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2009.3.28 [土] |
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さきほど、妹その2の夫の二番目の兄(イラン在住)から、うちにデンワがあった。何という用事でもなく、無事に帰ったか?家族は元気か?あんたがいなくて皆さびしいよ、という内容だった。それすら私にはすごく非日常的な会話で、その気遣いがとてもとてもうれしく、今回旅行に行ってよかったことの大半は、すばらしい仲間が新しく出来たことによるものなのだと、改めて感じた。 |
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2009.3.26 [木] |
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23日帰国の予定でしたが24日に帰ってまいりました。
例の事故の直前だったので、成田空港に帰着できず、ソウルへ1日足止めでした。
1日帰りが遅れるのだったら、その1日をイランで過ごしたかった!!
というくらい、すばらしい毎日でした。
絶対にまた行きます。
伝言ありがとうございました!
出発の数日前になって、同行の妹から連絡があり、
急性胃腸炎になってしまった、とのこと。
なんとか治ったようなので無事に出発し、一緒に旅を楽しむことが出来ました。
帰国後、妹の胃炎はなんと、前日の会社の新しい社長の歓迎会で出た食事に当たったものだったことが判明。他の社員にも具合の悪い人が出たそうです。よりによってなんでこんなときに・・・。
しかし旅先でも彼女はなぜか歯が2度も折れるというハプニングに見舞われ、正露丸を歯につめて、イランからかかりつけ医に予約をいれるというおかしなことをやっていました。
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今日からしばらく、玉ねぎばかり煮る仕事。
イランの親戚たちが私のことを「onion girl」と呼んでいた。その少し前に、皆の親切やおもてなしに思わず涙ぐんでしまったからで、すぐ泣く人のことをそう呼ぶらしい。私は普段、人前で泣くのが嫌いなのだが。しかし「玉ねぎ女」、うーむ、なんて私にぴったりな名前だろう!
画像は、くどいようだけどダチョウのもも肉。鳥というより、牛に近い気がする。脂が少ない割りに硬くなく、やわらかい。クセもない |
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2009.3.22 [日] イラン暦1月2日(日) |
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テヘラン:くもり
*イランを離れなくてはならない日。昨日からサマータイムが始まり、私のイラン滞在時間が1時間減ってしまった。
*義弟の長兄とその長男に、最後の市内観光に連れて行ってもらう。
*普通の商店を一軒ずつみせてもらったり、アザーディタワーや、何とかいう、今のところ中東で一番高い塔の前で写真を撮る。
*テヘラン北部のダーバンド山へも。いきなりそそり立つ、木の生えていないベージュ色の岩山。市街地から車で数分なのに、ここは気温が少し低い。夏の避暑地なのだとか。
*帰国前にぜひ全員で一緒の写真を撮りたい、という私の希望をかなえてくれるべく、昼食は三兄宅へ全員集合。最後の団欒です。1分1分が名残惜しく過ぎていきます。
*義弟の3人の兄達それぞれから、プレゼントをもらった。長兄には写真たてを。ここで撮った集合写真を飾ります。次兄夫婦にはゾロアスター教の神アフラマズダの置物と、なんとオーストリッチ(彼の事業はダチョウ関連なのだ)のかばんを。お守りとして机に飾ります。三兄夫婦には目玉のお守りとペルシャ更紗のテーブルかけを。これ、エスファハンで買い逃していたのです。それからよく面倒を見てくれた長兄の長男からは、伝統的な美女(なぜかみな眉毛がつながっている)の描かれたカードを。旅日記のノートに挟んで思い出にします。ありがとう、全部本当に一生大切にします。宝物にします。
*昨日、私の旅の会話帳を見て皆が、形容詞のページを指し示し、あなたはこれだね、と幾つかの言葉で私を描写してくれた。どれも身に余る言葉ばかりで、きっとお世辞だろうけど、すごく嬉しかったです。まあ中には、「大食いな」「やかましい」というのも含まれていたのだけれど。
*夜、空港まで、車2台で送ってくれた。いや〜ん、また来ますよ〜!と誓って、涙のおわかれ。本当にまた行きますよ〜!また会う日まで、お元気で!
画像は、テヘラン市内を南北に貫くヴァリーイェアスル通り |
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2009.3.21 [土] イラン歴1月1日(土) |
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テヘラン:くもり時々雨、雷。けっこう寒い。昨夜はかなり雨が降った。
*妹その2夫婦と、義弟の次兄夫婦につれられて、テヘラン観光、なのだが、いつのまにか途中で人数が増えていき、長兄一家も加わって結局車2台で。
*ばかでかいダイヤモンドがあるという宝石博物館はお正月休みで閉まっており、残念。古代のガラス器などを展示するアーブギーネ美術館、塩湖で偶然死んだ男の塩漬けミイラが展示される考古学博物館、工芸品店などに連れて行ってもらう。
*昼時、どこかよいレストランはないかと思ったら「その日本のガイドブックに何か書いてないか?」と。結局、「地球の歩き方」に乗っている店に行きました。
*食事全般:
エスファハンを旅行したときから数え同じものを何回か食べているが、総じて家庭料理のほうがおいしい!というのが私の感想。基本的に甘酸っぱいものが多い気がするのだが、外食よりも家庭料理のほうが味がやさしく、馴染みやすく、飽きない。外食続きの時には口の中が痛くなり、どうしようかと思った。もっとも、いつも庶民的なお店だったので、もっとよいところへ行けばどうだかわかりません。
*病院:
次兄の妻は、病院の透析科勤務の看護婦さん。実は最近、私の家族が透析のお世話になり始め、興味アリと言ったら、じゃあ見に来る?と。ということで、ぞろぞろ皆で見学に行きました。いいんだろうか?そこは石油会社所有の病院で、社員はただ同然で利用できるが、それ以外の人は、もともとイランでは健康保険がないので、けっこう高いお金を払わねばならないそう。とてもきれいで近代的な雰囲気の病院。意外だったのは、男女が同じ透析室の隣り合ったベッドを使っていたこと。しかし女性患者は寝ててもスカーフ着用。
*物価:
日本よりたいていなんでも安い。スーパーマーケットにいけなかったのが残念。
*ガソリン:
なんと、1リットル=10円、だそうです・・・・。ちなみに私の買った水は1リットル=40円。コーラなどはもっと高いはず。
*通貨:
100イランレアル=1円くらい。なので、入国後最初に替えた2万円は、200万レアルにもなり、そのうちの50万レアル札を細かくしてもらったら、ものすごい札束になっていつものがま口に入らなかった。どのお札にもホメイニの顔がかかれている。←あれ?これどっかにもう書きましたっけ?
*クレジットカード、T/C
基本的に使えないらしい。外人向け土産物屋などは米ドル、ユーロOK。手持ち外貨が少なかったときに見つけた絨毯は、無理やり頼んで日本円で売ってもらった。
*渋滞:
日本の渋滞は1人1台で乗るために起きている面があると思うが、テヘランではたいていの車に定員かそれ以上の人がぎゅうぎゅう詰めで乗っており、それでも道は渋滞する。大の大人の男が助手席に二人座っているのなどよくみるが、すごくおもしろい(義弟と甥もやっていた)。バイク1台にお父ちゃん、弟、僕、お母さん、の一家4人乗り、というのも度々。
*運転マナー:
よくない。意味不明なのが、こんなに混んでいるくせに、レーンを無視して白線をまたいで中途半端なところを走る車が多いこと。免許取得時に教習所で1ヶ月習い、法律の試験も受けるが、実際に遵守している人は少ないそう。というか、周りが違反だらけなので、身を守るためにこっちも違反せねばならないのだとか。
*観光から帰ったあと、次兄夫婦に招かれて、晩御飯をご馳走になり、昔の写真などを通して、家族の過去の話をしてもらう。
【湾岸戦争時の話】
*その後、再び皆集結して、車3台で水タバコのあるチャイハネ(喫茶店)へ!
【水タバコ】
画像は、お昼ご飯を食べたレストランの人。チャイグラスをたくさんもっています。 |
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2009.3.20 [金] 春分の日:イラン暦12月30日大晦日/1月1日元旦 |
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テヘラン:くもり
*片付け:昨日のパーティの片付けをしに義弟の次兄宅へ。
*お昼ごはんをご馳走になって、新年を迎えるべく長兄宅へ帰る。
*長兄と、イランの政治の話、宗教についてどう思うか、などを話す。とてもおもしろい。こういうことを自由に話せる人たちで本当によかった。
【正月の様子】
*名前を漢字で書く:
お正月で集まったそれこそ殆ど全員が、自分の名前を日本語で書いてくれ!と。私もまた、カタカナとかにしておけばよかったのに、無理して漢字を当てたものだから、大変だった。でも頑張って何とか13人を漢字にしました。出来なかった人の分は、宿題にすることにしました。まだやってません。
*漢字に直すときのコツ:
1)英字表記してもらう 例:Taraneh
2)発音してもらう
3)それを無理やりカタカナに直す 例:タラネ
4)カタカナ一文字ずつ(又は二文字)、同じ音の漢字を幾つか候補に挙げる 例:タ-他、田、多、太 ラ-羅、等、裸、良 ネ-根、寝、寧、値
5)それぞれの漢字の意味を説明し、気に入った字を選んでもらう
6)選ばれた字をつなげて出来上がり 例:多良寧
しかし、fa, di, gh、など、漢字にない音は難しく、無理やりカタカナにし、無理やり漢字を当てるので、元の発音とは似付かぬ別物が出来てしまうことも。
参ったのが、義弟の三兄の妻の姉、Faeghie。「ファーゲ」と書くのがいいのか、特に「ghie」が、ドイツ語のウムラウトのように喉の奥からウガイするようにだす「エ」で、
たとえ無理やり「ファーゲ」と表したとしても、「ファ」は漢字がなく、「ゲ」もいい字が少ない。そこで、更に無理をして、「ファ」→「ハ」としてみたが、そうすると「ハーゲ」、「禿げ」みたいに聞こえる。以上を先述のタラネに説明したら、16歳の彼女はとても頭がよくて飲み込みが早いので、じゃあ「ハ」と「ゲ」の間に「ア」を入れられない?「ア」の漢字はある?と。なるほど。それで結局、「覇亜気」ということに決定。意味は不明です。
*ペルシャ語の挨拶を幾つか教わる。しかし、khやghなどの発音がどうも難しい。三兄の長女であるタラネの説明では、痰をカーッと吐くときの音よ、だそう。
*タラネは若干16歳にして、半プロの音楽家であり、何とか言うバンドのオーボエ担当メンバー。しかしイランでは女性歌手のコンサートに男性客は行くことができず、CDも出せないのだとか。ちなみに、長兄の長男ベナンはイランの伝統工芸のひとつ、細密画の職人。点描やほっそい線で描かれており1枚書くのに3ヶ月くらいかかるのだとか。
*日本との共通点:
・寝るときに床に布団を敷く!(普通はベッドのようですが私達は布団を使いました)
・トイレがしゃがみこみ式!
・「たてまえ」を使う!
・床に座る!
・靴を脱いで家に入る!
・白米を食べる!
・十二支がある!(同じ!)
この中で「たてまえ」は、tarofタロフというらしい。日本人だけじゃないんだ、へえ〜。
*私達からのプレゼント:
義弟からは、100円ショップに売っているようなものでいいんだよ、と言われたけれど、そうもいかず、こてこての和風のものを持っていった。義弟の父にひざ掛け、母にショール、長兄一家に古伊万里(本物か?)の湯のみセット、次兄に漆塗りの時計、三兄に漆塗りの手鏡と写真たて。他にお菓子たくさん。とても喜んでくれて、特に私の書いたへたくそペルシャ語挨拶カードを飾ってくれたのが、本当に嬉しかった。そして、昨日のパーティに来られなかった、三兄の長男くんには、ぶーぶークッションをプレゼント。そして皆がそれに大うけだったので、とりあえず一安心。
こんな状態で深夜12時まで。はっきり言ってすごく疲れました!本当はこの後、水タバコを吸いに行こう!という話だったんだけど、さすがにやめになりました。もう片時も誰も放っておいてくれず、一方でとっくに疲れ果てた妹その2は、明るいうちにさっさと寝てしまい、嫁としてそれはどうなんだろうと気になったが、私はそれでもかなり慣れてきて、翌日にはこれが楽しくてたまらなくなるのだから、不思議なものです。
画像は、次兄が持ってきてくれたダチョウの肉。これを串焼きにして食べた。うまい!! |
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2009.3.19 [木] イラン暦12月29日(木) |
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エスファハン:晴れ
テヘラン:曇り
*本日の予定:バスで8時にエスファハン発、14時頃テヘラン着、17時頃から妹その2夫婦の結婚パーティ、深夜に終了予定。今日も濃い内容だなあ。
*バスの車窓からの風景:街を出るといきなり何もなくなり、砂漠というか砂礫の地平線と岩山ばかりのベージュ色の世界。きれいなんだけど、とにかくゴミが多い。人が住んでいない地帯でもビニールゴミだらけ。気づけばバスの運転手もゴミを外へぽーい、とやっていた。途中、ゴムという街の北に塩湖のようなものが現れる。後の義弟の話ではこの地域の水道水はしょっぱいのだとか。
*途中、バス停をトイレ休憩と勘違いして降りてしまう、という迷惑行為を私達がはたらいてしまったものの、予定通りにテヘラン着。バスはぴかぴかのきれいなものだった。おやつとコーヒー付き。
*義弟には兄3人、姉1人がおり、ドイツ在住の姉以外は皆近所に住んでいる。というか長兄と三兄は同じ敷地内のマンションに住み、次兄も最近まで同じ敷地内に住んでいたし、三兄の妻の姉一家も同じ敷地内にいる。
*私達は両親とともに住む長兄宅へ泊めてもらうことに。ここには双子の息子、つまり義弟の甥も住んでいる。彼等の部屋を貸してもらった。すみませんね、若い子じゃなくこんな中年姉妹で。
*着物に着替えて、妹その2夫婦、長兄一家とともに、結婚式会場へ。
結婚式
画像は、ゴムとテヘランの間の風景 白いところは塩 |
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2009.3.18 [水] イラン暦12月28日(水) |
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エスファハン:晴れ
*昨夜は正月前のチャハールシャンベイェ・スーリーという日で、焚き火をしたり爆竹を鳴らしたりするらしいと聞いていたが、特に気づかず。
*宿はモスクの側なので、朝は塔からの「お祈りの〜時間だぁ〜よ〜」というコブシの効いた演歌みたいな歌声で目が覚める。
*宿で出会ったドイツ人夫婦は、昨夜どこか郊外のパーティへ行き、そこでお酒を飲んだそう。
*エマーム広場周辺のモスク、宮殿へ。もう、息を飲むようなすごさ、きれいさ。圧巻。ここでぼーっと過ごしていたい気分。毎度思うことだけど、どんな宗教でも、宗教施設はどこも気合の入り方がその他のもと違うなあ。
*三十三間橋というような意味のシーオセ橋、アッバーシーホテルでお茶、マスジェデ・ジャーメというモスクへ。
*マスジェデ・ジャーメ周辺は下町色が濃く、特にお正月の買い物客でアメ横のようにごった返していた。テヘランよりもチャドル姿の人が明らかに多く人ごみは黒々としている。
*謎の食べ物を幾つか買う。白い丸薬のようなものはヨーグルトを乾燥させたすっぱい+しょっぱいお菓子、羊羹のようなものは梅系のものを煮詰めたお菓子、芋のような味のする綿菓子。
エスファハンのタクシー
画像は、夕暮れ間近のマスジェデ・ジャーメ |
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2009.3.17 [火] イラン暦12月27日(火) |
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テヘラン:晴れ
エスファハン:晴れ
*8:00テヘラン発の国内線で、世界遺産のある街エスファハンへ、妹その1との2人旅。所要1時間。
*空港の入り口は男女別に分かれている。身体検査を男女別にするためらしい。
*本日のお宿:DibaiHouse。300年以上前の迷路のような建物を改造した民宿。マスジェデ・アリーというモスクのすぐ側、バザール至近、下町ちっく。
*空港から宿まで、タクシーが道をわからず。ガイドブックの地図を見て私には道順がわかっているのだが言葉が全く通じず。挙句ちがうホテルに連れて行かれたが何のことはない、ここの受付嬢に私達の宿の場所を尋ねに寄ったのだった。以後この街では、不案内なタクシー運転手が、その辺の人に道を尋ねながら目的地へ向かう、ということに度々遭遇する。
*ちなみにこの受付嬢、美人だが、鼻を整形したばかりらしく、絆創膏をばっちり貼っていた。こういう人を他にも見かけた。イランでは鼻の整形はわりとあるらしい。
*宿に到着後、19日(木)のテヘランまでのバスを予約すべく旅行会社へ。道中で、通りすがりの青年とその父親らしき二人に道案内してもらう。途中で彼らも道がわからなくなり、更に通りすがりのチャドル姿の若い女性2人組にバトンタッチ。彼らは彼女らに、妹その1がチャドルを買いたいという要望も言付けてくれた。
*この先の道中で、なぜチャドル(前述のこれの右側)を買いたいのか聞かれた。イランではそういう服装をすべきとの決まりがあると思うから、その方が周りからじろじろ見られないだろうから、かばんの上から着るので泥棒よけにもなると思うから、などと答えると、イスラム教徒ではないのにそこまでする必要はないし、チャドルを着ても相変わらずじろじろ見られるわよ、それに泥棒よけのために着ようって言うの?と。
*彼女らによれば、イラン人ならすべての人が敬虔なイスラム教徒という訳ではない、短い服装をしている人もいる、それぞれの信仰や考えにあわせた格好をしている、とのこと。なるほど。しかし予めイメージしていたものとずいぶん違うなあ。
*延々30分近く歩いて(道を間違ったので。私には地図でわかっていたのだが・・・)、私達を旅行会社まで送り届けてくれた。英語や日本語で話しかけてくる人は怪しい、と思う癖がついてしまっていたが、そんなことないんだなあ。
*無事にバス予約完了。テヘランまで片道6時間、一人850円、ファーストクラスバスだそうだ。
*やはりそれでもチャドルが欲しい妹その1とともにバザールへ。あっさり既成のチャドルを発見。店の人たちに「おしん」「おしん」と言われる。おしんはイランでも有名。1着2200円。
*妹その1のチャドルの感想:すそが長くて歩きにくい、埃っぽい上にポリなので汚れやすい、静電気が起きやすい、なんかコスプレしているみたいで嫌になってきた。
*バザール:世界遺産のエマーム広場周辺は土産物屋だが、更に奥へ、宿に近い方へ行くと生活臭漂う雑貨屋ばかりに。おもしろい!!
*昼食(大衆食堂で):鶏肉丼、ほうれん草のシチューとご飯、スープ、水、アルコールなしビールでしめて730円なり。
*晩飯(レストランで):羊肉の串焼き、胡桃と鶏肉のシチュー、ラッシー、アルコールなしビールで1400円なり。
*参考:法律で禁酒となっている
画像は、マスジェデ・エマーム内のモザイクの壁 |
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2009.3.16 [月] イラン暦12月26日(月) |
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*イラン航空でソウル経由テヘランへ。テヘラン着は日付が変わって0時すぎ。
*こんな時間なのに空港にはものすごい数の出迎えの人ごみ。深夜であろうと大勢でお出迎え、は当たり前らしい。
*心配だった服装規定は思ったよりゆるく、膝上くらいの春コート+ズボン、スカーフで問題なし。もともと私の服装は日本においてもがばがばしたものばかりなので、いつものチュニック+ズボンでも大丈夫と機中のイラン人男性にお墨付きをもらう。近年ゆるんでいるのだろうか?
*参考:服装規定。要は髪を隠し、体の線をだすな、肌を見せるな、ということらしい
*私達のために、1日早くイラン入りしていた妹その2と義弟、義弟の次兄(テヘラン在住)が待ってくれていた。妹夫婦とは昨年11月以来の再会。
*会話帳に出ている「初めまして ホシュバクタム」を言うも通じず。正しくは「khosh bakhtam」であると後日知る。それよりも、義弟の次兄には英語が普通に通じる。
*義弟の次兄の車は国産車らしいが、とても新しくてきれいな車。付近の車もぴんきりだが、超ボロ、というのはあまり見かけない気がする。
*深夜のテヘラン市内は、東京のようなぎらぎらライトはないものの、大都会であるように見える。道幅は広く、特に今夜の宿や義弟の実家のある北部はきれいで、ちょっとヨーロッパのよう。
*1泊はホテルに泊まることをビザ取得の条件として旅行会社から言い渡されており、よって今夜は市内のホテル泊。すぐ近くに義弟の家族の家があるというのに。高級ホテらしいが、日本のビジネスホテルみたいな感じ。
*ホテルの箪笥には、ありましたよお祈りセット。お経の本、ミニじゅうたん、ハンカチみたいな布、石鹸みたいな石ころ。しかし使い方は全くわからず。
*明朝は早々に出発なので、宿にいた時間は4〜5時間ほど。
画像は、ホテルにあったお祈りセット |
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2009.3.16 [月] 【イラン旅行】 |
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3月16日(月)〜23日(月)の予定で、イランを旅行しました。
妹(その2)が昨年、イラン系アメリカ人と結婚し、その結婚式を彼の故郷でもする、ということで、
それを主たる目的に、私と妹(その1)で行ったのでした。
旅の感想は、といえば、一言で言い切れませんが、とにかく面白かった!
内容が濃かった!
濃すぎて鼻血が出そうになった。そして本当に出てしまった!
帰りの空港では名残惜しくて涙が出そうになった。そして本当に出てしまった!
鼻血が出たのはただ単に空気が乾燥していたために鼻の中が割れてしまったからでしたが、
大変よい刺激をうけました。←鼻血の刺激じゃなく
イランで見聞き感じたことをひとつ余さずメモしておこう、と思ったら、本当にノート一冊分くらいになってしまいました。
でも、ほんと楽しかったのよーって、言って回りたいので、
一部だけご紹介しようと思います。←これでも
画像は、エスファハンのエマーム広場にある、マスジェデエマームの一部(多分・・・) |
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2009.3.15 [日] |
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晴れ
お天気がいいので、妹その3とともに、近所の貯水池までピクニックに。まだちょっと風が冷たいけど、日向で昼寝するのはきもちよかった。
とかなんとかしていたけど実はまだ、明日の出発というのに、荷物やら何やらが準備し終わっていないのだった。荷物は、子供が2人入りそうなでっかいスーツケースにめいっぱい、イランへのお土産と着物が入り、私物は結局別の小さなかばんにいれることになってしまった。
今回は時間がなくて、細かいことまで想像しての準備がうまくいかず、今頃になってぽろぽろと不備が見つかる始末。なんといっても、アルファベットや漢字等ではなく、見慣れない文字を使っているというあたりが、すごく大変そう。だって、数字すら違うんですよ〜。1234はアラビア数字だから、ペルシャ人はふつう使わないみたいなんです。まだ全部覚えていない。どうなることやら〜。
でも楽しんで行ってきまーす。 |
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2009.3.11 [水] |
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くもり
こゆきさん上京。私も行きたかった〜。しかし残念ながらこの日は一日玉ねぎと戯れている予定なので、忙しいのもありますが、臭くて皆様の前に出られない状態だと思います。残念なり。 |
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2009.3.6 [金] |
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雨
KURAさん、よかったです!でも、いったい何だったんでしょうね。本当にイカ墨のせい?
暦って面白いなあとお茶目部に行ってから思うようになったけど、このたびイランへ行くにあたって、あちらもまた独自の暦を使っていることがわかった。太陰暦の一種みたいだけど、一年が365日ではなく354日しかない。で、妹の結婚パーティの日にちを、現地の家族が29日と言ってきたのでそれにあわせて飛行機を調べたりしていたら、それは実は私達のつかっているグレゴリオ暦になおすと3月19日のことであった、ということが判明。まだイランに行ってもいないのに、何だかこの旅行で一番のカルチャーショックは暦が違うってことなんじゃないかと今から思う。ご参考まで(各マスの隅に小さく書かれたのがグレゴリオ暦での日にちです。今日はイランでは16日ってことですね)
そして新年はいつかっていうと、どうも春分の日らしい。春分の日を境に1年が終わり始まるのだ。ここだけなぜか太陽暦?でも春とともに新しい年を迎えるって、何だかわかりやすい。そして、私達の滞在もちょうどこの時期なので、結婚式、大晦日、新年、というイベントに参加できることになるので、その辺もすごく楽しみ。
>ささみ
元気になって本当によかったですね。そういえばささみをうちの猫にあげたことありませんでした。カリカリ一筋。うっかりおいしいものをあげると、今までの普通のご飯をぱたっと食べなくなり、どんどん口が奢っていく性格みたいなのです。 |
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2009.3.3 [火] |
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雪 もうこれ以上降ってくれるな〜!頼む〜!
>猫ちゃん
退院おめでとうございます。うちの猫はまだ病気をしたことがないのですが、でも小さい体に何が起こっているんだろうって考えるのは辛いですよね。早くいっぱいご飯を食べられるようになるといいですね。
イランのある旅行会社のHPに、イラン旅行中の注意点などを書いたものがあり、それによると、また他からの話でも、イランは割合治安がよいらしい。
しかしこのHP中の 「女性の旅行者へ」というところでは、「イランの男性にとっての西洋の女性像というものは、外国テレビの衛星放送やドラマ「ベイウォッチ」の放送などによって作られたものであり、それ故に、外国人女性はパメラ・アンダーソン(←かなりおとなしめの画像)のように振る舞い、彼女のような服装を好むものだ、と思ってしまっている。云々」とあった。へえ〜。じゃあ外人である私も、パメラ・アンダーソンみたいなのか。すごいなあ、私。わかりやすいような、極端なような説明。でも、イランってアメリカのドラマを見られるのだろうか? |
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