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2007.7.30 [月] 京都迎賓館へ |
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幸運な機会がやってきて、京都迎賓館を見学。
とても厳重な警備。飛行機に搭乗するときくらいにボディチェック。カメラ以外の持ち物はロッカーに預ける(鍵を閉めずそのまま放置するという痛いミスをしでかす・だけどちゃんとスタッフの方に保護されていました)。今日の見学者はたぶん千人。
和会食の大広間まわりがいろんな意味でとてもよかった。黒い漆塗りの巨大なる机。そして庭。きっとこの二つが見せ場。その他は抑制のきいた感じ。建具。木の美しさ。土の壁。障子ごしの光。夏らしいきれいな水色のふわふわ座布団は、彩り。
前日に聞いた「空気の抜けるスカスカ感がどうしたって、ない」という話はその通りに思った。厳重警備の施設だから、鉄筋で、窓は防弾ガラス。障子や土壁になっていたって、その先には空気を通さない壁があるのだ。目にはみえないけれど、感覚的に「日本の建築の中に居る」ことを経験できない感じ。
だから、建物と建物をつなぐ廊橋を渡ったときには、なんともいえなくほっとした。風がさやさやと吹いて、鳥や蝉の鳴き声。ここからの庭と大広間への眺めはとてもよかったなあ。
廊橋で長居。ボランティアのおじさまとお話。ボランティアも5〜6倍の競争率なのだとか。ここに一ヶ月くらい滞在したいものですねえとそのおじさん。そうしたいものです。
先日訪ねた七宝工房が手がけたものがあったはずなのだけど、見つけることはできなかった。非公開ゾーンなのかもしれません(宿泊ゾーンは見学はおろか、間取りもまったく公開されていない)。
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ちびモスラちゃんは出てきてくれませんでした...。涙涙。
羽化させ種を残すときには、繭の先っぽを切って出てこれるようにすることもあるよう(皇室の養蚕所はそうしている)。あのこたちは、繭をやぶるチカラはなかったのか。それとも京都の外気が暑すぎたのか。ううう。
明日土に帰そう...。 |
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2007.7.28 [土] 倉敷の花莚(はなむしろ) |
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夏の敷物があったらいいなと少し思っていたところ、先日鎌倉でいいものを見つけました。とてもいい具合。がんばって運んでよかった。
倉敷に花筵を作る工房が2つあるそうです。これからもがんばってほしいなあ。デザインは芹沢けい介による。他にもすてきな意匠がいろいろあります。
鎌倉・もやい工藝「花筵」:http://moyaikogei.jp/...
織込花莚:http://www.city.kurashiki.okayama.jp/... |
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2007.7.27 [金] 羽化まぢか |
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福知山のお蚕さん。今日で出荷の日から1週間。家に連れて帰った、小さな繭がふたつ。そろそろ出てくるかもしれないから屋外へ出そうと昨晩寝床で思っていた。ふつう羽化は明け方なのだという。
して、今朝繭をみてみると、微妙に位置が変化。むむ!と思ったら、ころっとちょっと動く。
繭はもともと片側を少し薄く作ってあって、そこに分泌液をだして溶かし、そこからよいしょと出てくるらしい。で、この繭ちゃん、なにやら片側だけ、尖ってきています。今あけようとしているんだね。
ワアワアワア!
さて今日のうちに出てくるのか、明朝なのか。
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出てきませんでした。
ちびモスラとの対面は明朝なるか。ドキドキ。
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ちょうど3年前に天神さんで買って、ほぼ寝かせていた(だって滑るのだもの...。)雪駄を履くことにしました。昔の棕櫚表の雪駄。今はなくなってしまった祇園の田中屋さんのもので、田中屋さんで鼻緒を交換してもらった。足袋をはかずに裸足なら、雪駄にはよくないと思いつつも滑らないし快適。 |
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2007.7.26 [木] 三越、伊勢丹 |
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今朝の天声人語は昨日統合のニュースが流れた三越と伊勢丹の話題。
明治30年代(1897〜)、三越は元禄模様で、伊勢丹は御守殿模様で火花をちらしたのだそうだ。しかし御守殿模様とはどんなものかしら。御所解とは違うのかな。伊勢丹社史に小さな写真が一枚。でもよくわからない...。
そんなときに『きものの花咲くころ』(主婦の友社刊、すばらしい本です!)の出番とページをめくるも、「主婦の友」は創刊大正6年(1917)なのでした。御所解模様については触れられていて、昭和初期に大いにはやった、とある。
ところで毎日新聞も同じ話題(検索をしていたら早々とヒット)。
“非凡な商才をみせながら、道義や公益を重んじた”明治の創業者(三越の場合はデパートの創始者)の経営哲学を教えてくれている毎日新聞が、より興味ぶかい。
朝日新聞 「天声人語」より引用
明治30年代、東京の呉服業界は模様合戦にわいた。老舗(しにせ)の三井呉服店(後の三越)は京都に染め工場を構え、復古調の元禄模様に力を入れる。これに対し、より古く平安時代に想を得た御守殿(ごしゅでん)模様で押したのが、創業間もない伊勢屋丹治呉服店だった▼伊勢屋は、この模様を柳橋芸者の総踊りで着せたほか、両国の花火大会でも宣伝した。「御守殿模様の成功により、天下の三井呉服店と張り合って高級呉服店を目指す伊勢丹の姿勢に、衆目が注がれるようになった」(伊勢丹百年史)▼(後略)
毎日新聞 「余禄」より引用
日本人の服装の洋風化はすんなり一直線に進んだわけでもない。明治30年代の東京には1400以上の呉服店があり、20年前に比べ7倍近く増えている。一方で舶来織物商の方は、同じ間に190軒から120軒に減った。和装への復古ムードがあったようだ▲呉服の老舗、三越呉服店は当時、あでやかな「元禄模様」を大々的に売り出す。一方、新興の伊勢屋丹治呉服店は、柳や桜をあしらった王朝風の「御守殿模様」を宣伝した。復古ムードのなか「元禄」「御守殿」のデザイン戦略はみごとに成功した▲「三越は営利だけの観念で経営すべきでない。国家社会に貢献すべきだ」は三越呉服店の専務で、三越デパートの創始者となった日比翁助の言葉だ。福沢諭吉の教えを受けた日比は、アイデアに富んだ経営とともに、利より義を重んずる「士魂商才」の人として経済史に名を残した▲かたや「およそ本店員たるものは、居常必ず正義の観念に住すべし」と家憲の冒頭にうたったのは伊勢屋丹治呉服店の創業者、小菅丹治だ。こちらも客の心をつかむ新商法で非凡な商才をみせながら、道義や公益を重んじた経済人として知られている▲(後略) |
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2007.7.23 [月] 梅雨明け! |
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朝は湿度もそれなり。が、昼前くらいから風が乾いていって、午後にはクリアな空気。真っ白の雲と、青い空。蝉も鳴いてます。爽やか! 今年もやっぱり気象庁に先んじて、勝手に梅雨明け宣言。
自転車日和なんだけども、おとなしくバスを乗り継いで松尾へ。
訪ねた先は七宝の工房。懐かしい人に会いに行きました。
“誂えの帯留”を相談。取材の準備です。七宝の帯留。きっとすてきなものに。
とうとうと流れる桂川、今日はひときわ輝いていました。川の中で遊ぶひとたちもちらほら。 |
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2007.7.21 [土] 久しぶりの弘法さん |
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ちょっと雨が心配な日曜日。弘法さんへは8時出発(同行の知人からは遅い!とクレーム・涙)。
だけど収穫はいっぱい。ふっふっふ。写真のとおりです。
・竺仙の未仕立の浴衣反物
・おそらく明治期の輸出用有松鳴海絞り
(この頃、絞りと注染を施した布をアフリカへ大量に輸出してたのです。例えばそれはこんな布)
・桐下駄
・塗りの下駄
・古い籠(大)
・古い籠(中)
合計6点。して、出費はなんと1600円。えーっ。すごくないですか。
籠と下駄1つは「あげますコーナー」から頂いたもの。そんなコーナー初めては見つけました。境内ではなくて、東寺の外で。
いい日もあるなあ。こんな骨董市歩きは愉しすぎます。 |
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2007.7.20 [金] お蚕さまフィールドワーク:もう繭に |
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“掃き立ての日”から32日。繭を作り終えて蛹となり、出荷される日に福知山へ行きました。
(前の日記に書いた「約50日後に繭を作り終えます」はマチガイでした。正しくは、蛹になるまでが30日くらい、一生涯が50日。詳しくはこちらなど)
今回福知山の野村さんが育てたのは「黄白」(おうはく)という品種のお蚕さんです。雄は白、雌は黄色の糸を吐き、雌雄の区別ができる品種(写真は雌の繭ばかりを集めてたもの)。雄のほうが糸が細く、良い糸がとれると昔から言われていて、色により選別することを可能にした品種なのだそうです。
作りたての繭はふわあっと柔らかく、心なしかしっとりとした雰囲気。この中で蛹が生きていて、羽化するときを待っている...。でも、今日の夜には京都から岡谷・宮坂製糸へ出荷されていきます。
2万弱の繭を車に乗せて、美山を経由し京北町の「塩野屋ファーム」へ。今年三月に植えたという桑の苗木1000本。雑草にやや侵食されつつも、元気に根を下ろして艶やかな葉っぱを伸ばしていました。ほぼ1人で世話をしているという畑。塩野屋の服部さんの情熱には本当に感服! |
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2007.7.17 [火] 巡行 |
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烏丸御池で山鉾巡行を少し見物。
たまたま函谷鉾が目の前で止まってくれたから、じっくり観ることができました。鶏の懸装品が印象深い。近世の染織家、山鹿清華の作なのだそうです。
函谷鉾のお囃子には女の子も乗っていたような。
七月も後半になったけれど、夏らしい日はまだやってこないなあ。
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くにえさん!
そうそう、まさにそう思いますぞ! |
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2007.7.16 [月] 宵山茶会 |
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宵山の日は、煎茶の茶会のお手伝い。
極上の玉露の茶葉を使って、客も自分自身で淹れるというのが今回の趣向。本当に美味しい玉露を味わってもらうことが何よりも目的。飲むものではなくて、口に含ませて味わうもの、文字通り“玉の露”として。
味見させてもらったお茶(二煎目)は美味しかったなあ...。とろりとして、甘く、じわああっと。うまみ成分はほどほどに、甘くて、丸い。ああまさに甘露であった。
抹茶の席の主菓子は行者餅。東山のお菓子やさんが一年でこの一日、宵山の日しか作らないというお菓子。200年前、当代主人が山伏修行中にお告げを受けて、作り始めたもの、とききました。私たちスタッフもお客さまたちが帰られた後にいただきました。
着ていったのは、縞の八重山グンボウに、無地の八寸。道明の唐組と白の帯揚。渋めの色だけど、ピンクっていいなあ。柔らかな気持ちになる。うん、綺麗な色をたくさん着たい。 |
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2007.7.15 [日] 「大人の和生活」 |
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主婦と生活社の「大人の和生活」(7/5発売)に取材をしてもらいました。格子の(というよりチェックの)小千谷と、知人から譲りうけた宮古を着ました。
へちま帯枕の下にあるのは、久保紀波さんの扇入れ...。“暑さを忘れるお助け品”ではないのです。うるうる...。手違いです。ごめんなさい(涙)。
大特集は「夏から秋にかけての織のきもの」。
青山八木さんが夏きものに最上と考えるのは「上布(宮古もしくは越後)」。その上ですすめるのは、まず小千谷。夏きものの感触をつかんだら、次にすすめるのは絹(夏塩沢など)。小千谷と上布の間にある麻には手を出さない、というのがお考えだとか。なるほどです。オモさんの生紬もとってもすてきだったし、夏の絹きもの欲がじわじわと増殖中。
本屋さんで見てみてくださいね。 |
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2007.7.15 [日] 青空 |
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ああ、一ヶ月も日記をさぼってしまいました...。書きたいことが溜まっていって、それが頭の整理のできていないことだと尚更に、ひきこもってしまう。そうこうしているうちに福知山のお蚕さんたちはぐんぐん育って、あと1週間で出荷だという(ここ最近の湿気のせいなのか急に成長し、出荷の日が前倒しになったのだそうだ)。
青い空をみたのはもう何日ぶりだろう。10日くらいかな。青い空は綺麗だ。台風一過。ダイナミックに動く白やグレーの雲と、青い空。
やはり何日ぶりかに自転車に乗って、美しい帯を見にいきました。逸品という言葉はこんなもののためにあるんだ。糸のこと、日本の絹のこと、たくさん話をききました。絹の本質は「艶」と「肌触り」。それを見失ってはいけないと。未整理。いずれにしても、うきうきする。
喫茶六花で夏野菜いっぱいのお昼ごはんを食べて、夏の装履の花緒を相談しにない藤さんへ。ようやく雨のあがった鉾町を歩き、飾られた屏風を眺め、夏の気持ちになってきました。そしてとっても遅まきながら、祇園祭の扇を床の間へ。巡行は明後日だから、三日間限定です。 |
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2007.7.1 [日] 鎌倉散歩 |
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数人で連れ立って、着物寄り鎌倉散歩。
ガイドはフー母(ふうままさんはフー母とは別の方であります)、訪ねた場所は、えっと…、
・お蕎麦屋さん(店名失念)
・手づくりの洋服のお店( 〃 )
・古着屋さん( 〃 )
・なた屋:生紬の御所解染帯すてきだったなー
・大佛茶廊:お庭拝見
・豊島屋(鳩サブレのね)
・スターバックス:不本意気味(笑)
・もやい工藝
・ロータスポンド
・かつら呉服店:すばらしい琉球の織物を拝見。素敵ですねえ、本当に、としばらくのやりとりののち、一瞬間、そして「おつくりなさいませ!」と店主。あまりにも直球のボールにたじろぐ。そして関心する(鎌倉マダムならば受けて立つところでしょう!)。しかし、つくれません...。
写真は夜に眺めた海。 |
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