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もずやの空間
南風原の絣 着物・帯 着物・帯



一般的に、『琉球かすり』と言われ、反末の証紙にも『琉球かすり』と書かれているのは沖縄県の南風原町というところで織られている絣織物の事を言います。
そもそも、本島での絣織は首里で織られていました。首里では手縞、縞ぬ中、諸取切など多種多彩な織物が織られていましたが、その数は少なく、技法も周知されていませんでした。そこで首里に似た絣を安価に大量生産したのが南風原だったという歴史があります。
南風原は、戦後、米軍のパラシュートをほどいて糸にし、豆袋を織始めたところからスタートします。そして昭和40〜50年代にかけて内地は大着物ブームがやってきました。その時はまだ本土にに復帰していませんでしたが、それでも南風原は首里の沈黙を尻目に、絣織物の中心地としての地位を固めていきます。中心的に活躍したのは、大城廣四郎さん、大城清栄・カメさんたちです。そして1972年の沖縄本土復帰で、大沖縄ブームです。『琉球かすり』は増産に増産を重ね、沖縄の着物といえば、南風原の絣をさすようにまでなります。そして、1987年、南風原は『かすりの里宣言』を行います。沖縄の絣の代表は我々であると、南風原は宣言したのです。産地として伝統の無い南風原に対して、首里の作家の一部には苦々しく想っている人もいました。一時、増産によって品質が劣化した時期もありましたが、それも徐々に改善され、南風原は、名実共に沖縄を、そして日本を代表する絣織物の産地となったといえるでしょう。

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2011/2/16 登録
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感想
11/2/16 えりりん  もともと首里で織られていた絣織は、素材はなんだったのでしょうか?木綿?
もずや  ☆えりりんさん

首里では主に絹ですね。もちろん、芭蕉や桐板(とぅんびゃん)という苧麻で作られていたのではないかと言われている幻の織物もありました。でも、主体は絹です。『首里(すい)だら〜』という言葉がありますが、これは琉装にして着ると、綿なら糊がきいて張りのでた着付けになりますが、首里は絹なので、ダランとしてだらしないという意味です。南風原でも木綿が数多く織られていたのは、復帰直後までで、後は絹が主体になりました。
11/2/17 モーリー  南風原で木綿が織られていたのですね。沖縄ではかつて綿花が栽培されていたのでしょうか?
もずや  ☆モーリーさん
確認していませんが、ミンサーがあるのですから、栽培されていたんじゃないかと想います。小浜島の綿の絣は有名です。石垣島で綿が栽培されていたのかどうかを新垣幸子さんに聞いた事があるのですが、貢納布に集中させるために、綿花の栽培は禁止されていたんだそうです。勉強不足ですみません。近日中に調べて確かな回答をいたします。
えりりん  首里の絣は昔から絹なのですね。ところで、桐板(とぅんびゃん)は苧麻ではなく、リュウゼツランの繊維と教えていただきましたが?大城廣四郎さんの工房で拝見した事があります。うつくしい布でした。
もずや  ☆えりりんさん
桐板は竜舌蘭の繊維で作られているのではないかと言われていましたが、最近のルバース吟子さんの研究では苧麻であったというのが定説になっています。竜舌蘭の繊維を使った模造品が出ているようですが、偽物です。
もずや  ☆モーリーさん
県内の綿花生産ですが、本日、元沖縄県立芸大教授の祝嶺恭子先生に確認しました。綿花は本島、石垣島、宮古島で広く栽培されていたそうです。本島では南風原が綿花栽培の中心だったそうです。宮古島の綿糸はとくに品質が良く、12ヨミで織られた綿布が本島に渡って、紅型染めが施され、王朝や清国へ貢納されていたそうで、琉歌の中にもそのすばらしさを詠んだものがあるそうです。綿花栽培は戦後まで続けられていましたが、県外から綿糸が入って来るようになって次第に衰退し、食糧難もあって、食物の栽培へと置き換わっていったということです。
11/2/18 えりりん  なるほど。では「桐板」は上布などとは何が違うのか?何をもって「桐板」と言われるのか?ますます疑問が膨らみますね。
もずや  ☆えりりんさん
上布とは上等の麻織物の事を言います。これは沖縄だけでなく、全国共通ですね。かつては首里上布というものもありました。桐板の名前の由来・・・今度聞いてみますね。桐板に関しては幻の布とういうことで、詳しい事はほとんど解っていないという事です。
宮古上布、八重山上布が貢納布だったのに対し、桐板や首里上布は首里の織物で、貢納布制度の外にあり、首里の中で生産され首里のなかで消費されていた。ここが幻の布となってしまった原因ではないかと私は推測しています。
桐板に関しては、もう少し詳しく調べてみますね。確か、大城志津子さんとルバースさんが論文を書いていたはずです。大城さんの竜舌蘭説のあと、ルバースさんの苧麻説がでて、いまは後者が定説になっています。
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