもそも何もない風景というのが日本では珍しいので充分楽しめた。一面、地平線までオリーブ畑、というようなところを見ると、昔、ミキプルーンのCMで、中井貴一が広大なプルーン畑の中で両腕を広げ、「すっごお〜いぃっ」といいながら駆けずり回っていたシーンがあったが、あれを思い出し、私も「すっごお〜いぃっ」をやりたくなる。

 たどり着いたのは、やはり世界遺産の街、マテーラというところで、ここにも面白い住居、サッシが群を成している。今夜もそういうお家に泊まるのだ。その名もサッシホテル。
 殆ど直線だけで形作られている建物群は肌色がかったグレーの壁で出来ており、殺風景に見えなくもないけれど、お天気のせいかとてものどかで暖かみのある景色に思えた。すり鉢上の地形に角張った家がひしめき合いくっつき合い、谷の底から見ると、階段状の大きなマンションのようでもある。マンションの廊下や階段に当たるような細い小道が網目状に広がり、明日はこれを探索できるのかと思うととてもわくわくする。
 通された宿の部屋は、昨日のトゥルッリと違って中をちゃんと近代的な内装にし、普通のホテルと変らない設備が整っていた。建物はサッシだが、なあ〜んだ、普通のホテルと変らんなあ、と何となく窓を開けたら、真正面に谷の向こう側のサッシ群がガーっと広がり、頂上には教会と鐘楼がそびえているのがばっちり見えた。すごいいい風景だよ!!これだよ!!私が見たかったのはっっ!!どこかで野良犬の遠吠えが聞こえたが、私も一緒に咆哮をあげたかったよっ!!わおーん!
しょうさん、ステキなホテルを教えてくださってありがとうございます!!

2004.1.6 [火] アルベロベッロ

晴れ。今日もすごくいい天気。

 今日は殆ど移動の日。移動。これがちゃんと出来るかものすごく不安だ。ろくに喋れず勝手が分からずストライキもあるかも、なので時間がかかっても目的地に着ければよしとしよう。しかも祝日なので交通機関は休日ダイヤか、すごいと全線運休、なんてのもある。が、事前に真楽のみなさんに情報を頂き、出来る限り万全の準備で臨んでいるので、これだけやってて駄目なら仕方がない、と尻をめくって宿を出た。(どうも汚い表現が好き・・・)

 結果から言うと、全てがパーフェクトにうまくいった。いいんだろうか、こんなことで。2度の乗り換えも、時間が僅かしかないにも関わらずちゃんと出来てしまった。どうして?でも嬉しい。お陰でプランA〜C(もっと他にも考えてた)の中で、最も早く着くことが出来た。

 本日のお宿は、アルベロベッロという街の、世界遺産にもなっているトゥルッリという石造りのとんがり屋根のお家だ。ここを1軒貸してもらえるのだ。石と漆喰で出来た素朴な建物で、中は20〜30畳程のワンルーム、台所とトイレ・シャワーが付いている。世界遺産に泊まるのか〜。張り紙がしてあり、ここは500年前の建物です、キレイに使ってください、こういうことは教育程度と国民性が現れるところです、とあった。心して使わねば。
 同じようなとんがり屋根が村中に連なっている。白い壁は陽光を眩しく反射し、グレーの屋根が晴れた空にくっきりと際立っていた。祝日のせいなのかお昼寝中なのか、辺りはひっそりと静か。人っ子一人いない。
 こーんなとこには日本人は他にいないだろう、と思っていたら、土産物屋には日本語の呼び込み文字が躍っていた・・・。宿の管理事務所にもお雛様が飾ってあった。あるお店では上手に日本語を操る女性がおり、この店は日本の雑誌や本にも沢山紹介されたといってそれらを見せてくれた。毎日団体で日本人が訪れ、沢山買い物をしていくそうだ。そっかー、世界遺産だものなあ、私が来られるんだから皆来るよなあ。でも今日は他に誰もいないし一人占めだな。
 と思っていたら、夕方、団体様が到着し、私の家(私の泊まった家)の前で写真を撮っていった。日本人好みの町並みなんだな、きっと。

 昨日までの宿は安い値段に見合った小さなもので、6畳一間にベッドが一つ、掃除用具入れかと思ったところはトイレとシャワー室で、危険や不潔でなければOK,という私の限度の範囲内に一応収まるものでしかなかった。
 今日のお宿はその点、もちろん許容範囲内。約4倍の広さにダブルベッド、勢いよく出るお湯、素朴ながらセンスよく纏めたインテリア、どこをとっても文句なしだ。
 調子に乗ってじゃんじゃんお湯を使っていたら、急にお湯が出なくなり、どんなに頑張っても水しか出なくなってしまった。どうやらここのボイラーは、小さなタンクにお湯を溜めて使うもので、空にしてしまうと再び涌くまでまた時間がかかる、というもののようだった。困ったけどしょうがない。今日は諦めて明朝お湯を浴びよう。
 寒水摩擦で冷えたので暖房を強め、トイレに行って水を流そうとボタンを押したら、今度は家中の電気が消え真っ暗になった・・・。
 灯りを煌煌と付け、ボイラーは電動、暖房も電熱、トイレの水も電動ポンプで流れるため、ブレーカーが落ちたのだ。夜なので事務所はもう閉まり、ここには電話もない。おぼろげな記憶で、確か玄関にブレーカーがあった筈、と暗闇の中を半裸で手探りし、どうにか電力を復旧させることが出来た。ついた!灯りがついたよ!と誰かいたらその人に叫んでいただろう。
 こういうのは、クレームすべきなのだろうか?
 びっくりはしたが、解決も早いので別に怒りはしなかった。文句があるとすれば、ボイラーや許容電力が小さいことなどを事前に言って欲しかった、ということくらいだ。 そもそも、500年前の建物の世界遺産で電気もお湯も使えるということ自体、有難いことなのだから、このくらいのことはたいしたことではないとも言える。結果オーライ、それでも快適に過ごせているのだから気にすることではないのだろう。

2004.1.5 [月] ナポリ

晴れ。とてもよい天気。空気が乾燥してさわやか。

 飛行機でもらった歯ブラシはヤワで、昨夜さっそく折ってしまったので薬屋で代りを買った。カラフルでかわいいのにしたが失敗した。何故かとてもつもな毛がく硬く、これはもしかして洗濯ブラシか?持ち帰って半襟を洗うブラシにしよう。

 ナポリの街はざわざわとして、ローマやミラノと随分雰囲気が違った。初めて来たと時にどこかアジアっぽい感じがすると思ったが、今回の印象もそう。
 明日はキリスト教の祝日、ご公現の日なので、あちこちに馬小屋のジオラマが展示され、小さな人形を売る店が沢山あった。
 こういうものを例えば関羽廟や道教の祠に替え、漂うバジルか何かの香辛料の臭いをピーナツ油?や八角?に替えたら、ちょうど上海や香港っぽくなるのではないかと思う。

 そんななじみ易さに油断したからか、初日からさっそくかっぱらいにあった。
 取りたてて怪しい地域にいた訳ではなく、夜8時頃、バスや車、人通りも多い通りの、煌煌と灯りのついた商店が並ぶ歩道を歩いていたら、いきなり後ろからカバンの紐を捕まれた。ガイドブックによれば、2人乗りのバイクの後ろに乗った者がカバンをさらう、とあったが、私の場合は一人乗りだったのであまり強くカバンを引っ張れなかったのだろう。幸運にも事無きを得たが、危険なことって本当にあるんだと改めて思った。これは以後への警告かもしれない。もっと気を引き締めよう。ウンコ踏んでる場合じゃないぞ。

 街歩きは楽しかった。小さな路地も全部制覇してみたくなるような、好奇心をそそるごちゃごちゃ感が満載だった。
 ナポリ観光の目玉と考えていた「Napoli Sotterranea」は特に面白かった。ただし、懇切丁寧なガイドがついていたにもかかわらず、イタリア語がまったく分からなかったので物凄くもったいなかった。絶対に面白いことを説明していた筈なのだ。
 ここは現在のナポリの街の地下に残る古代都市の遺跡で、大江戸線くらいありそうな深ーいところまで階段を下ったところに、広い地下道が張り巡らされている。今の車道くらいの道もあれば、蟹歩きしないと通れないような道もある。詳細は私には不明だが、古代人が作ったというだけでなく、どうやら近代の人も密かにここを利用していたらしいのだ。そこが面白い。
 たっぷり2時間かけて中を見せてもらった後、今度は地上に出て100m程離れた民家へ連れて行かれた。何事かと思っていたら、ガイドがいきなりそこのベッドを動かし、敷物を剥ぎ、現れた床板をえいやっ、と持ち上げると、そこにはさっきの地下都市への秘密の階段が!!これも説明が分からなかったのだが、周りの人達が「テロリズム」とか「ムッソリーニ」とか言っていたので、もしかして戦前の抵抗組織が隠れ家として使っていたのだったりして。とても気になる。
 ツアーの中に誰か英語の出来る人を探して教えを請う、などの社交性ゼロの私は、分からないイタリア語をただひたすら聞き流しているのもつまらないので、何か楽しもうと考えた。結局思い付いたのは「空耳アワー」だった。イタリア語の中には日本語のように聞こえる発音もあるので、それを聞取って遊ぼうという訳だ。
「・・・おっ立った・・・・屎尿漏れ・・・・ちゃんとチン食え・・・・」
当てはめる言葉の下品さで私の頭の程度が知れよう。
こんなことだからかっぱらいにあったのかも・・・。

2004.1.4 [日] 〜11日 旅行

 とても楽しい旅行だった。また行きたいと思う。
 しかし、かなり色んな失敗を遣らかした。挙げてみよう。

*成田空港でチェックインしてすぐ、搭乗券を無くした。結局カウンター脇の変なところに置き忘れていた。
*往きの飛行機の中で腕時計を無くした。結局近くの男性が拾ってくれた。
*犬の糞を踏んだ。その靴で宿の部屋に入るのが嫌だったので、部屋の中では和式に靴を脱いで過ごした。
*バイクに乗った引ったくりに遭遇した。結局何も取られずに済んだ。
*食堂で晩御飯中に興奮してフォークを遠くへ放り投げてしまった。自分で拾いに行って余計に恥ずかしかった。
*食堂で沢山注文しすぎて大半を残してしまった。同席した地元の女子大生にあきれられた。
*宿の湯を使い果たし、水を浴びるはめになった。
*トイレの水を流したとたんにブレーカーを落し真っ暗になってしまった。
*帰りの飛行場でマフラーを無くした。結局客室乗務員の方が拾ってくれた。

 他にもあるんだろうな。
 こんなでも無事に帰ってこられて、本当に運がよい。移動や乗り継ぎが多い日程だったが、これもとてもスムーズに行った。厄年のはずだが、何もかもがうまくいった。
 もしかして、引ったくりに遭った時に、バッグを奪われなかった代りに私の厄をもっていかれたのかも。厄落としになったのだったりして。って、何事もなかったからいえるんだけど。
 そして真楽の方々にいろいろと事前にお世話になり、そのお陰でうまくいったというのも、やはり幸運なご縁があったからなのでしょう。ありがとうございましたー!

画像は、世界遺産にもなっているアルベロベッロの町並み。こういうお家を一軒借りて泊まったのだ〜。

2004.1.3 [土] 

晴れ。いい陽気。

明日の出発が朝早いので、妹のところへ全泊することにした。ついでに映画「ファインディング ニモ」を観た。面白かった。ううう・・・。さらわれた魚の友達の声をウィレム・デフォーが演じていたが、役の魚の顔も、住んでいる骸骨形の家も、デフォーに似ていた。

明日の荷物の一切合財を持って家を出てきたが、早速忘れ物に気付いた。大事なものだ。
方位磁石である。
これがないと方向音痴の私はすぐに道に迷うのだ。逆に、これと地図さえあればなんとかなる。都内を歩くときでさえ持っていくことがある。友達には、大げさだ!といわれるが、持っていると安心なのだ。あわててハンズで買った。

2004.1.2 [金] 

晴れ。

 旅行の日が近づいてきた。何もわかっていない私だが、しょうさん、彩古さんに並々ならぬご協力を頂いて、何とかなりそうになってきた。本当に、本当に、ありがとうございました!!!

 今日も借りてきた映画を観て過ごした。
 昨夜はテレビで「世界中がアイラブユー」を、昼に「ギャングズ オブ ニューヨーク」、晩に「フランティック」を。
 これからイタリアだというのに、気分を盛り上げるためのご当地映画を結局一本も観なかった。失敗した。
 かわりに何故かパリが舞台の映画が2本。特に「フランティック」は、ただでさえ言葉も習慣も違い何事もスムーズにいかないパリで、奥さんを誘拐され余計に四苦八苦するハリソン・フォードの話で、なんだか明後日からの私のイタリアでの姿を想像させていやあ〜な気持ちになった。失敗した。面白かったけど。

2004.1.1 [木] 

     明けましておめでとうございます。
     今年もどうぞよろしくお願いいたします。

晴れ。わりと暖かい。

 今日は一日だらだらしているつもりだったが、家中何となくだらけていたのでせめて私だけでも着物を着よう、と着替えた。といっても昨日着てそのまま吊るしてあった木綿の単と半巾だけど。
 
 初詣はあまり行ったことがないが、そういえばここから30分位歩いた山の中に誰も住んでいない小さなお寺がひっそりとあるのを思い出し、そこで初詣しようと妹その3と共に出かけていった。
 お寺は、車がやっと通る狭い道から更に細いものが分かれて、45度くらいの急勾配をよじ登るようにして延々行った先にある。周りには杉林が広がり、我々が馬鹿でかい声で喋るくだらない話以外に川の音くらいしかしない。
 御本尊や寺の由来などは不明だが、どうも元禄時代頃にできたものらしい。つづら折りになった坂道の終点にはちゃんと山門があり、両側には仁王像も控えている。右の仁王様の裏側には座禅を組んだ僧の木像がある。これを初めてみた小学生の頃、目の位置にぽっかり黒い穴があいているのが恐かったことを思い出した。もちろん作ったばかりの頃には穴はなかったのだろうが、眼病に御利益があるということで、参詣の人達が目のところを触っていくようになったために出来た穴だとか。今でも穴はあいたままだが、それでも御利益があるのか周りにお供えやお賽銭が置いてあった。
 お願い事は、いつものことながらたった10円のお賽銭では追加料金を取られてしまいそうなくらい、沢山たくさんした。昔話でよく「3つのお願い」とかあるけど、3つじゃ足りんな、私の場合。

画像は、道中にあった時計。人気もないところにいきなり透明な扉がついた箱があり、その中に壁掛け時計が入っていた。一応時刻は正しかった。新年早々にシュールなものをみてしまった。

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